芸術の革命的評価のために

訳者改題

 『社会主義か野蛮か』誌 第31号に掲載された、ゴダール*1の映画に関するシャテル*2の論文は、革命的関心が支配的な映画批評と定義することができる。この映画分析は、出発点を社会の革命的展望におき、この展望の正当性を立証し、常に革命のプロジェクトとの関係において、映画表現のある種の傾向が他のものよりも好ましいとみなされるべきであるという結論に達する。シャテルの批評は、さまざまな趣味の小さな違い(ニュアンス)を議論するかわりに、問題を最も豊かな形でこのように提出しているために、興味深く、議論を引きおこす。特にシャテルは『勝手にしやがれ』を、彼の主張を支持する「価値ある例」とみなしている。その主張によれば、「文化の現在ある形」の変革は、人々に「彼ら自身の生活の表象」を与える作品の製作にかかっているそうだ。


 文化の現在ある形の革命的変革とは、生から切り離されたスペクタクルの全体を構成する美的‐技術的装置のすべての側面を乗り越えること以外の何物でもありえない。スペクタクルの社会の問題に対する関係をわれわれが探求せねばならないのは、スペクタクルの社会の表面に現れた意昧のなかにではなく、より深いレヴェル、スペクタクルとしての機能のレヴェルにおいてである。「作者と観客の関係は、指揮者と実行者の間にある基本的な関係の置き換えにすぎない(……)スペクタクルと観客の関係はそれ自体、資本主義的秩序のゆるぎない支えなのである。」(『統一的革命綱領の定義に向けた予備作業』を参照)
 いつかはスペクタクルを内部から改善することが可能であるとか、より多くの情報を与えられた世論のコントロールと称されるもののもとで、スペクタクルの専門家によって改良することが可能であるかのように思い込む、スペクタクルに関する改良主義的幻想を導入してはならない。このような幻想を持ち出すことは、われわれがとりわけ乗ってはならないゲームにおいて、1つの傾向、もしくは傾向と見えるものに対して、革命の側からの評価を与えてしまうことに等しい。われわれは、革命のプロジェクトの基本的要件の名において、このゲームの総体を拒絶しなければならない。このプロジェクトは、いかなる場合でも、1つの美学を作り出しはしない。なぜなら、それはすでに、完全に美学の領域を超えているからである。ある種の革命的芸術の批評にたずさわることが問題なのではない。そうではなくて、すべての芸術の革命的批評〔=批判〕を行わなければならないのである。


 社会生活におけるスペクタクルの優勢と支配階級の優勢(どちらも受動的な支持という矛盾した欲求の上に成り立っている)とのつながりは、パラドックスでも、作者の台詞〔作者が芝居の登場入物の□を借りて述べる意見〕でもない。それは現代世界を客観的に特徴づけている事実の方程式である。そこでは、現代芸術の自己破壊のすべてから経験を引き出す文化批判と、自らの疎外された組織による労働運動の破壊から経験を引き出す政治批判とが合流するのである。そしてもし現代文化に何かポジティヴなものが見つかるとどうしても主張するのなら、次のように言うべきである。つまり、現代文化の唯一のポジティブな面とは、自己破産、消滅への運動、現代文化そのものに対する反証である、と。
 実践的見地からすると、ここに提出されている問題は、革命組織と芸術家たちとの結び付きの問題である。周知のように、官僚的組織とその同伴者たちは、この結び付きを明確に表現し、利用してはいない。しかし、完全な理解と一貫性をそなえた革命的政治は、これらの活動を効果的に統合しなければならないと思われる。


 シャテルの批評の最大の弱点は、彼がその問題について検討する可能性をほのめかしさえせず、あらゆる芸術作品の作者と、その総決算を行うかもしれない政治との間には、この上なく根源的な断絶があると初めから決めてかかっていることにこそある。シャテルによるゴダールの分析は、この断絶の特に著しい例である。あえて思い起こす必要もないほど自明なことのように、ゴダールがあらゆる政治的判断の彼方にとどまっていることを認めた後で、シャテルは、ゴダールが「われわれが生きている文化的錯乱状態」をあからさまには批判せず、「人々を彼ら自身の生活に直面させる」ことを故意には意図しなかった点をはっきりさせる労は決して取らない。ゴダールは1つの自然現象、1つの保存すべき物のように扱われる。ゴダールが自身の政治的な立場や哲学的な立場などを持つ可能性は、台風のイデオロギーの研究に劣らず、まったく考えらていないのである。
 このような批評は、ブルジョア文化の領域──特に「芸術批評」と名付けられたその1変種──にはっきりと組み込まれている。なぜなら、明らかにそれは「現実のどんなに小さな側面をも覆う言葉の洪水」の一種だからだ。この批評は、自分がまったく支配していない1作品についての、数ある解釈のうちの1つの解釈である。批評家は初めから、作者が言わんとすることを、作者よりも自分の方がよく知っていると仮定する。この見かけのずうずうしさは、実は、極度の卑下である。批評家は、あまりにも完全に、くだんの専門家と自分との断絶に同意してしまっているがゆえに、その専門家に働きかけたり、彼とともに制作することをあきらめている(そのため、批評家は専門家がはっきりと公言して探究したことを考慮に入れなければならなくなることは明白である)。



 芸術批評は二次的スペクタクルである。批評家とは、自分が実際には参加していない1つの作品を前にして考えたことや感じたことを表現して、自己の観客──専門の、それゆえ理想的な観客──としての状態そのものを、1つのスペクタクルとして差し出す者である。彼はスペクタクルに対する自らの非介入を再現し、再演する。われわれに実際には関わりのないさまざまなスペクタクルに関して、断片的で、行きあたりばったりで、はなはだしく恣意的な判断を行うという弱点は、私生活の平凡な議論の多くにおけるわれわれみんなの宿命である。しかし芸術批評家はそのような弱点を見せ物(スペクタクル)にし、模範的な例としてしまうのである。


 シャテルは、もし一部の住民がある映画の中に自分たち自身の姿を認めると、彼らは「自分を見つめたり称賛したり、自分を批判したり拒絶したり、とにかく、スクリーンに映るイメージを、自分の欲求に応じて使う」ことができるようになると考えている。まず第1に指摘すべきことは、真の欲求を満たすためにこれらのイメージの流れを使うという考え方にはどこか隠されたものがあるということである。それらのイメージの使い方は明確ではない。人々が実際にこれらのイメージを道具として考えているのかどうかを言うためには、どのような欲求が問題となっているのかを、おそらくまず特定しなければならないからである。次に、どれほど単純な映画論のレヴェルであっても、スペクタクルのメカニスムに関して知りうるすべてのことは、人々はみな同じように自由に、映画の登場人物に自分自身の姿を認めることで自らを称賛したり批判したりする、などという牧歌的な見方を完全に退けている。そもそも、人々に彼らの生活の姿(イマージュ)を提示する、支配されない専門家と、多かれ少なかれそのなかに自らの姿を認めなければならない観客、という労働の分割〔=分業〕は根本的に受け入れられない。人々の行動様式の描写においてある種の正確さに達することは、必ずしもよいことではない。たとえゴダールが人々に彼ら自身の姿を提示し、そこに人々はフェルナンデル*3の映画よりは確かに自分の姿を認めることができるとしても、ゴダールはやはり彼らに偽の姿を提示しているのであり、人々はあやまってそこに自己の姿を認めるのである。


 革命とは、人々に生活を「見せる」ことではなく、人々を生きさせることである。革命組織は、いついかなる時にも、次のことを思い起こさせなければならない。すなわちその目的は、組織のメンバーにエキスパート指導者のもっともらしい演説をじっと聞かせることにあるのではなく、平等な参加に到達するため、もしくは少なくともそれをめざして努力するために、彼らが自ら話すようにすることにある、ということである。映画スペクタクルとは、似非(えせ)コミュニケーションのさまざまな形態の1つであり──それはまさに、現在の階級的科学技術が、他の可能性から選び取って、発展させてきた──、そこではこの目的はもともと実行することはできない。たとえば、最後に質問をともなった大学の講義のような文化形態においてよりも、さらにいっそう不可能である。こうした講義では、聴衆の参加や対話は、すでに非常に不利な条件のもとに置かれているが、完全に除外されているわけではないからだ。
 シネクラブでの討論を1度でも見たことのある者は誰でも、討論の指導者と、毎回の討論で繰り返し話す発言のプロと呼べる者だちと、その時に1度だけ自分の意見を表明しようと試みる人々との間に引かれた境界線にすぐ気づいただろう。この3つのカテゴリーは、この制度化された討論におけるそれぞれの位置を決定する専門的語彙をどの程度所有しているかによって、明確に区別されている。情報と影響は一方的に伝達され、下から上がって来ることは決してない。とはいうものの、彼らと現実に映画を作っている人々との間に通っている本物の境界線との関係においては、この3つのカテゴリーはどれも互いによく似たもので、目立ちたがりやの観客たちの同様に混乱した無能さに陥っている。影響の一方向性は、この垣根の向こうとこちらで、さらにずっと厳密である。シネクラブの討論の概念装置を使いこなす習熟度の明白な差も、結局は、それらの道具がすべて等しく、効果がないという事実に帰着するだけである。シネクラブの討論は、上映された映画に付随するスペクタクルである。それは、書かれた評論よりははかないが、分離されている点では同じである。シネクラブの討論は一見、都市環境が個人をますます孤立させてゆく時代における対話や社会的出会いの試みに見える。だが、現実には、それは対話の否定なのである。というのも、人々がそこに集まるのは、何も決定しないためであり、偽の口実のもとに、偽の方法でもって議論するためだからである。
 外部への効果は別にして、このレヴェルの映画批評の実践は、ただちに2つの危険を革命組織にもたらす。
 第1の危険とは、何人かの同志が他の映画について、あるいはこれと同じ映画についてさえ、異なる意見を表明して、異なる批評を行う誘惑に駆られるかもしれないということである。総体としての社会については同じ立場をとっていても、『勝手にしやがれ』についての意見の数は、確かに無限ではないとはいえ、かなり大きい。1つだけよく分かる例を挙げれば、シャテルとまったく同じ革命的政治観を表明しつつ、支配的な文化的神話体系の1分野の全体──つまり映画という分野そのもの(ハンフリー・ボガート*4の写真と向かい合うショットや、カフェ・ナポレオンでのカット)──へのまさにゴダール自身の参加を解明することに専心する、シャテルと同じぐらい才能ある批評を行うことも可能である。ベルモンド──シャンゼリゼや、カフェ・ペルゴラや、ヴァヴァンの交差点での――とは、50年代に出現したフランス映画作家の世代全体とは言えないまでも、まさしく『カイエ・デュ・シネマ』誌*5の編巣者たちのミクロ社会が、自分自身の存在を投影したそのままのイメージとみなすこともできるだろう。彼らは、ベルモンド*6に、すぐに行動に移る自発性や明証性に恵まれない自分たちの夢と、自分たちの趣味と本物の無知、そればかりか、自分たちのいくらかの文化的熱狂を投影しているのである。
 もう1つの危険とは、ゴダールの革命的価値をこのように称賛することは独断的だとの印象から、他の同志が、真面目さを欠く危険を避けるというただそれだけのために、文化の問題に介入することすべてに反対することになりはしまいかということだろう。だが逆に、革命運動は、文化と日常生活批判に中心的な位置を与えなければならない。しかし、これらの現象を見る目は、まず何よりも、いかなる幻想からも覚めた目でなくてはならない。それは、コミュニケーションの与えられた様態を尊重するものであってはならない。生と人間関係の全側面に対して革命運動が現実にもたらすべき批評によって、既存の文化的関係の基礎そのものに異議を申し立てねばならないのである。

ギー・ドゥボール

1861年2月

*1:ジャン=リュック・コダール(1930−) スイス生まれのフランスの映画監督。『勝手にしやがれ』(59年)でヌーヴェル・ヴァーグの代表的な映画監督となり、以後、数々の作品を発表している。

*2:シャテル 〈社会主義か野蛮か〉のメンバーであること以外は不明。

*3:フェルナンデル(本名フェルナン・コンタンダン 1903−71年) フランスの俳優・歌手。最初、カフェ・コンセールやミュージック・ホールの歌手として活躍していたが、マルセル・パニョルに見出され、フランス映画の代表的俳優となった。代表的な出演作品にデュウィヴィエ監督らが連作で作った『ドン・カミロ』シリ−ズ(52−65年)。

*4:ハンフリー・ボガート(1899−1957年) 米国の映画俳優。代表的な出演作品に『カサブランカ』(42年)、『3つ数えろ』(46年)、『麗しのサブリナ』(54年)など。

*5:カイエ・デュ・シネマ』誌 1951年創刊の映画雑誌。アンドレ・バザンを後見人に、トリュフォーゴダールが映画評を担当し、ヌ−ヴェル・ヴァーグを準備したことで知られる。

*6:シャン=ポール・ベルモンド(1933−) フランスの映画俳優。『勝手にしやがれ』の主人公としてゴダールに登用され、一躍ヌ−ヴェル・ヴァーグの代表的俳優となる、代表的出演作品に『雨のしのび逢い』(60年)、『気狂いピエロ』(65年)など。