『独自性と偉大性(イズーの体系(システム)について)』 訳者改題

 ここでヨルンが批判しているレトリスム創始者イジドール・イズー*1とその「体系」について簡単に説明しておく。
 ルーマニアの裕福なユダヤ人家庭に生まれたイジドール・イズーは戦前、膨大な量のフランス語やラテン語の読書のなかから、1942年、17歳の時に、突然、文化の統一理論を考案し、「レトリスム宣言」を作成する。1945年、解放後のパリに出てきた彼は、その理論をフランスの大出版社ガリマール書店から出すことを願って、ルーマニアのジャーナリストになりすまして、ガストン・ガリマールにインタヴューを行い、その際に直接彼に原稿を手渡す。この原稿は、ガリマールの顧問ジャン・ポーランにも読まれたが、そのときには結局、出版に値するとは判断されなかった。その後、1946年、イズーはガブリエル・ポムラン*2とともに、トリスタン・ツァラの芝居の会場でスキャンダルを引き起こし、『コンバ』紙の一面に取り上げられて一躍有名になった。それをきっかけに、ガリマールはイズーの原稿の出版を決め、翌年『新しい詩と新しい音楽への序説――ボードレールからイズーにいたる』が世に現れたのである。
 その中で展開されているものがイズーの「体系(システム)」であるが、それはかなり乱暴な文化の一般理論であり、「創造者」としての芸術家を神になぞらえた俗流神秘思想と、ボードレールから出発してイズーに至り着く単純な進歩史観とを混合させたものである。イズーによると、社会の進化の動因は生存本能ではなく創造の意志にある。そこから意志的な創造者としての「芸術家」が特権視され、「芸術家」は最初の創造者である「神」と同じ位に就けられる。ところで、この「創造」のプロセスには神でさえ免れることのできない一連の法則がある。すなわち、第1に、「創造」とは主観的な発明ではなく、「発明のメカニクス」を認識し、それを明確な意図のもとに利用することであるというものと、第2に、あらゆる美的形態(formes)は必ず「充溢」(amplitude)の段階から「解体」(décomposition)の段階へと移行するというものである。「充溢」の段階ではあらゆる形態が生そのものの隠喩(メタフォール)であり、世界には意味が充満している。それが臨界点に達すると、今度は「解体」の段階になり、形態はすべて崩壊し、生は縮小に向かう。そして、孤立した形態が、
自己自身を主題としはじめ、形態は内破する。イズーのレトリスムは、この「解体」の段階を極限にまで押し進めることによって、言語の中に新しい意味を迎え入れ、新たなゼロからの創造――それをイズーは「創造術(クレアティック)」と呼ぶ
――を行うための出発点として考えられている。それを行うレトリスムのイズーは現代の新たな神なのである。
 これらのことは、『新しい詩と新しい音楽への序説』に付された図からも一目瞭然である。「詩における技術的感性の進化」と題されたこの図では、詩の充溢の時期はヴィクトル・ユゴーで終わりを告げ、以後、解体の時期に入る。ユゴーまでは、「語」(les mots)は意味に溢れ、「主体=主題」(le sujet)を広く取り囲んでいる。ところが、ボードレールランボーヴェルレーヌの時期には「主体=主題」の生は収縮し、「語」の意味は「造形的映像」と化し、解体に向かう。つまり、ボードレールは詩の形式のために物語や逸話を破壊し、ランボーは語のために詩句をも破壊するというのである。次にマラルメヴァレリーが「語」を聴覚映像に還元し、やがてツァラブルトンが「空虚な概念」(語)にまで詩の言語を破壊し尽くす。このダダとシュルレアリスムの後に現れ、概念の抜け殻として何も意味しなくなった「語」をさらに「細分」(fraction)し、「文字」(la lettre)の音と形態にまで還元するのがレトリスムなのである。
 自らを遠近法の消失点に位置づけ、自己を起点に未来に向かって「詩と主体の生成」を構想するイズーの体系とは、古典幾何学の遠近法をそのまま歴史過程に当てはめた疑似科学的な体系であり、自己を神聖なゼロ点に位置する創造主として位置づけ、それを起点に過去と未来を直線的な時間の進行のなかに配するという点で、ユダヤキリスト教的な時間進行を模した疑似宗教的な体系でもあると言えるだろう。ヨルンはここでまさにそれを批判しているのである。


   

*1:イジドール・イズー(本名ジャン=イジドール・ゴールドシュタイン。1925−)  ルーマニア生まれのフランスの詩人。1946年、言語表象と造形表象の境界を廃した前衛的な芸術表現であるレトリスム運動を開始する。が、1950年代に入り、芸術家=創造者を神に擬する神秘主義的傾向を顕著にし始めたために、ドゥボールら若いレトリストから断罪される。著書に『新しい詩と新しい音楽への序論』(1947年)、『スペクタクル作品集』(64年)、『ネオ・ナチ=シチュアシオニスト映画に反対』(79年)など。映画についての映画である『涎と永遠についての概論』(51年)はカンヌ映画祭ジャン・コクトーに絶賛され、「アバンギャルド観客賞」、「カンヌ映画祭欄外賞」を獲得し評判になった。

*2:ガブリエル・ポムラン(1926−72年) パリ生まれのレトリスト。若くからロートレアモンに熱狂するシュルレアリスム・シンパだったが、19歳の時、ユダヤ人難民の公営食堂でイズーと出会い、レトリスト最初のメンバーとなる。自ら、「レトリストの聖歌隊長」、「サン・ジェルマン・デ・プレの聖者」と名乗り、レトリストのさまざまな行動や示威集会に参加した。52年のチャップリン事件の時にはドゥボールらのチャップリン糾弾行動には参加せずイズーの側についたが、その後、阿片常用者となり、56年にイズーによってレトリストの運動から追放され、1972年に自殺した。レトリストの時代に出版した『サン・ゲットー・デ・プレ――魔法の文字』(1950年)はレトリスム作品の中でも秀逸で、メタグラフィーを自由に展開し、テクスト全体が表意文字判じ絵ヘブライ文字楔形文字・楽譜などの混ざった記号で書かれている。その他の著作に、LSDについて書いた『ル・D・マン』(66年)がある。