スペインの労働者評議会の綱領に関する論考

訳者改題


 スペインでは1つの新しい社会批判潮流が発展しつつあるが、われわれはかなりの部分でこの潮流に同意する。この潮流は、今日的な権力の諸形態の中の後進的な1特殊ケースとしてのフランコ体制と闘わねばならないだけでなく、世界の権力のあらゆる形態を否定しなければならない。なぜなら、彼らは資本主義権力の次なるスペイン的形態との対決に備えているからである。この潮流の目的は、遠からぬフランコ体制の消滅にあたって、ヨーロッパの〈共通市場〉*1の国々に存在するような現代的な資本主義か、それとも社会主義、すなわち、いまだ世界のどこにも存在しない労働者の権力か、という二者択一を剔出することである。この潮流は、こうした目標のための闘争に反対する古いスペイン左翼のあらゆる政治組織と対立している。また、その内部では、今日の情況を明晰に批判する一面と、旧来の革命的イデオロギーのいくつかの断片を保持するいまだに混乱した一面とがぶつかり合っている。地下活動に伴う困難、そしてフランコ体制によるあらゆる形での検閲が、さまざまな問題の解明や客観的な討論という必要な作業を複雑化させている。スペイン以外の国々での旧来の左翼政治の錯綜した敗北は、ネガティヴな形で、スペインの同志たちの情況と課題を照らし出すだろう。しかし、新しいラディカルな批判が提供しうるポジティブな経験は、こうした批判の基盤が現時点ではきわめて小さいため、まだ限られたものである。
 この新しい潮流は最初、スペインでFLP(人民解放戦線)の組織のなかにその表現の場を見出そうとした。だが、FLPの経験は期待はずれであった。というのも、1954年のアルジェリアでのFLNに似て、FLPは、さまざまな伝統的党派から出ながら、綱領の問題を棚上げにして共同行動を取ることにしたいくつかのグループの寄せ集めだったからである。この理論的な並列状態が現在の停滞の主要な原因であること、またスペイン社会の将来の危機にあたって不可欠な解明をもたらす能力の欠如を保証するものであることは、すぐに潮流のラディカルな部分の認識するところとなった。ここ数年行われてきた議論から生まれた、最も先進的な傾向を持った部分は、1965年1月から雑誌『アクシオン・コムニスタ』*2を発行し、同語はすでに4号を数えている。同誌はその巻頭言で次のように述べている。「革命的マルクス主義者の同志、さまざまな労働者組織のメンバーによって構成されるAC〔『アクシオン・コムニスタ』〕の編集委員会は、共同執筆によるこれらの論文によって、スペインにおける社会主義革命の政治綱領の作成に着手する」。それは「綱領の次の根本的な2点でわれわれに同意するすべての人々の寄与と批判によって」深化され、明確化されねばならないだろう。すなわち、「今日のスペインにおける資本主義の発展に対する社会主義的な代案の必要性と可能性、そして革命的な真の労働者党の建設の必要性」である。ところで、ここでわれわれが参加しようとするのはまさにこの議論である。われわれが念頭においているのは、そこで広く擁護されているラディカルな展望、とりわけロレンツォ・トレスの論文「労働者委員会から労働者評議会へ」(第2号)に見られるものであり、また『アクシオン・コムニスタ』の同志たちの断固たる国際主義的な性格である。
 われわれは、『アクシオン・コムニスタ』によって開始された理論的議論は、これまでに主として4つの論点を扱ってきたと考えている。すなわち、今日のスペイン経済および社会の性格づけ、スペインにおけるラディカルな潮流の一般的な目標、世界の革命運動の現状の評価、そして革命組織の問題である。最初の2点については、われわれは『アクシオン・コムニスタ』の同志たちが採用した立場を完全に承認することができる。しかし、これに比べて後の2点では議論はそれほど進んでおらず、そこに見られる考え方や、論拠そのものがあまり明快ではない。この点で、われわれとしてはいくつかの論評を述べる必要があるだろう。われわれはそれが有益なものであることを期待している。
 『アクシオン・コムニスタ』は、スペインはもはや経済的な後進国とは考えられないことを明らかにしている。後進国という考えはあらゆる伝統的な労働者党が墨守しているドグマなのである。フランコのもとでの過去10年間の資本主義の発展は、世界的なプロセスの一部として、スベインのあらゆる情況を根本的に変化させた。支配階級はもはや、30年代のように地主ブルジョワジーに主要な基礎を置くのではなく、国際資本と密接に開運した産業ブルジョワジーに基礎を置いている。それは、今日の経済発展の規模の大きさや、農業プロレタリアートが急速に減少し、それが新しい工場に吸収されていること、またスペインの工場生産物の国際市場(たとえばキューバ)での成功から明らかである。この発展は、一方で1962年以来の労働者の闘争の再開を招くとともに、支配階級をフランコ体制後の近未来図としての「ヨーロッパ的な搾取形態」の追求に導いている。フランコ政権下で新(ネオ)−資本主義的な解決をはかろうとする勢力は、教会の支待のもと、カトリック信者たちを反対派へと統合することをめざす疑似非合法的なキリスト教民主党にその政治力を組織してきた。同党は、そこに加盟する教授たちを通じて、これまで学生の反対派の主要部分を指導してきたが、労働者のデモと学生のデモの合流を防ぐことには格別の注意を払っている(隠れ場を提供したバルセロナ修道院で学生たちが警察に包囲された最近の事件は、この判断を実証している)。しかし、キリスト教民主主義は、カトリックの組合だけでは新しい体制を安産させるのに十分ではないことを理解しているため、手術の安全を保証する追加的な「労働者組織」を求めている。それは十分な期間が過ぎるまで労働者たちを眠らせておくためである。キリスト教民主主義はこうした組織をスペイン社会党に見出すことだろう。主要には、T・ガルバンなど、この改良主義の政党をテクノクラート的に改革することを唱えている部分である。また、スターリン主義の党が掲げている「国民的和解」のプログラムは、こうした協力にまさにお誂え向きである。その場合、差し出された善意をブルジョワジーに拒否させることができるのは、「共産主義者」の思い出に対するスペインのブルジョワジーの幻想的な恐怖心だけである。CNT*3ファランヘ党*4の組合のあいだで行われた最近の闇取引も、ブルジョワ的発展への従属という同じ流れの中に位置づけられるということを付け加えておこう。『アクシオン・コムニスタ』は、目下の民主化闘争を受け入れている。ただ、彼らはあらかじめその限界を明らかにし、それに対して自分たちの展望を対置するのである。すなわち、すでに非合法的あるいは半合法的に存在するさまざまな労働者委員会や工場委員会に参加しながら、それらを地区から地方、全国へと組み上げられた形態へと発展させ、ついにはそれを労働者評議会に変化させることである。こうした機能の変化、そして労働者の単位会議の統一は、資本主義か労働者権力かという二者択一を実践的に示す古典的な二重権力状態を作り上げることになるだろう。『アクシオン・コムニスタ』はこうした未来を蓋然性として提示しているのではない。彼らはそれを可能性として提示するのであり、この可能性は、大衆の意識と、革命的分子がそれまでに内部で発展させることのできる綱領の定式化に懸かっているのである。組織されたすべての政治グループはこうした活動と無縁である。このことは、これらのグループの影響から外れたところで「金属業労働者委員会」によって指揮されたマドリードの鉄鋼労働者の闘争の例に示されているとおりである。労働者評議会の権力を支持する『アクシオン・コムニスタ』は、官僚主義による経済的、政治的支配とは相容れない社会主義社会のモデルを擁護する。「組合の官僚主義(ここではファランヘ党官僚主義)との闘争という実践的学習を経たとき、ひとつの階級にとって、あらゆる官僚主義の危険を理解し、その組織の内部においても外部においても(……)真の労働者民生主義が必要であり、職場であれ企業であれ、国全体の規模であれ、代表の選出にあたっては直接選挙が必要性であることを理解するのは容易である」(第2号、22ページ)。勝利の後にも官僚主義の危険は大きい。しかし、フランコ体制の消滅に際して、多くの反対派勢力が望んでいるように、資本主義の秩序を守る「人民戦線」が再構築されるようなことになれば、それはずっと単純に社会主義的な一切の展望の敗北となるだろう。
 『アクシオン・コムニスタ』はその国内で、現代資本主義との全面的な闘争を、そして彼らがあらかじめその反動的な機能を告発している官僚的組織との全面的な闘争を援肋すべく準備している。だが一方で、『アクシオン・コムニスタ』のすべての同志たちが、この世界における資本主義的現代化(モダニスム)と官僚主義的権力とのさまざまな絡み合い、すなわち敵対関係にあると同時に連帯関係にある両者の相互作用を完全に理解しているようには思われない。革命組織の理論は、この点についての首尾一貫した分析と不可分であることは明らかである。
AC(第1号、26−27ページ)は、いわゆる社会主義国──幸運にも、その世界的な危機の反響のおかげで、官僚主義に影響されたスペインのさまざまな地下組織がいまだに保持しているような幻想は粉砕されてしまっていた──の「日々ますます明白になりつつある数々の否定的側面についての批判の全面的な自由」を唱い、これらの国々の社会体制の科学的な分析」を求めている。しかし、そうした分析は十分に素描されていない。ロシアや中国における抑圧の性格について正確な理解が不足しており、キューバについてはそれはさらに著しい。編集委員会の一部は、しばらくの間、カストロの「反ドグマ主義」にほとんど満足していたようにさえ見える。また、イデオロギーに対するマルクス主義的な批判は、ACにはまだ曖昧な形でしか取り上げられていないが、こうした基礎なしには、職業的な指導者による官僚主義を理解し、またそれと有効に闘うことは不可能である。さらに、ACが唱えている民主的な労働者組織の計画は、レーニン主義から完全に解放されているようには思われない。「中央委員会」では「専従活動家」を必ず半数以下にするという提案は、党そのものの官僚主義化と闘うには、明らかにまったく不十分な予防措置である。またACは非官僚的な単一組合という計画を肯定しながら、ほんの数行先では、予想される労働組合の分裂や現代的な資本主義国における同化的な組合主義の実例から見て、この計画は不確実なものになっていると認めている。つまり、企業の単位委員会が優位を保つべきだというのである(しかしそうすると、これらの会議と全組合との間の公然たる闘争に備えなければならない)。ACは困難な状況の中での具体的な議論のために努力しているのであり、かなりの部分、まず議論すべき事柄の資料的な基礎を作り出すことから始めることを余儀なくされている。こうしたわけでACは、読者に労働運動のいくつかの古典的なテクストを紹介してきた。しかし、そこにはある種の経験主義の悪影響が見られる。というのも、紹介されるテクストには編集委員会の明確な視点に基づく批評が付されていないからである。さまざまな有益な資料──スパルタクス*5の綱領に関するもの、クリスティアン・ラコフスキの『ヴァレンティノフヘの書簡』、AIT〔国際労働者協会〕*6のさまざまなテクスト、『歴史と階級意識*7の近刊予定のテクスト──が、1936年のトロツキーによる官僚主義の分析*8と隣り合わせになっている。第4号に収録されたマルクスの『共産主義者同盟に向けた中央評議会のアピール』(1850年3月)*9は、自律的な政治の不在や小ブルジョワジーの追随的態度の帰結に対して労働者の警戒を促す部分においては正しいが、この上なくジャコバン主義的な国家集権主義を擁護する最後の部分においてはきわめて危険である。第1の部分はスペインに、そして来るべき危機に正確に適用可能なものである。最後の部分は、現代のプロレタリア革命のあらゆる経験によって却下されており、すでに1936年のスペインの状況においても適用不可能なものであった。当時のスペインでは地域的な自治が基礎となっており、その基礎の上に最もラディカルな諸潮流が登場できたのである。ACが現在置かれている立場からすれば、むしろ1920年のドイツにおける共産主義労働者党*10のような党の研究が必要である。また、スペイン革命の豊かな経験がこれまで無視されてきたのは奇妙なことである。革命の問題は世界的そして全体的なかたちでしか提起されえない。革命はその戦場を片隅にいたるまで忘れはしないものだが、同じく、自らの過去を忘れることもできないのである。ACはそのことを知っている。ACはその闘士たちが「闘争のあらゆる戦線の第一線」に立つことを望んでいる。政治−経済的な権力を根本から理論的に批判すること、文化の生産や計画化された日常生活の生産における現代社会の内奥の諸傾向を把握すること、国際的な規模でさまざまな立場から団結を作り上げること、これらはすべてこの単一の闘争のさまざまな戦線なのであり、すべて等しく重要である。であるから、エドゥアルド・メナの論文「アルジェリアにおける政治的後退」(第3号)は、ブーメディエンの反動的クーデタを非難する際、官僚主義という要因をいささか過小評価しているようにわれわれには思われる。さらに失望させられるのは、第4号に、ロサンジェルスでの反乱に闘するバートランド・ラッセル*11のまったく無内容で表面的な論文が再録されていることである。同じことは、例のトロツキー主義の経済学者、マンデル*12の論文についても当てはまる。パリの知識人のあいだで流行しているマンデルの著作『マルクス主義経済学概論』は、そのタイトルだけでもすでにマルクスの革命的方法に対する挑戦である、マルクスが行ったのは、商品の論理が支配する社会の限定された学問としての経済学に対する批判以外の何ものでもないのである。
 革命組織の最初の役割、革命組織の生存権の代価とも言うべきもの、それは一貫性を持つことにあり、また、「習慣の力」、大衆に根づいた古い世界のこの最強の力を打ち確る容赦のない批判にあることは確実である。そして「左翼の習慣」こそは、革命期において何よりも打倒すべき習慣なのである。革命期には、われわれがノスケ*13武装解除しなければ、われわれの方が殺されてしまうだろう。40年来、こうした赤色警察の機能は何よりも「共産主義」という名目のもとに実行されてきたのである。すでにバルセロナがそうだった。そしてアテネが、ブダペストがそうだった。
 他方で、この一貫性は具体化される必要がある。つまり、労働者たちに彼らがなしうることを示すことである。そして、採用された戦略から不可避的に出てくる論理的帰結を示すことであり、また反対の戦略が勝利した場合、そこから同様に不可避的に出てくる論理的帰結を示すことである。労働者評議会が登場した場合、どちらの側でも中庸の道を選ぶことは不可能である。そのすべての帰結を認めるならば、労働者評議会の綱領にとっては獲得すべきものだけがあり、失うべきものは何ひとつ存在しない。古来の闘いの原則──「すべての力を賭けることなしに運命を賭けるな」──が労働者評議会の原則である。そそしてその力は、可能的なものを意識することであり、それを欲望することにほかならない。評議会の確立はどこまでも敵たちを不安に陥れるだろう。なぜなら、何をなそうと、またなすまいと、評議会の確立が不可避的に引き起こすだろう反動を前にして、こちらもまた限りのない不安に陥れられるからである。ブルジョワジー官僚主義はそのすべての利益──支配階級の利益あるいは結晶化しつつある支配の利益──を賭けて、評議会の目的と全面的に闘うことを強いられる。この目的は、それを自らの綱領として、また自らの生として認めることのできるすべての人々の前で決定するのがよい。
 労働者評議会の権力は既存の「生き延び」〔=余りの生〕の絶対的な敵である。したがって、この権力にとっても、生存のあらゆる条件の完全な変革、生の即座の解放への賭けに出て、その賭けに勝つ以外には長く生き延びる道はない。この権力はただちに生産と生産関係の根本的な変革を実行し、商品を廃絶し、人々の欲求を変化させなければならない。またそれは、空間の整備を変化させ、教育を変化させ、司法の行使と犯罪の定義そのものを変化させなければならない。位階秩序(ヒエラルキー)とともにその道徳や宗教を一掃しなければならない。こうした綱領を深化させ、それを擁護し、解説すること、それは、こうした力の解放を支援しようとする組織の最初の課題である。しかし同じ綱領は、その別の面、すなわち簡単な扇動策によって表現することもできる。『アクシオン・コムニスタ』は、フランコ体制の後継問題が日程に上ったとき、目下の「反対派」を統合するのは、何らかの民主的な国民戦線といった形をとった資本主義秩序の尊重であるだろうということをよく見抜いている。これとの対照を鮮明にするのは、明らかに、国内の資本であれ国外の資本であれ、生産手段を所有している資本からその所有を剥奪することである。しかし、これはかなり抽象的なものに見えるので、多くの人々はこのきわめて複雑な問題を何らかの国有化によって解決することを期待する。ひとつの具体的な例を提案しよう。ヨーロッパの先進資本主義による消費の組織化は今日、その特権階層にスペインに家を購入するよう誘導している。1965年11月11日の『フランス・ソワール』紙*14には、次のように書かれている。「6ヵ月の間に、これまで誰も往んでいなかった海岸に何キロにもわたって別荘が建ち並び、数珠繋ぎになったヴァカンス村が作られた。これはスペインにとっては思いがけない経済的な恵みであり、フランス、ドイツ、イギリスの中産階級にとっては楽園──1部屋(旧)100万フランの楽園──の発見であった」。また同紙は、不動産会社「コンストルクトレス・イベリコス」の代表の次のような言葉を引いている。「私たちは世界中の違物の品質の保証を行っている『セクリタス』の検査に合格しており、またスイスの保険会社による10年保証も付いています」。ヨーロッパの保険は、たとえば1905年のサンクト・ペテルスブルクのソヴィエトの「経済宣言」*15のようなものによって、混乱に陥るかもしれない。1905年のこの宣言は、ロシア人民を抑圧するためにツァーリズムが契約した借款は、解放された人民からは決して返却されないことを予告したのだった。今日、スペインでの建設に投資している者たちは、現地の安価な労働力を利用し、こうした事態を招いた体制を経済的に支え、1年の10分の9が空き家になる「セカンド・ハウス」の立ち並ぶ風景を作り上げている。その裏にスペインのプロレタリアートに対する蔑視を隠しているこの新たな形態の搾取に対して、労働者評議会の綱領は、いまから次のような予告によって答えることができるだろう。すなわち、すべての外国からの不動産投資は労働者評議会の権力掌握の最初の日に補償なしに接収される、ということである。スペインの労働者はこの直接的な所有剥奪の計画に、最も栄光ある過去の日々を思い出すことができるだろう。一方、資本主義の民主化を求めているすべての勢力にとっては、これほど受け入れがたい措置はあるまい。しかし、この政策の国際主義的な射程はひときわ大きなもの
である。数年前からスペインヘの観光旅行に反対してきたアナキストたちの非力なキャンペーンの失敗は周知のことである。この抗議は、すでに大衆が明らかに忘れてしまった政治的命令の形をとって述べられていた。それは、現代社会のあらゆる動き、すなわち1936年の革命を世界中で忘れさせてしまった動きに逆行するものだった。この動きは貧民たちをヴァカンスに送り出している動き(1965年の夏には800万人のフランス人がスペインに出かけている)であり、いかなる政治的な主意主義も、理解不可能な頂末な事柄として、この流れを押しとどめることはできない。反対に、スペインに投資する余裕のある人々、1部屋あたり旧100万フランのアパルトマンに投資する余裕のある人々の所有権に対する脅迫は、社会学者たちが階級の消滅を発見して以来、ヨーロッパではほとんど完全に隠されてきた富裕階級の存在を容赦なき光の中に暴露するという利点を持っている。スペイン革命と同じく、ヨーロッパの支配階級も忘れられているのである。テレビは支配階級のことを語りはしない。そして左翼はテレビが語っていることしか語らないのだ。したがって、特権階級の存在を科学的に証明することには掛け替えのない効用があるだろう。それは社会学者のためばかりではない。1965年6月に発表された国立統計研究所の調査によれば、フランスの給与所得者の半数の月給はいまだ750フランに満たない(そして27パーセントの人々は562フラン以下である)。すぐにわかるとおり、こうした労働者たちはスペインの同志たちの決定によって侵害を受けることはない。逆に、病の存在とそれに対する適切な治療法とを同時に明らかにするこの例は、彼らの国に最良の結果をもたらす可能性がある。スペインの労働者権力は、ヨーロッパの大衆によるこうした支持を必要とするだろう。というのも労働者権力は、かつての指導者や「中産階級」に対する措置から帰結する敵意にすぐに直面することになるからである。スペインの「恒久資産」に向けられるこのセクターの消費割合は、彼らがスペインの資本主義の未来を信用していることを如実に物語っている。われわれの仕事は、現在のあらゆる見かけに抗って、これとは反対の信用を創り出すことである。

*1:ヨーロッパの〈共通市場〉 フランコのスペインは戦後の冷戦によって、反共の拠点としての役割を担わされて生き延び、50年代末にはファランヘ党と国民運動と改めて近代化をはかり、60年代には工業化を推進した。その成果をもって、62年2月にECC(ヨーロッパ経済共同体)への加盟を申請した。

*2:アクシオン・コムニスタ』 カルロス・センプルン・イ・マウラの出していたトロツキスト系の雑誌。

*3:CNT 全国労働連合。1936年からのスペイン革命の中核として活動したアナキスト労働組合。39年にフランコファランヘ党に敗北して以降、国外に亡命して反フランコ闘争を続けた。

*4:ファランヘ党 1933年にプリモ・デ・リベラによって創設されたスペインの愛国的政治的運動。内乱中の37年に王政復古を求める伝統主義派(カルリスタ)と合併し、フランコによる承認を受けた〈国民運動〉となり、以後、フランコ独裁体制を支え続けた。

*5:スパルタクス 第一次大戦中にローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒト、メーリングらドイツの共産主義者たちが結成した革命集団。1918年の11月革命でいわゆる評議会共和国の樹立をめざし、翌19年1月、ベルリンで蜂起するが、政府の弾圧によって失敗に帰し、解散した。このスパルタクス団をもとに、やがてドイツ共産党が結成される。

*6:AIT〔国際労働者協会〕 1864年9月28日、ロンドンで結成された国際的な労働者の結社。第1インターナショナルのこと。1795年に設立されたフランス革命時のバブーフの〈平等者の陰謀〉、1847年から1852年にマルクスとエングルスがロンドンで設立した〈共産主義者同盟〉の理念を受け継ぎ、マルクスの指導のもとに、プルードン主義者、ブランキ主義者、イギリスの実証主義者が参加。1867年のローザンヌ大会からはバクーニン派のアナキストも参加するが、72年のラ・エー大会で彼らは除名される。政治弾圧のために、その後、マルクスのインターナショナルはニューヨークに拠点を移すが、1876年に解散。

*7:『歴史と階級意識  ハンガリーの思想家ゲオルク・ルカーチ(1885−1971年)の1923年発表の著書で、「物象化」理論によってマルクス主義の主体的把握をめざし、フランクフルト学派や、60年代の新左翼運動に絶大な影響を与えた。その後、ルカーチ自身によって長く絶版とされていたが、フランスではフランス語訳が1960年に出版された。

*8:1936年のトロツキ−による官僚主義の分析 トロツキースターリン官僚主義体制批判の大著『裏切られた革命』のこと。国家所有と官僚制に基づくスターリン体制を、国家資本主義か社会主義かへの過渡期社会の労働者国家と性格付け、官僚支配を政治的に打倒して、国家所有から社会所有に移行する必要を説いた。

*9:マルクスの『共産主義者同盟に向けた中央評議会のアピール』(1850年3月) マルクスがロンドンで執筆し、亡命地やドイツにいる共産主義者同盟員に配布したアピール。1848年革命の統括を行うとともに、小ブル民生主義者の裏切りに対し、労働者の武装と組織化を呼びかけた。邦訳『マルクス・エンゲルス全集』第7巻(大月書店)所収「1850年3月の中央委員会の同盟員への呼びかけ」。

*10:1920年のドイツにおける共産主義労働者党 ドイツ共産党内の左派で、体制的な国民議会と労働組合をボイコットし、労働者評議会を強化するべきだとして、ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトらと対立していた派が、1919年10月のドイツ共産党第2回大会で除名され、翌20年に新たに結成した党。ラウフェンベルク、ヴォルフハイム、ホルナー、K・シュレーダーらから成り、レーニンの「共産党内の『左翼』小児病」で厳しく批判された。

*11:バートランド・ラッセル(1872−1970年) イギリスの数学者・哲学者。10年代にケンブリッジ大学の数学講師をしたが、第一次大戦中、反戦活動のため大学を追われ、以後社会評論の著作に従事、。戦後も「ラッセル・アインシユタイン声明」(55年)、パグウォッシュ会議(57年)などの核兵器廃絶活動や、ヴェトナム戦争犯罪を裁くラッセル法廷(67年)などのヴェトナム反戦運動などで活躍した。

*12:エルネスト・マンデル(1923−) ベルギーの西欧マルクス主義理論家。40年にベルギーのトロツキスト運動に参加、ナチス占頷下でレジスタンスを行い、何度か逮捕されるが、その間に44年、トロツキストの第4インターナショナルの第1回欧州大会に参加。戦後も、トロツキストとして50年代半ば以降ベルギーの労働者社会主義同盟(CST)、社会主義青年同盟(JGS)を指導し、マンデス派勢力を形成し、政界・労働界に影響力を行使する一方で、57年以来、左翼雑誌『ラ・ゴーシュ(左翼)』 の編集長として多くの論文を執筆、仏・英の新左翼の雑誌にも寄稿、新左翼の経済理論家として世界的に著名となる。著書に『カール・マルクスの経済思想の形成』(67年、邦訳『カール・マルクス』所出書房新社、71年)、『マルクス主義経済学概論』(69年、邦訳b『現代マルクス主義経済学』72年)、『後期資本主義』、『労働者管理・評議会・自主管理』など多数。

*13:グスタフ・ノスケ(1868−1946年) ドイツの政治家。1906年下院議員に選ばれ、18年に暴動鎮圧のためキールに総督として派遣された後、19年にベルリンの軍司令官となり、スパルタクス団の蜂起を鎮圧したことで知られる。44年にはヒトラー暗殺計画に運座してナチスに捕らわれ強制収容所に入れられたが、イギリス軍に解放された。

*14:フランス・ソワール』紙 フランスの代表的夕刊紙。

*15:1905年の〔……〕「経済宣言」 1905年1月の「血の日曜日」事件の衝撃を受けて、レーニンが、農奴解放の際の「切り取り地」だけの返還を掲げていたそれまでの綱領を自己批判し、「われわれの任務と労働者ソヴィエト」を執筆し、「土地国有化」綱領を宣言したもの。