『ポトラッチ3』 訳者解題 

 ここに付録資料として収めたものは、レトリスト・インターナショナル(LI)の機関紙『ポトラッチ』第23号(1955年10月13日)から第28号(57年5月22日)、新しくシチュアシオニスト・インターナショナル(SI)の情報誌となった『ポトラッチ』第29号(57年11月5日)および第30号(59年7月15日)に掲載された文章の一部分である。『ポトラッチ』は、本書第2巻、第3巻の付録資料として、その第22号までを、それぞれ全訳(第9・10・11号まで、第2巻)、抄訳(第22号まで、第3巻)というかたちで紹介してきたが、本書では紙数の関係で大幅にカットせざるをえなくなった。翻訳はすべてできあがっているのでいずれ何らかのかたちで紹介したい。
 本書に収めた論文は、第23号の「エクリチュールの役割について」と「パリ市の合理的美化計画」、第28号の「一歩後退」、第29号の「シチュアシオニストでいたいなら、さらなる努力を」、第30号の「『ポトラッチ』のかつての役割と今の役割」である。いずれも、LIの活動やLIからSIへの変化を知る上で重要なものである。
 この時期のLIの活動について知るために、ここに収録しなかった『ポトラッチ』の内容を簡単に紹介しておく。「エクリチュールの役割について」と「パリ市の合理的美化計画」でも報告されている都市への具体的介入の実例として、この時期、LIはロンドンのチャイナタウンの取り壊しに対して『タイムズ』編集部に抗議文を送り、フランコによるバルセロナのバリオ・チノの破壊に抗議し(第23号の「『タイムズ』編集部に対する抗議文」、「現代中国万歳」)、パリとその周辺の心理地理学地図の作成を行い(第23号の「逃れられない仕事」)と、精力的な活動を行っている。第28号と第29号では、その成果が、何冊かの出版物として刊行されたことも報告されている。すなわち、非−スターリン化に関するマルセル・マリエンの研究『鋼が切れた時』、SI設立に向けたドゥボールの基本綱領『状況の構築に関する報告』、アスガー・ヨルンの『構造と変化』、集団的転用によって作成された音声テープ『レトリスト・インターナショナルの歴史』(以上、第28号の「諸君の文化とけりをつけるために」)、ヨルンとドゥボールによる転用作品『コペンハーゲンの終わり』と『心理地理学的パリ案内』、ヨルンの論文『金の角あるいは運命の輪』と『機能主義に反対して』、ミシェル・ベルンシュタインの序文付きの『G・ピノガッリツィオの絵画作品』(印刷中)、ラルフ・ラムネイの『心理地理学的ヴェネツィア』(準備中)、『状況の構築に関する報告』のアブデルハフィド・ハティブによるアラビア語訳(準備中)(以上、第29号の「1957年6月以降の出版物」)である。
 現代芸術への異議申し立てという点では、破産したシュルレアリスムに対して相変わらず手厳しい攻撃を行う(アンドレ・ブルトンの60歳の誕生日に偽の招待状を発送し、パリの大ホテルに多数の人間を集まらせたことを報告した第26号の「最後のシュルレアリスム雑誌の刊行へのささやかな序文」、ギー・モレの雑誌『ドゥマン〔明日〕』に協力していたシュルレアリストのロベール・ベナユーンが参加する『シュルレアリスム・メーム』誌の発刊を糾弾する第27号の「シュルレアリスムの深く真性の隠蔽」など)とともに、パタフィジシャンヘの攻撃(ガリマール書店の百科事典の監修者になったレーモン・クノー日和見主義を暴露する第26号の「1つの世界観(ヴェルトアンシャオウング)の跡を造うガリマールの百科全書派」)、機能主義への攻撃(ヨルンらの攻撃によって、機能主義の建築家マックス・ビルがウルムの造形高等専門学校を去るはめになったことを伝える第26号の「礎石が去る」)、ヌーヴェル・ヴァーグ映画への攻撃(アニェス・ヴァルダの映画『ラ・ポワント・クルト』の陳腐さを徴底的にこき下ろした第25号の「ひっこめ!」)、レトリスト右派への攻撃(モーリス・ルメートルの著書『レトリスムとは何か』の退嬰的主張を糾弾した第26号の「盲者による迷蒙化」)など、その攻撃の帽を広げている。また、『ポトラッチ』第24号は、「1955年末の前衛の知的概観」のタイトルで、都市計画(パリの中で行くのを薦める地区と、行ってはならない地区の一覧)、詩(デュ・ブーシェ、ギユヴィック、アラゴン批判)、装飾(バリケードと迷路を構築し、レセプション会場を改造すべきだとするフィヨンの提案)、探検(〔サン・〕メリ地区の心理地理学調査の予告)、教育的遊戯(ボクシングの試合の形式で行うイデオロギー論争の提案)、映画(映画館を「漂流」実験の場とし、三文映画の内容を「漂流」の過程の一要素として読み換える提案)、哲学(「馬鹿者だちよ、君たちは馬鹿者であることをやめることができる。マルクスを読め、ダフ〔LIのメンバー、ムハンマド・ダフのこと〕を読め」)、造形芸術(抽象芸術の破産、レトリストのメタグラフィーの不十分性)、雑誌(LIの協力するブリュッセルのマルセル・マリエンの雑誌『裸の唇』の宣伝)、政治(フランスの映画スターを使ったソ連の政治宣伝、フランスのアルジェリア戦争の拡大、仏独が協力して行うフランコ政権との「物々交換の発展」、アナキストのピエール・モランの反植民地主義的意見へが引き起こしたスキャンダル)、プロパガンダ(「転用」の積極的利用の薦め)、文学(ゴンクール賞を拒否したジュリアン・グラックの欺瞞性)と、広範囲の文化領域における「統一的」批判と、すでにシチュアシオニスト的と言ってもよい提案を行っている。さらに注目すべき記事として、1956年8月にマルセイユで開催された前衛芸術フェスティヴァルを攻撃する「マルセイユでの一大行事の失敗」(第27号)がある。このフェスティヴァルは、「さまざまな公的観光機関と復興・都市計画省の後援」のもと、ル・コルビュジエ設計の「輝く都市」という名の建物で行われた芸術祭で、戦後のアヴァンギャルド芸術を体制側から回収するための大々的な催し物であった。画家のアトラン、セザール、菅井汲、彫刻家のティンゲリー、舞踏家のベジャール、音楽家ブーレーズメシアンシュトックハウゼン映画作家のマクラレン、劇作家のイヨネスコ、レトリストのイズー、ルメートル、ビデオ作家のナム・ジュン・パイク、詩人のプレヴェール、イヴ・タルディウ、芸術批評家のミシェル・ラゴンなど多くの前衛芸術家が参加した(そのリストも「『輝く都市』でのフェスティヴァル参加者一覧」として『ポトラッチ』同号に収められている)このフェスティヴァルに対して、LIはボイコット指令を発表し、この体制側の「スペクタクル」への不参加を呼びかけたのである。フェスティヴァルそのものは、マスコミにもほとんど無視され、「それぞれの出し物の観客が20名にも満たないことが多く、財政的な面からも完全な失敗に終わった」とLIは伝えている。もう1つ、世界的石油会社ロイヤル・ダッチ・シェルが「芸術家から見た石油産業」というテーマで何人かの画家に描かせた絵のブリュッセルでの展覧会に対するLIの糾弾行動も、LIの原則的態度を知る上で興味深いものである。LIはこの展覧会に際してビラ「サロンの御婦人たち」を出し、現代芸術と企業との癒着を糾弾したが、それに対してベルギーの美術批評家たちが中傷文を発表し、さらにベルギーの「独立派の」週刊誌『ル・ファール・ディマンシュ 〔灯台・日曜版〕』の美術批評家ステファン・レイが石油企業を讃美する文章を掲載した。LIはこれらの企業・芸術家・批評家の連携を徹底的に批判している(第27号の「見え透いた罠」)が、この批判は「現代芸術」の多くが企業の資金によって成り立っている今日、なお有効な批判であるだろう。
 政治的な面では、ジャーナリズムからも既存左翼からも無視された第4インターナショナルの書記と活動家の逮捕・投獄の報を伝える「驚くことは何もない」(第26号)、アルジェリアの作家カテブ・ヤシンが過去にアルジェリア人民党の活動家として投獄された経験を持つことからフランスの左翼から「政治的闘志」であるとか「革命家」であると言われ、「善良なアルジェリア人革命家」扱いされるのに対して、その同じフランス左翼が現在のアルジェリアの学生たちのストや地下運動については無視することを批判したアブデルハフィド・ハティブの文章「アルジェリア革命の表現とペテン師カテブ・ヤシン」(第27号)、現代資本主義下でのプロレタリアートの意味の変質とマルクス主義の現代的読み換えによる新たな社会主義社会の建設の展望(「技術そのものによって技術社会を消滅させること」)を説くアンドレ・フランカンの文章「昨今の議論」(第28号)などがある。
 最後に、『ポトラッチ』第29号と第30号には、アスガー・ヨルンらの〈イマジニスト・バウハウスのための国際運動〉の呼びかけで、LIも含めて8ヶ国の前衛グループが参加してイタリアのアルバで行われ、SI結成の契機になったアルバ会議の報告(第29号「アルバ綱領」)、コシオ・ダローシャでのSI結成会議で、参加3グループ、すなわちLI、〈イマジニスト・バウハウスのための国際運動〉、ロンドン心理地理学委員会の「完全なる統合」が「賛成5、反対1、棄権2」の投票結果によって決定されたこと(第29号冒頭の無題の記事)、ミラノの前衛芸術運動アルテ・ヌクレアーレ〔核芸術〕のエンリコ・バイとダンジェロによる反スタイル宣言の欺瞞性に対する批判(第29号の「いつも同じことをしては、続けてゆく(あるいは新生活(ラ・ヴィタ・ヌーヴァ))」)、アムステルダム市立美術館(ステーデリク)でコンスタントが行った統一的都市計画の模型の展覧会の報告(第30号の「新しい都市計画のための最初の模型」)、コンスタントの統一的都市計画建築論(同号「来るべき偉大な遊び」)など、SI結成前後の様子を伝えるそれぞれ興味深い文章が収められている。