一歩後退 (ポトラッチ 第28号)

訳者改題

 現代文化のあらゆる形態がその腐敗によって臨界点に達していること、戦後君臨してきた反復システムが大衆的に崩壊したこと、さまざまな芸術家や知識人が新しい創造の展望──その理解はまだ一様ではないが──に基づいて結集していること、以上のことは今日、前衛諸潮流の結集によって、アンドレ・スティル*1サガン=ドルーエ*2によって定義されるような公式の文化生産に代わる一般的な革命的対案(オルタナティヴ)を確立するという課題を提起している。
 われわれの勢力の拡大、すなわち真の国際的行動の可能性と必要性は、われわれの戦術を根底から変更するよう導くはずである。なすべきことは、われわれの目的に供するために現代文化を占拠することであって、もはや、われわれの問題の将来的発展に基づくだけの外在的な反対活動を行うことではない。ただちに行動しなければならない。それは、相互に袖完しあうさまざまなテーゼを批判的に検討し、共同の理論的定式化を行うためであり、また、それらテーゼを共同して実験的に適用するためである。われわれ『ポトラッチ』の潮流は、新しい国際的組織の統一をはかるため、必要とあらば、そのなかで少数派の立場を受け入れねばならない。しかし、この運動があらゆる点て具体的に実現されるならば、『ポトラッチ』は当然にも、最も先進的なプログラムに歩調を合わせることになろう。
 レトリスムの危機について語るのは、正確なところ、不可能である。というのも、われわれはいつも永続的な危機の環境を欲し、それを作り出すことに成功してきたからである。また、もしかりにレトリスムという観念がまったく無内容ではないとしても、それに関わる諸価値は、レトリスム運動の中で、だがそれに抗して、形成されたのである。しかし、客観的にいえば、1953年に除名されるまでLI〔レトリスト・インターナショナル」の中で多数派を占めていたある種の自己満足的ニヒリズムは、1956年までしばしばわれわれの選択を誤らせる要素となった過剰なセクト主義へと継承されたことが指摘できる。こうした態度には不誠実さが付き物である。ある人物は書くこと(エクリチュール)の放棄の先端にいることを自称していた。われわれの孤立と非活動的な純粋さを何よりも重んじ、あらゆる雑誌のなかで一番われわれの全体的な立場に近い雑誌への協力についても、それを拒否すべきだとの態度を明らかにしていた。だが、除名されて5日もたたないうちに、彼はこの雑誌の指導部に、「個人的な資格で」文学的な協力を続けたいと頼み込んだのである──もちろんそれは徒労に終わったが。してみると、この同志は、以前は挑発者として行動していたのだろうか。いや、1つの無責任な行動から、また別の無責任な行動、ちょうど反対の行動にただ移行したにすぎない。「レトリスム」というまったく名ばかりのアリバイが欠落し、空虚だけが残ったのである。
 われわれが闘っているこの世界の使い古された欺瞞は、いつでも、ふと何か新しいもののように見えて、われわれを引き止めることがある。どのようなレッテルもそれから身を守ってはくれない。どのような誘惑も十分ではない。われわれは、日常生活の環境=雰囲気を覆すための具体的な技術を見つけなければならない。
 解決すべき第一の実践的問題は、われわれの経済的基礎を著しく拡大することである。現状では、新しい職業を発明するよりも、新しい感情を発明する方が容易だろう。芸術家の社会的役割といったものと区別される、いくつかの新たな職務を定義すること──そして実践によって正当化すること──が緊急の課題となっているが、これはわれわれに、ピエロ・シモンド*3とイタリア人同志たちから要請されている集団的経済プランの考え方を支持することを促している。
 たしかに、経済的な観点から見ても構築的な観点から見ても、現代の美学の時代遅れの断片を利用するという決定は、解体への大きな危険をはらんでいる。仲間たちが心配しているひとつの具体的なケースをあげれば、突如として画家が数の上で優位に立つということである。彼らの判断によれば、そうした画家たちは、作品は当然にも無意味であるし、美術商との癒着も断ち難い。しかしながら、われわれは、さまざまな技術の専門家を結集させる必要がある。それらの技術の最新の自律的発展を知る必要がある。──ただし、他の分野における問題の現実を知らないで、それを外部から操ろうとする、イデオロギー帝国主義に陥ってはならない。そして、現在ばらばらになっているさまざまな手段の統一的使用を実験する必要がある。したがって、われわれは後退の危険を冒さなければならないのだ。ただし、集合的理論を深化させ、確実な成果をもたらす実験へと到達することによって、できるだけ達やかに前段階の矛盾を乗り越えることを目指さなければならない。
 芸術のなかでもある種の活動分野は、他のものより一層明らかな死相を帯びているが、画廊に掛けられた絵画などというものは、本になった詩集と同様、まったく意味のない過去の残骸であるとわれわれは考える。知的商品流通に関わる現在の枠組みを利用するのは、イデオロギー的混乱を助長し、その混乱はわれわれの内部にまで及ぶだろう。しかし、一方、最初にこの束の間の枠組みを考慮せずしては何事も為しえない。
 結局のところ、われわれがいま採用している政治方針を判断するのは、さらに進んだ国際集団の設立を促進することがそれに可能か否か、である。もし可能でないとすれば、この政治方針は、この運動における全面的反動の開始を告げるものにとどまるであろう。その場合、文化における革命的前衛の形成は、他の勢力の出現に依存することになろう。 

G・E・ドゥボール 

*1:アンドレ・スティル(1921−) フランスの作家。フランス共産党の新聞『ユマニテ』紙の編集長。小説に『最初の衝撃』(52年)、『ロマンソンジュ』(76年)など。

*2:サガン=ドルーエ フランスの女性作家フランソワーズ・サガン(1935−)と当時の天才少女ミヌー・ドルーエを合わせた合成語。サガンは1954年、19歳の時に『悲しみよこんにちは』でデビュー、マスコミで大いに騒がれた(参考)。ドルーエは文学少女で、当時多くの詩集を出版して天才少女と騒がれたが、1955年11月、母親がゴーストライターなのではないかとの疑いを持ったジャーナリストの前で、実際に詩を作りへ天才少女であることを証明した。ともにメディアが作り出した「作家」である。

*3:ピエロ・シモンド 設立時からのSIイタリア・セクションのメンバーで、それまでは、ヨルンとともにイタリアに本拠を置いた「イマジニスト・バウハウスのための国際運動」(MIBI)に参加していた。同運動の雑誌『エリスティカ』の編集長を務め、同誌 第2号(1956年)には、シモンドの論文「具象芸術の一般理論のために」がある。