アンテルナシオナル・シチュアシオニスト第10号(1966年3月)

SIの出版物について

1964年9月の『タイムズ・リテラリー・サプリメント』*1前衛特集号に掲載されたミシェル・ベルンシュタイン*2の覚書「シチュアシオニスト・インターナショナルについて」*3は次のように締めくくられていた。「たったの100行ばかりで、シチュアシオニ…

疎外に抗するドムナック

「疎外という、政治や批評、社会学にとってのキーワードにはいったい何が隠されているのだろうか? J・M・ドムナック*1は、多岐にわたる意味をもつこの概念の驚くべき道程をヘーゲルからジャック・ベルク*2に至るまでたどり直す。それから、彼はその内容に…

絶対自由主義者ダニエル・ゲランのアルジェリア

1965年12月、ダニエル・ゲラン*1は、『アルジェリアは軍事独裁化されたか?』というパンフレットで、ブーメディエン体制について興味深い分析を公にした。彼によると、6月には何も起こらなかったらしい。あいかわらず古い図式に忠実な彼の目には、ク…

「社会主義かプラネットか」*1

われわれの主張の多くには一見、大胆なところがあるが、われわれがあえてそう言うのは、否定しがたいまでに重みのある歴史的証明がそれに続くことを確信しているからである。われわれの話題が狭ければ狭いほど、例えば、現在に対する現実的批判の場を覆い尽…

職業的反逆者、証明書と適性

1965年5月6日付『連合通信』の特派員によれば、「ロナルド・B・ラムゼイ博士(アメリカの黒人心理学者で人種平等会議のメンバー)は4ヵ月半に及んだ拘留の後、アルジェリアから追放され、水曜の夜、飛行機でニューヨークに到着し、車椅子に乗って現…

ある愚か者の言葉

かつてのものに比べて一層ひどくなった『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌*1は、愚行のナイアガラ瀑布にたとえることができるだろう(1秒間に681万リットル)。そして、この流量の大部分は、とりわけ感心な2人の編集者、カティア・コップ*2とミシ…

歴史家ルフェーヴル

アンリ・ルフェーヴル*1が、大急ぎで書き写したシチュアシオニストの14のテーゼを元にして、いかにしてコミューンの新解釈を作り上げたと主張したかは、すでによく知られている(1963年2月発行のSIのビラ『歴史の屑かごへ』*2を参照せよ)。彼の著…

用途なきいくつかの探究

カール・ヴィットフォーゲル*1の『東洋的専制政治』(ミニュイ出版社)は概括的にいえば、マルクス主義理論への重要な貢献である。それは、歴史における国家の経済的な重要性という、中心的ではあるが、これまでなおざりにされてきた問題に問する労作である…

スペクタクルの予備軍

『フロン・ノワール〔黒色戦線〕』*1という小雑誌が引用するに値するのは、1つだけ面白いところがあるからだ。それは、あの論壇の内輪話の次元の話と混ざり合った古くさい「前衛主義の」月並みな言葉の連続のなかで、少しは広がりのある唯一の点である。つ…

2冊の本とその著者について

1965年5月、ジュリアール社から2冊の本が同時に出版された。1冊は、フランソワ・ジョルジュ*1によって書かれたもので(『神の解剖』)、もう1冊は、彼の兄弟のシャン=ピエール*2の手になるものだった(『図解・悲劇的幻想』)。この2冊の本は全体と…

対話のイデオロギー

シチュアシオニストは、現行秩序のどんな欠片(かけら)でも肯定する者たち(とりわけ、文化と従属の政治とに責任のある者たちについて顕著な)とは実践的に決裂したし、また決裂の極端な例として、SIのメンバーの何名かは除名してきた。これは、われわれ…

SIを理解しないために

1964年12月の『ル・モンド・リベルテール』誌*1には次のような文章が見られた。「SIが日常生活の革命的批判において最先端にいることは異論の余地がない。しかしながら、彼らは、いまだにその重要性を失っていない1つの領域を見逃している。それは…

言葉とその使用人(続き)

「ジョンソン大統領はこの夏さまざまな政府機関で研修をした数千人の学生に向かって、『革命的同志』と呼びかけてあいさつした。彼は彼らに向かって、『一生の間、わたしは、派閥主義、恒久的貧困、不正と戦う革命家であった』と言った。」ワシントン発AP…

反映としての『ル・モンド』

『ル・モンド』紙*1はフランス語の新聞のなかで最も評判のよい新聞である。通常のジャーナリズムと比べて、それは良質の情報を体現している。つまり、記者にある種の才能があるのだ。それに、この新聞は日常的な生の事実のとりこではない。その起源と運動を…

遊びの今日的手段と今日的目的

1965年8月4日付の『フランス・ソワール』紙で、マルセル・ジウグラリスはアメリカ軍が作戦地域と一連の出来事とを大々的に構築していることを報じている。これは、戦争努力のヴェトナムヘの適用を実験するため、途方もない資力を投じて企てられている…

1965年政治年鑑──やりそこなった行為の選集

訳者改題 1965年は、1966年の最初の数週間にあちこちでその仕上げが行われたが、それはあらゆる種類のヴァリエーションを持つ既存権力の数々の失敗とそれに対する反対派の代案の失敗から構成された一種の完璧なレヴューであった。現在の秩序はまだい…

細分化された結果のアバンチュール

訳者改題 フロイトが考えていたように、精神分析がもたらした発見は結局、支配的な社会秩序にとって、すなわち抑圧的な位階秩序(ヒエラルキー)の上に築かれたあらゆる社会にとって、受け入れられないものだった。しかし、「文明」と労働の搾取による抑圧と…

自殺の舞台装置(デコール)と観衆

訳者改題 合州国では、「自殺対策センター」──そのうちの1つは全国的規模のものの開設によって、この一種の伝染病に対して戦いを挑もうとしている。この病は1965年にはアメリカでの死亡原因の10位に、若者のそれの3位に達していたからである。ベルナ…

類廃の生産

訳者改題 「何の役にも立たないという特別の目的のために作られた機械はすでにありましたが、もっと良いものができました。ニューヨークでは自己解体する機械が1ドルで売りに出されました。赤いボタンを押すと、がたがたと音を立ててメカニスムが作動しはじ…

「自由時間」の包装

訳者改題 現代という時代が、部分的批判のあらゆる結論の残りを繰り返し差し出す広告技術によって、この上なく協調的な者たちに教えることは、次のことだ。すなわち、ほとんど同じ疑問を口にし、ほとんど同じ言い回しを使う者たちは、だからといって「似た者…

死後の生連合持株会社

訳者改題「死後の生〔=生き延び」の問題についての会議が3月2日パリで開かれた。これは、国際古典研究所(代表アメデ・ポンソー*1女史)とパリ神学コレージュ(代表マルシャル牧師)によって主催されたものである。この集会にはジョビ猊下、哲学者アクセ…

解体と回収

訳者改題 旧来の一方的な芸術的コミュニケーションの諸価値と諸形式の解体(造形芸術においても言語活動のあらゆる側面においても)は、社会における「コミュニケーションの危機」と漠然と呼ばれるものをともなっていたが、それはまた、一方的コミュニケーシ…

ゴダールの役割

訳者改題 映画界において、ゴダール*1は現在、形式的な疑似的自由と、習慣と価値の疑似的批判を、すなわち、回収された現代芸術のまがい物のすべてに付き物の2つの表れを体現している。したがって、誰もが彼を、その奇技さによって人を驚かし、不当に嫌われ…

文化的警察的余暇

訳者改題 都市計画は警察的であると言うとき、そして、集中された資本主義の時代において警察は容易に都市計画的になると言うとき、明白な事実が喚起されているにすぎない。余暇消費の大きな部分はこの2つの専門と緊密に関係しているが、ふつうこの関係につ…

植民地化されたコミュニケーション

訳者改題 1965年に合州国で、人々の出会いを作り、結婚させる新しい技術が発表された。電子計算器が、パンチカードに示された2人の人間の最高の相性を決めるのである。パンチカードには、2人の趣味や希望が70の質問への答えの形で余すところなく示さ…

「疎外について ──いくつかの具体的側面の検討』 訳者解題

「疎外について」の総題でここに集められた文章は、新聞や雑誌、新刊の書籍や広告など、さまざまなメディアで流される「情報」を、現代世界の「疎外」の概念の表象としてSIが分析を加えたものである。これらの文章は、既存メディアの「転用」という意味で…

囚われの言葉(シチュアシオニスト辞典への序文)

月並みな言葉は、それが隠蔽するものによって、生の抑圧的な組織化のために働く。言語活動(ランガージュ)は弁証法的でないと指摘するのも、そのようなものの1つである。結果的に、この月並みな指摘はあらゆる弁証法の行使を禁じてしまうからだ。ところが…

アルジェリアと万国の革命派へのアピール

「プロレタリア革命は〔……〕その最初の試みの時のためらいと弱さ、そして悲惨さを非情なまでに嘲り笑う。自分の敵を打倒するのは、ただ相手に大地から新しい力を汲み取らせ、新たにいっそう恐ろしい敵として自分たちに向かって立ち上がらせるためにすぎない…

『アルジェリアと万国の革命派へのアピール』 訳者解題

この『アピール』は、1965年6月19日にアルジェリアで起きたブーメディエンによる軍事クーデタの直後に書かれ、まず7月にアルジェリアで非合法に配付された後、11月にフランス語、ドイツ語、スペイン語、英語、アラブ語の5つの言語で印刷したパン…

問題提起も問題性もなきいくつかの理論的問題について

ラディカルな理論が扱いうるものを、思弁に扱わせないようにしなければならない。現実についてのシチュアシオニストの分析がわれわれのプロジェクトを実際に実現し始めるにつれて、そのような要請はその射程をますます広げつつある。 知識はそれを使って行う…