『自然の支配、イデオロギーと階級』 訳者改題

 1963年の冒頭を飾るこの論説は、60年代の「新しい資本主義」の出現のなかで、対抗勢力のどれもが有効な反撃を行えないでいる現状を厳しく批判し、シチュアシオニストの考える新しい「革命運動」の性格(その展望とその主体)を定義し、その運動におけるSIの「新しい理論家」としての役割を明らかにするものである。
 60年代のフランスは、50年代中頃から始まった経済の高度成長の結果、「際限なき物質力の増大」という社会情況を産み出したにもかかわらず、大衆の労働と技術力の高度化によって実現されたはずの「自然の支配」という物質的解放の成果は、自立した大衆が自らの解放のために利用するのではなく、権力を持った専門家によって簒奪され、古い社会の利害に従ってその使用法を決定されてしまっている。そのため、「自然の支配」が人間の生を解放するのではなく、逆に、「人間による自然の占有」こそが社会的疎外をますます促進する結果となっている。古い形態の労働運動やフランス共産党などの既成政党とはちがって、こうした現代社会の疎外状況を多少なりとも認識し、それを批判する勢力も出現しはじめているが、しかし、そうした新しい異議申し立ての勢力も、展望のない行き当たりばったりの批判に終始するか(現代芸術の異議申し立て勢力)、第三世界の革命運動を無批判に称賛し、スペクタクルの社会の観客になってしまっている(〈アルギュマン〉派などの知識人)。SIが唯一評価する〈社会主義か野蛮か〉も、労働の物象化と余暇の受動的消費を批判するそのやり方は、過去の「人間的な」関係の回復によって、労働を単に「人間化」することを求めているにすぎず、シチュアシオニストの言うような「新しいタイプの自由な活動」のために「労働」を破棄するという根元的な批判に達してはいない。「労働」の人間化という主張は、逆に、現代の産業がより高い生産性を求めて行う主張と重なりかねず、その意味で「労働」という幻想に囚われた改良主義と言わざるを得ない。
 こうした幻想を却下して、シチュアシオニストは一挙に「労働」を破棄する進を選ぶ。先進資本主義国の物質力の増大のなかで、人々に「生(vie)」ではなく「余剰の生(survie)」を強制することで自らのけちくさい「生き延び(survie)」を確保しようとする体制が、人為的に作りだした「労働」と「余暇」、「生産」と「消費」という偽りの二分法を、シチュアシオニストは拒否し、「環境と時間に対する(一時的で、流動的な)支配」としての「生の契機の構築」、「あらゆるものに関するとてつもない創造性の水門〔を〕開」くことを提案する。この「生の構築」と「創造性」の無限め開放を担いうる主体は、「知識人」でも「芸術的ボヘミアン」でもない。「生き延び」のための日々の「労働」からは一見もっとも自由であるように見える彼らは、実際は「スペクタクルの社会」のなかでそれぞれの役割の中に閉じ込められ、彼らなりの「商品」を生産させられ、あるいは他の労働者に先立ってこの世界の「スペクタクル的消費」の観客としての特権を担わされているにすぎないのに、そのことを意識さえしていない。シチュアシオニストが主体として想定する者たちとは、「新しい貧困」に曝された「新しいプロレタリアート」である。すなわち「(社会が許容する豊かさと消費の促進のさまざまな度合いで)社会から消費するよう割り当てられた社会的時空間を変更する可能性をまったく持たない人々」のなかで、その現状に異議を申し立て、「新しい貧困」を拒否する者たちである。彼らこそが、「知識人の党」のようなスペクタクルの社会の観客による参加ではない、「モルモット専門家の参加とはまったく異なった形の参加」を可能にするのである。
 シチュアシオニストは「イデオロギーの死」というイデオロギーが支配し、資本が国家の枠を越えて世界化して、世界が「スペクタクルの世界」として統一される現代という時代を、「階級闘争の消滅」の時代ではなく「階級闘争のカードの再配分」の時代であると規定し、そのなかで「国家の乗り越え」ではなく「超‐国家装置の中でのナショナリズムニューディール〔=新規まき直し〕」が行われているにすぎないと、90年代の現在の情況を先取りするような鋭い見方を提出している。「イデオロギーの死」も「階級闘争の消滅」も、実際は「スペクタクルの社会」のなかでの、支配層による時空間の新たな組織化と、新たな統合の開始に他ならず、それは60年代から90年代にかけて本質的に変わってはいない。このプロセスのなかで、シチュアシオニストが定義する「新しいプロレタリアート」とは、「大衆的な拒否とサボタージュ」、そして「創造性」の無限の開放を伴った「新しいタイプの自由な活動」によって、この枠組みそのものを粉砕する者たちなのである。それゆえ、シチュアシオニストにとっての「革命運動」とは、「労働」と「余暇」、「労働」と「消費」といった社会生活の既存の組織化を前提条件としたなかでの改良ではなく、既存の社会生活と既存の時空間の「組織化」の仕方そのものを変革し、その後の「恒常的な再組織化」の仕方をも根底的に変革するという射程を待った運動となる。そうした根本的な変革の運動は、すでにさまざまな場所で開始されているが、そうした運動の実践的力に理論的力を伝えるべき「理論家」もまた、自らが分離された権力となることを厳しく拒絶しなければならない。SIは自らをある意味で「理論家」として位置づけているが、それは古典的な意味での「知識人」や「職業的革命家」のそれではない。SIの言う理論家とは、「自分たちの理論を探し求めている無数の新しい実践」に首尾一貫した批判理論を伝達する者たちの集団としての理論家であり、「異議申し立ての理論的組織化」」を求めて「異議申し立ての運動の理論的力と物質的力を」「再び組織する」作業に従事する者たのことちである。
 こうしたSIの「革命理論」とも言うべき新しい理論は、1962年1月にアントワープで開催されたSI第6回大会で確立されたものである。SIの設立当初から存在した「芸術作品派」とも言うべき潮流(西ドイツの〈シュプール〉派、スカンディナヴィアのナッシュ派)を除名した後はじめて開催されたこの第6回大会は、SI自らが「SIの急進化」の諸問題を討議する大会だったと述べている(第8号「シチュアシオニスト情報」を参照)が、そこでは、シチュアシオニストとしての首尾一貫性」、「外部の好意的な諸潮流や敵対的な諸潮流」との関係の正確な規定、「当面の非合法活動と実験」について話し合われ、SIの組織形態をそれまでの国別のセクションの連合体から「唯一の統一的中心機関(センター)」に変えて、SIの理論的・実践的統一が実現された。「革命組織」──といっても、まったく新しい性質の「革命」を追求する、既存の形態の組織ではない「組織」だが──として「急進化」したこのSIは、やがて60年代末のまったく新しい形の反乱を理論的に準備することになるのである。