社会実験芸術センターのアンケートに対する回答


1 どうして、民衆は自分が芸術に関わりがあると感じないのでしょうか?
どうして、芸術はブルジョワ階級のいくつかのの教養ある階層の特権のままなのでしょうか?

 〈社会実験芸術センター〉のこのアンケートのテーマの重要性と、回答に与えられた限られたスペースを考慮すれば、何らかの図式主義に陥らざるをえない。これらの問題に関するシチュアシオニストの立場は、SIの機関誌(『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』、『デァ・ドイチェ・ゲダンケ〔ドイツ思想】』、『シチュアシオニスト革命(シチュアシオニスティスク・レヴォリューション)』)や、去る6月にデンマークで行なわれた「RSG6粉砕」集会の際に発表されたカタログにおいて、より正確に表明されてきた。
 民衆、すなわち被支配階級は、その参加や管理の外で──しかも故意にその参加や管理に反して──形成された文化とか社会生活の組織の中では、当然ながら、何に対しても関わりがあると感じることができない。民衆は、彼らによる消費のために特別に割り当てられた似非製品との関わりを見せかけだけ持たせられているだけだ。その似非製品とは、行動の模範を示したり、彼らの手に入る製品を売りつけようとする、華々しい(スペクタキュレール)広告形態や宣伝形態のすべてである。
 しかしながら、このことから、芸術はブルジョワ階級の「特権」として存続していると、単純に結論づけることはできない。過去において、あらゆる支配階級は、彼ら自身の芸術を持っていた。それは、将来の階級なき社会は、芸術を待たない、つまり芸術的実践の彼方にあることになるのと同じ理由による。しかし、現代の歴史的状況とは、人間による自然の占有過程における1つの段階を乗り越えたことと関連し、また、それによって、階級なき社会の具体的な計画にまさに結びつくことによって、大芸術が必然的に革命的になっていたようなものなのである。現代芸術と呼ばれてきたものは、19世紀におけるその始まりから20世紀の始めの30年間におけるその開花に至るまで、ずっとブルジョワ階級に敵対する芸術だった。芸術の現在の危機は、ロシア革命の失敗と資本主義の近代化以来の労働運動の危機に関連している。
 今日、より正確な用語で言うと経済の「第三部門」の発展に伴って急増している知的労働者の新たな階層の、議論の余地のある「特権」となっているものは、現代芸術の偽の後継(当初の異議申し立てからは切り離され、広告によって包装された、形式だけの意味のない繰り返し)であり、その本来の意味から切り離された、過去の文化のかけらや断片の過食性的な消費(マルロー*1はその「理論」の最も滑稽な売り子だったが、今は、彼の「文化会館」にそれを展示している最中である)である。この第三次産業部門は、社会的なスペクタクルの産業部門と密接に関係している。というのも、この知的階層(その養成の必要と雇用の必要は、教育の量的増大と同時に教育の堕落を説明するものである)は、スペクタクルを最も直接的に生産する階層であると同時に、そのまさに文化的な部分を消費する階層であるからである。
 この疎外された知的労働者という大衆に対して差し出されている今の文化消費を代表するものには、2つの流れがあるように思われる。
 一方で、「視覚芸術探究グループ」の類の試みは、はっきりと支配的な社会経済システムヘ人々を統合する方向に明確に進んでいる。それは、今現在、警察的都市計画やサイバネティクスを利用した管理の思想家たちが追い求めているものである。この「視覚芸術」は観客をその悲惨さに参加させようとしているが、それは、分離された観客の受動性の終焉と状況の構築に関する革命的主張の紛れもないパロディによっている。つまり、弁証法の欠落に「参加しないしないことを禁じる」ことによって、弁証法の欠落を「解放する」までに推し進めるというのである(第3回パリ・ビエンナーレ*2のパンフレット)。
 他方、「ヌーヴォー・レアリスム*3」は、ダダイストの形態(精神ではない)から多くを取り上げているが、これは、ごみ箱を擁護する芸術にすぎない。それは、がらくた商品(ガジェット)と浪費の文明が奮発することのできる似非自由の余白の中に、うまくはまってしまう。
 しかし、このような芸術家の重要性は、商業広告と比べてさえ、ごく二義的なものにすぎない。かくして、逆説的だが、これっぽっちも芸術ではない、東側の「社会主義レアリスム」が、それよりも決定的な社会的機能を持っていることになる。つまり、権力は、東側では、第1にイデオロギー(すなわち、人を欺くことを正当化するもの)を売ることによって持ちこたえているのに対し、西側では消費財を売ることによって持ちこたえているのである。官僚制度が自らに固有の芸術を作り出すことができず、その様式に課されている効率の悪さにもかかわらず、前世紀の順応主義的小ブルジョワの似非芸術観を形式的に適合させたという事実は、現在の芸術は支配階級の「特権」としてはありえないということを確認するものである。
 しかしながら、いかなる芸術も、1つの社会の中に根付いているという意味で、「社会的」であり、望むと望まざるとにかかわらず、支配的な情況に、もしくはその否定に、似てくるものである。かつての異議申し立ての契機は、今も断片的に存続しているが、その異議申し立ての中心の消滅に正確に比例して、その芸術的(ないしポスト−芸術的)価値を失いつつあるのである。この中心の消滅と共に、すでに世界に存在していて、芸術に取って代ろうとしている、ポスト−芸術的行為(暴動や生の自由な再構築)の大衆への準拠も消滅した。それで、この断片的な異議申し立ては、美学にはすでに遅すぎる世界の中で、美学に撤退し、すぐに古くなって効果のなくなる美学と化して、凝り固まってしまうのである。シュルレアリスムのように。他の流派は、堕落したブルジョワ神秘主義(宗教の代用品としての芸術)を典型的に表している。彼らは、今ある社会生活を公式に、かつ実際上支配している諸力を──孤独な夢と観念的な野望の中でだけだが──再現している。この諸力というのは、コミュニケーションの不在、はったり、刷新それ自体に対する熱烈な好み、恣意的でつまらないがらくた商品(ガジェット)をさっさと取り替えることに対する激しい好みである。レトリスム*4がその良い例である。レトリスムについては、「消費されえぬ芸術の時代の所産であるイズーは、ついに自らの消費という観念さえも取り除いてしまった」とか、彼は「最初の唯我論の芸術を提案した」と書くことができた(『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第4号)。
 最後になるが、実際には他の流派から区別するものが何もない、自称芸術流派の増大自体が、言ってみれば、同じ製品に競合するいくつかのラベルを貼って販売するという現代の商売の原理の応用であることを言っておきたい。


2 いかなる点で、芸術は実際に「社会的」になりうるでしょうか?

 芸術の時代は過ぎ去った。今、必要なのは、芸術を実現すること、以前は幻想か芸術的な思い出でしかありえなかったもの、一方的に夢見られ、保存されるしかなかったものを、生活のあらゆるレヴェルにおいて実際に構築することである。芸術を廃棄することによってしか、芸術は実現されない。しかしながら、芸術の代わりに、それ以上に階級的で受動的なスペクタクルの自動運動(オートマティスム)を持ってくることによって、芸術を廃棄しようとしている社会の現状に対しては、芸術を実現することによってしか芸術を廃棄することはできないだろうと反論しなければならない。


 あなたが生きている政治的社会は、芸術家というあなたの社会的役割に有利に作用していますか、それとも不利に作用していますか?
 君たちが芸術家の社会的役割と呼ぶものを、この社会は事実上なくしてしまった。
 もし、すべてを支配するスペクタクルにおける従業員という役目が問題ならば、就くべき職は、スペクタクル自体が増えるにつれて増加することは明らかである。しかし、シチュアシオニストはそれに統合される気は毛頭ない。
 もし、逆に、社会全体への異議申し立てを始めとする、新しいタイプの活動によって、過去の芸術を継承することが重要であると考えるならば、問題の社会がこのような実践に対して不利に作用するのはまったく当たり前である。


3 もし、あなたが別の社会的、政治的、経済的現実の中に置かれたとしたら、あなたの美学は別のものになると思いますか?

 確かにそうなるだろう。われわれの見通しが実現されれば、美学は(その否定同様に)乗り越えられてしまうだろう。
 もし、今、われわれが、低開発国とか、時代遅れの支配状況(植民地化、フランコ型の独裁制)に置かれた国にいるとしたら、芸術家が芸術家として民衆闘争に参加すること、したがって、より古い基盤のうえで、完全に作りものではないコミュニケーションに参加することは可能であると認めるだろう。環境の一般的(社会的、文化的)遅れを考慮すれば、芸術家の古い社会的役割は、まだしばらくの間、現実性を持ち得るだろう。
 もし、われわれの派が、社会主義と呼ばれる官僚制度によって支配されている国で成立したとすれば、そうした国では、先進工業国での過去50年間の、さまざまな実験──文化的なものであれ他の分野のものであれ──についての情報の不足が、組織的に作りだされているのだから、われわれは、現在の西欧の芸術についての真実を含む、真実の普及の最小限の要求に賛同するだろう。この要求には不可避的な両義性があるにもかかわらず。というのも、現代芸術の歴史は、西欧では、自由で、有名でさえあるが、歪曲されているからであり、また、東側でのその輸入は、まず何より、エフトゥシェンコ*5の類の者にサーヴィスを、すなわち公認芸術の近代化を恵むに違いないからである。


4 あなたは政治に参加していますか、それともしていませんか? それはなぜですか?

 もちろんしているが、ただ1つの政治である。われわれは、世界各地の他のさまざまな勢力とともに、新たな革命運動の連帯と理論的実践的組織化に取り組んでいる。
 われわれがここで展開している考察はすべて、かつての専門化した政治の失敗を越えて前進するための不可分の理由となっている。


5 芸術家の連合は必要だと思いますか? それにはどんな目的がありますか?

 芸術家の連合はたくさんあるが、どれも、原則がなかったり、何かとっぴな錯乱のうえに恣意的に設立されたりしたものばかりだ。互助組合とか、賛辞であふれた保証書が回っているだけの閉ざされた回路とか、集団的な出世主義のように。どれほど小さな機会にも「集団」作品展と自称される作品展が流行中で、パリのつまらないビエンナーレ展でもひどくもてはやされているが、それは、芸術の乗り越えという実際の問題から注意をそらすためである。われわれは、こうした結託のすべてを、等しく軽蔑して眺めている。われわれは、このような連中とのいかなる接触も受け入れない。
 共同の計画の実現のための、一貫性と規律のある連合に関しては、われわれは、それがシチュアシオニスト・インターナショナルの基礎となるものとして、以下の条件で、可能であると考える。その条件とは、参加者のだれもが天才的な才能を持てるように、緞しく選別されること、そして、彼らが、言ってみれば芸術家であることをやめること、つまり、自分を古い意昧での芸術家とみなすことをやめることである。
 それに、シチュアシオニストが芸術家──それも前衛の──であるかどうか自問することも可能である。こう言うのは、ただ単に、このような認識が、少なくともシチュアシオニストの計画の全体が賭けられてからというもの、文化的な世界では、ほとんど〔シチュアシオニストの〕全員から疑われているから、そしてまた、シチュアシオニストの関心が、確かに芸術という古い範囲を越えているからだけではない。この芸術家たちの資質が、社会経済的な面で、ずっと議論の余地があるからである。多くのシチュアシオニストは、歴史研究から賭けポーカーに至る仕事をして、その場しのぎの暮らしをしている。バーテンをしたり、人形使いをしたりしている者もいる。今までにわれわれが除名せざるをえなかった28人のシチュアシオニスト・インターナショナルのメンバーのうち、23人は、個人的に典型的な芸術活動をしていた──中にはその活動においてますます経済的に成功していた者さえいる──シチュアシオニストの中に合まれているという事実は注目に値する。彼らは、SIに加入していたにもかかわらず、芸術家として認められてしまったのである。だが、そうなると、彼らは、われわれの敵に保証を与えるようになっていった。われわれの敵は、われわれを厄介払いするために、「シチュアシオニスム」なるものをでっちあげ、世界の終末のつまらない美学の1つとして、われわれをスペクタクルに統合することを願っているのである。そんなことをしながら、彼らはSIに、なおも留まろうとしたがった。それは受け入れることのできないことだった。上に挙げた数字の統計的な価値は否定できないように思われる。
 当然ながら、場合によってはあり得る芸術家の連合のこれ以外の「目的」はわれわれにはどうでもいいことである。なぜなら、われわれは、それを完全に時代遅れのものと考えるからだ。


6 あなたがここに陳列している作品とこの声明の間にはどのような関係がありますか?

 ここに同封した作品は、明らかに、「シチュアシオニストの芸術」を代表することはできない。ごく端的に言って反シチュアシオニストである現近の文化情況において、われわれは、映画から文章にいたる手に入るすべての支持体において実験され、転用という名称の下で理論づけられた、「それ自身の批判を含むコミュニケーション」に訴える。〈社会実験芸術センター〉はここでアンケートを造形芸術に限定したので、われわれは、扇動のための転用が提供するたくさんの可能性の中から、ミシェル・ベルンシュタイン*6の反−絵画『ボノ団の勝利』を選んだ。これは、なかでも、『パリ・コミューンの勝利』、『1358年の偉大なるジャックリーの勝利』、『スペインの共和主義者の勝利』、『ブダペストにおける労働者評議会の勝利』、その他多くの勝利を含む、連作の一部である。これらの絵画は、玩具の範躊に入るオブジェのみを組み込み、それらにできるだけ重々しい意味を与えることによって、「ポップ・アート」(物質的かつ「イデオロギー的」に無関心と陰気な満足によって特徴づけられている)を否定することを目的としている。このように、この連作は、ある意味で、戦争画を再び取り上げているが、反乱の歴史──それはまだ終わっていない──をわれわれに都合のよい方向に修正している。世界の変革の新たな出発は常に、新しい写実主義〔ヌーヴェル・イレアリスム〕の外観をまとって始められなければならないと思われる。われわれは、われわれの冗談の表明が、まじめさの表明同様に、今の芸術と社会の関係についてのわれわれの立場を明らかにするのに役に立つことを望んでいる。

1963年12月6日

シチュアシオニスト・インターナショナルのために

V・マルティン、J・ストリィボッシュ

R・ヴァネーゲム、R ・ヴィエネ*7

*1:アンドレ・マルロー(1901−76年)フランスの作家。第二次大戦前、「行動する作家」として、中国を舞台にした『人間の条件』(1933年)、自らも参戦したスペイン内戦を扱った『希望』(37年)などの小説を書いたが、戦時中、共産主義と絶縁し、ド・ゴール派としてレジスタンスを闘った後、戦後は芸術への関心に沈潜し、『芸術の心理学』(47年)、『沈黙の声』(51年)、『神々の変貌』(57年)など、一連の芸術論を書く。ド・ゴールとフランス第5共和制の文化政策に積極的に関わり、1958年から69年まで文化大臣を勤めた時代に、フランス各地に文化会館を建設したことでも知られる。

*2:第3回ビエンナーレ 1963年9月28日から11月3日までパリで開催されたビエンナーレ展で、クリスト、二キ・ド・サン=ファール、スポエッリらのヌーヴォー・レアリストの他、〈視覚芸術探究グループ〉も参加し、「不安定さ──迷路」という名の観客参加型のインスタレーションを展示して評判になった。

*3:ヌーヴォー・レアリスム 現代美術の流派としての「ヌーヴォー・レアリスム」は、1960年から63年に、美術批評家ピエール・レスタニーと画家のイヴ・クライン、デュフレーヌ、彫刻家ティンゲリー、アルマンが行ったフランスの前衛芸術集団の名。彼らは彩色したスポンジ、圧縮したスクラップ、騒音を発しつつ動く廃品彫刻、梱包作品、壁から剥がした広告ポスターによる作品など、現代の産業社会の生産物や機械をそのまま提示することが現代の「新しいレアリスム」だと主張した。ここでは、日常生活の微細な事物を延々と描写する文学流派の「ヌーヴォー・ロマン」の手法を、「写実主義」という共通性の上に美術流派の「ヌーヴォー・レアリスム」になぞらえている。

*4:レトリスム 1946年、ルーマニアからパリヘの亡命者イジドール・イズー(1925−)が創設した前衛芸術運動。文字(レットル)と絵画の境界横断的な芸術表現を追求し、映画・詩・小説・絵画など多様なジャンルの作品を作った。ドゥボールも当初、この運動に加わっていたが、自ら「メシア」を名乗るイズーの神秘主義に反発して、52年、レトリスト左派を結集して、SIの母胎となるレトリスト・インターナショナルを結成した。本書第1巻の訳注をを参照。

*5:エフトゥシェンコ(エウジェニー・アレクサンドロヴィッチ・エフトゥシェンコ 1933−) ソ連の詩人。1954年から63年にかけての雪解けの時代に、スターリニズムと大ロシア主義、官僚主義を批判し、ヒユーマ二スムを擁護する詩を発表し、ソ連の若い知識人の間で持てはやされた市民性、国際性を信条とし、特にキューバ革命に賛辞を捧げ、数回にわたってキューバを訪れ叙事詩『わたしはキューバ(63年)を発表、映画化された。これらの作品はロシア当局から自己過信、軽率という批判を浴び、63年にパリで出版した『早すぎる自叙伝』が、64年の文芸粛正によって槍玉に挙げられたが、生き延びて70年代から80年代に多くの作品を書き、86年以降のペレストロイカの中で積極的発言を行い、パステルナークの復権などに尽力した。詩集に『未来の偵察隊』(52年)、『ジマー駅』(56年)、『バービー・ヤール』(61年)など。

*6:ミシェル・ベルンシュタイン(1932−) パリに生まれ、ノルマンディで育つ。ソルボンヌの学生の時に、カフェ・シェ・モワノーにたむろしていたレトリストたちと知り合い、レトリスト・インターナショナルのメンバーとして活動。54年にドゥボールと結婚(71年に離婚)し、1957年SI結成特以来のシチュアシオニストとして、SIフランス・セクションで活動。『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌に数多くの論文を書き、ラクロの小説『危険な関係』を転用した小説『王さまのすべての馬』(60年)、ヌーヴォー・ロマンを転用した小説『夜』(61年)、転用絵画の連作〈勝利〉などを製作。1967年脱退。

*7:ルネ・ヴィエネ(1944−) フランスのシチュアシオニストル・アーヴルに生まれ、1963年にSIに加盟、71年2月に脱退,著書に68年5月革命でのSIの運動の詳細な報告『占拠運動における〈怒れる者たち(アンラジェ)〉とシチュアシオニスト』(ガリマール書店、1968年)。転用映画にイネズ・タンとの共作『タオイストの家での血』(71年)、ジェラール・コーアンとの共作『ミネルヴァの鳥』(73年)などがある、後者は、香港のカンフー映画ザ・クラッシュ』を転用して、プロレタリアート官僚主義者との衝突を説明する教育的物語に変えられた作品である。