囚われの言葉(シチュアシオニスト辞典への序文)


 月並みな言葉は、それが隠蔽するものによって、生の抑圧的な組織化のために働く。言語活動(ランガージュ)は弁証法的でないと指摘するのも、そのようなものの1つである。結果的に、この月並みな指摘はあらゆる弁証法の行使を禁じてしまうからだ。ところが、生ける現実としての言語(ランガージュ)ほど、はっきりと弁証法に従っているものはほかにはない。したがって、古い世界に対する批判は、すべてこの世界の言語でなされながら、この世界に反対してきたのだから、必然的に別の言語で行われたことになる。あらゆる革命理論は、それに固有の言葉を創出し、他の言葉の支配的な意味を破壊し、支配的ながらくたの山から解放すべき、構想中の新しい現実に対応した新しい立場を「意味作用の世界」にもたらさなければならなかった。われわれの敵(〈辞書〉の作成者たち)が言語活動を固定できないようにしているのと同じ理由が、遂に今日われわれが、既存の意味を否定する別の立場を主張することを可能にする。しかしながら、この同じ理由から、われわれの言葉の定義が確実に規則で定められた決定的なものであると自惚れるわけにはいかないことも、われわれには最初から分かっている。定義は常に聞かれていて、決して決定的なものではない。われわれの定義が歴史的に有効であるのは、ある明確な歴史的な実践に結びついた一定の期間だけのことである。
 ある世界を隠蔽すると同時に保証している言語を捨て去ることなしに、つまりその真理を暴き出すことなしに、その世界を捨て去ることはできない。権力が永続的な虚偽であり、「社会的な真理」であるように、言語は権力の永続的な保証であり、〈辞書〉はその普遍的な典拠である。あらゆる革命的実践は、新しい意味論的領野の必要性を、新しい真理を主張する必要を痛感してきた。百科全書派の哲学者たちからスターリンの「紋切型批判」(1956年にボーランドの知識人によって企てられた) にいたるまで、この必要性が主張されないことはなかった。言語は権力の住みかであり、その警察的暴力の隠れ家だからである。権力との対話はすべて、暴力──被ったものであれ、引き起こしたものであれである。権力がその武力の行使を節約するとき、抑圧的な秩序を保つ役目を言語に委ねる。さらに多くの場合、この両者の併用はあらゆる権カの最も自然なあらわれである。           
 言葉から観念に移行するには、ただの1歩しかない。権力とその思想家たちは常にこの1歩を踏み越えてきた。存在に関する愚かしい神秘主義からサイバネティクス機械の至高の(抑圧的)合理性にいたるまで、言語理論はすべて1つの同じ世界に、すなわち、権力の言説(ディスクール)に属している。この世界は、参照できる唯一の世界として、普遍的な媒介として考えられてきた。キリスト教の神が2つの意識の間にも意識と自己の間にも必要不可欠な媒介であるように、権力の言説(ディスクール)はあらゆるコミュニケーションの中心に住みつき、自己と自己の間に必要不可欠な媒介になる。こうして、権力の言説(ディスクール)は、異議申し立てをあらかじめ自らの領土のうちに引き入れ、その内部に潜入し、内部からコントロールすることによって、異議申し立てを横取りするにいたるのである。支配的言語の批判、その転用は、新しい革命理論の永続的な実践活動となるだろう。
 新しい意味はすべて権威によって誤りとされる以上、シチュアシオニストは誤りの正当性を打ちたて、権力によって与えられ保証された意味の欺瞞を告発するだろう。辞書は既存の意味の番人である以上、われわれはそれを体系的に破壊するつもりである。辞書や、代々受け継がれ、飼い慣らされてきた言語全体を話す(そして思考する)名人に取って代わるものは、言語への革命的潜入工作の中に、つまり転用の中に、その最適の表現を見つけるだろう。マルクス*1によって幅広く実践され、ロートレアモン*2によって体系化された転用は、SIによって万人の手の届くものにされるだろう。
 転用は、ロートレアモンからは剽窃と呼ばれていたが、現代芸術によって以前から主張されていたテーゼ、すなわち、言葉の不服従、あるいは、権力は創造された意味を完全に回収することも既存の意味を決定的に定めることもできないことを確証する。要するに、「ノヴラング」*3の客観的不可能性を確証するのである。新しい革命理論は、それを支える主要な概念(コンセプト)の再定義なしには進展しえない。ロートレアモンは言う、「観念はどれも改善される。言葉の意味はそのことに与る。剽窃は必要である。進歩はそれを前提する。それはある作者の文に密着し、その諸表現を用い、何か偽りの観念を消し去って、正しい観念で置き換える」*4マルクスの思想を救うためには、100年に及ぶ疎外の強化とその否定の可能性に照らし合わせて、常にそれを正確にし、修正し、表現し直さなければならない。マルクスは、この歴史の道を歩み続ける者によって転用される必要があるのであり、何千もの種類の回収者によって愚鈍に引用されてはならない。他方、権力そのものの思想は、われわれの手にかかると、権力に対して向けられる武器になる。勝利を収めたブルジョワジーは、自分たちの到来以来、普遍的な言語を夢見てきたが、今日、サイバネティクス研究者たちはそれを電子工学(エレクトロニクス)的に実現しようとしている。デカルトは、思考が数字のように数学的厳密さで継起するような言語(ノヴラングの先祖)を夢想した。それは「普遍数学(マテシス・ウニヴェルサリス)」*5と言われていたが、ブルジョワ的諸範疇(カテゴリー)の永続性と呼んでもよいだろう。百科全書派の哲学者たちは(封建的な権力の下で)「暴政が甘受できないほどに厳密な定義」を夢見ていたが、歴史の、世界の究極理性(ウルティマラティオ)としての、将来の権力の永遠性を準備していたのである。
 ランボーからシュルレアリストたちにいたる言葉の不服従は、実験段階において、権力の世界に対する理論的批判が、その世界を破壊する実践と分かちがたいものであることを明らかにした。権力が現代芸術全体を回収し、それらを支配的スペクタクルの抑圧的カテゴリーヘと改編していることは、悲しいことにそれを実証している。「権力を殺さないものは、権力によって殺される」。ダダイストたちは最初に言葉に対する疑念を明確に表明したが、それは「生を変える」意志と不可分のものだった。彼らは、サドに次いで、すべてを言う権利、言葉を越える権利、「言語の錬金術を真の化学に変える」(ブルトン)権利を主張した。それ以来、言葉の無垢は意識的に告発され、言語とは、破壊すべき、神話を剥奪すべき、解放すべき「最悪の慣習」であるとして明確に示されてきた。ダダの同時代人たちは、すべてを破壊しようとするダダの意志(「解体の企て」とジッド*6は懸念していた)、ダダが支配的な意味に対して有する危険性を機会あるごとに強調した。ダダとともに、1つの言葉が永遠に1つの観念につながれているなどと思うのは、愚かなことになった。ダダは、言うことのすべての可能性を実現し、専門としての芸術の扉を永久に閉ざしたのだ。ダダは、芸術の実現という問題を決定的に提起した。シュルレアリスムには、この要請の延長としての価値しかない。それはこの要請の文学的実現における反動なのである。ところで、芸術の実現、つまり詩(シチュアシオニストの意味での)とは、人はある「作品」において自己を実現するのではなく、ただ単に自己を実現するのだということを意味している。サドによって始められた「すべてを言う」ことは、分離した文学の領域(そこでは文学的なことだけが言われる可能性を持っている)の廃絶をすでに意味していた。ただ、ランボーロートレアモンに次いでダダイストたちによって意識的に示されたこの廃絶は、乗り越えではなかっただけだ。実現なしに乗り越えはなく、芸術を実現することなくして芸術を乗り越えることはできない。実際は、廃絶すらなかった。というのも、ジョイスデュシャン、ダダの後からも、華々しい(スペクタキュレール)新しい文学が氾濫し続けたのだから。それは取りもなおさず、「すべてを言う」ことは、すべてを行う自由なしにはありえないということである。ダダは、スパルタクスにおいて、ドイツ・プロレタリアートの革命的実践において実現のチャンスを得た。これの失敗によって、ダダの失敗も避けられないものとなったのである。その後の芸術流派においては(その立役者のほとんどすべてを除外することなく)、それは、詩的行動の虚無の文学的表現、日常的な自由の虚無を表現する技術になった。行動を欠いた「すべてを言う」この技術=芸術の究極の表現とは、白紙〔=白いページ〕である……。現代詩は(実験的なものであれ、順列置換的なものであれ、空間主義のものであれ、シュルレアリストであれ、ネオーダダであれ)、詩とは正反対のもの、権力によって回収された芸術的計画(プロジェクト)である。現代詩は詩を実現することなく、詩を廃絶する。それは自らの永続的自己破壊によって生き永らえている。「もうこれ以上何も言うことがないのに、言語を救おうとしたところで何になる?」と惨めにもマックス・ベンゼ*7は認めている。これは専門家の告白だ。模倣反復(プシタシスム)〔意味を考えず言葉を反復する精神障害〕か沈黙症、これが順列置換の専門家に残された唯一の二者択一なのである。それゆえ、権力によって保障されながら権力を保障する思想と現代芸術は、ヘーゲルが「へつらいの言葉」*8と呼ぶものの中で動き回っているのである。誰もが、権力とその所産の賛辞に名を連ね、物象化を完全なものとし、それを日常茶飯事にする。「現実は言語でできている」とか、言語は「それ自体において、それ自体としてしか考察され得ない」と決めつけて、言語の専門家たちは「言語(ランガージュ)=事物(オブジェ)」とか「言葉=モノ」と結論づけ、彼ら自身の物象化を讃える言葉を並べて悦に入っている。モノのモデルが支配的になり、商品は、再び、自らを実現するもの、それを讃える詩人を見い出す。国家の、経済の、法律の、哲学の、芸術の理論はみな、今やこの護教的予防という性格を帯びるのである。
 分離した権力が大衆の自律した行動に取って代るところでは、すなわち、官僚制が社会生活の全局面の管理を手中にするところでは、官僚制は言語をむしばみ、彼らの詩を彼らの情報の取るに足りない散文に堕落させる。官僚制は、言語を他のすべてと同様に独占的に専有し、それを大衆に押しつける。ここでは言語は官僚制のメッセージを伝達し、その思想を含み持つものと考えられている。言語はそのイデオロギーの物質的な支えなのである。言語が何よりもまず人間の間のコミュニケーションの手段であるということを、官僚制は無視する。あらゆるコミュニケーションが官僚制を経由しているのだから、人間はもはや互いに話し含う必要すらない。彼らは、情報主義的なコミュニケーションのネットワーク──社会全体はそれに還元される──における受信者、実行すすべき命令の受信者という彼らの役目を何よりもまず果たさなければならないのである。
 この言語の存在様態は官僚制であり、その生成は官僚主義化である。ソヴィエト革命の失敗から生まれたボルシェヴィキ体制は、権力についた官僚制のイメージに合わせて、一連の多かれ少なかれ魔術的で没個性的な表現を押しつけた。「政治局(ポリトビュロ)」、「コミンテルン」、「キャヴァルメ」、「アジットプロップ」などの神秘的な名称は、実際に神秘的で専門化した機関、支配を確立し強化する場合以外には大衆と何の関係も持たずに、国家(あるいは党の指導部)の雲に隠れた領域で活動している機関の名称である。官僚制によって植民地化された言語は、ニュアンスのない硬直した一連の言い回しに切り詰められる。これらの言い回しは、どれもが同じ名詞にいつも同じ形容詞と分詞を連れている。そこでは、名詞が形容詞と分詞を支配し、1つの名詞が現れるたびに、それらは自動的に適切な場所に続いて出てくる。言葉のこの「足並み」は、社会全休のいっそう深刻な軍事化を表している。すなわち、この社会は、指導者階級と大量の実行者大衆という2つの主要カテゴリーに分割されているのである。しかし、これらの同じ言葉は、これとは別の役割をも演ずるように求められている。つまり、これらの言葉には、抑圧的な現実を支え、それを隠蔽し、それを真理、唯一可能な真理として差し出すという魔力がこめられているのである。かくして、もはや「トロツキスト」なのではなく「ヒットラー主義的トロツキスト」なのであり、もはや「マルクス主義」ではなく「マルクスレーニン主義」がであるのであり、反対勢力は必ず「ソヴィエト体制」における「反動派」なのである。こうした儀式的な言い回しを神聖視する硬直性には、そうした「実質」の純粋さを、明らかにそれと矛盾する事実から保護する目的がある。ここでは、支配者たちの言語がすべてなのであり、現実には何の意味もない。現実はせいぜい、この言語の鎧にすぎない。人々は、行動、思考、感情において、彼らの国家が、イデオロギーによって宣言されているあの理性、あの正義、あの自由であるかのように振る舞わねばならない。そうした振る舞いをとらせるために、儀式(と警察)はあるのである(マルクーゼの『ソヴィエト・マルクス主義*9を参照すること)。
 ラディカルな思想の衰退は、言葉の権力、権力の言葉を著しく増大させる。「権力は何も創造しない。権力は回収する」(『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第8号参照)。革命的な批判によって鍛えられた言葉は、戦場に打ち捨てられたパルティザンの武器のようなものである。それらは反革命の手に移る。そして、捕虜のように、強制労働の規則に服する。われわれの最も直接の敵は、偽の批判の支持者、そのお墨付きを得た役人である。理論と実践の乖離は、革命理論の回収とイデオロギーヘの硬直化に中心的な基礎を与えることになる。イデオロギーは、現実の実践的要請(その実現の指標はすでに今の社会のなかに存在する)を思想体系に、理性の要語に転換する。あらゆる種類のイデオローグたち、支配的なスペクタクルの番犬どもは、この任務の執行人である。そして、どれほど破壊的な概念も、疎外を維持するのに奉仕するため、その内容を骨抜きにされた上で、再び流布される。まさに逆さまのダダイスムだ。それらの破壊的概念は広告の宣伝文句になるのである(「地中海クラブ」*10の最近のパンフレットを参照せよ)。ラディカルな批判の概念はプロレタリアートと同じ運命をたどる。つまり、それらは歴史を奪われ、根を断ち切られ、権力の思考機械にとって好都合なものとなるのである。
 われわれの言葉の解放のプロジェクトは、歴史的には百科全書派の哲学者の試みに比較できる。啓蒙(アウフクラールンク)の「引き裂き」(ヘーゲルの比喩をさらに用いるならば)の言語には、意識的な歴史の次元が欠けていた。それは、はっきり言って古い封建世界の批判にすぎず、そこから脱出しようとしていたものにはまったく無知だった。百科全書派は誰一人として共和主義者ではなかったのだ。彼らの試みはむしろ、ブルジョワ思想家たち自身の引き裂かれた状態を表していた。われわれの企ては、何よりもまず、世界を引き裂く実践をめざしており、それは世界を隠蔽しているヴェールを引き裂くことから開始する。百料全書派は、ブルジョワジーと商品のすでに存在する勝利が展開されていた対象世界を量的に列挙し、描写しようと努めていたのに対して、われわれの辞書は、質的なものと、いまだ存在しない可能な勝利、現代史において抑圧されたもの(プロレタリアート)と抑圧されたものの回帰を翻訳する。われわれは言語を真に解放することを提起する。というのも、われわれは言語をいかなる束縛からも自由な実践の中に置くつもりだからだ。われわれは、言語学的なものであれ他のものであれ、いかなる権威も排除する。実生活だけが1つの意味を可能にし、実践だけがそれを確かめるからだ。実践から離れて行われる、ある言葉の意味の現実性や非現実性に関する論争は、まったくスコラ哲学〔=形式主義〕的な問題にすぎない。われわれは、今なお権力から逃れているあの絶対自由主義の領域にわれわれの辞書を位置づけるが、この領域こそ、権力の唯一可能な包括相続人なのである。
 言語活動は、今なお疎外の世界の自覚に必要不可欠な媒介(ヘーゲルなら必要不可欠な疎外と言うだろう)であり、最後には大衆を捕らえることになるラディカルな理論の道具であり続けている。なぜならこの理論は大衆のものであり、それが大衆のものになった時はじめてこの理論の真実が証明されるからだ。したがって、何にもまして重要なことは、われわれがわれわれ自身の言語、現実生活の言語を、古い世界のあらゆるカテゴリーの正当化の場である権力のイデオロギーの言語に対抗して鍛え上げることである。われわれは、今からわれわれの理論の盗用、そのありうる回収を禁じなければならない。われわれは、明確に規定された概念を使っている。それらはすでに専門家によって使われていたものだが、われわれはそれに新しい内容を与え、それらの概念によって支えられているさまざまな専門化に道に差し向ける。金で雇われた未来の思想家が(ちょうどクローデル*11ランボーに対して、あるいはクロソウスキー*12がサドに対してしたように)自分自身の腐敗をシチュアシオニストの理論の上に投影しようと試みるとき、彼らを逆手に取ることができるように。未来の革命は自ら自分自身の言語を発明しなければならない。ラディカルな批判の概念も、その真理を再確認するために1つ1つ再検討されるだろう。たとえば、現代社会を理解するための鍵概念である疎外という言葉は、アクセロス*13のような輩の口から出た後では再び消毒されねばならない。すべての言葉はみな権力の従僕であり、権力に対してプロタリアートと同じ関係にあるが、プロレタリアート同様、将来の解放の道具でもあり、要因でもある。哀れなルヴェル*14! 禁じられた言葉などというものはない。言語においては、他のいたる所と同様に、すべてが許されている。ある言葉の使用を自らに禁じるのは、われわれの敵が使った武器を捨てておくことに等しい。
 われわれの辞書は、情報の解読を可能にし、現実を覆っているイデオロギーというヴェールを引き裂く格子の一種となるだろう。われわれは、スペクタクルの社会のさまざまな側面の理解を可能にし、どのようにしてごく些細なしるし(ごく些細な記号)までもがそれの維持に寄与しているかを示す、ありうべき翻訳を提示するつもりである。それはいわば2言語の辞書である。というのも、言葉はどれも権力の「イデオロギー的」意味と、現在の歴史的局面における現実の生活に対応していると思われる真の〔=現実の〕意味とを持っているからである。だから、われわれは、社会的戦争状態における言葉のさまさまな位置を、そのつど決定することができるだろう。イデオロギーにとっての問題が、いかにして観念の天空から現実世界に降りてくるかを知ることであるのに対して、われわれ辞書は、いかにして言語から生活に移行するかを知ることが問題であるような新しい革命理論を作り出すのに寄与できるだろう。労働〔=変質〕する言葉を実際にわが物とすることは、労働そのものをわが物とすることなしには実現できない。解放された創造的活動を打ち立てることは同時に、ついに解放された真のコミュニケーションを打ち立てることでもあるだろう。そうして、人間関係の透明さが、不透明さの旧体制の下での言葉の貧困に取って代るだろう。人間が労働するのをやめないかぎり、言葉も労働〔=変質〕するのをやめないだろう。

ムスターファ・ハヤティ*15



  

*1:マルクス たとえば、フォイエルバッハの『貧困の哲学』を批判するマルクスは、『哲学の貧困』を著した。ドゥボールはこのマルクスの用いた「転用」を『スペクタクルの社会』のなかで「反乱の文体」と呼んでいる。

*2:ロートレアモン(本名イジドール・デュカス 1846−70年) フランスの詩人。ウルグアイモンテビデオに生まれ、14歳でフランスに送られ中学に入るが、詳しい経歴は不明。特異な散文詩『マルドロールの歌』(68、69年)と、「未来の書物への序文」として様々な作家の文章の引用・変形による断片で構成された『ポエジー』(死後発表)によって、20世紀の文学に大きな影響を与えた。

*3:「ノヴラング」 「新言語」の意味だが、ライプニッツデカルトの「普遍数学」を発展させて構想した「普遍学」(個々の科学・思想・知識を数学的記号によって統一的に説明する学)と密接に結びつき、個々の民族の個別言語を越えた普遍的な人に言語を指すものと思われる,ライプニッツは、「人類の言語」であるこの人工言語のために「普遍的文法」を探求したが、ライプニッツ以降もフレーゲラッセル、ゲーデルらの19世紀以来の数学者が数理諭理学休系としてこの普遍的文法を探求し、チョムスキー生成文法やカルナップの普遍文法などの言語学的試みや、サイバネティクスのコピュータ言語もその変種である。

*4:「観念は改善される〔……〕」 ロートレアモンの『ポエジー』の言葉。邦訳『ロートレアモン伯爵全集』豊埼光一訳、山水社、328ページ。

*5:「普遍数学(マテシス・ウニヴェルサリス)」 デカルトが青年期に構想し、とりわけ『精神指導の規則』(1628年頃執筆、死後出版)で展開した概念で、数理論や幾何学などの「世俗的数学」に対して、「数学一般」の探求を意味し、あらゆる自然諸科学の上位にあって、それらの学や思考の規則を統一的に説明できるような普遍的数学。

*6:アンドレ・ジッド(1896−1951年) フランスの作家。1947年ノーベル文学賞。小説に『地の糧』(97年)、『背徳者』(1902年)『狭き門』(09年)、『法王庁の抜け穴』(13年)など。

*7:マックス・ベンゼ(1910−90年)ドイツの哲学者・理論家。戦後、46年からイエナ大学、シュトゥットガルト大学、マックス・ビルの設立したウルムの造形大学なビで論理学、美学、記号論などを教えながら、実存的合理主義、論理的経験論の立場から、情報理論に基づいた、厳密な科学としての新しい美学の確立を目指した。著書に、『技術的実存』(49年)、『文学の形而上学』──技術の時代における作家たち』(50年)、『テキストの理論』(62年)など また、ベンゼは、1958年、ハロルド・テ・カンボスらが中心になってブラジルのサンパウロで創設されたコンクリート・ポエムのグループ〈ノイグランデス〉に属し、その理論家として活動するとともに、自分でも視覚詩やヴォーカル性を追求した詩作品を作っている。

*8:ヘーゲルの「へつらいの言葉」 へーゲルが『精神現象学』で用いた用語。個としての自己を犠牲にし、公を奉じる封建貴族の「高貴な意識」が、絶対君主の登場とともに、国家を賛美し、恩賞としての富を求める「下賤な意識」に転換するが、その時に彼らが用いる言葉が「へつらいの言葉」。

*9:『ソヴィエト・マルクス主義 ヘルベルト・マルクーゼ(116ページの訳注を参照)の1958年の著作。邦訳サイマル出版会、69年。

*10:地中海クラブ 1949年創立のフランスの会員制リゾートクラブ。会員77万人を擁し、フランス本国とタヒチやアンチール諸島などの海外県・海外領土に100近くのリゾート村を開設する。60年代には「出会い」とか「状況」、「自由時間」など、シチュアシオニストの用語法をその広告に用いて、余暇産業として莫大な利益を得た。

*11:ポール・クローデル(1868−1955年) フランスの外交官・詩人・劇作家,青年期にランボーに耽溺、86年にランボーの作品によって改心の経験をし、カトリックに改宗。90年に外交官試験に合格、93年から1934年まで外交官として中国、日本などに大使として赴任、その間、さまざまな詩と戯曲を執筆した。詩に『五大頌歌』(1910年)、戯曲に『繻子の靴』(29年)など。

*12:ピエール・クロソウスキ―(1905−) フランスの作家・思想家。1934年からバタイユと親交を深め、その社会学協会に参加、ニーチェの影響を強く受けて悪の形而上学を主題にした作品を著す。小説に『バフォメット』(65年)、『歓待の掟』(65年)など、批評に『わが隣人サド』(49年)、『かくも不吉な欲望』 (63年)などがある。

*13:コスタス・アクセロス ギリシャ生まれのフランスの哲学者。第二次大戦前に、ドイツ・イタリア軍の占領下のギリシャ共産党に入党、レジスタンスに参加。内戦期には、共産党から除名され、右翼政権に死刑を宣告される。戦後、パリに移住し、ソルボンヌで哲学を学び、62年以来、同大学の哲学講師となる。57年から62年まで、『アルギュマン』誌の編集長をつとめ、60年からはエディシオン・ド・ミニュイ書店の〈アルギュマン〉叢書を創設・主宰。著書に、『ヘラクレイトスと哲学』(61年)、『技術の思想家マルクス』(61年)、『遊星的思考へ』(64年)など。

*14:ジャン=フランソワ・ルヴェル(1924−) フランスの哲学者・批評家 当初はメキシコやフィレンツェのリセで哲学を教えていたが、1957年以降、作家活動を始め、文学から哲学、政治に関わる多くの著作を著す一方でで、60年代初頭には『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌の文芸欄を編集、ジュリアール書店、ロベール・ラフォン書店などの顧問をしつつ、J・J・ボヴェール書店から叢書〈自由〉を発行するなど、フランスの出版界でも活動した 著書に、サルトルレヴィ=ストロースら思想家の首領たちの不十分性を批判して評判になった『なぜ哲学者か』(57年)、フランスの大統領制政治システムの分析を行った『フランスにて──対立の終焉』(65年)、『論争家ボードレール』(68年)、『マルクスでもイエスでもなくアメリカ第二革命から世界第二革命へ』(70年)など,世界政府や普遍的デモクラシーを抽象的に説き、「チャーチルスターリンよりずっと左翼だった」などと述べる彼の主張は、しばしば右翼リベラルの思想と見なされている。98年にアカデミー・フランセーズに迎えられた。

*15:ムスターファ・ハヤティ チュニジアのシチュァシオニスト。64年ごろからフランス・セクションで活動。『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第10号、第11号、第12号の編集委員を務め、同誌に「低開発国での革命についての世論の誤りを修正するのに役立つ貢献」(第11号)を掲載、67年の〈ストラスプールのスキャンダル〉では、U NEFに対する反乱を起こしたAFGESの学生たちのために『学生生活の貧困』を執筆し、69年5月革命の最も早いきっかけを作った。69年9月に、ヴェネツィアで開催されたSI第8回大会で、SIの構成員規約が変更され、二重加盟が禁止されたため、PFLPとの関わりを問題にされたハヤティは、69年10月1日付けの書簡でSIに全面的な連帯を表明して、自らは「アラブ地域で発展しつつある革命的危機」に身を投じることを宣言してSIを脱退した。