遠方からの手紙

訳者改題

 イワン・シュチェグロフ*1は、シチュアシオニスト運動の源流となる探究に参加したが、彼の役割は、当初の理論の素案作りにおいても、実際の行動(漂流の実験)においても、かけがえのないものだった。ジル・イヴァンという名で、彼は早くも1953年に──当時19才だった──「新しい都市計画のための理論定式」と題された文書を執筆したが、これはその後、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌の創刊号に発表された。過去5年間は精神病院で過ごした──今もそこにいるのだが──ために、われわれと再び連絡を取れるようになったのは、SIの結成後、長い期間が経ってからだった。彼は目下、再販をめざして、1953年に建築と都市計画について書いたものの手直しに没頭している。以下にあげる文章は、過去1年間にミシェル・ベルンシュタインギー・ドゥボール宛てに書かれた手紙からの抜粋である。イワン・シュチェグロフに現在課されている条件は、かつては、たとえば無神論のかどでバスティーユに投獄したり、政治犯を国外追放に処したりした、あの生活の監視が身にまとう、社会の近代化につれてますます分化される形態のものの1つであると考えることができる。

ぼくは今、集団や、集団における個人の機能を研究するのに絶好の環境にある。
 漂流(行為、散策、出会いをともなう行動につれての)と全体性の関係は、まさに、精神分析(よい精神分析)と言語活動の関係と同じである。分析医は「言葉が出てくるままにしなさい」と言う。彼は、1つの言葉や表現や定義を暴いたり変えたり(転用すると言うこともできる)するまで、じっと耳を傾ける。漂流は確かに、1つの技術であり、ほとんど治療法と言ってもいいものである。しかし、ちょうど、他に何も伴わない精神分析がほとんどいつも禁忌とされているように、継続的な漂流も、危険である。無防備に(基地がないわけではないが……)遠くまで進みすぎた人は、分裂や衰弱や精神遊離や崩壊の危険にさらされるのだから。そして、その行き着く先は、「日常生活」と呼ばれるもの、すなわらはっきり言えば、「石と化した生活」への回帰である。この意味で、ぼくは今、「理論定式」にある継続的な漂流プロパガンダを断罪する。そう、ラス・ヴェガスでのポーカー遊びのように継続的なのはいい。が、継続的といっても、しばらくの間だけだ。ある人たちにとっては日曜日だけで充分、平均して1週間くらいならいいが、1ヵ月は長すぎる。1953年から54年にかけて、ぼくたちは3ヵ月から4ヵ月のあいだ実践した。あれが極限であり、臨界点だ。ぼくたちがあれで死ななかったのは、奇跡だ。ぼくたちはひどく頑健だったんだ。
 1つの要因──それはぼくたちの基本理論を立証してあまりあるものだ──が大いに働いたのだ。つまり、何年もの間、病院は、樋嘴(ガーゴイル)や石落とし、飾り鋲のついた分厚い本の扉や床(もっと衛生的な寄せ木張りの床(モザイク)ではない)、高い塔や部分的に古めかしい家具、紋章で飾られた暖炉などのある城館の中にあったんだ。しかし、その後、現代的な病院が建てられた。確かに、それは、維持するにはずっと実用的だが、何とたくさんの犠牲を払ってのことか! 建築に反対して戦うのは、実際には不可能だ。「館」と言わずに「病院」と言い、「滞在者」の代わりに「病人」と言うことがだんだん増えてくる。そして、すべてが同じ趣味なのだ……言葉は変質する〔=働く〕。
 ぼくは、オーディベルティ*2の『皇帝(アンペルール)』*3〔という劇〕の肉屋の役を、軽はずみに引き受けたところだ。端役だ。だが、何とくたびれることか! 病気の時は、舞台に立つことほど疲れることはない。
 具合が良いときには、あの「理論定式」の不十分な点──かつては完璧だったのだが──をすべて見直すのだが、絶望のあまり髪をかきむしってしまう。それに、これは『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』の各号についても同様だ。もう少しの
 時間──幸運──健康──金銭──反省
 (それに)上機嫌──仕事に対する熱意──愛──そして用意周到さ
があれば、もっとうまくできるはずなのに。
 しかし、取り巻きがいて、派閥があって、他人がいて、分岐がある! 複雑なもんだ。
 それに、それは、いつもの世間のばかげた要求なんだ。天才的な才能を持ちなさい、だが、われわれのように生きながら、というのさ。やつらは狂っている。それに、やつらは、書類の中で、ぼくになおも新しいラベルを貼り付けようとしている。
 ぼくたちは、ぜいたくなポトラッチにまで達したのだから、こんな題の本もでてきたわけだ。
 J・A・シャーデ*4の『いくつもの存在が出会う』は、20世紀最大の小説だが、不幸にももう手に入らない。ただし、3行広告を使えば、手に入るかもしれない。この小説は、次のような、「子供の頃、ぼくたちが歌っていた」わらべうたで幕を閉じる。
 金持ちは、車に乗ってくる
 貧乏人は、足で歩いてくる
 ぼくらといえば、遊んでいる
 豚箱の中にいて、賭け金を知っているのはつらいことだ。ぼくもまた、シンボルになってしまい、ここでも、やつらには、そのことがわかってしまった。あいつはよくなるだろうか、ならないだろうか。また話し始めるだろうか、それともまた記憶を失うだろうか?
 しかし、いくら不安に思ったところで無駄だ。ぼくは、自分の文章をもっと、幸福の方向に向けたいと思う。キリコ*5は確かに建築物の遠近法において先駆者だったけれど、あれは不安をかき立てる遠近法だ。ぼくたちは他のもっと楽しいものを見つけるだろう。さもなければ、キリコにおける不安を示し、断罪したいと思う。ぼくの文章は充分に明快ではなかった。
 病院で養生ができないなら、もう病気のままで退院するしかない……。みんなはそうだと思っていたが、10年前、ぼくたちは本当に馬鹿じゃなかった、まったく馬鹿じゃなかった。病院で養生できないということが、経営者にとって弁護できない意見だとしても、ぼくは、ここでは養生できないということで、Kとまったく同じ意見だ。この施設は、ぼくたちの誰もを病気にしてしまうだろう。もちろん、わざとじゃないだろう。だが、どうなのだ?
 ぼくは、職員の1人ないし2人と共にシチュアシオニストプロパガンダをしている。もちろんだとも。
 それで、どうやって退院できよう? どうやって、退院するに充分なだけ休めよう? たぶん、無理だろう。
 退院する! やつらはぼくをこわがらせる! ぼくは勝手に空想する。いつか、やつらは、ぼくを狂乱させる手段を見つけ、ぼくを逮捕するだろう。1959年に、警官をいっぱいに積み込んだ2台のバス(ぼくが覚えている限りで)が呼びつけられたことがあった。要するに、きみたちの友人のために24人の警官が来たわけだ……。でも、ぼくがひどく具合が悪いときにどうなるか、きみたちも知っているはずだ。24人も警官を送るほどのことはないんだ。もとより、そんなことは絶対にあったためしがないんだから。
 親愛なるギーよ、他に何をきみに言おうか? ぼくは病気だ。ぼくは、泣き言や、たくさんのわがままや、憎悪や、妄想や、呪いや、「不吉で嫉妬深い愛」や、脅迫や、子供の頃の殴打や、Lの不幸の予言や、Wの「お母さんの言うことを聞きなさい」の中にいる。
 ここでのお祭騒ぎには一見の価値がある。見に来ても、きみたちの時間を無駄にはしないと、ぼくは思う。みんながしているお祭騒ぎよりも、ずっと悲しくない。ここで一番いいものなんだよ、お祭騒ぎは。
 A・K〔アッティラコターニィ〕の除名について、他に何を言おうか……。こうした除名は、できたらやめるべきだろう。それが簡単には行かないことは、ぼくも知っている。先々の展開を予想して、疑わしい奴は、前もって受け入れないようにするべきだろう。まあ、理想なんだけれど。こういう除名もシチュアシオニストの神話の一部になっている。

イワン・シュチェグロフ

*1:イワン・シュチェグロフ(別名ジル・イヴァン 1934−) レトリスト・インターナショナル(LI)のメンバー。ロシアに生まれ、戦後パリに亡命しドゥボールと知り合い、53年に19歳でLIに参加、「漂流」実験の最も熱狂的な実践者だったが、53年「神話癖」、解釈の錯乱、革命意識の欠如」を理由にLIを除名、その後、ある事件がもとで精神病院に収容された。本書第1巻「新しい都市計画のための理論定式」を参照。

*2:ジャック・オーティベルティ(1899−1965年) フランスの劇作家・詩人。アンティーブの裁判所書記をした後、パリでジャーナリストをしている時にアンドレ・ブルトンの影響を受け、バロック的な豊穣な言語を駆使した詩や小説、戯曲を書く 詩集に『人間の種族』(37年)、『莫大な種子』(41年)など、戯曲に『コアト=コアト』(45年)など。

*3:『皇帝(アンペルール)』 オーディベルティの1948年発表の戯曲。ラングドック地方の宿屋で、セント・ヘレナ島からナボレオンが脱出してパリに戻るという予兆を受けた者たちが、次々と訪れる客を変装したナポレオンと勘違いするという話。なお原題の L'Ampelour は、「皇帝 Empereur 」のオック語を用いられている。

*4:イェンス・アウグスト・シャーデ(1903−78年) デンマークの詩人。既存の価値から解放され、宇宙的なエロスを受け入れるため「生きたヴァイオリン」となり(『生きたヴァイオリン』28年)、その体験の世界を詩に表すなど、人間と自然、男と女の間の官能的な愛の世界を描いた。ここで言及されている『さまざまな存在が出会う』は正式題名を『さまざまな存在が出会い、それぞれの心の中に甘い音楽が立ち昇る』と言い、44年にシャーデが発表した哲学小説。既存の語りの技法を大胆に破り、通常の人間の心理や法がすべて停止された世界で、感覚と本能だけに従って生を謳歌する者たちを描いたこの小説は47年にフランス語に翻訳され、バトー・イーヴル書店から出版されたが、71年のシャン・リーブル書店による再版まで絶版だった。

*5:ジオルジオ・デ・キリコ(1888−1978年) イタリアの画家。1911年パリに行き、シュルレアリストと交遊し、形而上絵画運動を起こす。アーケード、人のいないひろば、汽車、建物の壁、廃墟などを独特の遠近法を用いたスタイルで描き、人間心理の不安を表現した。30年代以降は古典的作風に回帰。