男の「遊び」と女の労働  ──フェミニズムから見たシチュアシオニスト 伊田久美子

 実を言えば、「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」の解説を書くことは、私にはかなり困難な仕事であるように思われた。主体的に参加した女がほとんどいないのである。50-60年代という時代状況を考えれば、これはしかたのないことなのかもしれない。しかしそのような遠い距離からの醒めた見方に徹するわけにもいかない何かを、このテキストは感じさせる。この、惹きつけられると同時に反発を覚えるアンヴィヴァレントな気分は身に覚えがある。それはかつて私の日常に絶えずつきまとっていたものだからである。そうした気分が蘇ってくるにつれて、女たちの不在の意味もまた、身近なものとして見えてくるような気がしてくる。
 シチュアシオニストの思想と運動が60年代後半以降のラディカリズムに与えた影響は計り知れない。権力的ヒエラルキーの拒否、「日常生活の恒常的革命」というテーゼ、そして広く深い意味での「政治的」という言葉の定義。フェミニズムの「第二の波」もまたここから出発したと言える。言うまでもなく「第二の波」の出発点は、新左翼ラディカリズムヘの失望だった。しかし失望には当然「希望」が先行していたことも、見過ごすわけにはいかない。
 遊び、祝祭としての独創的な運動形態、空間の「不法」占拠、そして非合法も辞さない逸脱行為。新左翼ラディカリズムが作り出した環境が、女にとっても刺激的で魅力的なものだったことは確かだ。フェミニズムの新しい展開は、まさにこの環境から生まれたのだ。従来の社会主義理論における婦人解放論、つまり生産労働に就くことを女性解放の決定的条件とする理論は、女たちが日常的に感じ続けてきた「名前のない問題」に展望を与えるものではなかった。「女の問題」は政治や生産労働の場だけではなく、いやそれ以上に「労働」の外におかれてきた生活領域に深く関わるものであることを、多くの女たちは直感していた。だからこそ、新しい男女の関係による新しい集団の可能性を、この日常生活の「革命」に求めたのである。
 しかしこの環境に飛び込む女の数は多くなかった。いやほとんど例外的であったというべきだろう。多くの女たちは「真面目」な運動には参加しても、時として悪ふざけにしか見えない「遊び」に主体的に関わる者はわずかであった。それは女を支配する社会規範にかかわる問題なのだろうと、私は長い間思っていた。社会は男の逸脱行為にはおおむね寛大であるが、女のそれには手の平を返したように、世間の目は厳しい。男に寛大な分だけ、女には容赦がない。だから女たちは、一見不真面目な逸脱行為にはなかなか入ってこれないのではないか。、という風に、この女の不在を解釈していたのである。
 しかし女にとって、この環境は「面白いけれど、どこか居心地が悪い」ものであったことも確かだ。それは言うまでもなく日常生活の「革命」をめざしているはずの男たちが女の問題に対して示すあまりの無理解と拒絶反応によるものであったが、それだけではなかった。今になって思いいたるのは女が「面白さ」の、「遊び」の観客にはなれても、結局は主体になれなかったのではないかということだ。周囲を取り巻く女たちは結構大勢いる。しかし彼女らとの関係は、チアガールとスポーツ選手たちの関係のように、伝統的な男女の権力関係そのものなのだ。その男の世界に例外的に踏み込んだ女が数人いたところで、構造を揺るがすことはできない。同志としての女は「風変わりな例外」にすぎない。特に「遊び」が社会規範を踏み越えようとして性的挑発性を帯びるとき、この矛盾は覆い隠すことが出来なくなる。そこには新左翼ラディカリズムの日常生活批判の限界が、典型的な形で現れているのではないだろうか。
 冒頭で述べたように、シチュアシオニストの運動に主体的に参加した女はあまりにも少ない。57年から69年の間に、正式にメンバーとして参加した70名ほどの中で、女はわずか7名にすぎない。一方既に刊行されている第3巻までのシリーズには、脚注部分に多くの写真が掲載されているのだが、説明のあるものとないものが混在している。説明のない写真の多くは本文を読んでもその意味がよくわからない。おそらく雑誌に掲載されていた写真なのだろう。驚いたことにそのほとんどは女の写真であり、またその大部分は白人女性の水着写真である。つまり無名の被写体として、しかも多くは性的スペクタクルとして、女の身体が過剰に登場しているのだ。
 解説を読むと、どうやらこれは「転用」というシチュアシオニストの手法の結果であるらしいことがわかる。スペクタクル社会に対抗する実践がスペクタクルに回収されないための手段として、スペクタクルのメディアそのものを転用して用いるというのである。スペクタクル化された女の身体の過剰な登場は、スペクタクル社会としての現代資本主義社会における欲望の組織化の仕組みを効果的に暴くものとして位置づけられているようである。
 68年5月、ソルボンヌやパリの街頭に氾濫したビラや落書きなどのデモンストレーションには、この「転用」の手法が多く用いられ、中には裸の女のポスターを用いたシチュアシオニストのビラもあったという。抑圧された欲望、とりわけ性的欲望の解放は、ラディカリズムの重要なスローガンのひとつであった。
 主体としての女の不在と、無名の被写体としての女の過剰な登場。この2つの現象は、おそらくは同じ問題を示している。この「遊び」は男のものなのだ。さらに言えば、資本主義社会(と、とりあえず限定しておくが)においては、直接に性的な「遊び」だけでなく、遊びというものがおそらく本質的に「女遊び」なのではあるまいか。「遊び」は資本主義的「労働」と同じくらい男の世界である。「この労働はこの余暇しかもたらさない」。高度資本主義社会を鋭く批判するシチュアシオニストのこの言葉は、シチュアシオニストが意図する以上に深い意味での真実なのだと思う。資本主義的「労働」から基本的に排除されている女には、「遊び」は許されていない。
 シチュアシオニストのメッセージは、はたして女に対しても向けられていたのだろうか。スペクタクル社会で消費され続ける女の身体は、シチュアシオニストの「遊び」においても「転用」の道具であり続けたのではないか。解放されるべき欲望がもっぱら男の欲望であったことを、シチュアシオニストの「転用」ははからずも暴き出しているのではないだろうか。
 シチュアシオニストは資本主義的「労働」の概念を批判し、そこから疎外された人々を闘争の主体とする新しい運動への道を開いた。そこには女の搾取、抑圧の構造を模索するための重要な手掛かりが潜んでいた。フェミニズムのキーコンセプトである「家父長制」と「家事労働」は、シチュアシオニスト新左翼ラディカリズムに多くを負っている。しかし彼らが「労働」に対置した「遊び」の男性中心性はフェミニズムによって批判されなければならなかった。「疎外された労働」と「疎外された余暇-自由時間」の真の関係は、女の日常生活、女の労働の分析なしには、根本的に解明しえない。シチュアシオニストスペクタクル社会という優れた認識から、欲望の組織化という、資本主義社会の根幹にかかわる問題に焦点を当てたが、欲望の男性中心性については結局無自覚だったのではないか。そしてその影響を受けた広範な運動の中では、シチュアシオニストが備えていた「転用」という批判の契機も拡散し、希薄化していったのではないだろうか。
 資本主義社会においては、男が「遊ん」でいる所には必ず女がいる。しかし男にとっての「遊び」や休息の場は、女にとっては労働の場である。酒場、風俗の店、それに家庭……。「労働」以外の時間、男は休息し「遊」んでいる。しかし女は働いている。酒場や風俗の店ではもちろんのこと、家庭においても。フェミニストの告発が開始されるまで、女の労働は軽視されるか、もしくは労働ではないことにされ続けてきた。男女の分離の上に成り立つ資本主義社会において、女と男の経験は断じて同じものではない。

 70年代初頭、アウトノミア運動の拠点であったパドヴァフェミニストたちは、「家事労働に賃金を」というスローガンを掲げ、「無償の家事労働の拒否」という闘いを提唱した。彼女らは、資本による搾取は「工場」だけにとどまらず、生活の場すべてが「社会的工場」として搾取されているというアウトノミアの理論から、そしてアウトノミアがシチュアシオニストから受け継いだ独創的な闘争スタイルから、おそらく多くを学んだだろう。とくに「資本主義社会からのけ者にされたすべての者たちの先頭に位置する女」という闘争主体としての女の位置づけは、フルタイム賃金労働を基準とする従来の労働観へのアウトノミアの批判と同質のものである。しかし彼女らは「女」を消去することなく、アウトノミア運動とはつねに一線を画し続けた。彼女らは資本主義が「労働」であると見なしたことのない女の家事労働に焦点を当てた。労働力再生産労働としての家事育児の分析、無償の労働者としての主婦の定義、労働の場としての家庭の位置づけには、男たちから「悪しき労働者主義」との的外れの批判も浴びせられた。このパドヴァフェミニストたちのひとり、マリアローザ・ダラ・コスタは有名な「女の力と社会の転覆」(1971年)で、「労働力再生産労働としての無償の家事労働の拒否」という闘いを提唱し、家事労働をめぐる長い論争の口火を切った。労働としての家事の発見は、「家父長制」という個人生活の政治性の発見とならんで、フェミニズムの「第二の波」を大きく進展させ、資本主義的「労働」概念、さらには経済活動のあり方自体の見直しを迫るまでに進展してきた。「見えない労働」であった女の家事労働は、今や社会的に有用な労働として数値的評価の方法が検討され、生産労働のみを「労働」とみなす従来の資本主義的労働観は大きく揺らいでいる。性別分業という資本主義による男女の分離も克服すべき課題として位置づけられるようになってきた。
 だが、イタリアの家事労働論にとって理論的にも実践的にも切り離すことの出来ない決定的な要素であった「労働の拒否」というシチュアシオニスト以来のラディカリズムのスローガンは、家事労働論争が英語圏で繰り広げられ、労働としての家事が市民権を確立していくにつれて、忘れられていったように思える。ダラ・コスタは女が家庭の外で就労することも家事労働の拒否のひとつの形態であるとしている。しかし外での労働もまた、搾取され疎外されたものでしかない。女の就労が拡大した80年代以降、家事労働論は家庭外で働く女の二重負担の問題として論じられるようになってきた。家庭における非人間的労働を家庭の外での非人間的労働に置き換え、そのために「あれやこれやのサービスに金を使って」(ダラ・コスタ)さらに資本を潤わせる。これが今のところ女が「働く」ことの現実である。労働を資本の論理から働く人間の手に取り戻す闘いは、家庭の中と外との両方において行われなければならない。私たちは自給自足などほとんど不可能になってしまったこの先進資本主義国で、とりあえず生き延びなければならない。そのために労働の権利は不可欠である。そしてより人間的な労働条件を男女ともに要求していく闘いが続けられなければならない。しかし私たちには働きたくない時もあれば、働きたくとも働けない時もある。失業、病気、障害、あるいはとくに理由がなくとも働く気になれないこともあるだろう。資本の要求するぺースについていけなくて、あるいは資本に切り捨てられて、働くことの出来ない者に厳しい社会は、それだけ労働を資本の手から取り戻すことが困難な社会である。「働かない権利」は労働の権利と同じぐらい必要である。資本のために役に立たないからといって、生きる権利を奪われてはならないからである。
 ともあれ男性フルタイム賃金労働者と専業主婦という枠組みの崩壊は、もはや時間の問題だろう。これはフルタイム賃金労働の切り崩しという危機であるが、資本主義的男女の分離に基づく男性中心社会を根底から揺さぶるチャンスでもある。資本による女の欲望の組織化も進行し、男の身体のスペクタクル化という現象も生じているが、分離が真に克服されるとき、性的なものも含めて欲望の形態は大きく変貌するかもしれない。それは欲望の現形態に支えられた貸本主義の本当の危機となりうるだろう。
 シチュアシオニストが唱えた「労働の拒否」は、女を含めて生産労働から排除された人々の自己肯定的運動を作り出した。ともすれば資本の論理に囲い込まれがちな日本の男女の労働者にとって、今日の危機をチャンスに変えていくためにも、「働け」ない人々とともに生きていくためにも、「労働の拒否」という戦略は今なお有効な視点を提供しうるのではないだろうか。