『いくつかの国にみられる反シチュアシオニスト作戦』 訳者解題

 この論説は、SIの結成以降5年を経てさまざまな理由からSIを除名された、あるいは脱退した者たちが、世界の各地で「シチュアシオニスト」の名を騙って行っている活動に対して、その理論的・実践的変質をSIが暴露する内容のものである。とりわけ、1962年3月にスウェーデンで「バウハウスシチュアシオニスト」という名の分派を結成し、シチュアシオニスト商標の家具の製造販売などを試みてSIを除名されたヨルゲン・ナッシュら(本書 第2巻 165ページの注を参照)が、その後スカンディナヴィアで行っている行為を、SIは「ナッシスム」と呼び、それを激しく糾弾している。ナッシュは、SIを除名後、ジャックリーヌ・ド・ヨング、アンスガー・エルデらと共にシチュアシオニスト第2インターナショナル」を結成し、映画・絵画・装飾・都市計画・詩・考古学・音楽などの前衛芸術活動を行ったが、それらの活動はどれほど「前衛」的であろうと、現代社会において「芸術作品」の存在を成り立たせている制度そのものへの批判を欠いたものであった。ナッシュ自身の言葉(『タイムズ・リテラリー・サプリメント』1964年8・9月号に発表された「シチュアシオニストとは誰か」という題の記事)によると、この「自由に組織された運動」は、「自律的な作品製作集団の自発的な結社」であり、「今のところ、そうした集団はスウェーデン南部のハランド州に4つ、デンマークフィンランドにあと2つ存在し」、ミュンヒェンのドイツ前衛集団〈シュプール〉とも共同で作業を行っている」とされるが、これらの集団は、とりわけ「芸術作品」至上主義を理由にSIを除名された者たちである。ナッシュがいかに自分たちの「シチュアシオニスト第2インターナショナル」がドゥボールらの「シチュアシオニスト第1インターナショナル」と「互いに補完しあうようにされる可能性がある」(前掲論文)と述べようとも、「作品」の自律性を無批判に信じるナッシュらと、「作品」こそが「芸術家」をスペクタクルの社会に組み入れる最大の装置であるとして社会の全体的批判の路線を確立したSIとは、「両立不可能」である。ナッシュらは、この後、カタリーナ・リンデルを編集長として61年以降発行してきた『ドラカビュゲット〔ドラゴンの巣〕』という名の雑誌を拠点に、さまざまな形態の前衛芸術フェスティヴァルやフィルム・フェスティヴァルなどを開催するとともに、「バウハウスシチュアシオニスト出版局」から多くの本を出版し、1970年代まで活動し続けた。彼らの活動の全体像は1971年にアンブロシウス・フィヨルドとパトリック・オブライエンの編集で「バウハウスシチュアシオニスト出版局」から出版された資料集『シチュアシオニスター』に詳しい。」