『シチュアシオニストと政治および芸術における新しい行動形態』 訳者解題


 ドゥボールのこのテクストは、1963年6月にデンマークのオーデンセのギャラリーEXIでSIが行った政府核シェルター粉砕のデモンストレーション的展覧会「RGS6粉砕」に際して発表された論文で、同展のパンフレット『RSG6粉砕』にデンマーク語、英語、フランス語の3ヶ国語で掲載された。パンフレットには、同展に作品を展示したドゥボールミシェル・ベルンシュタイン、ヤン・ストリィボッシュ、J・V・マルティンの写真、出品目録、いくつかの作品の写真が収められている。シチュアシオニストのこの行動については、本書286頁の記事と訳注を参照してもらいたい。この時の出品作品は次のとおりである。ベルンシュタインの転用絵画『パリ・コミューンの勝利』、『スペイン共和国の勝利』、『1358年のグランド・ジャクリーの勝利』、ドゥボールの作品『指令第1号』から『指令第5号』、ストリィボッシュの作品『自由のあるところ、国家はない』、『グラッキュス・バブーフ礼讃』、『1つの幽霊が世界に取り憑いている、労働者評議会権力という幽霊だ』、『われわれはスペイン革命を再開する、そして今度はそれに勝利するだろう』、『批判の武器は武器の批判を補うことはできないだろう』、マルティンの『第三次世界大戦開始2時間後』、『第三次世界大戦開始2時間15分後』、『2日目には8千2百万人の死者が想定される』、『第三次世界大戦開始2時間30分後』、『英国のRSG6内の死体焼却所』、『第三次世界大戦開始2時間40分後』、『誰が戦争に勝ったとしても、われわれはそれに負けた』、『マルクスとルムンバ万歳』、『アイゼンハワー大統領は全学連の強硬なデモを前にして逃げ去った』、『ケネディフルシチョフと法王とフランコ、万国の指導者は団結し、彼らのストロンチウムは共存する』、『修道院1255に電話して、チャップリンを呼び出せ』。さらに〈平和のためのスパイ〉がイギリスで政府核シェルターの存在を暴露したパンフレット『危険! オフィシャル・シークレットRSG6』のオリジナル販も展示された。
 『シチュアシオニストと政治および芸術における新しい行動形態』は、1963年に日本の「革命的共産主義者同盟」によって、「シンンポジウム63 討議資料No.1」として『政治と芸術における状況主義者と新らしい運動形態』のタイトルで翻訳されたことが、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第10号に、その、ガリ版刷りの表紙の写真入りで報告されている。その表紙に「シンポジウム63 討議資料No.1」とあるように、この翻訳は狭い範囲の者たちの間での紹介ではあったが、シチュアシオニストを日本で最も早い時期に紹介したものであった。残念ながら、今回、その翻訳を入手することはできなかった。