契機の理論と状況の構築

訳者改題

「日常生活レヴェルでは、この介入は自らの要素と瞬間を『契機』のなかに最良の仕方で配分し、日常性の生命の産出を強め、そのコミュニケーションとインフォメーションの能力を、またとりわけ自然的・社会的生の快楽の能力を強化することによって表現されるだろう。それゆえ、契機の理論は日常性の外に立てられるのではなく、日常性の豊かさに欠けているものを日常性の中に導き入れるために批判と一体になりながら日常性と有機的に結びつくだろう。そうしてそれは、日常的なもののただ中で、軽さと重さ、真面目さと真面目さの不在といった古い対立を乗り越えて、全体的なものに結びついた新しいかたちの特異な快楽に置き換えるようになるだろう。」アンリ・ルフェーヴル*1『総和と余剰』

 アンリ・ルフェーヴルがつい最近発表した綱領的(プログラマティック)な思想において、日常生活の創造の問題は、「相対的に特権化された複数の諸契機」を「現存(プレザンス)の様態」と定義する契機の理論に直接関与している。この「契機」と、SIが定義し構築することを提案した状況というものとのあいだにはどのような関係があるのだろうか。いま現在現れつつある共通の要求を実現するためには、これらの概念間の関係をどのように利用できるのだろうか。
 創造され、組織された契機としての状況(ルフェーヴルはその欲望を次のように表現している──「自由な行為はその時、『契機』を変革してその形を変え、(………)そしておそらくはそれを新たに創造する能力によって定義される」)のなかには、滅びやすい──つかの間で、唯一独自の──様々な瞬間が含まれている。状況とは、そうした不確実な諸瞬間を制御する(助長する)1つの総体的な組織である。構築された状況はそれゆえ、瞬間とは逆にルフェーヴル的パースペクティヴのなかにあるが、それは瞬間と「契機」との中間的レヴェルに位置するのである。したがって、それはある程度(方向として、「方向=意味(サンス)」として)反復可能なものではあるが、それ自体としては「契機」のように反復できるものではない。
 状況も、「契機」と同じように、「時間のなかで拡散したり凝縮されたりすることもある」。だが、それは1つの芸術生産の客観性の上に自らを築こうとする。ここで言う芸術生産とは、永続的な作品とは根底的に断絶したものである。商品形態下での保存とは本質酌に異質な使用価値として、この芸術生産は、即座に消費されることと不可分である。
 アンリ・ルフェーヴルにとっての困難は、彼の言う「契機」のリストを作る点にある(15とか25などではなく、なぜ10の「契機」を引き合いに出すのか?)。逆に、「シチュアシオニスト的契機」の困難は、それが正確にはいつ終わり、どこで変化して異なる期間の一連の状況──それがルフェーヴル的な契機の1つとなることもありうるが──、あるいは死んだ時間となるのかを記すところにある。
 実際、再発見しうる一般的カテゴリーとして「契機」を措定すれば、ついにはますます完全なリストを作り上げなければならなくなる。状況はより末分化であるため無限の組み合わせに適している。その結果、1つの状況、そしてその境界を正確に決定することはできない。状況を性格付けるものは、状況の実践そのものであり、それを意図的に形成することであるだろう。
 たとえば、ルフェーヴルは「愛の契機」について語っている。諸契機の創造という観点、シチュアシオニスト的観点からは、個々の愛、個々の人物の愛の契機を、つまり、個々の事情における個々の人物の愛の契機を考察せねばならない。
 「構築された契機」の最大のものは、同一のテーマ──ある人物のこの愛──に結びついた一続きの状況である(「シチュアシオニスト的テーマ」とは現実化された欲望のことだ)。アンリ・ルフェーヴルの契機と比べるなら、これは個別化され、反復しえないものである。だが、唯一独自でつかの間のものである瞬間に比べれば、はるかに広がりがあり、相対的に永続的なものである。
 「契機」を分析することによって、ルフェーヴルは革命的文化が現在向かいつつある新しい行動領域の基本的条件のいくつかを明らかにした。たとえば、契機は絶対的なものをめざし、そしてそのことによって解体すると指摘する時がそうである。契機は、状況と同じく、絶対的なものの宣言であると同時に移行の意識である。それは、実質的に、構造的なものと諸局面の並置との統一への途上にある。そして、構築された状況の計画もまた諸局面の並置のなかでの構造の試みと定義されうるかもしれない。
 「契機」は主として時間的なものであり、純粋でないにせよ支配的な一範囲の時間性の一部である。(生の時−空間については A・ヨルン*2を、個人の実存の計画化については A・フランカン*3を参照)、「状況」へと構築された契機は、破断と加速の契機、個々人の日常生活における革命と見なすこともできよう。より広い──より社会的な──空間のレヴェルでは、ルフェーヴルの契機とも、その契機を自由に選び自由に捨て去るという彼の考えともかなり正確に対応した都市計画が、「精神状態に応じた地区(カルチエ)」というものによって提案されている(『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌第一号、ジル・イヴァンの「新しい都市計画のための理論定式」を参照)。そこでは、「不吉な地区」を整備することによって、疎外の克服の目的が明確に追求されている。
 結局のところ、契機の理論と状況の構築の実践的定式化との出会いという問題には、次の問いが付随している。それは、アンリ・ルフェーヴルの意味での「自然的契機」の流れと人工的に構築された──それゆえ、この流れのなかに導入され、それを量的に、とりわけ質的に混乱させる──いくつかの要素とのあいだに、どのような混合(および湧出)を、どのような相互作用を引き起こさせねばならないのか、という問いである。

*1:アンリ・ルフェーヴル(1901年−91年) フランスの社会学者。1930年代にマルクス主義に接近し、58年にスターリン批判と共産党アルジェリア政策批判を軸とした雑誌『レタンセル(火花)』を発行してフランス共産党を除名されるまで、党の理論家の1人として活動。高度資本主義社会の日常生活を社会学的に研究し、政党はマルクス主義の変更を迫る大著『日常生活批判』(第1部、1958年、第2部、61年。その『序説』は1947年に発表)や、スターリン主義を告発した『マルクス主義の諸問題』(58年)により、左翼・知識人から芸術家までに大きな影響を与えた。

*2:アスガー・ヨルン (本名)アスガー・オルフ・ヨルゲンセン 1914−73年)デンマーク生まれの画家、思想家、人類学者。コブラの創設者として北欧・ベネルクス3国からイタリアまで戦後ヨーロッパの前衛芸術運動に大きな影響を与えた。1948年、コブラを創設、コブラの解散後、1953年に「イマジニスト・バウハウスのための国際運動」を組織する。1957年、ドゥボールらとともにシチュアシオニスト・インターナショナルの創設に加わり、そのフランスセクションで活躍。61年にSIを脱退した後は、「比較ヴァンダリズムスカンジナヴィア研究所」を拠点に芸術活動を続ける一方、故郷のシルケボアに象徴主義シュルレアリスムからコブラシチュアシオニストに至るまでの作品と資料を収集した美術館を開設し、その運営を行った。

*3:アンドレ・フランカン ベルギー出身のシチュアシオニスト。1961年に脱退。シチュアシオニストの活動と平行して『アルギュマン』誌にも協力しており、同誌に「W・ライヒと性の経済」(第18号、1960年)、「党、日常的なもの」(第25−26合併号、1962年)などを発表。「個人の実存の計画化」は論文)「綱領の粗描」を参照。