『革命的知識人の総崩れ』 訳者解題

 本節の記述の背景にある1958年のフランスの政治情勢の6月初めまでの出来事は、本書の「あるフランスの内乱」の訳者解題で述べたとおりだが、その後の展開をごく簡単に要約しておく。植民地アルジェリアでは軍と民族解放運動とが戦争状態にあったが、この年の5月13日、アルジェリア駐留軍と極右勢力がアルジェでクーデタを起こした。6月、議会は自らの手で事態を収拾することを放棄し、ド・ゴール将軍に政権を委ねた。かくしてボナパルティズム的期待を背景に政界に再復帰したド・ゴールは、憲法を改定し(9月の国民投票で圧倒的支持を得る)、議会の権限が絶大であった第4共和政から、大統領の権限が絶大な第5共和政へ移行した。11月の総選挙で、議会左翼は壊滅的敗北を喫し、逆にド・ゴール派は議席数を10倍近く増やす圧勝であった。ド・ゴールは12月の大統領選で大統領に選ばれた。
 フランス国家の危機を利用したこうしたゴーリスムの復活に対して、人民戦線からレジスタンスまでの伝統の上に胡座をかいていたフランス共産党やそれに指導された労働組合CGTなどの既存左翼はもちろんのこと、戦後それらから別れた『アルギュマン』派などの新しい左翼もまったく無力だった。事の本質を「フランスの危機」ではなく、アルジェリア人民の民族自決の問題として正しく把握するには、その後、共産党の支配を離れた広範な学生・労働者・知識人の反戦運動やFLN支援運動が巻き起こる60年代を待たねばならないのである。

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