祝祭、スペクタクル、日常文化の政治学 吉見俊哉

「祝祭」について語ること

 「祝祭」について語りたい。1968年前後の知と政治をめぐる動揺のなかで、70年代にはあれほど華やかに、また熱烈に語られた祝祭についてである。あの時代、祝祭はさまざまな演劇集団や芸術家、批評家、記号学者、そして歴史家や人類学者たちが通奏する時代の共通意識となった。アルフレッド・シモンは書いている。それまでにフロイトデュルケーム、カイヨワ、バタイユなどが発展させてきた祝祭性の理論は、集団意識のなかにまだ祝祭の要求が生まれず、社会は祝祭の不在という自己認識をもたなかった時代に属する、と。シモンによれば、68年の5月革命を経て、フランスでは祝祭が、「マーケティングやさまざまなメディアで細分化された社会において、日常的人間を、労働者、消費者、観客という三重の受動性から奪還する」実践として再発見されたのだ。
 わが国において、60年代末の若者たちの反乱がどれはどの広がりをもって祝祭を再発見していったかはともかく、70年代のこの国の学問的言説が、「祝祭」というテーマを通じて知の脱構築を夢見たことは確かである。カーニバル論や道化論から社会史ブームに至るまで、さまざまに織りなされていったポストモダン的知の潮流のなかで、祝祭は、唯一のとまでは言わないまでも、人々を駆り立てた重要なモメントのひとつであった。
 たとえば、この時期の祝祭への知的関心の高まりを、最もよく表出している著作のひとつにハーヴェイ・コックスの『愚者の饗宴』( 1969 )がある。まさしくステューデント・ムーヴメントが世界的に頂点に達した、その興奮の次代に書かれたこの本は、近代における祝祭の著しい衰退と再生という構図のなかに同時代の若者たちの反乱を位置づけてみせた。コックスは、人間とは、その天来の性分において歌い、踊り、祈り、物語り、祝う存在、つまり「祭るひと( homo festivus )」なのだと言う。祭りは人間におのれの時とかかわらせ、歴史と永遠に対する関係を再建させる機会であり、時間的存在としての人間とその文化にとって根底的な契機なのである。近代は、このような祭りに対する人間的能力を一貫して退化させてきた。むろん、現代人の生活のなかにもかつての祝祭を想起させるものはある。われわれはカクテル・パーティやフットボールの試合を毎週のように楽しんでいる。しかしこれらのパーティや饗宴は、祝祭本来の気分と感情を失っている。
 だが今日、近代化の歴史は大きな転換点を迎えつつある。われわれは現在、祭りの精神の再誕生を目の前にしている。「われわれは、年中行事としての愚者の饗宴を持っていないが、過ぎし日に生きていた生活の肯定と、ふざけた非礼さが、再びわれわれの時代にいぶきをあげ始めている」。たとえば、非西洋文化の研究は、われわれが「いま、なにかを欠如していることに気づかせ始めた」。同時に、「産業社会の若者たちは、至る所で表現力に富むお芝居や芸術的創造が、遠い所で行われているのではなくして、生活の中心にあることを示している」。われわれは「大がかりな文化のルネッサンスへの序曲を見、産業化の中で数世紀にわたって飢え、抑えられてきた能力が再び育まれ、評価される人間の感覚の革命を見ているのかもしれない」。コックスはこうに主張し、こうした能力の再発見を示す動きとして、彼が「新神秘主義者」と呼ぶ瞑想主義的なヒッピーたちと、「新しい闘士」と呼ぶ学生運動の活動家たちの間に共通の祭りへの指向が伏在していると論じていった。
 わが国において、もしもこうした祝祭性への関心と反響するものを捜し求めるのなら、やはり1969年に『文学』に連載された山口昌男の「道化の民俗学」を挙げておかなければならない。コンメーディア・デラルテにおけるアルレッキーノの演技を出発点としつつ、道化を阿呆と悪魔に、あるいはギリシヤ神話のヘルメス、古代インド叙事詩のクリシュナ、アフリカの神話世界のトリックスターたちに結びつけ、全体として混沌としだ笑いに満ちたカーニヴァル的世界の存在を浮かびあがらせていったこの論文の叙述は、その後の山口のいずれの著作をも超えている。そして周知のように、こうした祝祭論のパースペクティヴは、この国における70年代以降の知の地殻変動のひとつの導火線となっていった。高山宏が、1984年に再刊された同書の「解説」で言い当てているように、山口民俗学の真髄は、「方法論的武装よりも、反〈近代〉のメッセージの強烈と、周縁的現象への愛ないしは感受性、そしておそらくはパイオニアたらんとする小気味よい気負いとが、時に方法論を置きざりに、『かたち』の連想ないし類推を辿って文目も分かたぬ『コネクション』の網の目を疾走していく独特のスタイルのかもすスピード感」にあった。
 だが、祝祭への以上のような知識人たちの熱狂は、1980年代を通じて徐々に冷めたものになっていった。70年代の祝祭論の旗手たちのその後の軌跡が示すように、祝祭を語ることは、やがて社会の管理システムを侵犯し、民衆的なエネルギーを奪還するどころか、むしろ消費社会的な、あるいはポストモダンなフェイスへと移行した現代資本主義に適合的なイデオロギーとなっていったように見える。祝祭やカーニバル、道化的なふるまいは、記号システムの差異化と統辞化を巧みに組み合わせながら都市をメディアとして、あるいは記号化された祝祭の舞台として演出していこうとする諸資本にとって、新たなマーケティング戦略展開のために有用なイメージとなっていったのである。すでに60年代末、祝祭性の復権が欧米や日本の知識人によって熱っぽく語られていく頃、ギイ・ドゥボールは、現代における生活世界総体のスペクタクル化を次のように告発していた。

 「現代という時代は、本質的にはその時間を多種多様な祝宴の迅速な回帰として自己に示す時代であるが、実際は祝祭なき時代である。……対話と贈与のパロディである現代の世俗化された擬似的な祝祭が余分な経済的浪費を促す時、それらの祝祭は、結局は、常に新たな失望の約束で埋め合わされる失望に終わるしかない。現代の余分な生の時間は、スペクタクルのなかで、その使用価値が縮小された分、いっそう高く己れの価値を吹聴しなければならない。時間の現実は時間の広告に取って変わられたのである」

 祝祭への熱狂は、5月革命や大学闘争のなかで生まれた知的ファッションに過ぎなかったのか。それとも祝祭すらも、その蓄積プロセスの一部として記号化してしまうほど現代資本主義が狡猾だったのか。あるいはさらに、こう疑ってみることも不可能ではない。すなわち、60年代末に噴出した祝祭への希求そのものが、近代という時代の構造のなかにすでに内挿されていた代償的な行為だったのではないか、と。たとえば、ロジェ・シャルチエは、1987年にまとめられた『読書と読者』の冒頭で、70年代における祝祭論の流行を失われた文明に対する学問レベルの代償行為として捉えた。祝祭をめぐる学問的探究は、「共同体的な参加行為として定義される祝祭を排除してしまった現在という時代からにじみ出てくるノスタルジーを、みずからの言語とテクニックによって表明する責務を背負った」のだ。つまりは現代の官僚制的合理化が剥奪していったものに対する償いという点でも、あるいはすべてを共時的な構造の平面に還元してしまう構造主義の見直しという点でも、「祝祭」というテーマは当時の知識人たちの食欲をそそったのである。


スペクタクルと資本主義の文化戦略

 ドゥボールスペクタクル社会論は、こうして80年代以降、現代資本主義が組織する記号的な差異のシステムのなかにすっかり取り込まれてしまったかにみえる祝祭論への鋭い批判となっている。われわれはまずここで、ドゥボールの議論がスペクタクルをめぐる他の論者たちとはまったく異なる視座からなされていたことを確認しておこう。たとえばシャン・デュビニョーは『スペクタクルと社会』( 1970 )のなかで、「われわれの体験は、それがわれわれのうちに根をおろすには、スペクタクルとして提示されて、エモーションとして容認されることを必要としているらしい。われわれの〈内〉生活そのものがひとつのドラマとして演じられており、キリスト教はその諸形式を演劇的本能で取り決めたのである」と語っていく。だからこの論者によれば、われわれは今日でも「誰も生活のスペクタクル化や演劇化から逃れることはできない」。ここにおいて、スペクタクルとは劇場の外に広がる社会生活全般の演劇性、ドラマ形式を示す言葉にほかならない。
 他方、T・コフザンは『文学とスペクタクル』( 1975 )のなかで、司教のミサや見世物、サーカス、映画、カーニバルと花火、王侯の祭りと軍隊の行進などを等しく「スペクタクル」として概念化する可能性について語る。人類学者のJ・マカルーンは『儀式、ドラマ、祝祭、スペクタクル』( 1984 )で、「スペクタクルは見るもので、視覚的かつ象徴的なコードが最重視される」と論じていく。しかも、彼によれば「眺めるものすべてがスペクタクルになるのではなく、しかるべき大きさと仕掛けがあるものに限られる」のである。すなわち「スペクタクルでは、役者と観客、演技者と見物人の役割があたかも上下両院をなすがごとくに制度化」され、「舞台中央を占める役者となる人間には、運動、動作、変化、交換が要求」されるわけだ。これらはいずれも、デュビニョーの定義よりもさらに狭い、ある特定の文化的表現のジャンルとしてのスペクタクルという概念である。
 このようにして、スペクタクルを人間の生一般に共通する演劇的形式として普遍化する方向や、特定の文化的表現のジャンルとして特殊化する方向とは異なり、むしろこれを現代社会のメディアや商品化、イメージの大量生産システムの問題と最初に結びつけようとしたのは、ベンヤミンアドルノでないとすれば60年代初めのダニエル・ブーアスティンである。「グラフィック革命以来、イメージの大量生産は、われわれの想像力にも、われわれのもっている真実らしさの概念にも、さらには日常的経験のなかで真実として通用しているものにも革命的な影響を及ぼした」と語るブーアスティンは、いまやわれわれが生活のなかでしていく最大の努力は「夢の実現にではなく幻想に実現に注がれる」ようになっていると批判し、この「幻想」を「擬似イベント」と呼んでいった。たとえば今日、メディアは「事件」を自己の欲望を成就させるような仕方で作り出す能力を備えるに至っている。「出来事を報道し、複製するこのような新しい技術が発達した結果、新聞記者は出来事の起こる以前に、起こりそうなイメージを描き、報道を準備しておくという誘惑に陥った。人間はしばしば自分の技術を必需品と勘違いするようになった。読者や観客は、報道の自然さよりも、物語の迫真性や写真の〈本当らしさ〉を好むようになった」。
 ブーアスティンの議論が示したのは、このような擬似イベント化が、ニュースの報道から有名人や観光地のイメージまでを含み、現代のあらゆる日常風景のなかに広がっていることであった。たしかにわれわれが有名人の話題に夢中になるのも、海外旅行に出かけるのも、現実によってイメージを変化させるよりもイメージによって現実を確かめる行為になっている。それどころかブーアスティンによれば、今日ではアメリカそのものもすでにもう擬似イベントなのだ。実際、ある巧みに仕組まれた「イメージによって大統領が選ばれ、あるいは自動車が、宗教が、タバコが、あるいは洋服が売れるというのであれば、当然、アメリカ自身を、あるいはアメリカ式の生き方を世界中に売り込める商品にすることができるはずである。われわれ自身、われわれの社会、国家、指導者を論じるときに、イメージの言葉で話しているのである」。ブーアスティンは、スペクタクルよりも擬似イベントという言葉を好む。しかしそうした大量生産されるイメージが、われわれの日常のリアリティをくまなく覆っているという認識はすでに示されていたのである。
 ドゥボールのスペクタクル論には、一面でこうしたブーアスティンの議論を引き継いでいる面がある。たしかにドゥボールは、スペクタクルを情報やプロパガンダ、広告や娯楽の消費といった形式を通じて「この社会に支配的な生の明示的モデルとなる」ものとして捉え、それが「生産と、その必然的帰結としての消費において、既になされてしまっている選択をあらゆる場所で肯定する」ものだと考える点ではブーアスティンと同じ立場に立っている。しかし彼は、ブーアスティンがアメリカのスペクタクル的な商品消費を記述しながらも、「私生活や「まともな商品」を、惨事と言えるほどの商品の膨張の外に置いておくことができると思っている」点で不徹底だと批判する。ブーアスティンはたしかに「われわれに疎遠になった1つの世界の過剰性を、われわれの世界に疎遠な過剰性として描いている」。ところが、そうしたイメージの支配を「われわれの常識外れな期待」の産物と形容してしまうのである。しかし、ドゥボールによれば「ここで彼が暗に参照している社会生活の「正常な」基礎なるものは、彼の書物においても彼の時代においても、いかなる現実性も持たない」のである。つまり、擬似イベントの世界の外側に「正常な」真実の世界が残っているわけではない。スペクタクルは、「商品が社会生活を完全に占領した瞬間に現れる」のであって、そこでは「単に商品への関係が眼に見えるようになるだけでなく、もはやそれしか見えなくなる。人が見る世界がその人の世界となる」のである。
 ブーアスティンとドゥボールの大きな違いは、現代社会における擬似イベント化=スペクタクル化の基本的な要因を、ブーアスティンは基本的に複製技術の高度な発達によるイメージの大量生産と、センセーショナルなものに対する現代人のあまりに強い好みとの「不幸な出会い」に求めているのに対し、ドゥボールは現代資本主義が内包している疎外、生のリアリティそのものの物象化に問題の核心を見ている点にある。ドゥボールは、「ブーアスティンが告発する提造された「擬似的な出来事」の増殖は、現在の社会生活のなかで、人間自身が出来事を生きていないという単純な事実から生じているのだということを彼は理解していない」と批判する。むしろ、「歴史そのものが現代社会に亡霊のように取り憑いているからこそ、現在の凍った時間によって脅かされた平衡を守るため、人々は生の消費のあらゆるレヴェルに、人工的に構成された擬似的な歴史を見出すのである」。
 そしてドゥボールによれば、スペクタクルは単に先進資本主義諸国の日常世界を覆っているだけではない。「工業化の程度が最も低いところでも、いくつかの人気商品によって、また生産力の発展の頂点にある地帯による帝国主義的な支配として、その体制は既に姿を現している。生産力の進んだ地帯では、社会空間は、切れ目なく重なり合った地層のように、商品にすっかり覆い尽くされている」のだ。この観点からするならば、スペクタクルとは先進資本主義社会の一部で生じている本来の生から逸脱した現象なのではなく、むしろ現代資本主義をなり立たせている文化の根幹的な戦略なのである。ちょうど同時代の文化帝国主義の議論がメディアについて考えていたのと同じように、グローバルな支配システムのなかでスペクタクルは権力の主要な媒体なのだ。「スペクタクルを持つ社会は、単に経済的ヘゲモニーだけで低開発地域を支配するのではない。それは、それらの地域をスペクタクルの社会として支配する。物質的基盤がまだ存在しないところでも、すでに現代の社会はスペクタクルによって各大陸の社会の表層に侵入している」のである。


スペクタクルの時間 儀礼の身体

 ここで問いたいのは、冒頭で述べたような人類学的な祝祭論の視座とドゥボールのスペクタクル論の視座との関係である。ドゥボールはスペクタクルという概念を通し、単に特定の儀礼や文化パフォーマンスの形式というのではなく、また複製技術やマス・メディアの影響というだけでもなく、むしろ現代資本主義の文化論理と不可分な結びつきをもったものとしての祝祭について語った。このアプローチは、たしかに一見、ブーアスティンやアドルノベンヤミンなどのアプローチとは結びつき得ても、文化の祝祭性をテーマにした人類学の視座とは結びつき得ないものであるようにも見える・なぜなら一方は資本の論理から出発して文化を語り、他方は儀礼の論理から出発して文化を語っている。そして、資本の論理と儀礼の論理は根本的にあい入れないように見えるからだ。しかし、そうであればこそドゥボールのスペクタクル概念が興味深いのは、このようにかけ離れている2つの論理が接合する、まさにその平面に注目しているからなのではないだろうか。
 たとえばマカルーンなどは、スペクタクルを資本主義の文化戦略全体にまで広げようとするドゥボールに対し、「スペクタクル発達の温床となっているスペクタクル紛いの社会生活一般のさまざまな実状と、文化的パフォーマンスの組織化された一ジャンルとしてのスペクタクルとの区別を頑として認めないところが、ドゥボールの議論の弱点になっている」と批判する。すでに述べたように、マカルーンはスペクタクルとスペクタクルでないものとの境界線を明確にし、この概念をもっと扱いやすい対象を指示する概念に限定したいのである。たしかに彼も、スペクタクルは「資本主義と共産主義とを問わず、産業化社会で興隆を極めるに至っている。スペクタクルはだいたい暦や社会のリズムとは切り離され、また義務的でなく参加するものである。観客の役割はリミナリティとは対照的と思われるかたちで制度化されている」と論じ、現代社会のかなり広い現象にこの概念を当てはめていく可能性を示唆している。しかしここでなされているのは、あくまで人類学的儀礼モデルを前提に、現代の諸現象をそうした枠組みに取り込んでいくことである。
 他方、ドゥボールの議論のなかで、人類学的な儀礼論の視座はどのように位置づけられるのか。この点でとりわけ興味深いのは、スペクタクルの時間性について論じた議論である。ドゥボールはそこで、「人間的非−発展の一般的時間は、その補完的側面である消費可能な時間の下においても存在する。この消費可能な時間は、社会が一定の生産性を上げると、擬似円環的な時間として社会の日常生活の下に還って来る」と語る。ここで彼が「人間的非−発展の一般的時間」と述べているのは、これに先立つ議論から考えて、商品の時間、世界市場の時間と重ねて考えて問題はなかろう。したがって、そうした世界市場のなかで商品化され、計量化された時間が、資本主義の発展過程そのもののなかで再び擬似円環的な時間として日常生活のリズムのなかに戻ってくるのである。このときこの擬似円環的な時間は、「前産業社会において生き残ることを統御していた古い円環的リズムを再発見する。擬似円環的な時間は、円環的時間のさまざまな自然的痕跡に依拠すると同時に、それらを新たに均質的なやり方で組み合わせたものを作り出すのである」。
 ドゥボールは、消費可能な擬似円環的な時間とはすなわちスペクタクルの時間であり、このような時間性がわれわれの日常生活のなかで構成されていくためには、スペクタクルの諸装置が十分に機能していなければならないと考えている。この擬似円環的な時間のなかで、スペクタクルは「現実の生の瞬間として与えられ、その円環的な回帰を待つことが求められている」。しかし、ここにおいて現実の生として描かれたものは、結局は「より現実的なスペクタクルの生」でしかないのである。こうして議論は、「現代という時代は、本質的にはその時間を多種多様な祝宴の迅速な回帰として自己に示す時代であるが、実際は祝祭なき時代である」という、すでに引用した主張につながっていく。かつての祝祭の時間は、現代では完全にスペクタクルの時間に取って代わられてしまったのだ。そこでは祝祭は「常に新たな失望の約束で埋め合わされる失望に終わるしかない」。
 しかしこれは、もうひとつの決定論なのではないだろうか。スペクタクルを市場の商品化された時間に重ね合わせられた擬似円環的な、つまりは擬似儀礼的な時間として捉えるのは正しいとしても、まもなく5月革命が雄弁に示していくように、それでもシチュアシオニスト全体の運動の流れはこの擬似円環的な時間のなかに巻き込まれていく人々の集合的な身体や記憶の問題を、むしろスペクタクルの時間を群衆の集合的な身体が簒奪し、そのなかに祝祭の時間性を奪回する方向で考えていたのではないだろうか。この場合、われわれは一方の資本の戦略としてのスペクタクルと、他方の解放の契機としての五月革命のような祝祭を、必ずしも画然と分けることはできないはずである。そうだとするならわれわれは、むしろスペクタクルの時間のなかに無数の亀裂や矛盾を見出して、その狭間に祝祭の身体がねじれた仕方で活動しているのを確認していくべきなのではないだろうか。また他方、祝祭の時間のなかにも多数の対立と葛藤、そしてすでにそこにもスペクタクルの時間が装填されていたのを捉えていくべきではないだろうか。問題は、必ずしもスペクタクルか祝祭かという二項対立的な図式のなかには還元されないのである。
 ドゥボールのスペクタクル論が、ブーアスティンの擬似イベント論を超えていることは明らかである。また、マカルーンをはじめとする人類学者たちの限定的なスペクタクル概念では、ドゥボールが問題にしたようなスペクタクル的な権力と資本主義との構造的な結びつきを適切に捉えられない。スペクタクルとは、単なる顕示的なイメージなのではなく、そうしたイメージに媒介される支配と動員、主体化のヘゲモニックな関係なのである。しかしながら、このスペクタクルの関係は、それ自身の内にさまざまな立場と異質な身体を集合化させており、矛盾や葛藤、衝突を幾重にも含んでいる。したがって、実際にはスペクタクルは、ドゥボールが「スペクタクルの社会」で論じたほどに決定論的な仕方で作動しているわけでもないであろう。一方でわれわれは、社会の集合的な場での出来事を、共同体が歴史的変化を超えて保持してきた何らかの儀礼的な構造に帰着させていくのではなく、諸々の言説的=身体的実践の闘争として、またそうした闘争そのもののなかから主体性の地理が構成されてくるようなプロセスとして描いていく必要がある。しかし他方で、そうした言説的=身体的実践が、必ずしもいわゆる資本主義の支配的な秩序の維持に一元的に還元されるわけではないことにも十分な注意を払っておく必要があるのである。