自然の支配 イデオロギーと階級

訳者改題

 人間による自然の占有は、まさにわれわれ自身がその中に巻き込まれている冒険である。それ自体を議論することはできず、ただそれを出発点として、それについて議論することができるだけだ。現代の思想と行動の中心で常に問題となっていることは、人間が支配した自然部門のどのような使用が可能かということである。まさにこの使用についての包括的仮説の命ずるところによって、プロセスのあらゆる瞬間が提示する選択彼のなかからどれを選択するかが決められる。同時にまた、各部門の生産の拡大の周期と期間もそれによって決められるのである。この包括的仮説の不在とは、実は理論化されていない唯一の仮説の独占状態にはかならないが、それは、現在の権力が盲目的に成長した結果、自動的に生じたものなのである。この不在は真空状態を産み出し、それがここ40年来の同時代の思想の運命となってきたのである。
 生産の蓄積とますます高度化する技術力の蓄積は19世紀の共産主義が予測したよりもずっと速く進展した。だが、われわれはいまだ、過剰設備を有した先史段階にとどまっている。1世紀にわたる革命の試みも、人間の生活が合理的で情熱的なものとはならなかったという点で、失敗に帰した(階級なき社会のプロジェクトはいまだに実現されてはいない)。われわれは際限なき物質力の増大のなかに突入したが、その物資力は本質的に静的な利害に、それゆえ、とっくの昔に死に絶えたことが周知の事実であるような価値に、奉仕するよう留め置かれたままである。死者の霊が生者の技術の上に重くのしかかっている。いたるところで絶大な権力を振るっている経済の計画化も常軌を逸している。それは、毎年毎年規則的に発展するという教科書的な固定観念によるものというよりもむしろ、経済の計画化という観念の中をひとりでに循環している過去の腐った血によるものだ。この腐った血が「非情な〔=心臓のない〕世界の心臓」の人工的な拍動に合わせて絶えず前に送り出されるのである。
 物質的解放は人間の歴史の解放の前提条件であり、ただその点でのみできるものである。到達すべき発展の最低水準をどう考えるかは、何よりまず、どのような解放のプロジェクトが選択されるかに、それゆえ、その選択を行うのは誰か──自立した大衆か、権力に就いた専門家か──にまさしく依存している。不可欠なものについて、特定のカテゴリーの組織者の考えに共鳴する者は、その組織者が生産することを選んだ事物に関してはあらゆる欠乏状態から解放されるかもしれない。だが間違いなく、その組織者そのものからは決して解放されることはないだろう。位階制(ヒエラルキー)の最も現代的でまったく予期せぬ形態も、常に、受動性と無力と隷属状態とが支配する古い世界を高い金をかけて作り直したもの(リメイク)にすぎないだろう。どれほど社会が物質力を抽象的に所有しようと、そのことに変わりはない。それは、人間が自分を取り巻く環境と自らの歴史に対して有する主権とは正反対のものなのである。
 現在の社会における自然の支配は、たえず深刻化する疎外として、また、この社会的疎外を正当化する唯一のイデオロギー的裏付けとして姿を表すため、、いくつかの前衛グループから一方的に批判されているが、その批判の仕方は弁証法的な批判でも十分な歴史理解をともなった批判でもない。そうしたグループは今、労働運動についての堕落した欺瞞的な古い理解──それを彼らは乗り越えた──と、来るべき形態の世界規模での異議申し立て──それはまだ、われわれの前にある──との中間点にいる(たとえば『社会主義か野蛮か』誌*1のカルダン*2らの非常に意義深い理論を参照せよ)。これらのグループは、人間の労働がますます完全に物象化され、その現代的帰結として、支配階級の操作する余暇を受動的に消費するようになったことに、まったく正当にも反対している。しかし彼らはそこから、多かれ少なかれ無意識に、古い形態の下での労働と、昔の社会や産業社会のより未発達な段階においてさえも開花しえた真に「人間的な」関係へのノスタルジーを函養するようになった。おまけに、それは、現代の産業を性格付けている浪費と非人間性とを同時に廃棄することで、既存の生産のより高い生産性を獲得しようとする意図とうまく調和する(それに関しては『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌第6号、『武装としての教育』を参照)。だが、こうした発想は、まさに通常の意昧での労働の廃止(ブロレタリアートの廃止と同時に)と古い労働を正当化する一切のものの廃止にほかならない革命的プロジェクトの核心を放棄したものである。「ブルジョワジーは歴史のなかで際だって革命的な役割を果たした」という『共産主義者宣言』の文章*3は、新しいタイプの自由な活動のために労働を消し去るという可能性──それは、自然の支配によって開始された──を無視するならば、理解することはできない。そして同時に、この文章はまた、「古い観念の解体にブルジョワジーが果たす役割を無視するならば、つまり「革命イデオロギー」の用語で肯定的に自己を定義する古典的労働運動の不幸な性向に従うならば、同じく理解することはできない。
 ヴァネーゲムは「当たり前の基礎事実」のなかで、聖なる思考が解体し、その鎮静的、催眠的、鎮痛的機能がより劣ったかたちでイデオロギーによって置き換えられる運動を示している。イデオロギーは、ペニシリンに起きたのと同じように、広範かつ大量に用いられるにつれて、その効力が次第に低下してゆき、たえず服用量を増したり外観を変えたりせねばならなくなった。このことは、ナチズムと今日の消費のプロパガンダの様々な点での行き過ぎを考えるだけで十分理解できる。封建社会の消滅以降、支配階級にとって、彼ら自身のイデオロギー──硬直化した批判的思考としての──は、かつて権力奪取のための万能の武器として役立ったという意味では、ますます役に立だなくなってきており、今や、彼ら独自の支配に矛盾するまでになっていると考えられる。かつてイデオロギーのなかで無意識の虚偽であったもの(部分的結論の上に停止したもの)は、イデオロギーが覆い隠していた利害のいくつかが権力を得て、警察によって保護されるようになると、体系的な虚偽となった。その最も現代的な例は、同時に最も驚くべきものである。すなわち、まさにイデオロギーを労働運動のなかに流用することで、官僚主義がロシアでその権力を打ち立てたのである。イデオロギーの現代化の試みはすべて──ファシズムのように常軌を逸したものから、先進資本主義におけるスペクタクル的消費のイデオロギーのように論理的に一貫したものまで──、現在を保存する方向に進むが、その現在それ自体は過去によって支配されているのである。イデオロギー改良主義は、既成の社会と逆の方向に向かっては、決して効力を持ちえないだろう。なぜなら、この社会は強制的な栄養摂取手段のおかげでいまだにイデオロギーの有効な利用を行っているが、そうした改良主義は、その手段を決して手に入れることができないからである。革命的な思想は、イデオロギーを容赦なく批判する側にいなければならない。もちろん、そのイデオロギーのなかには「イデオロギーの死」という特殊なイデオロギーイデオロギーとはこれまで常に死んだ思想のものだったのだから、この言い方自体がすでにひとつの告白となっている)や、自分が妬んでいるライバルの失墜だけを喜んでいる問題の経験論的イデオロギーも含まれる。
 自然の支配のなかには「何をするための」という問いも含まれているが、実践に関するこの問いは必然的に自然の支配の問題を圧倒し、それなしで済ますわけにはいかなくなる。この問いはただ、「以前と同じように、ただし生産物はより豊富に」というこの上なく粗雑な答えを投げ返してくるだけである。この答えは、資本主義経済がその起源から含み持っていた物象化による支配であるが、その支配自体が「自ら自分の墓堀人を作り出す。」こともありうる。ブルジョワジーの巨大なプロジェクトである自然の変形の積極性と位階秩序(ヒエラルキー)化された権力──それは、現在のその様々な変異体において、ブルジョワ的「文明」という唯一のモデルに従っているのだが──によるそのけちくさい回収とのあいだの矛盾を明らかにする必要がある。ブルジョワ的モデルは、大衆化された形態をとることで、雑多な寄せ集めである小ブルジョワが利用できるように「社会化」されてきた。これらの小ブルジョワは、古い貧困階層の持っていた痴呆化の能力の全てと、支配階級への所属を示す富の印(それ自体が大衆化されているが)のすべてとを、ともに貯め込むことになるだろう。東側の官僚主義者は必然的にこのモデルに与する。階級闘争の消滅という彼ら自身が思い描く図式を維持するのに警察に頼らずにすませるためには、生産力を増大させるだけで十分なのである。現代の資本主義も同じような目的を高く掲げている。だが、どちらも同じ虎に跨っている。急速に変化する世界で、彼らはそれぞれニュアンスが異なるだけの位階制権力を永続させるのに役立つ現状維持を求めているにすぎないのである。
 現在に対する批判のネットワークは、その擁護のネットワークとまったく同様に、首尾一貫している。ただ擁護の一貫性は、より眼につきにくいだけだ。というのも、それは、他のモデルとは逆に、支配的モデルの多くの細部やニュアンスについて嘘をついたり恣意的な価値付けをしなければならないからだ。だが、この擁護のあらゆる変異体を本当に捨て去るならば、難なく批判に与することができる。その批判は、現在を支配する勢力のいずれとも利害を共にしていないので、あの個人的な良心の呵責を感じることはない。位階秩序化された官僚主義が革命権力でありえるなどということを認める者、さらには、スペクタクルの社会が全世界で組織しているような大衆的ツーリズムは善であり楽しみであると認める者、そのような者はサルトルの中国*4へでも旅行するがいい。彼の間違いにも、彼の愚行にも、彼の嘘にも、驚く者はいないだろう。自分の好みのものの性向には従わねばならない。他にも、より唾棄すべき、より実際的な全を支払われている旅行者たちがいる。チョンベ*5に仕えるためにカタンガ*6に行く考たちだ。左翼知識人の証人たちは、招待される場所にかくも速やかに赴くが、彼らが第1に証言しているものは、思考の放棄である。この思考は、何10年も前に自らの自由を捨で去ってしまい、相争っているパトロンたちの間を揺れ動いているのである。西のものであれ東のものであれ、現在実現されているものを称賛する思想家は、スペクタクルのすべての罠にはまっているのだから、かつて何1つ思考したことはなかったのである。この確認事項は、彼らの書いたものを読んだことのある者にとっては何ら驚くべきことではない。彼らが鏡のように映し出している社会は、われわれにその称賛者を称賛することを命じていることは明らかである。それどころか、多くの場所で、彼らは意のままに白分たちの鏡のゲームを選び取る(これを、彼らは「参加(アンガジェ)する」と呼んできた)ことさえできる。言い換えれば、彼らを突き動かしている既成社会の包装紙とラベルを──後悔しつつあるいは後悔せず──選びとることができるのである。
 疎外された人間は、毎日──人に教えられ、見せられて──自分に必要でない新たな成功〔=ヒット商品〕を次から次へと手に入れる。これは何も、物質的発展のこれらの一段一段がくだらないとか悪いとかいうわけではない。それらの一段一段の発展も実際の生活のなかに再投資されるかもしれないが、その際には必ず残りのすべても一緒についてくる。現在の勝利はすべて、スター専門家によるものである。ガガーリンは、空間においてより先で、いっそう不利な条件の下で、生き延びられることを示した。しかしまた、医学的、生化学的努力の全体によって、時間においてより先まで生き延びることが可能になったとしても、統計上でのこの生き延びの拡大はいかなる点でも生の質的向上と結び付くことはない。より先で、より長く生き延びることはできるだろうが、より多く生きることは決してできないのだ。われわれはこの勝利を祝う(フェテ)べきではない。そうではなく、祭り(フェト)に勝利を収めさせなければならない。その祭りにおいては、人間の進歩そのものが、日常のなかに無限の可能性を解き放つのである。
 問題は自然を「価値ある敵対者」として再発見することである。自然に対して仕掛けられたゲームは心を浮き立たせるものでなければならず、そうしたゲームは心を浮き立たせるものでなければならず、そうしたゲームにおいて獲得された得点(ポイント)はわれわれに直接関係しなければならない。われわれの環境と時間に対する(一時的で、流動的な)支配とは、例えば、生の契機を構築することである。宇宙への人類の拡張は、個人の生の(ポスト-芸術的な)構築とは正反対の極の上での企ての一例である。だがそれは、可能性のもう一方の極とも依然として強く結び付いている。そこに見られるのは、専門家たちの軍事的競争の昨今の卑小さと、プロジェクトの客観的壮大さとの衝突である。宇宙への冒険は広がるだろう。それゆえ、モルモット専門家の参加とはまったく異なった形の参加に対しても開かれるだろう。それは、この惑星上で専門家のけちくさい支配が崩壊すれば、あらゆるものに関する途轍もない創造性の水門が開かれることになるだけにいっそう早く、いっそう遠くまで開かれることになるだろう。この創造性は今のところまだ硬直化していて得体の知れないものだが、産業生産の恣意的な部門に特有の現在の蓄積的成長にとってかわって、人間のすべての問題に対して幾何級数的な進歩を引き起こすことができるだろう。確かにもはや、生産力と生産関係との矛盾という古い図式は、いつかは停滞し、発展し続けることができなくなる資本主義的生産に対する、短期的な観点からの機械的断罪の対象として理解されるべきではない。逆に、この矛盾は、こうした生産を自己制御するものが、現在の経済的下部構造によって支えられうる可能な巨大発展に比べれば、卑小であると同時に危険でもある発展を自らに確保していることを断罪するもの(必要になるであろう武器によって、その処刑を試みることは今後に残されているが)として読みとるべきである。
 現在の社会で公けに出されている問いにはすべて、既にある種の解答が含まれている。そのような強制された回答とは異なる場所に導くようなといは決して出されることがない。現代の伝統とはまさに革新することであるという明白な事実に気づく時にも、この革新がいたるところでなされているわけではないという、もう1つの明白な事実には目を閉じる。イデオロギーがまだその役割を大きくすることができた時代に、サン=ジュスト*7は次のように語っていた、「革新の時代に、新しくないものすべては有害である」と。現代のスペクタクルの社会を組織している多くの神の後継者たちは、どの程度まで問うと問いすぎることになるのか、今ではよく弁えている。哲学と芸術の衰退もまたこの禁止が原因である。現代の思想と芸術は、その革命的な部分においては、いまだ存在していない実践──それは、彼らが力を発揮できる最低限の領域となるだろう──を程度の差こそあれ明確に要求してきた。それ以外の者たちは、公式の問いの周りで上品なお喋りを弄しているか、純理論的な問題について空虚な問いを発しているにすぎない (『アルギュマン』誌*8の専門だ)。
 父の家〔=天国〕、すなわち古い社会には、たくさんのイデオロギーの部屋がある。そこでは、確固とした参照基準は失われたが、その掟は無傷のままである(神が存在しないにも関わらず、何一つ許されない)。その市民権を持つものは、現代的なものを打倒するのに役立つあらゆるモダニズムである。『プラネット』*9という信じがたい雑誌のはったり屋の一味は、多くの学校教師を感動させているが、彼らは荒唐無稽な大衆扇動を体現している。それは、まもなく半世紀にもなろうとする異議申し立てと革命的想像力の、少なくとも知的な面での表出という点での完全な不在(そして、それらが今日、再び現れると、いたるところで出会う無数の敵対的実践による障害)を利用しているのである。そして同時に、『プラネット』誌は、科学とテクノロジーはますます速いスピードで進歩するが、どこに向かって進んでいるのかは誰も知らないというあの明白な事実に賭けながら、愚直な人々に対して、今後はすべてを変えなければならないと知らせるために駄弁を弄している。それと同時に、われわれの時代が現実に生きている生活の99パーセントを不変の与件として認めるのである。そのようにして、縁日の新奇さがひきおこす眩暈を利用して、どれほど辺鄙な田舎にもひどい状態でしか保存されていなかった時代遅れのがらくたを平然と再び紹介するのである。イデオロギーの粗悪品は、その努力にも関わらずポーヴェルでさえ考えつかなかったような下劣さの極みにおいて、その歴史の幕を閉じるだろう。
 専門化した指導者たちが、増大する生産と消費の全側面をいっそう強力に計画化せねばならなくなるにつれて、過去の堅固な神話体系に比べるとまだ流動的なイデオロギーの現在のさまざまな変種は、ますますその役割を大きくする。使用価値はそれでもなお不可欠のものであったが、市場ために生産する経済が優勢になって以来、単に暗黙のものになりつつある。その使用価値も、今や、現代の市場の計画家たちによって公然と操作され(人工的に作られ)ている。ジャック・エリュル*10はその著書『プロパガンダ』(A・コラン書店、1962年)のなかで操作のさまざまな形態の同質性を指摘しているが、その最大の功績は次のことを明らかにした点にある。つまり、ごのプロパガンダ広告は禁ずることのできなる単なる病的な異常増殖ではなく、同時に、全面的に病に侵さわた社会に対する薬、病気を悪化させることによってその病気に耐えることを可能にする薬なのである。人々はかなりの程度まで、このプロパガンダの共犯者、支配的なスペクタクルの共犯者である。なぜなら、彼らは社会に対して全面的に異議を申し立てることによってしか、そうしたプロパガンダを拒否することはできないからだ。それゆえ、今日の思想にとって唯一の重要な作業は、異議申し立ての運動の理論的力と物質的力をいかにして再び組織するかという問題をめぐってなされなければならない。
 二者択一は、真の生と、現代化された鎖しか失うべきもののない生き延び〔=余りの survie〕とのあいだでの選択のなかにだけあるのではない。それはまた、生き延びそのものの側にも設けられている。そこにあるさまざまな問題はたえず深刻化してゆくにもかかわらず、生き延びることにしか関心のない支配者たちに、問題を解決することはできないだろう。核武装、地球の人口過剰、人類の大多数にとっての物質的貧困の増大、そうしたものの危険性は大新聞までもが取り上げる公認の不安の種である。なかでも特にありふれた例は、中国に関するルポルタージュ (『ル・モンド』紙、1962年9月)のなかでロベール・ギラン*11が皮肉ぬきで書いている人口過剰の問題である。彼はこう書いている、「中国の指導者はそれを再認識し、それに挑もうと欲しているようである。1956年に試みられたが1958年に断念された産児制限の政策は、再び実施される模様である。若年での結婚に反対し、新婚家庭での出産の間隔を開けることに賛成する全国的キャンペーンが開始された」。専門家たちは意見を変えるたびに、すぐに絶対的命令を下すが、そのことは、彼らが人民の解放に実際にはどのような関心を抱いているかを完全に暴露している。それはちょうど、16世紀の君主たちの良心の動揺と改宗(タジュス・レギオ・エジュス・レリギオ=君主ノ宗教ヲ言エ、ソノ国ノ宗教ヲ言エ)が、キリスト教の神話の武器庫に対して彼らの抱いていた関心がどのような性格のものだったかを暴露しえたのと同様である。この同じジャーナリストは、何行か先でこう続けている、「ソ連が中国を支援しないのは、ソ連流動資産は現在、驚くほど金のかかる宇宙征服に向けられているからだ」と。中国の農民が子供を生むかどうかを決めるのに何も言えないのと同様、ロシアの労働者は、彼らの労働が産み出した剰余利益であるその「流動資産」の使途を決定するのに、つまり中国よりもむしろ月にそれを充てることを決定するのに、何の発言もできなかったのである。完全に自分が引き受けるにいたった現実の生活と格闘する現代の指導者の英雄的行為は、ユビュ*12の作品群のなかにその最良の表現を見いだせる。実験的なわれわれの時代がまだ実験していない唯一の原材料、それは精神と行動様式の自由である。
 イデオロギーや、スペクタクルや、計画化や、計画化を正当化するものが並ぶ広大なドラッグストアにおいて、専門化した知識人は自分の仕事(ジョブ)と、自分が管理すべき棚を持っている(ここで言う知識人とは、文化の生産そのものに一役買っている者たちのことで、ますます増大する「知的労働者」の群れと混同してはならない。後者の労働条件と生活条件は、現代の産業の原則に従って変化している労働者と給与生活者の労働にますます似たものになってきている)。
そこには、あらゆる好みに対して、何かしらのものがある。例えば、ロベルト・グイドゥッチ*13は、現に存在する遅れは「今日でもなお、死に絶えた制度の廃墟の中で生きる愚かさと、まだ実現の非常に困難なさまざまな提案だけを表現する能力との間に、われわれを置き去りにしている」と書くことによって(『アルギュマン』誌 第25−26号所収の「新しい政治の困難な探究」)、自分に理解があることをまず示す。彼はいったい何を提案しようというのか。すぐにわかることだが、これは実に簡単に実現できるのである。ヘーゲルエンゲルスからジダーノフとスターリンまでを1つの文章の中にうまく取り込んだ後で、彼がわれわれに提案するのは、「青年マルクスロマン主義的性急さや、グラムシ*14のもって回った注釈を再検討しようとする傾向もまた同様に時間の腐食を受けている」ということを認めることなのである。この男は、だから、そのようなものからはすっかり立ち直った様子で、自分にヘーゲルグラムシを読む力が実際にあったなら、それぐらいすぐに解っただろうとは、一瞬たりとも思い至らない。われわれは、彼の過去と彼の論文から、そのことは難なく読みとることができた。彼が青春時代をジダーノフ*15とトリアッティ*16に対する尊敬のなかで過ごしたことは間違いない。ある日、『アルギュマン』誌の他の操り人形ども──その元の共産党がどうであれ──と同じように、彼もすべてを問い直したのだ。だが、誰もが手を汚したとは言えないとしても、精神は汚したのである。彼もまた、青年マルクスを「再検討する」ために数週間を費やしたはずだ。しかし、結局のところ、もし彼が、われわれの生きている時代を理解できるように、マルクスを理解することができたなら、その彼がすぐにジダーノフを理解しなかったと考えられるだろうか。要するに、大昔に彼や他の連中が革命的思想を再検討した時からずっと、その契機は彼には既に「時間の腐食を受けている」ように見えたのだ。しかし、10年前に、彼は何事かを再検討したのだろうか。そんなことはありそうもない。それゆえ、この男は歴史よりも速く再検討を行う男だと言うことができる。なぜなら、彼は1度たりとも歴史とともにいることがないからだ。彼の模範的な無能さは、誰からもまったく再検討される必要はないだろう。
 それと同時に、一部のインテリゲンチャは新たな異議申し立てに着手し、われわれの時代の現実的批判について思考し始め、その結果としてさまざまな行動を採り始めた。彼らの工場であるスペクタクルのなかで、彼らは生産のテンポと生産の究極目的そのものと闘っている。彼らは自分たち自身の批判装置と破壊活動(サボタージュ)の実行者を作り上げてきた。
彼らは、現在の労働が獲得しうる富を拒否することを何にもまして表明している (消費の資本主義の)新たなルンペンと手を結ぶ。そのようにして、創造的なインテリゲンチャが置かれている個人の競争という条件、それゆえ奴隷根性という条件を拒否し始めているのだ。というのも、現代芸術の運動は、創造者がたえず知的労働力の資格を引き下げる運動と考えられるからだ(それも、すべての労働者が、指導階級の位階秩序化戦略を受け入れる限りにおいて、部門(カテゴリー)ごとに競争に突入する時に)。
 革命的インテリゲンチャが今から成し遂げようとしている任務は巨大である。というのも、彼らは、幕を閉じようとしている長い時代──そこでは「弁証法的理性の眠りが径物たちを産み出すだろう」──から、いかなる妥協もなしに訣別するのだから。理解しなければならない新しい世界とは、使い途もなく増加してゆく物質的力の世界であると同時に、人々が展望もなく経験する異議申し立ての自発的な行動の世界である。かつてのユートピア主義においては、独断で汚された理論が、いかなる可能な実践よりも先に進んでいた(とはいえ成果がなかったわけではない)が、それとは逆に、現代性についての問題全体のなかに今、存在するのは、自分たちの理論を探し求めている無数の新しい実践である。
 誰かが夢想するような「知識人の党」は存在しえないであろう。というのは、そのような同業組合主義のなかで認められうる知性とは、まさにグイドゥッチ氏やモラン*17氏やナドー*18氏の合法的な思考にすぎないからだ。そんなものは要らない。分離され、専門化した団体として認可され──たとえ左翼に投票しようと、関係ない──、結局は自分自身に満足し、あるいは自分の凡庸な文学的不満足にすら満足しているインテリゲンチャは、逆に、最も自発的に反シチュアシオニスト的な社会部門である。この知識人階層は、プレミアショーの観客のようなもので、しばらくしてから先進国のすべての労働者に少しずつ提供されることになる消費を、代表して先に味わっているにすぎない。われわれは彼らが自らの価値や趣味(現代的と言われる家具や、クノー*19の著作)に吐き気を催すようにしむけなければならない。彼らの恥が、革命的感情となるだろう。
 インテリゲンチャのなかに、服従に向かう派と、差し出された仕事の拒否に向かう派とを区別しなければならない。そして、あらゆる手段を用いて、この2つの分派のあいだに剣を投げ入れ、彼らを完全に対立させ、来るべき社会戦争への道をはっきりと照らし出さねばならない。出世主義者たちは、階級社会でのあらゆる知的サーヴィスの条件を本来的に表現しているが、ハロルド・ローゼンバーグ*20が『新しいものの伝統』のなかで指摘しているように、彼らは、自分に心地よい疎外が作られたので、知識人層全体が何の反対行動も行わずにただ自らの疎外を論じるようにしむけるのである。しかしながら、現代の社会全体がこの安楽の道へと向かい、それと同じ運動によって、この安楽がいっそう退屈と不安に汚染される一方で、破壊活動(サボタージュ)の実践が知性のなかに広まることもありうる。かくして、19世紀の前半に哲学から(哲学についての批判的考察から、哲学の危機と哲学の死から)生まれた革命理論が、今や、現代芸術から、詩から、その乗り越えから、現代芸術が探究し約束してきたものから、言い換えれば、日常的な行動の価値と規則のなかに現代芸術が築くことのできた言わば明確な立場から、再び出現してきたのである。
 知的で芸術的な創造の生きた価値は、服従したインテリゲンチャの生存様式全体によって可能な限り否定されている。同時に、彼らは、この「価値」の創造との内縁関係を誇示して、自分たちの社会的立場を飾りたてようと思っている。御用インテリゲンチャは、この矛盾をかぎつけ、芸術的ボヘミアンと呼ばれたものを曖昧に誉め称えることによって遅れを取り戻そうと試みる。ボヘミアンとは、物象化の下僕たちによって、他のいたる所で拒否されている日常生活の質的使用の契機として、極貧のなかでの豊かさ等々の契機として認識されているのである。だが、おとぎ話には、その公認版では、道徳的な結末が付き物である。つまり、貧困における純粋な質としてのこの契機は変質して、ありふれた「豊かさ」に至らなければならないのである。貧しい芸術家は、この間にも市場から評価されない傑作を産み出すだろう。しかし彼らは救われる(質との彼らの戯れは許され、教訓的なものとすらなる)。なぜなら、今この瞬間に彼らの現実の活動の副産物にすぎなかった彼らの労働が、次には高い価値を付けられるからである。物象化に背を向ける生きた人間〔=芸術家〕も、やはり、彼らなりの商品を生産してしまうのである。それゆえ、選別されて、ブルジョワジーの量の楽園に入る価値を讃えることで、ブルジョワジーは、ボヘミアンに対して、彼らの自然淘汰ダーウィニズム)を遂行してきたのである。創造段階の生産物と採算の取れる商品段階の生産物を手に入れた人間が稀に同じ人間であるとしても、それはまったく偶然のことなのだということを忘れてはならない。
 文化的イデオロギーがますます急速に堕落した結果として、あの知的、芸術的価値観の恒常的な危機が始まった。この危機の勃発を白日のもとに曝したのはダダイスムである。この文化の終焉は、明々白々な二重の動きによって特徴付けられている。一方には、スペクタクルの自律的なメカニスムによって、偽の新しい事物が新たな外観のもとに自動的に再び世に出て広まる現象がある。他方には、「高品質の」文化的生産の革新の才に明らかに恵まれた者たちによって、大衆的な拒否と破壊活動(サボタージュ)が行われている。アルチュール・クラヴァン*21はそうした人間の原型のような人物である。彼については、文化的大惨事の最も激しい放射能が残留している地帯を通り抜けたことが知られているが、彼自身はいかなる種類の商品も思い出も残さなかった。人を落胆させるこの2つの作用が結びついたことは、インテリゲンチャのなかに不安を高じさせてやまないのである。
 ダダイズム以来、そしてまた、支配的文化がある種のダダイズム芸術を回収しえたとはいえ、芸術的反抗がつねに次の世代によって消費可能な作品のかたちで回収可能であることは、もはやまったく当然のこととは言えなくなった。そして今日では、ポスト−ダダイズム的なスタイルを模倣する者たちが、スペクタクルのなかでのこの上なく安易な出世主義によって、売ることのできるものならどんな文化的事物でも生産できるようになった。しかしその一方で、さまざまな現代資本主義国に、非芸術家的なボヘミアンの拠点も存在している。そうしたボヘミアンたちは芸術の終焉あるいは不在という考えの上に結集したのであり、もはや何らかの芸術生産を目的としているのではないことは明らかだ。われわれの見出す「未来の芸術」(このように表現すること自体がすでに、現在の専門化した枠組みのなかで未来を勝手に扱っている印象を与えるので、
不適切な表現であるが)は空間と感情と時間の利用法を全面的に変革することに完全にかかっているのだから、未来の芸術は商品として価値付けられることはないだろう。このテーゼの進展につれて、現代資本主義諸国では、不満足は激化するばかりである。そして、こうした扶況のなかでようやく姿を現し始めた自由な思考と自由な行動様式の実際の実験のすべては、確実にわれわれと同じ方向に、つまり異議申し立ての理論的組織化へと向かって進んでいる。
 われわれの考えるところでは、理論家の役割は不可欠ではあるが支配的ではない。その役割とは、人々──それは、名前を付与した上で詳述せねばならない、あの「新しい貧困」に曝された新しいプロレタリアートだと言おう──が経験しているような危機と潜在的欲望とを、明確な言葉で、あるいは、より明確で首尾一貫した言葉で、表現するための認識要素〔概念と判断〕と概念装置をもたらすことである。  
 現代においてわれわれが立ち合っているのは、階級闘争のカードの再配分であり、階級闘争の消滅でもなければ、古い図式のなかでの階級闘争の正確な継続でもない。それは確かである。同時にまた、われわれが目にしているのは、国家の乗り越えではなく、超−国家装置のなかでのナショナリズムニューディール〔=新規まき直し〕である。つまり、2つの世界ブロックのなかには、ヨーロッパや中国勢力圏のように多少とも遠心的な〔=米・ソの勢力圏から雛れてゆく〕超−国家的地帯があるのである。そのように枠づけられた国家領域の内部には、朝鮮半島からワロン地方〔ベルギー南部のフランス語使用地域〕にいたるまで、さまざまなレヴェルでの変更と再統合起こりうる。
 現在、現れつつある現実を見る限り、プロレタリアートとは、(社会が許容する豊かさと消費の促進のさますまな度合いで)社会から消費するよう割り当てられた社会的時空間を変更する可能性をまったく持だない人々であると見なすことができるだろう。指導者とは、この時空間を組織する者か、個人的選択の余地を持つ者(それは、例えば、私有財産の古くからの形態の多量の名残によることすらある)である。革命運動とは、この時空間の組織化と、その後の恒常的な再組織化を決定するやり方そのものを、根底から変革する運動である(単に、所有権の法的形式や指導者の社会的出自だけを変えるような運動ではない)。
 今日すでに、いたるところで、膨大な数の多数派が、ごくわずかな少数派の「生産する」おぞましく絶望的な社会的時空間を消費している(明確にすべきことだが、この少数派が文字どおりその組織化以外の何も生産していないのに対して、われわわかここで理解する意昧での時空間の「消費」には、消費と生活全体の疎外が明らかに根ざしている現行の生産全体が含まれている)。過去の支配階級が、社会総体の欠乏状態の上で、静的な社会生産から奪い取ったごくわずかな剰余価値から人問的な出費をひねり出すことができたのに対して、今日この指導的少数派に属する者たちは自らその「支配権」を失ったと言うことができる。彼らは単に権力の消費者にすぎないが、その権力は生き延び〔=余りの生〕のくだらない組織化の権力なのである。そして、この権力を消費する目的だけのために、彼らはあんなにも悲惨なやり方でこの生き延び〔=余りの生〕を組織するのである。自然の所有者たる指導者階級は、自らの権力の行使の卑小さのなかで解消してしまう(量的なスキャンダルだ)。解消することなく支配することができれば、完全な雇用が保証されるのだが。もちろん、すべての労働者の完全雇用ではなく、社会の全勢力の完全雇用であり、そのとき、各人の創造的可能性のすべてが、自分白身のために、そして対話のために完全に利用されるだろう。そうした支配を行使する者〔=主人〕は、それでは、どこにいるのか。この馬鹿げた体制の逆の端にてある。拒否の極にである。支配を行う者は否定的なものからやって来るが、彼らは反−位階秩序の原則の使者である。
 時空間を組織する者(ならびに、彼らに直接仕えている手先ども)と、その組織化を受けている者とのあいだにここで行った区別は、巧みに織り上げられた役割と給料の複雑な位階秩序をきっぱりと両極化するためのものである。この位階秩序は、どの段階も不分明の間に移行し、高度に柔軟化した社会構成のグラフの両端にはもはや真のプロレタリアートも真の所有階級もほとんどいないように思わせる。しかし、先の区分を行えば、社会的地位についての他の差異は、たちまち二次的なものと見なされるはずである。逆に、知識人も「職業的革命家」の労働者も、いつでも統合のなかに永久に落ち込む危険がある。つまり、指導者階級の操り人形(ゾンビ)の陣営(それはまったく調和的でも一神教的でもない) のなかの何らかの一族の何らかの地位に統合される危険がある。真の生かすべての者にとって存在するようになるまでは、「地の塩」はいつでも衰弱する可能性がある。新しい異議申し立ての理論家は、権力と通じたり、自らが分離した権力となったりしたときには、ただちに理論家でなくなるだろう(その時には、別の者が理論を代行する)。それはつまり、革命的インテリゲンチャは、そのプロジェクトを実現した暁には、自らを抹殺するということである。「知識人の党」は、自らを乗り越える党としてしか実際には存在できず、その勝利は同時に敗北なのである。

*1:社会主義か野蛮か』誌 コルネリュウス・カストリアディス(1922−97年)がトロツキズム運動(第4インター・フランス支部」)と袂を分かった後に、クロード・ルフォールらとともに結成したグループ(1949−65年)。現代資本主義の発展のなかでの労働の質の変質、管理体制の強化などによって産み出された新しい疎外状況を、自治を基本とした労働者評議会組織によって乗り超えようとした。ここに触れられているような『社会主義か野蛮か』の見解は、例えば、カストリアディスが同誌31,32,33号(1960年12月)、61年4月、61年12月)に発表した「現代資本主義下の革命運動」(『社会圭義か野蛮か』江口幹訳、法政大学出版局、271−397ページ)に顕著である。

*2:カルダン 〈社会主義か野蛮か〉の指導者 コルネリュウス・カストリアディス(1922−97年)の偽名の1つ。正式にはポール・カルダン。1959年以降使用。他にも、デルヴォー、ピエール・ショリュー(1946年以降)、ジャン=マルク・クードレなどの偽名がある。

*3:共産主義者宣言」の文章 マルクスエンゲルスの1848年のこの『宣言』の中の、第1章「ブルジョワとプロレタリア」に現れる有名な文章。邦訳、大内兵衛向坂逸郎訳、岩波文庫、42ページ。

*4:サルトルの中国 サルトルは1955年9月に中国政府の招きでボーヴォワールとともに中国を訪問し、約2ヶ月間、各地を回った。フランスへの帰国後『フランス=オプセヴァトゥール』誌(55年12月1−8日号)に寄せた文章「私の見た中国」や『ザ・ニュー・ステイツマン・アンド・ネイション』誌(12月3日号)のインタヴューで、サルトルは、中国革命がソヴィエト革命とは異なり軍事的勝利のうちに形成されたことが、中国における恐怖政治の不在の原因となっていることこと(前誌)、また革命中国における大衆の自発性、自治を高く評価する発言を行い、中国革命の神話を作り上げるのに寄与した。

*5:モイーズ・カペンダ・チョンベ(1919−69年) コンゴの政治家。1961年7月のコンゴ独立直後の動乱の過程で、ベルギー植民地資本とベルギー軍に後押しされてカタンガ州の分離独立を宣言するが、国連軍に敗れて62年末にスペインに亡命。その後、64年に帰国して65年10月までコンゴ首相となるものの、モブツ将軍に追放されて再度亡命。67年、政府転覆を謀ったかどで死刑宣告を受け、アルジェリア政府に逮捕され、コンゴ政府に引き渡される直前に獄死。

*6:カタンガ 現シャバ州。コンゴ川上流域の高原地帯を占め、銅鉱石、ウランなどの鉱物資源が豊富。ベルギー領時代はカタンガ・ユニオン・ミニエールがこれらの鉱山を独占所有。チョンベはこの独占企業体に後援されたカタンガ協会連盟(CONAKAT)の総裁で60年5月の州議会選挙で、 CONAKAT派の勝利を勝ち取り、州政府首相に就任した。

*7:サン=ジュスト(1767−94年) フランス革命の急進的指導者。92年国民公会議員に当選して国王の処刑を主張。それを実行することで山岳党の幹部となる。93年、最年少の公安委員、94年、国民公会議長となり、ロベスピエールの片腕としてジロンド党、ダントン派の弾圧に活躍し、「恐怖政治の大天使」と呼ばれたが、94年のテルミドールの反動によって処刑。その雄弁とレトリックの巧みさでもって知られ、「幸福とはヨーロッパの新しい観念である」などのスローガンは革命時に広く流布した。

*8:『アルギュマン』誌 エドガール・モランを編集長とし、コスタス∴・アクセロス、ジャン・デュヴィニョーとの共同編集で、1956年から1962年まで刊行された季刊雑誌(全28号)。第1巻 113頁の訳注を参照。マルクス主義者やアなキスト、トロツキストから哲学者・文学研究者、社会学者までの幅広い執筆者を集め、50年代後半のフフンスの反共産党系左翼知識入の結集軸となった。

*9:『プラネット』 フランスの作家・ジャーナリストのルイ・ポーヴェル(1920−)がジャック・ベルジェとともに1961年に創刊した隔月刊の雑誌。66年まで全41号が刊行された。オカルトやSFなどの大衆文化から政治・芸術まで、雑多な主題を扱う総合雑誌だが、その基調は右翼的保守主義だった。

*10:ジャック・エリュル(1912−94年) フランスの法学者・哲学者・キリスト者レジスタンスに参加した後、ボルドー大学で教鞭を執りながら、雑誌『エスプリ』などに執筆する一方、世界教会会議やフランス改革派教会などの運動に協力。著書に、『技術あるいは世紀の賭け金』(54年)、『制度史(全5巻)』(55年)、『政治的幻想』(65年)など。

*11:ロベール・ギラン(1908−) フランスのジャーナリスト。『ル・モンド』紙の極東総局長。37年に上海特派員として中国勤務の後、38−46年に日本滞在。49年、革命前後の中国共産党を取材した後、58−62年、69−76年年に滞日.著書に『6億の蟻──私の中国旅行記』、『第3の大国・日本』など。

*12:ユビュ フランスの詩人アルフレッド・ジャリ(1873−1907)が、1896年に発表・初演した戯曲作品『ユビュ王』の主人公のこと。ユビュは、冒頭の「糞ったれ!」という言葉に始まり、卑語と造語の連発によって言語の暴力的実験性を体現する存在であると同時に、マクベス的な暴君としてアナーキーな笑いを呼び覚ます暴力的存在として舞台の上に登場し、以後、不条理で滑稽な暴力的独裁者の代名詞となった。

*13:ロベルト・グイドゥッチ 『アルギュマン』誌の初期のイタリア版編集委員として活動し、同誌に「グラムシと新体制」(第4号)、「新しい政治の困難な探究」(第25−26号)を執筆したこと以外は不詳。

*14:アント二オ・グラムシ(1891−1937年) イタリアのマルクス主義思想家・共産党の指導者。20年代に工場評議会運動を展開し、21年にイタリア共産党の結成に参加、極左路線を克服して党の指導権を掌握するが、26年、ファシスト政権に逮捕され、37年に獄死。第二次大戦後、その『獄中ノート』が発表された。

*15:アンドレイ・ジダーノフ(1896−1948年) ソ運の政治理論家。正統派スターリン主義の擁護者として活動。『文学、哲学、音楽について』(1947年)により芸術領域でのイデオロギー批判を行い、社会主義レアリスムに理論的根拠を与えたことで有名。

*16:パルミロ・トリアッティ(1893−1964年) ィタリアの政治家。1921年のイタリア共産党創始者の1人で、ファシスト政権下にはソ運に亡命、コミンテルン執行委員となる。44年、イタリアでのレジスタンス開始とともに帰国し、党書記長に就任、47年まで閣僚となる。56年には反スターリニズムの立場をとり、その年のイタリア共産党第8大会で「社会主義へのイタリアの道について」を報告し、後のユーロコミュニズムに道を開く革命路線を提唱した。

*17:エドガール・モラン(1921−) フランスの社会学者。レジスタンスの時代にトゥールーズの「亡命学生収容センター」で活動し、共産党に入党。戦後、強制収容所の存在を知ったことを契機にスターリン主義を告発し、51年、フランス共産党を除名。50年から社会学者として国立科学研究センターで教える。1956年から62年にかけては、雑誌『アルギュマン』誌の編集長を勤める。著書に、『映画──あるいは想像上の人間』(56年)、『スター』(57年)、『自己批判』(59年)、『政治的人間』(65年)など。

*18:モーリス・ナドー(1911−) フランスの批評家。1930年代にトロツキストの活動家としてピエール・ナヴィルとともに活勤し、ナヴィルを介してシュルレアリストと知り合う。1945年に刊行した『シュルレアリスムの歴史』は、シュルレアリスト自身からシュルレアリスムを過去の歴史にしたとして非難される。戦後は、『レ・タン・モデルヌ』誌や『コンバ』誌で文芸批評を担当した後、53年以降『レ・レットル・ヌーヴェル』誌の主幹として編集・批評活動を行う一方で、反共産党左翼知識人として発言し、、60年のアルジェリア戦争への不服従宣言ある「121人宣言」にも起草者の1人として名を連ねた。現在は、書評誌『ラ・キャンゼーヌ・リテレール』の主幹である。

*19:レーモン・クノー(1903−76年)フランスの小説家・詩人。1924年から29年、シュルレアリスムに参加、33年に小説『はまむぎ』、37年に詩集『樫の木と犬』を発表、独特の言語遊戯の文体で注目される。戦後は、50年代に「潜在文学工房(ウリポ)」の設立に参加、言語実験をさらに推し進めた作品を発表。他の小説に『地下鉄のザジ』(59年)、『イカルスの飛行』(68年)など。

*20:ハロルド・ローゼンバーグ(1906−78年) 米国の美術批評家。30年代に『アート・フロント』誌、『パーチザン・レヴュー』誌で共産主義の革命芸術を擁護していたが、やがてシュルレアリスムに関心を持ち、戦後、マザーウェルとケージとともの『ポシビリティーズ』誌を創刊、50年代に「アクション・ペインティング」を実存主義的に批評し、抽象表現主義の理論的支柱となる。この時期に『アート・ニューズ』誌や『ニューヨーカー』誌に書いた美術・文学批評が『新しいものの伝統』(59年)にまとめられ、美術界で注目を集めた。他の著作に『不安なオブジェ』(64年)、『芸術作品とパッケージ」(69年、邦題『荒野は壷にのみこまれた──大衆状況のなかの美術』)、『現在の発見』(73年)など。

*21:アルチュール・クラヴァン(本名ファビアン・ロイド 1887−1920年) 詩人にしてボクサー。スイスのローザンヌで生まれたがフフンスに来て、詩を書きながら、ボクシングの世界タイトルマッチに出場。1912年から15年、パリで個人雑誌『マントナン』を発行し、手押し車に乗せて売り歩く、その第4号にサロン・デ・ザンデパンダンの揶揄とユーモアに満ちた展覧会評を載せたことから、ブルトンは 『黒いユーモア選集』にクラヴァンを取り上げた。1920年、メキシコ湾を夜中に小舟で乗り出してそのまま行方不明になった。