『否定としての、また予兆としての転用』訳者解題

 「転用( detournement )」という概念は、レトリスト・インターナショナルのなかで確立された概念である。この記事でも触れられている「転用の使用法」(『裸の唇』誌 第8号、1956年5月)のなかで、ギー・ドゥボールとジル・ヴォルマンは、その歴史的意義を述べている。
 そこで強調されていることは、まず第1に、既存の要素からのみ作られるこの転用という「芸術」行為は、とりわけ社会の変動期に出現し、プロパガンダの道具として、それまでの芸術ジャンルの垣根を超えた新しいタイプの活動としてなされる。そこでは、「機知の表現手段はすべて、プロパガンダの総体的運動──それは、絶えざる相互作用の中に置かれた社会的現実の全側面を包括するはずだ──の中で1つに溶け合うことになる」。第2に、こうしてなされる「転用」はあくまで肯定的な意義を持たねばならないということである。それは、マルセル・デュシャンモナリザに髭を描き込んだような単なるスキャンダルをめざすのではなく、むしろブレヒトがその「叙事演劇」のなかで古典悲劇を観客への教育的効果(「異化効果」)を意図して使用するように、「否定の否定」としての肯定なのである。第3に、それはブルジョワ的所有形態である「私的所有」を無化する有効な道具として用いられる。そして以後に、「転用」は、既存秩序のなかでの戯れとしての単なる「パロディ」ではなく、秩序を破壊する「真剣なパロディ」あるいは「パロディ─まじめ(parodiqueserieux)の段階にまで高められねばならない。ドゥボールとヴォマンがこうした「真剣なパロディ」の先駆者として挙げているのは、『ポエジー詩学)』でヴォーヴナルグパスカルの文章を剽窃してまったく新しい詩の理論を作りあげ、ビュフォンの博物学の文章など膨大な他人の文章を剽窃して『マルドロールの歌』を書き上げたロートレアモンであるが、シチュアシオニストの活動──その実際の「作品」から、運動の組織形態と実践活動まで──は、ある意味で、このロートレアモンの活動を「真剣な遊び」として、体系的に行ったものにほかならない。
 ちなみに、この「転用の使用法」が掲載された『裸の唇』誌 第8号の表紙は、それ自体が「転用」の見本であり、そこにはフランス本土の地図の上で、パリの代わりにアルジエ、マルセイユの代わりにコンスタンティーヌなど、フランスの地名がすべてアルジェリアの都市の名に代えられている。また、目次では、「転用の使用法」はアラゴンアンドレ・ブルトンの論文ということになり、他の執筆者もシュヴァイツァール・コルビュジエセシル・サン=ローランなど、彼らの攻撃対象の人物の名になっている。

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