SIの役割   


 われわれは完全に大衆的である。われわれが考察の課題とするのは、全大衆のなかで未解決におかれた問題だけである。シチュアシオニストの理論は、さながら水の中の魚のごとく人民の中にある。SIが思弁の砦を構築していると思っている人々には、われわれは、反対に次のように断言しよう。われわれはまさに、刻一刻われわれの計画を身をもって経験している──もちろんそれは、まずもって欠如と抑圧という形態における経験であるが──大衆の中に溶解せんとしているのである。
 このことが理解できなかった人々は、われわれのプログラムをあらためて検討しなければならない。『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌は、乗り越え作業の暫定的報告を公表するものであり、どのように第1号を読み始めるべきだったのかが、最新号を読んだあとでわかるという、そうした体の雑誌である。
 さまざまな専門家は、それぞれ自分が知や実践の何がしかの領域を掌握しているという錯覚に自惚れているが、われわれの全知的な批判を免れる専門家などいない。われわれは、自分たちにまだどれほど手段が欠けているかを承知している。それはまずもって、われわれの情報不足である(重要な資料があるのにそれを利用できない場合もあれば、われわれの考える最重要問題に関して資料が何一つ存在しない場合もある)。とはいっても、技術官僚支配(テクノクラシー)の屑どもにも情報が欠けていることを忘れてはならない。この屑どもが、彼らなりの基準で最も広範な情報をもっている分野でさえ、そ江はわれわれを否定するのに必要な情報の10パーセントにも満たない。しかも、彼らが和江和江を否定することは単なる形式的な可能性である。というのも、支配層の官僚たちは、その本性からして、情報の量において大したものを得ることはできないからである(官僚たちは、労働者がどのように働き、人々が現実にどのように生きているかなど知るよしもない)。というわけで、官僚には、情報の質に追いつくことなど期待できない。逆に、われわれに不足しているのは情報の量だけであり、将来、われわれはこれをも手に入れることだろう。というのも、われわれは情報の質を手にしているからであり、これは今からすでに、われわれの手中にある情報の量を乗ずる冪数として機能するからである。この例は、過去の理解についても拡張することができるだろう。つまり、われわれは、歴史家たちのような学識をほとんど持たなくても、過去のいくつかの時代を掘り下げ、再評価することができるのを自負している。
 すべての専門家が知っている生(なま)の事実は、現状のかたちでの現実の組織化を否認し(たとえばサルセル*1の装飾やトニー・アームストロング=ジョーンズの生活様式)、それにすぐさま手厳しい批判を加える。ずっと以前から金で雇われてきた専門家たちは、あらゆる現実が示しているこうした事実を、誰も表現代表しないことに喜んでいる。専門家たちよ、慄えるがよい。専門家の時代は過ぎ去った。われわれは彼らを打ち倒し、同時に、彼らを庇護してきたあらゆるヒエラルキーを打ち倒すだろう。
 われわれは、さまざまな専門分野のそれぞれに異議をさしはさむことができる。われわれは、いかなる専門家をも、そのただ一つの分野の支配者たるがままにはさせない。われわれには、人々が算定し、計算する際のその諸形式にたいして暫定的な操作を行う準備ができている。われわれにそれができるのは、そうした計算に必然的に含まれている、そ江自体計算可能な誤謬の幅を知っているからである。かくしてわれわれ自身、われわれがその誤りを知っているカテゴリーの使用によって惹き起こされる誤謬のファクターを、われわれの結果から減少させることになろう。われわれはそのつど、容易に闘争の舞台を選ぶことができる。今日、テクノクラシーの思考がそこに収斂する「モデル」(完全なる競争であれ、完全なる計画化であれ)に別の「モデル」で対抗すべきであるとすれば、われわれの「モデル」は、完全なるコミュニケーションである。これをユートピアなどとは言わないでほしい。これはひとつの仮説として認めなければならない。もちろんそれは、現実にそのまま実現されることなどありはしない。それは他の仮説にしても同じことだ。しかし、不可逆的な表現としてのポトラッチの理論によって、われわれはそれを補完するファクターを自ら所有している。もはや「ユートピア」は可能性としてあるのではない。というのも、それを実現するためのすべての条件は、現にすでに存在しているからである。それは現在の秩序を維持するために横領されているのだ。この秩序の不条理さたるや実に甚だしいものなので、人々はその代価のいかんにかかわらず、まずもってこのユートピアを実現するが、事後的にでさえ、誰一人としてその理論を定式化しようとしないのである。これは抑圧のユートピアである。それはすべての権力を意のままにするが、誰もそんなユートピアなど望んでいない。
 われわれは、「疎外の正の極」についても負の極についてと同しばし正確に研究を行っている。富の貧しさに関する診断の帰結として、われわれは貧困についての限りなく豊かな世界地図を作成することができる。新しい地形を雄弁に示すこうした地図こそは、「人間的地理学」の最初の成果となろう。そこには、石油鉱床の代わりに、まだ利用されていないプロレタリア意識の広がりの見取り図が描かれるだろう。
 こういうわけであるから、われわれと無力な知識人世代との関係の一般的基調は容易に理解できるだろう。われわれはどんな妥協もしない。われわれと同じように自発的に考える犬衆のなかから、知識人のほぼ全員を排除する必要があるのは明らかである。これら知識人とは要するに、今日風の思想を賃借りし、それで自分を思想家だと考えてきっと満足しているような連中である。彼らは、あるがままの自分を、つまり無力なものとしての自分を受け入れ、ついで思想一般の無力を云々する(まさに知識人に捧げられた『アルギュマン』誌第20号*2編集委員たちの道化ぶりを見よ)。
 共同行動の最初から、われわれの立場は明確であった。しかし、われわれの動きが非常に重要なものとなった今、どうでもよい相手と議論する必要などもはやない。われわれの支持者はいたるところにいる。そして、われわれは、彼らを失望させる気など毛頭ないのだ。われわれがもたらすもの、それは剣である。
 意味のある対話者たりうる人々についていえば、彼らには、われわれと無害な関係など持ちようが無いことを承知しておいてもらいたい。われわれは決定的な転回点に立っており、自らの誤謬の率がどれだけかは知っているが、それでも、それら同盟者たる可能性のある人々に包括的な選択を強いることはできる。われわれを全体として受け入れるか、拒絶するかのどちらかを選択せねばなるまい。われわれは細かい議論はしない。
 こうした真実を告げたからといって何も驚くことはない。驚くのはむしろ、世論調査の専門家たちが皆、多くの事柄について湧き上がるあの正当な怒りがどれほど近づきつつあるかを知らないことだ。ある日、這築家たちがサルセルの街で追い立てられ縛り首になるのを目にしたら、彼らはまったくびっくりするだろう。
 多がれ少ながれ、来るべき異変の必然性を理解した他のグループにみられる欠点は、その肯定性である。これらのグループは、芸街上の前衛あるいは新たな政治組織たらんと試みながらも、皆、古い実践から何かを救わねばならないと考えて、道を外れてしまう。
 性急にポジティヅな政治組織を目指す人々は、古い政治に全面的に依存したままそれを行ってしまう。同様に、多くの人々がシチュアシオニストにポジティヴな芸術となることを促した。われわれの強みは、決してそうしたことをしなかった点にある。現代文化におけるわれわれの支配的な位置をかつてなく適切に示しているのは、イェーテボリの大会で採択された次のような決定である。それは、現在の枠組みの中でSIのメンバーが製作する一切の芸術作品を、今後はシチュアシオニストなものと呼ぶという決定である。これら芸術作品は、現在の枠組みを破壊することと強化することに、同時に貢献することになるのである。
 文化の中でわれわれが擁護する解釈は、単なる仮定のように見なされるかもしれない。われわれはこの解釈の真なることが実際に検証され、早々に乗り越えられることを期待している。だがいずれにせよ、この解釈は、次のような意味で、厳密な科学的検証の本質的諸性格を有している。すなわち、この解釈は、他の者には首尾一貫せず説明不可能な──それゆえ別の諸カによって隠蔽されることさえある──一定数の現象を説明し、秩序づけることができるのであり、また、後々制御可能となるいくつかの事実を予測することを可能ならしめる、ということである。われわれは、文化なり人文科学と呼びならわされている分野で、どんな研究者のものであれ、いわゆる客観性などというものに一瞬も惑わされたりはしない。反対に、客観性は、解答と同じだけの問題を隠蔽するのがお決まりである。SIは、隠されたものを暴露しなければならないし、敵たちによって「隠された」可能性としてのSIそのものを暴露しなければならない。われわれは、──他の人々が忘却することを選んださまざまな矛盾を際立たせながら──これを成功裡に成し遂げ、ドゥボールコターニィ、トロッチ、ヴァネーゲムによって起草された「ハンブルグテーゼ」*3(1961年)が予見したような実践的な力ヘと自らを変貌させるだろう。
 SIのプロジェクトは、さますまな行為、そして想像的なもののなかに完全なる自由を具体化することである。というのも、現存する抑圧のもとで自由は想像するのも容易ではないからだ。というわけで、われわれは、万人の内にある最も奥深い欲望に同一化し、それに最大限の放将さを与えることによって勝利を手にすることになろう。現代の広告における「勤機づけの探求者」たちは、人々の潜在意識にモノヘの欲望を見いだしている。われわれは、唯一、生を束縛する桎梏を粉砕することへの欲望だけを見いだすだろう。われわれは、圧倒的多数派の中心観念を代表している。われわれの第一原理は、議論の余地なきものでなければならない。

*1:サルセル パリ郊外北部のニュータウン。1958年から1961年にかけて、パリ周辺では初めての大規模な団地が建設されたが、多くの批判を巻き起こし、問題のあるベッド・タウンのシンボルとなった。

*2:『アルギュマン』誌第20号 1960年第四四半期に発行された『アルギュマン』誌第20号は「知識人」の総特集号で「思想家と知識人」、「知識人の危機」の小見出しの下にハイデガーの「思考の原理」やロラン・バルトの「作家と書く人」、モランの「知識人──神話の批判と批判の神託」、フージェロラスの「知識人(アンテレクチュエル)という語」などの論文を掲載している。

*3:ハンブルク・テーゼ」 1961年9月の初め、ドゥボールコターニィヴァネーゲムが、イェーテボリでのSI第5回大会合の帰路に立ち寄ったハンフルクのとあるバーで行ったSIの理論と戦略に関する議論の結論のこと(トロッチは、その場に同席せず、後に意見を加えた)。ドゥボールが1989年に発表した「1961年9月のハンブルク・テーゼ(シチュアシオニスト・インターナショナルの歴史に役立てるためのノート)」によると、このテーゼは、SI外への流出に対する危惧から、文書としては残されず、署名もなされなかったが、SIのその後の方向を決定する重要な役割を果たした。テーゼ自体の内容は豊かで複雑なものだったが、その要点は、「SIは、今や、哲学を実現しなければならない」という文章に尽きる。