スペクタクル=商品経済の衰退と崩壊

訳者改題

 1965年8月13日から16日にかけて、ロサンジェルスの黒人住民が蜂起した。交通警官と通行人とのあいだで起きた1事件が、2日間にわたる自然発生的な暴動へと発展したのである。治安部隊が次々と援軍に駆けつけたが、街の秩序を取り戻すことはできなかった。3日目ごろには、黒人たちは、近くにある武器倉庫を襲って奪った武器で、警察のヘリコプターに銃撃することさえできるようになった。ワッツ地区*1の騒乱には、何千人もの兵士と警官──何台もの戦車に守られた歩兵1個師団の戦力が投入されねばならなかった。この戦力は、ワッツ地区を包囲し、ついで、何日にもわたる数々の市街戦の犠牲を払って、ようやくこの地区を奪還することができた。反乱者たちは商店を片っ端から略奪し、火を放った。公式の数字では、死者32名──うち黒人が27名──負傷者800名以上、逮捕者3000名であった。
 あらゆる方面からさまざまな反応が巻き起こったが、それらは次のことを明確に示している。すなわち、革命的事件はそれ自体で、現存する諸問題を行為によって暴露するものである以上、それには常に、敵の微妙に異なるさまざまな考えを比較対照する特権があるということである。警察署長のウィリアム・パーカーは、まさに「この暴動の参加者にリーダーはいない」と言って、大黒人組織が提案した調停案をすべて拒否した。確かに、黒人たちにはもはや指導者がいなかったのだから、それぞれの陣営にとってそれは真実の瞬間だったのである。それなのに、その同じ瞬間に、役払いにされたリーダーの1人、全米有色人種向上協会*2の書記長ロイ・ウィルキンスは、いったい何を期待していたのか。彼は、暴動は「必要なあらゆる力を使って鎮圧されねばならない」と言明していたのである。さらに、ロサンジェルス枢機卿のマッキンタイヤーは声高に抗議を行っていたが、このローマ・カトリック教会勢力の近代化(アジョルナメント)*3の時代に賢明とも思えないことに、抗議の対象は弾圧側の暴力ではなかった。彼は、「隣人の諸権利を踏みにじり、また法の尊重と秩序の維持を踏みにじるために、前もって計画された反乱」に対して最も早く抗議し、全カトリック教徒に、略奪行為や「見たところ何の正当性もないこれらの暴力行為」に反対するよう訴えたのである。さらにまた、ロサンジェルスの黒人の怒りの「見たところの正当性」までは何とか見えても、実際の正当性はまったく見えないすべての者、すなわち、世界中の左翼の──その虚無の──思想家や「責任者」たちはすべて、無責任や無秩序、略奪行為、そしてとりわけ、暴動の最初の契機がアルコールと武器を売っていた商店の略奪だったという事実と、ワッツの放火魔たちがその戦闘と祝祭を照らすのに使った火災は2000軒を数えたという事実を嘆いた。いったい誰が、ロサンジェルスの蜂起者たちを彼らにふさわしい言葉によって弁護しただろうか。われわれがそれをしよう。経済学者には損害が2700万ドルにのぼったことを勝手に嘆かせておこう。そして、都市計画の専門家には彼らの一番美しいスーパーマーケットの1つが煙と化したことを、マッキンタイヤーには彼の副署長が射殺されたことを、社会学者にはこの反乱の不条理と陶酔を、勝手に嘆かせておこう。革命的出版物の役目とは、ロサンジェルスの蜂起者を正しいとするだけでなく、彼らに彼らの道理を与え、実践的行動がその探求をここに表しているような真理を理論的に説明するのに寄与することである。
 1965年7月、ブーメディエン*4のクーデタの後にアルジェで発表された『〔アルジェリアと万国の革命派への〕アピール』*5のなかで、シチュアシオニストアルジェリア人と世界の革命家に対し、アルジェリアの情況とそれ以外の世界の情況とを一体のものとして論評し、その例の1つに、アメリカ黒人の運動を挙げた。彼らの運動は、「首尾一貫した態度を明確に打ち出しうるならば」、先進資本主義の諸矛盾のすべてを暴露することになるだろう、と主張していたのである。5週間後に、この首尾一貫性〔=結果〕は街頭に姿を現した。現代社会の最も新しい部分に対する理論的批判と、その同じ社会に対する行為による批判とは、すでに両方とも存在している。まだ互いに切り離されてはいるが、同じ現実にまで到達し、同一のことを語っている。これら2つの批判は、互いが互いを説明し、それぞれが他方なしでは説明不可能である。生き延びとスペクタクルの理論は、アメリカ的虚偽意識には理解不可能なこれらの行為によって解明され検証される。そしてこの理論が、お返しとして、いつの日にかこれらの行為を解明することだろう。
 これまで、「公民権」を求める黒人のデモは、先の3月のアラバマ州モントゴメリー*6での行進の時のように、そのリーダーたちによって、治安部隊と人種差別主義者の最悪の暴力をも甘受するという合法性のなかに維持されてきた。そして、この騒乱(スキャンダル)の後でさえ、連邦政府、ウォーレス知事*7キング牧師*8の間の秘密合意のもとで、3月10日のセルマ*9での行進は、警察から解散勧告をたった1度受けただけで、品位を保ち祈りを捧げて引き返してしまった。デモに参加した群集がそのとき期待していた衝突は、潜在的衝突のスペクタクルでしかなかったのである。同時に、非暴力はその勇気のばかげた限界に達していた。敵の打撃に身をさらし、あとで自分たちの道徳的偉大さを示して、敵が新たに暴力を使う必要を免除してやるのである。しかし、基本的所与は、公民権運動が合法的手段によって設定した問題が、合法的な問題にすぎないという事実である。合法的に法に訴えるのは論理的ではある。非合理なのは、世間的にめられている非合法性に対して、あたかもそれが指摘さえすれば解決できる非常識であるかのように、合法的な請願を行うことである。アメリカの多くの州でいまだに黒人に適用されている広範で目にあまる非合法な処置が、既存の法の枠には収まらない社会経済的矛盾に根ざしていることは明らかである。そしてこの矛盾とは、いかなる未来の法律上の法も、アメリカ黒人が最終的にあえて生きることを望む社会のより根本的な法に反して、解消することはできない矛盾なのである。アメリカ黒人が望んでいるのは、実は、この社会の全面的転覆か、さもなくば無である。そして、転覆の必要性という問題は、黒人が体制転覆的な手段をついに手にした瞬間に、自ずと現れる。ところで、そうした手段への移行は、最も偶発的であるとともに最も客観的に正当化されうることとして彼らの日常生活のなかに出現した。それはもはやアメリカにおける黒人の地位の危機ではなく、黒人のなかにまず現れたアメリカという国の地位の危機なのである。ここで起きたのは、人種的衝突ではない。黒人が攻撃したのは道を行く白人ではなく、白人の警察官だけだった。同様に、黒人のコミュニティーは、黒人商店店主や黒人ドライバーにまでは広がらなかった。ルーサー・キングでさえ、10月にパリで「これは人種暴動ではなく、階級暴動だった」と言明することによって、彼の専門の限界が乗り越えられたことを認めざるをえなかったのである。
 ロサンジェルスの反乱は商品に対する反乱である。商品の尺度に位階秩序的に従った労働者−消費者と商品の世界に対する反乱なのである。ロサンジェルスの黒人は、あらゆる先進国の非行青少年の徒党と同じく、だが、より過激なやり方で──なぜなら、彼らの反乱は、全体として未来なき1つの階級、昇進や統合といった好機の到来を信じることのできないプロレタリアートの1部門の規模でなされたからだ──、現代資本主義のプロパガンダを、すなわち豊かさの広告を、文字どおりに受け取るのである。彼らは、目の前に差し出されてはいるが実際には手に入らないすべての物を、すぐにほしいと思っている。というのも、それらを使用したいからである。つまり、彼らはその交換価値や商品としての現実を認めないのである。それこそが、それらの物の鋳型であり動機であり最終目的であり、それこそがすべての人間を選別してきたというのに。盗みと贈り物によって、彼らは1つの使用を再発見する。その使用によって、ただちに、商品の抑圧的合理性が否定され、商品の関係とその製造さえもが恣意的で非必然的なものであることが明らかにされるのである。ワッツ地区の略奪は、「各人がその偽の欲求に応じて」という折衷的原理を最も端的に実現するものであった。この欲求は、略奪がまさに拒絶する経済システムによって決定され、産み出されたものだからである。しかしこの豊かさは文宇どおりに受け取られる。それは即座に手に入るようになり、疎外された労働と増大するばかりで決して満たされることのない社会的欲求の競争のなかで際限なく追求されるものではもはやなくなってしまう。そのため、真の欲望が、祝祭のなかに、すなわち遊戯的肯定と、破壊のポトラッチのなかに、早くも表現されるのである。商品を破壊する人間は、商品に対する自らの人間的優位性を示している。彼は、自分の欲求のイメージにまといついた抽象的な形態に囚われつづけることはない。消費〔 consommaition 〕から消尽〔 consummation 〕への移行が、ワッツの炎のなかで実現されたのである。電気が通じていなかったり、あっても切られている家に位む人々によって盗まれた大型冷蔵庫とは、豊かさの嘘が遊びのなかで真実になったことを示す最良のイメージである。商品としての生産物は、購入されなくなるとすぐに、どのような特殊なかたちをとっていようと、批判と変形の遊具になる。それがすばらしい物神崇拝の対象物(フェティッシュ)として崇められるのは、ただ、生き延び〔=余りの生〕のなかでの地位(グレード)を示す記号として、金を払って買われた時だけである。
 豊かな社会は略奪のなかにその自然な回答を見出す。だが、その豊かさとはいかなる意味でも自然的で人間的な豊かさではなく、商品の豊かさだったのである。そして、略奪は、商品としての商品を瞬時に崩壊させると同時に、商品の究極の手段をも白日のもとにさらしだす。この究極の手段(ウルティマラティオ)とは、国家のなかで武力による暴力を独占する軍隊、警察、その他の専門部隊である。警察官とは何か。それは、商品に積極的に仕える下僕であり、商品に完全に服従した人間である。この人間の行動によって、人間労働のあれこれの生産物が、金を払って買われるという魔法の意志を持った商品のままでいることができ、どこにでもある冷蔵庫とか銃といったもの、つまり、最初にそれを使用する者の意のままになるような、決まった目的のない受動的で無感覚なモノにならずにすんでいるのである。黒人たちは、警察官から守られることの不名誉を拒否するかげで、商品に支配されることの不名誉を拒否しているのである。商品的未来を持たないワッツの若者たちは、現在のもう1つの別のを選んだ。そしてこの現在の真理は議論の余地のないものであったがゆえに、住民の全体を、すなわち、女性も子供も、この場所にたまたまいた社会学者までもを巻き込んだのである。この地区に往むボビー・ホーロンという若い社会学者は、この10月、『ヘラルド・トリビューン』紙でこのように語っていた、「人々は以前、ワッツの出身だと言うことを恥じていました。口ごもって、はっきり言わなかったのです。でも今は、誇らしげにそう言います。いつもだらしなくシャツの前をヘソの上まで開けて、あなたぐらいならほんの半秒で八つ裂きにしてしまっていたような少年たちが、毎朝、7時にここに駆けつけました。食糧の配給を組織していたのです。もちろん、幻想を抱いてはなりません。その食糧は略奪してきたものなのですから……。あのキリスト教の長ったらしいお説教が、あまりに長い間、黒人を抑えるのに使われてきました。ここの住人が、10年間、略奪を続けたとしても、これまでの年月にここの商店が彼らから巻き上げたお金の半分も回収することはできないのでしょう……。私はと言えば、私は単なる黒人の小娘にすぎません」。暴動の間にサンダルに染みついた血を決して洗わないことに決めたボビー・ホーロンは、「今では、世界中がワッツ地区を見つめています」と語っている。
 歴史に介入することを人間に断念させるようあらかじめ定められた諸条件から出発して、どのようにして人間は歴史を作るのだろうか。ロサンジェルスの黒人たちは合州国のどこの黒人よりも高い賃金を得ているが、そこにおいて、彼らはまさにカリフォルニアで誇示される最大の富から他所の誰よりもずっと分離されている。つまり、ハリウッドという世界的スペクタクルの中心地が、彼らのすぐ隣にあるからである。我慢すればアメリカ的繁栄が手に入るだろうと彼らは約束されるが、しかしこの繁栄は静止した領域ではなく、終わりのない階段であることを彼らは知っている。登れば登るほど、頂上から遠くなる。なぜなら、彼らは出発点からして不利であり、低い資格しか持たず、それゆえ、失業者が多いからであり、結局のところ、彼らを苦しめている位階制(ヒエラルキー)は単に純粋な経済的事実としての購買力の位階則ではないからである。この位階制は、あらゆる人間的能力が購買力に換算される社会の風習や偏見が日常生活の全側面において彼らに押し付ける本質的劣等性なのである。アメリカ黒人の人間的富〔=人口〕が唾棄すべきものであり犯罪的なものと見なされているのと同じように、金銭的豊かさによって彼らがアメリカ的疎外のなかに完全に受け入れれられるようになることも決してない。黒人全休が、位階秩序化された豊かな社会の貧困を表象しなければならないがゆえに、個人的な豊かさは単に金持ちのニグロを作ることにしかならないのである。暴動に注目していた昔はみな、蜂起の意味を全世界に認めさせようと訴える叫びを耳にした。それは、「これは黒人の革命だ。われわれが望むのは世界がそれを知ることだ!」と叫んでいた。今すぐ自由を(フリーダム・ナウ)*10、という言葉は、歴史上のすべての革命の合い言葉であるが、史上はじめて、貧困ではなく、遂に物質的豊かさが新たな法に従って支配すべき対象となったのである。豊かさを支配すること、それは、単に分配の仕方を変更することではなく、表層から深層までの分配のすべての流れを決定しなおすことである。それは、計り知れない影響力を持つ広大な闘争の第一歩である。
 黒人たちはその闘争において孤立してはいない。なぜなら、アメリカでは、現代資本主義を拒否し、それゆえに黒人と類似した層のなかに、新しいプロレタリア意識(自分は、いかなる点でも、自分の活動と自分の生の主人ではないという意識)が生まれてきているからである。黒人の闘争の第1段階は、まさに、ますます広がる異議申し立ての口火となった。1964年12月、バークレイの学生たちは、公民権運動への参加を邪魔されたため、ストライキを行ってカリフォルニアのこの「人種隔離大学(マルチヴァーシティ)」*11の働きを告発し、それを通して、アメリカ社会の組織全体と、そこで彼らにに割り当てられている受動的な役割を告発した。すぐに若い学生たちのあいだには、酒と麻薬の乱痴気騒ぎや性的モラルの解体が蔓延しているという指摘がされたが、これは黒人が非難されていたのと同じやり方である。この学生世代は、その後、支配的なスペクタクルと闘う最初の闘争形態をあみ出した。それはティーチ・インと呼ばれるもので、10月20日に、イギリスのエディンバラ大学でも、ローデシア危機*12に関して再びそれが用いられた,この闘争形態──もちろんそれは原始的でまだ洗練されていないものだが──は問題を議論する契機〔=時間〕であり、それは(アカデミックな意味での)時間的な枠組みに囚われることを拒否することによって、最後まで議論を推し進めることを求めるものでもある。この最後とは、当然、実践的行動のことである.10月には、ヴェトナム戦争に反対する何万人ものデモ隊がニューヨークとバークレイの街頭に姿を現し、ワッツ暴動の参加者の叫びに介流して「われわれの地区からも、ヴェトナムからも出てゆけ!」と叫んだ。急進的な白人のあいだでは、例の合法性という壁は乗り越えられた。兵役資格審査会でのごまかし方を教える「教室」がいくつも開かれ(『ル・モンド』紙、1965年10月19日付)、テレビ・カメラの前で徴兵カードを燃やす者もいる。豊かな社会のなかで、この豊かさとそれにかかる費用に対する嫌悪の情があらわに示されているのである。スペクタクルは、その価値を否定する先進層の者たちの自律的な活動によってとばっちりを受ける。古典的なプロレタリアートは、まさに彼ら自身が一時的に資本主義体制に統合されえた限りにおいて、黒人を統合していなかった(ロサンジェルスの多くの組合は1959年まで黒人の加盟を拒否していた)。そして今、黒人は資本主義へのこの統合──約束されたあらゆる統合の極み(ネック・プリュス・ユルトラ)──の論理を拒否するすべての者にとっての統一の中心軸となっている。そして、市場にないもの、市場がまさに排除するものを求める人々を満足させるほど十分に快適な安楽は、決して存在しないだろう。最も特権を受けた者たちの科学技術によってたどりついた水準は1つの侮辱となる。この侮辱は、物象化という本質的な侮辱よりもずっと容易に表現できる。ロサンジェルスの反乱は、暑い盛りにエアコンがないことを口実にしばしば正当化することのできた史上初めての反乱なのである。
 アメリカ黒人には、彼ら白身のスペクタクルや、彼らの新聞、彼らの雑誌があり、彼らの黒人スターがいる。彼らはそれを認め、また偽物のスペクタクルとして、彼ら自身の不名誉の表現としてそれを嫌っているが、そのわけは、それらがマイノリティーのもの、つまり、一般的スペクタクルの単なる付録にしか見えないからである。彼らに望まれる消費のスペクタクルが白人のスペクタクルの植民地(コロニー)にすぎないことを認識しているがゆえに、彼らには、あらゆる経済的文化的スペクタクルの嘘がより早く見える。黒人は、アメリカ人すべての公認の価値である豊かさに、実際に、しかもただちに、与ることを望むことによって、アメリカにおける日常生活のスペクタクルを平等に実現し、このスペクタクルの半−天上的かつ半−地上的な価値を試すことを要求する。しかし、スペクタクルの本質には、白人にとってさえ即座にかつ平等には実現されえないということが含まれている(黒人はまさに、豊かさをめざす競争において、あの活気を与える不平等という完璧なスペクタクル上の担保の役目を果たしているのだ)。黒人が資本主義のスペクタクルを文字どおり受け取ることを要求するとき、すでに彼らはスペクタクルそのものを拒絶しているのである。スペクタクルとは奴隷のための麻薬である。それが意図するのは、文字どおり受け取られることではなく、ほんの少しだけ遅れて追い求められることである(遅れがもうなくなった時には、欺瞞が姿を現す)。実際に、合州国では今日、白人が商品の奴隷であるのに対して、黒人は商品の否定者である。黒人たちは白人よりも多くを望んでいる。これこそが解決不可能な──あるいは、この白人社会を解体することによってしか解決できない──問題の核心である。したがって、自分自身の奴隷状態から脱出したいと望む白人は、何よりもまず、黒人の反乱に加わらねばならない。もちろん、有色であることを肯定する反乱としてではなく、商品一般を拒否し、最終的には国家を拒否する反乱として。白人に対して経済的、心理的格差があるために、黒人には白人の消費者とはいかなるものかがよく見えている。そして、彼らが白人に対して感じる正当な軽蔑は、あらゆる受動的消費者に対する軽蔑となる。自らもまたこの役割を拒絶する白人は、自分たちの闘いを常によりいっそう黒人の闘争と一体化させることによってしか、すなわち、自らの手で自らの闘争を見出し、その闘争の首尾一貫した道理を最後まで支持することによってしか、生き延びるチャンスはない。もしこの2つの闘いの融合が闘争の激化のまえで崩れてしまえば、黒人ナショナリズムが発達し、支配的社会の最も古いモデルに従って双方を対立させてしまうだろう。もう堪えきれなくなった時に、現状から考えられるもう1つの選択肢は、互いどうしの一連の絶滅過程の進行である。
 分離主義的であれ親アフリカ的であれ、黒人ナショナリズムの試みは、現実の抑圧に何ら答えられない夢想である。アメリカ黒人に、祖国はない。彼らはアメリカで、自分のところにいながら疎外されている。それは他のアメリカ人と同じだが、彼らはそれを知っているのである。だから、黒人は、アメリカ社会の遅れた層(セクター)ではなく、その最も進んだ層なのである。彼らは活動中の否定であり、「闘争を組織することによって歴史を作るような運動を産み出す〔この社会の〕短所」(『哲学の貧困』)である。この点についてアフリカは存在しない。
 アメリカ黒人は、電子工学(エレクトロニクス)や広告、サイクロトロンと同じ資格で、現代産業
の生産物であり、その矛盾を身にまとっている。彼らは、スペクタクルの楽園が統合すると同時に拒絶しなければならない人間であり、その結果、彼らにおいては、スペクタクルと人間の活動との敵対関係が完全に姿を現している。スペクタクルは商品と同じように普遍的である。だが、商品の世界は階級対立に基づいているために、商品そのものが位階秩序化されているのである。普遍的であると同時に位階秩序化されていなくてはならないという、商品にとっての必要、そしてそれゆえ商品の世界の情報を与えるスペクタクルにとっての必要は、普遍的な位階秩序化に行き着く。しかし、この位階秩序化は口外できないままであり続けなければならないことから、道理なき合理化の世界のなかで、非合理であるがゆえに口に出せないようなさまざまな位階的な価値づけに転化する。いたるところで人種主義を産み出しているのは、この位階秩序化である。労働党政権下のイギリスは有色人種の移民を制限するようになり、ヨーロッパの先進工業国は、自分たち用の下層プロレタリアートを地中海沿岸から輸入し、国内の植民地核支配者を搾取することによって、再び人種主義の国に戻りつつある。一方、ロシアが反ユダヤ主義であることをやめないのは、これまでも労働が商品として売られなければならない位階的な社会であることをやめたことがなかったからである。位階秩序──労働運動の指導者と労働者の間のものであろうと、人工的に区別された2種類の車のモデルの間のものであろうと──は、商品とともに、常に新たなかたちで再編成され、広がってゆく。それは、商品的合理性の根源的矢陥であり、ブルジョワ的理性の病であり、官僚制における遺伝病である。しかし、ある種の位階秩序の唾棄すべき不条理と、商品世界が盲目的かつ自動的にそれらの位階秩序の防衛に全力を挙げているという事実を知れば、否定の実践が開始されるやいなや、あらゆる位階秩序の不条理を容易に理解できるようになる。
 産業革命によって作り出された合理的な世界は、地域的、国家的限界から個人を合理的に解放し、世界的規模で彼らを結び付けた。だが、その世界の非理性は、ぱかげた考えと不条理な価値づけとして現れる隠れた論理に従って、彼らを再び切り離すことになる。自分の世界に対してよそ者となった人間を、どこでも、外国人が取り囲んでいる。もはや野蛮人は地球の果てにはいない。彼らは、ここで、まさに位階秩序化された同一の消費に参加することを強制されることによって、野蛮人に作り上げられるのである。こうしたことを覆い隠す人道主義ヒューマニズム)は、人間とは逆のもの、人間の活動と欲望を否定するものである。それは商品の人道主義、商品が寄生する人間に対して商品が示す好意なのである。人間をモノに切り縮める者の眼には、モノがあらゆる人間的資質を持つように見え、本当の人間的表出〔=人間のデモ〕は動物的な無意識に変わってしまう。「彼らは動物園の猿の群れのように振る舞い始めた」と、ロサンジェルスの人道団体の理事長であるウィリアム・パーカーは、□にすることさえできたのである。
 カリフォルニア州当局によって「反乱状態」が宣言されたとき、保険会社はこのレヴェル、つまり生き延びを越えたレヴェルではリスクを補償しないと念を押した。アメリカ黒人は、全体として、その生き延びを脅かされているわけではない──少なくとも、大人しくしていればの話だが。そして、資本主義は十分に集中され、国家の中に複雑に入り込んできたため、最も貧しい者たちに「援助物資」を配給できるようになった。しかし、黒人は、社会的に組織された生き延びの量の増大という点で遅れた状態にあるというただそれだけの理由から、生の問題を提起するのである。彼らが要求しているのは生なのである。黒人は確保すべき自分のものは何も持っていない。彼らは、これまで知られているいかなる形態の社会保障や私的保険も破壌すべきなのである。彼らは実際に彼らがそうであるもの、すなわち、和解不可能な敵として姿を現している。もっとも大多数のアメリカ人と和解不可能なのではなく、現代社会全体の疎外された生活様式と和解不可能なのである。世界一の先進工業国〔アメリカ〕は、体制そのものが転覆されないかぎり、いたるところで繰り返されることになる途をわれわれに示すことしかしていないのである。
 黒人ナショナリズムの過激派のなかには、自分たちに受け入れられるのは分離した国家だけであることを示すために、アメリカ社会がいつの日かあらゆる市民的、経済的平等を黒人に認めることになろうとも、個人レヴェルでは人種間結婚を認めるところまでは決してゆかないだろうという論拠を提出した者もいる。アメリカでも世界のどこででも、それゆえこのようなアメリカ社会そのものこそが消え去らねばならないのである。あらゆる人種的偏見の終末は、性的自由の分野での禁止に関る他の多くの偏見の終末と同じく、明らかに「結婚」そのものやブルジョワ的家族の範囲を超えたものとなるだろう。このブルジョワ的家族というものは、アメリカ黒人のあいだでは非常に危うくなっているが、位階的関係と相続した力(金銭や社会−国家的等級)の安定性のモデルとして、ロシアでも合州国でも同じように支配的な形態なのである。しばらく前からよく言われることだが、アメリカの若者は、30年の沈黙の後に、異議申し立ての勢力として出現し、黒人の反乱のなかに彼らのスペイン戦争を見出したところである。今度こそ、彼らの「リンカーン大隊」*13は、自分たちが参加する闘いの意味をすべて理解し、その闘いの持つ普遍性においてそれを完全に支持しなければならない。1937年5月にバルセロナでのPOUM*14武装抵抗が反フランコ戦争に対する裏切りでなかったのと同様に、ロサンジェルスの「行き過ぎた行動」も黒人の政治的失敗ではないのである。スペクタクルに対する反乱は全体性のレヴェルに位置する。なぜなら、それは、ただワッツ地区のみで生じたものだとしても、非人間的な生に反対する人間の抗議だからである。その反乱は現実の1個人のレヴェルで始まったからであり、反乱した個人が切り離されている共同体とは、人間の真の社会的本性、すなわち、スペクタクルの積極的乗り越えという人間的本性だからである。

*1:ワッツ地区 ロサンジェルス南部の黒人居住地域。ゲットー化した劣悪な住環境に貧しい黒人が多数住む。失業率は全米の平均よりけるかに高く、裕福なロサンジェルス北部とは逆に小学校には食堂がないため、子供たちは飢餓と栄養不良に苦しんでいた。1965年8月11日、白人警官が1人の黒人を逮捕・暴行したことをきっかけに、6日間にわたる暴動が起こり、黒人を搾取していた白人商店の略奪、警官・州兵とヘリコプター・戦車に対する火器を用いた抵抗によって、約4000名の逮捕者、36名の死者、約900名の重軽傷者を出した。

*2:全米有色人種向上協会(NAACP) 1909−10年創設の運動組織で「全国黒人向上協会」とも訳される 立法活動と法廷闘争によって黒人の教育、政治的権利、公民権獲得運動を全国規模で組織。54年に公立学校での人種分離を禁止したブラウン判決を勝ち取り、55年にはアラバマ州モントゴメリーで、バスの人種隔離に抗議し白人専用席に座り逮捕されたローサ・パークスの裁判闘争を支援し、バス・ボイコット運動を推進するなど、公民権運動の初期に重要な役割を果たしたが、60年代半ば以降の公民権運動を乗り越える黒人大衆の反乱に対しては反動的な立場をとった。

*3:ローマ・カトリック教会勢力の近代化(アジョルナメント) 1962年10月11日にローマ教皇ヨハネス23世が招集した第2回バチカン公会議のこと。史上最大のこのカトリック公会議は、65年まで続き、他教会との和解と統一、教会規律の刷新、政治・経済・文化戦略など、教会近代化のためにさまざまな問題を討議した。

*4:ホウアリ・ブーメディエン(1932−78年) アルジェリアの軍人・政治家1952年フうンス軍に召集されたが、国外に逃亡。カィロでFLNに参加、55年に帰国し解放軍(ALN)に入り、60年同総参謀長、61年に臨時政府ができてからは首相ベン・ベラと手を組み、国防相となる。63年独立後、第1副大紋頷となるが、65年に反ベン・ベラ・クーデタを起こし、革命評議会議長・国家元首・国防相に就任した。

*5:『〔アルジェリアと万国の革命派への〕アピール』 1965年7月にアルジェで配布されたSIのパンフレット。フランス語・アラブ語・英語の3ヵ国語で印刷され、ブーメディエンのクーデターに抗して、アルジェリアの自主管理連動の質的発展を求めた 本書117ページを参照。

*6:アラバマ州モントゴメリー 米国南部、アラバマ州の州都。このすぐ後の「セルマ」の訳注を参照。

*7:ウォーレス知事 米国の政治家ジョージ・コーレイ・ウォーレス(1919−)のこと。ウォーレスはアラバマ州民主党で活勤した後、62年、人種差別を公然と掲げて州知事に当選、以後、79年まで州知事の座を守り、黒人差別政策を推進した。68年には差別主義と州権諭を掲げる〈アメリカ独立党〉大統領候補となり多くの得票を得たことでも知られる。

*8:キング牧師 米国の公民権運動指導者マルティン・ルーサー・キング(1929−68年)のこと。キングは、アトランタに生まれ、神学校卒業後、ボストン大学で博士号をとり、最初の赴任地アラバマ州モントゴメリーで南部の人種差別に憤慨し、55年バス・ボイコット闘争を組織。57年には南部キリスト教指導者会議を組織、非暴力主義に立つ公民権運動を進めた。64年にはノーベル平和賞を受けたが、68年テネシー州メンフィスで暗殺。

*9:セルマ アラバマ州西部の工業都市。モントゴメリーの西65キロのアラバマ下流に位置する。64年7月のジョンソン大統領による新公民権法公布以後も、白人支配層が黒人の選挙人名簿への登録を徹底的に拒んだため、登録運動を支援し市当局に抗議するため、SNCC(学生非暴力調整委員会)やSCLC(南部キリスト教指導者会議)などの全米の黒人団体と反人種主義団体が集まった。1965年3月10日にセルマからモントゴメリーヘの行進が計画されたが、非暴力を唱えるキング牧師連邦政府との密約によって、デモ隊はセルマ市を出る橋のたもとで警察の阻止線を前に引き返してしまった。このセルマに結集した先進的な黒人の間から、「ラウンデス郡自由組織」すなわち「ブラック・パンサー党」が結成されたことで知られる。

*10:今すぐ自由を(フリーダム・ナウ) キング牧師らの組織する公民権運動が黒人中産階級の解放(法的権利の平等)しかもたらさないことに不満を抱く黒人が掲げた合言葉で、あらゆる形態の差別と弾圧からの即時の解放、実質的な平等の実現今を求める「即時自由要求運動」のこと。

*11:「人種隔離大学(マルチヴァーシティ)」  「大学=普遍性( University )とは名ばかりで、黒人の入学を喜ばない大学を皮肉って、Uni(統一・平等)ではなくMulti(多様性に基づく差別)の場として、[マルチヴァーシティ」と呼んでいるものと思われる。

*12:ローデシア危機 1965年11月11日、白人強硬派で人種隔離政策を掲げるローデシア戦線が、黒人組織や植民地宗主国イギリスの意向を無視して、一方的に「白人国家」としての独立を宣言、国連安保理による非難決議、対ローデシア石油輸出禁止、英国による経済制裁が断行された。アフリカ統一機構(OAU)は英国に白人政権打倒を求めたが、英国が拒否したために、OAUの加盟国の多くが英国と断交した。

*13:リンカーン大隊 1936年からのスペイン内戦に国際義勇軍として志願したアメリカ人によって構成された2つの大隊の‐1つ。ペンシルヴァニア出身のマーテイン・ファリハンに指揮され、第15旅団に編入されていた。一時期、作家のヘミンクウェイも所属していた。

*14:POUM マルクス主義統一労働者党。アンドゥレウ・ニン率いるカタルニアの左派共産党ホアキン・マウリンの労働者・農民ブロックが合体して1935年に創設、1936年から39年のスペイン革命のなかで最左派の立場を貫く。1937年のバルセロナ5月事件で、コミンテルンに指導されたPSUC(カタルニア統一社会党)による労働者自主管理拠点の急襲に対して、労働者による武装抵抗を組織し、共産党から、フランコと通じたトロツキストの挑発だとの激しい批判を浴びた。