『アラン・レネ以降の映画』 訳者解題

 『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』第3号が発行された1959年は、ヌーヴェル・ヴァーグの誕生の年でもある。この年の春のカンヌ映画祭で、トリュフォーの『大人は判ってくれない』が監督賞を、アラン・レネの『24時間の情事』が国際映画批評家大賞を獲った。また、2月、3月にはクロード・シャブロルの『美しきセルジュ』、『いとこ同志』が相次いで公開されヒットし、6月から8月にはエリック・ロメールの『獅子座』、ゴダールの『勝手にしやがれ』、フィリップ・ド・ブロカの『恋の戯れ』などがクランク・インする。彼らはみな、1940年代末から50年代初めの若い頃、アンリ・ラングロワが主催していたシネマテークや、カルチェ・ラタンのシネクラブなどで、映画を娯楽としてではなく監督の表現として見る「作家主義」の見方を身に付け、51年に創刊された映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の同人として「作家主義」に基づいた映画批評を書くなかから映画を作るようになっていった。
 この記事のなかで述べられているようにシチュアシオニストは、ヌーヴェル・ヴァーグ映画作家のうち、アラン・レネを除き全く評価しない。この態度は、シュルレアリスト、ロベール・ベナユーンの『ポジティフ』誌の立場と共通しているが、これは、戦前・戦後の数々の実験的映画の歴史のなかで、ヌーヴェル・ヴァーグの行っていることが狭い商業主義映画の世界での「新しい波」にすぎないと、彼らの目には映ったからに違いない。

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