『サイバネティクス研究者との往復書簡』 訳者解題


 ここに掲載されたアブラハム・モールのSI宛ての手紙と、それに対するドゥボールの返答は、サイバネティクスという第二次大戦後に生まれた新しい体制的学問の研究者──「サイバネティクス cybernetics 」の語源は「操作・操縦・統治 kubernân」の技術である──が、その新しいものへの興味だけからシチュアシオニストに取り入ろうとして、完膚無きまでに粉砕される姿を鮮やかに見せてくれる。この手紙の冒頭で書かれているように、モールは、この時、同じストラスブール大学で教えていたアンリ・ルフェーヴル(モールはルフェーヴルを「同僚で友人」としているが、実際は、助手のモールに対してルフェーブルは教授である)から「シチュアシオニスト」のことを耳にし、このような手紙を書いたのだが、その「シチュアシオニスト」解釈は、誤解を通り越してほとんど正反対の解釈である。
 例えば、「状況」というシチュアシオニストの用語について、モールは、シチュアシオニストによるその厳密な定義を無視して、自己流に雑駁な理解を行う。彼は『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌を読んでいると告白しているにも関わらず、その第1号に掲げられた「構築された状況」の定義、すなわち「統一的な環境と出来事の成り行きを集団的に組織することによって具体的かつ意図的に構築された生の瞬間」という内容を完全に無視し、「状況」という概念を一般的な、すなわち既存の語彙理解のままに、「与えられた状況」という受動的な概念にしてしまう。「日常生活は状況の連続」であるとか、「1つの状況とは、短期的な反応のシステムに結びついた感覚のシステムである」というモールの言い方には、この社会の「日常生活」が自明のものであり、その変更は不可能であるということを前提とし、それに対する「感覚」のシステムと「反応」のシステムを、第三者的な立場から──さらには、統治者の立場から──さぐることにしか関心のないことが透けて見える。人間の根元的な「欲望」がモノヘの「欲求」に還元されてしまっている現代の「スペクタクルの社会」の日常生活──ドゥボールの言葉を用いれば、「植民地化された」日常生活──を転覆するために、「生の瞬間」を「具体的かつ意図的に」構築すること、そのために既存の文化と芸術=技術を「転用」し、「統一的」にすなわち分離された個々の領域からそれらを解放して、「統一的な環境と出来事の成り行きを集団的に組織すること」こそが、シチュアシオニストの言う「状況」であり、それは決してモールの考えるような受動的な概念ではない。シチュアシオニストの言う「状況」とは、それを主体的に「構築」することのなかにしか存在しないのである。
 この理解を本質的に欠くがゆえに、モールの唱える「新しい状況」はテクニック──小説の執筆テクニック!──でしかなく、情報の理論家によって計測可能な「新しさ」の「量」へと切り縮められる。あるいは「逸脱」──それも「規範の近くでのわずかな幅の」──、「タブーの侵犯」──それも「合法的な自由の内部での」──、、「犯罪」──「デュルケムの社会学の意昧での」という限定付きの──といった、既存の社会体制のなかで許容された人間の行動の変異体としてしか構想されない。それらは、モールにとって、「テクノロジー」によって操作し、管理しうる逸脱であり、「スペクタクルの社会」に彩りを添える飾りでしかないのである。
 このモールの手紙に対するドゥボールの返事に、モールがストラスブール大学の「去る6月の試験で、われわれの若い同志の1人を落第させようとした」ことへの言及があるが、モールとストラスブールシチュアシオニストとの間には、この後も幾度かの衝突が繰り広げられる。1965年3月17日には、モールとエレクトロニクス彫刻家ニコラ・シェフェールとがストラスプールで行った講演会に、シチュアシオニストが介入して、ビラ『ガラスケースの中の亀(ロボットと信号の弁証法)』とこの文章「サイバネティクス研究者との往復書簡」のコピーを巻いた。また、67年10月26日には、ストラスブール大学のコミュニケーション社会心理学研究所の所長の席を手に入れたモールが開講講義を行おうとした教室に、10教名のシチュアシオニスト系の学生が押し寄せ、教壇に向かってトマトを投げつけて、モールを追い出した。この事件は、シチュアシオニストによると、フランスで「はじめて大学の教授が攻撃を受け、その席から追放された」事件だった。この日、ストラスブールの学生たちは、同時に、『ドゥルッティ旅団の帰還』という転用コミックの形態のパンフレットを配布して、シチュアシオニストの理論を用いてフランス全学連の官僚的な組合主義を批判し、後に「ストラスブールのスキャンダル」としてフランス中の注目を集めた行動を開始した。シチュアシオニストが開わった67年10月のこの行動こそ、68年5月革命を先取りする烽火だったが、それにサイバネティクス学者モールという管理と支配の学問の研究者が開わっていたことは、象徴的どころではない意味があるだろう。