『ポトラッチ1』 訳者改題

 ここにはレトリスト・インターナショナルの機関誌『ポトラッチ』(1954年6月−59年7月)全30号のうち、第1号(54年6月11日)から第9−10−11合併号(54年8月17−31日)までの9号を翻訳した。これらは週1回(火曜日)の発行を厳密に守って出されている。
 『ポトラッチ』の創刊の年である1954年のフランスは、対外的には、インドシナ戦争終結アルジェリア戦争の開始の年として記憶される。すなわち、フランスはディエン・ビエン・フーの陥落(5月)からインドシナ3国との休戦協定の調印(7月)へと、社会党のマンデス=フランス政権のもとでインドシナ戦争終結に向かう一方で、アルジェリア、モロッコチュニジアマグレブ3国での独立運動の高まりに対してはこれらを武力で弾圧し続け、ついに1954年11月には、結成されたばかりの民族解放戦線(FLN)によるアルジェリア全土で蜂起を引き起こしたのである。国内的には、戦後10年目にあたるこの年は、フランスがマーシャル・プランの協力をえた戦後復興を成功裡に終え、産業構造の近代化(軍事・重工業の国有企業化、大規模農業への転換)によって高度成長経済に移行しはじめた時期である。このことは、1954年8月に議会で経済特別授権法が可決され、マンデス=フランス首相の推進する経済構造改革に合意が与えられたことに端的に示されている。だが、この経済改革による中小企業や小規模農家の切り捨てに反発する農民や中小の商工業者のデモや、インドシナの放棄に反発する右翼のデモが各地で吹き荒れ、彼らの不満を巧みに粗織したプジャード党のような排外主義右翼も進出した。また、フランス国民の生活にも大量生産の商品があふれ、自動車道路と企画化された住宅の建設が各地で進んだ。
 『ポトラッチ』には、こうした内外の情勢が色濃く反映している。アルジェリア、モロッコチュニジアでの蜂起への連帯と「暴動」による独立運動への呼びかけ(第8号「モロッコ内戦へ向けて」)、グァテマラ革命での労働者の武装の必要(第1号「やつらにやつらのチューインガムを飲み込ませること」、第3号「グァテマラは失われた」)やボリビア革命に対する注目、アラブ・ナショナリスムを乗り越えアラブ国家内部での革命運動をめざしたアピール(第6号「東方へのアピールヘの覚え書き」)など、第三世界と呼ばれる国々での解放闘争に対する原則的な批判と連帯を語る一方で、先進資本主義国の消費生活と余暇の貧しさ(第4号「最低生活」、第7号「……ヨーロッパにおける新思考」)やル・コルビュジエらの機能主義の「居住機械」の疎外性(第3号「バラックの建設」、第5号「摩天楼の根のあたり」、第8号「へぼ絵描き」)を厳しく批判し、これらに対して「心理地理学」や「転用」など「状況の構築」をめざす彼ら自身のさまざまな活動を対置してゆくのである。