シチュアシオニストでいたいなら、さらなる努力を──解体のなかで、解体に抗するSI (ポトラッチ 第29号)

訳者改題

 ムハンマド・ダフ*1
 われわれがめざしている集団的作業は文化の新しい作戦区域を創出することであり、われわれの仮説では、この作戦区域は、舞台装置と行動様式との弁証法的関係の諸契機をいくつかの状況のなかで準備することによって、さまざまな環境を場合によっては全面的に構築するという位相のなかに位置づけられる。われわれは、芸術や文芸の現代的諸形態が衰退したことについての明確な確認のうえに立脚している。そして、この衰退の切れ目ない動きの分析から、われわれは次のような結論に到った。すなわち、われわれの目には歴史的最終段階に達した解体の状態(この言葉の定義については『状況の構築に関する報告』を参照)と映る文化事象の重要な総体の乗り越えは、文化における現代の行動手段をより優れたやり方で組織することによって追求されなければならないということである。つまり、われわれは使い古された伝統芸術の雲散霧消という現状の彼方を予見し、実験を試みなければならないが、それは、いま形成されつつある社会の都市計画と日常生活に最も肯定的に貫徹されているような新しい世界情勢に応える、何らかの首尾一貫した全体に回帰するためではない。われわれに明瞭に見えているのは、この任務を広く実行するには、いまだ実現されていない革命が前提となること、そして、あらゆる探求の試みは現在の諸矛盾によって煮つまるということである。シチュアシオニスト・インターナショナルは、〔状況(シチュアシオン)という〕その名によって結成されたが、それが意味するのは、誰もと同じく、われわれ自身も完全にそこに含まれている解体を乗り越えて構築するための試みを開始することにほかならない。われわれの現実的可能性を意識化するためには、われわれが企てうる一切の、厳密な意昧での前(プレ)−シチュアシオニスト的性格を認めるとともに、後戻りすることなど考えることなく芸術的分業と断絶する必要がある。この2つの必要のどちらかを誤るならば、新段階と自称する宣言を伴うだけの断片的作品を追求するという、主要な危険にさらされることになる。
 現在のところ、解体が示すものはもはや、8年か10年前、排斥された過激派がいた位置に向かって、穏健な革新者たちをゆっくりと過激化することだけである。しかし、〔過激派の〕袋小路に陥ったその経験から教訓を得るどころか、これら革新者たちは、「良き同伴者として」、さらにその射程を弱めている。フランスの例を挙げてみよう。フランスは、明らかに、さまざまな理由によって西ヨーロッパにおいて最も純粋な状態で現れている、一般的な文化の解体の最も進んだ諸現象を経験したのである。
 『フランス=オプセルヴァトゥール』誌(10月10日号および17日号)でのアラン・ロブ=グリエの最初の2つの時評を読むと、ロブ=グリエとは臆病なイズーである(その議論の立て方においても、また現実離れした「乗り越え」の主張においても)ことに驚かされる。曰く、「(……)諸形式の〈歴史〉に属することこそが、結局のところ、芸術作品を認めるための最善の(そしておそらく唯一の)基準である」。つまるところ個人的なものに終わる通俗的な思考と表現(「繰り返そう。確かな間違いを選ぶよりは、危険を冒すほうがよいのだ」)によって、そして発明性や大胆さなどほとんどなしに、グリエは、芸術の運動についての同じ直線的な見方、人に安堵をもたらす役割をもった機械論的な考え方に依拠する。「芸術は続く。あるいは芸術は死滅する。われわれは、芸術を続けることを選択した者たちなのである。」真っ直ぐに続けるがいい。1957年に、直接の類推によって、ボードレール*2のことを彼に思い出させる者はいるだろうか。クロード・シモン*3がいる。彼が言うには、「一切の過去の価値(……)は、いずれにしてもこれを証明するものと思われる」(直線的継続を主張しておいて、このように証明するように見せかけるのは、まさしく、あらゆる弁証法を拒否し、あらゆる現実の変化を拒否したことに起因する)。事実、戦後になされてきた提案で多少とも興味を引くものは、すべて、当然ながら、徹底的な解体のなかに位置するものであったが、それらは多かれ少ながれ、その彼方を追求しようとする意志を持っていた。こうした意志は、文化的−経済的な排斥(オストラキスモスによって、また考え方や提起の不十分さによって──この2つの側面は相互に依存しあっている──、窒息させられてしまった。われわれの時代に現れた最も有名な芸術は、「どこまで行けば行きすぎることになるのか」を知っている者たちに支配されている(ポストーダダイスム絵画の、儲けになるので終わりがない臨終の苦悶のことを考えてみよ。この絵画は、一般にダダイスムの反転として示され、2つは互いに称賛しあうのである)。彼らの野心も彼らの敵も、どちらも彼らの寸法に合ったものなのだ。ロブ=グリエは、謙遜して、前衛主義者という肩書きを拒んでいる(なお、解体局面における真の「前衛」についての展望を欠いている時に、そのさまざまな不都合、とりわけ非商業的な側面を拒否するのは、正当なことである)。彼は「今日の小説家」であることに満足だろうが、しかし、彼の同類の狭いグループの外に出れば、他の者はすべて端的に「後衛」なのだということには同意せねばならないだろう。それゆえ、彼は果敢にも、ミシェル・ド・サン=ピエール*4を非難する。そこから考えられることは、映画について言うと、彼はグルゲを罵倒する栄光を手に入れ、アストリュック*5のような今の映画を賞賛するだろうということである。実際のところ、ロブ=グリエはある種の社会的集団にとって今日的意味を持っているが、それは、ミシェル・ド・サン=ピエールが別の階級の構成された大衆にとって今日的意味を持つのと同じである。両者はともに、それぞれ異なる感受性に応じて、1つの伝統的な文化的行動様式に近いさまざまな度合いのやり方を用いる限りにおいて、それぞれの大衆にとって「今日的」なのであり、それ以上ではない。今日的であるということは大したことではない。多かれ少なかれ解体されているということにすぎない。今や、新しさは、より上の段階に飛躍することに完全に依存しているのである。
 解体の彼方への展望を持たぬ者たちを特徴づけているのは、その臆病さである。今日の構造の後にあるものは何も見ないくせに、今日の構造の命脈が尽きていることを感じるほどにはそれを知りつくしている彼らは、その構造をじんわりと破壊し、後から来る者たちに残しておくことを望んでいるのである。彼らは、彼ら同様に無力で有害な政治的改良主義者に比すことができる。どちらも、偽の薬を売って生きているのだ。ラディカルな変革を構想しえないものは、与えられたもののさまざまな調整──それは優雅に実行される──を主張するだけで、筋金入りの反動派から区別されるとすれば、それは、単にどの時代を好むかの違いからにすぎない。つまり、そうした反動派は、解体を完成させた文化の(より堅固な)以前の段階に回帰することを願っているだけのことである(政治的に言うと、それは右翼にも左翼にも位置する)。フランソワーズ・ショエ*6のお目出たい美術批評は、臆病な文化的解体の主要な社会的基礎となっている「自由な左翼の知識人」の好みをたいへんよく示しているが、その彼女が、「フランケン*7が進んでいる道は(……)、いま、絵画の生き延びのための1つのチャンスである」(『フランス=オプセルヴァトール』誌 10月17日号)と書くにいたった時、ジダーノフ*8の関心(「われわれが絵画を清算する者たちを壊走させたのは正しかっただろうか」)と根本的に近い彼女の関心の所在を思わず漏らしてしまっているのである。
 われわれは、生産力の必然的な発展とは矛盾した生産関係のなかに閉じこめられている。それは、文化の領域においても同様である。この伝統的な関係に──それによって維持されている議論や様式に──突破口を開かなければならない。既存の諸領域を曇りのない眼で批判することによって、また、そうした 領域を、形式と内容とをより高いレヴェルで一致させることのできる統一的な時空間の構築(状況とは、環境と遊戯的行動様式とのダイナミックなシステムである)のなかに統合することによって、われわれは今日の文化の彼方へと向かって進まなければならない。
 しかしながら、ただ展望を持ったからといって、現実の生産物に価値が与えられるわけでは決してない。現実の生産物が意味を待つのは、当然のことながら、われわれの精神の混乱も含めて世の中に支配的な混乱との関係においてである。われわれのあいだでも、いくつもの利用可能な理論的提案が、旧い部門の限界内での実際の作品と矛盾することかありうる(最初のうちは、そうした部門で行動しなければならない。というのも、今のところ、ただそれだけが共通の現実性を有するものだからだ)。あるいはまた、個々具体的な点では興味深い実験を行った別の同志たちのなかには、既に命脈の尽きた理論の中で道に迷ってしまった者もいる。例えば、W・オルモ*9は、その音響研究を環境の構築に結びつけようとする良き意図には欠けていないが、最近SIに提出されたテクスト(「音楽的実験の概念のために」)では、欠陥のある表現を用いたため、修正が必要になったのである(「実験芸術の概念についての注記」)。私の意見では、これは、もはや今日的意味の記憶すら見られない議論である。
 教義としての「シチュアシオニスム」が存在しないのと同様に、ある種の旧い実験──あるいは、われわれのイデオロギー的、実践的弱さのせいで、今現在、われわれを限界付けているすべてのもの──をシチュアシオニスト的作品として形容させてはならない。だが逆に、神秘化を一時的な価値としてさえ認めるわけにはゆかない。今日の解体された文化のあれこれの表出によって形成された抽象的な経験的事実は、文明の終焉あるいは開始についての全体的展望とそれが結び付いた時にはじめて、具体的意味を持つ。つまり、最終的には、われわれの真剣さによって神秘化を統合しそれを乗り越えることが可能であるということだ。それと同様に、自己の純粋な神秘化を望んでいるものは、解体された思考の現実の歴史的状態の証なのである。昨年の6月、私は1952年に作成した映画*10をロンドンで上映し、当然のこととしてスキャンダルを引き起こしたが、その映画は神秘化ではないし、なおのこと、シチュアシオニスト的作品でもなかった。それは、当時のレトリストのさまざまな錯綜した動機(イズー*11、マルコ*12、ヴォルマン*13映画に開する仕事)に属するものであり、それゆえ、完全に解体の局面──まさにその最も極端な形態において──から生まれたものである。それは──いくつかのプログラム的な示唆のほかには、私がつい今しがたほのめかした作品の特徴としてあった積極的発展の意図さえもっていない。その後、同じロンドンの観衆(〈現代美術院〉の)にチンパンジーが描いた絵を紹介したが、それらの絵はタシスト*14の真面目な絵画との比較に耐えうるものであった。この類似性には教えられることが大きいと、私には思われる。文化の受動的な消費者(われわれが期待しているのは、「審美家」などといった存在が忘れ去られるような世界への積極的な参加の可能性であることは、よく分かってもらえるだろう)は、解体のどのような表出でも好きになることができる(それらの表出とは、まさに、危機と衰退の時代である彼らの時代を最もよく表現する表出であるという意味で、彼らは正しいかもしれない。だが、彼らが好むのは、明らかに、そうした表出のなかでもこの状態を少しだけ覆い隠すものである)。彼らは、すでにロブ=グリエを好きなのだから、あと5,6年もすれば、私の映画や猿の絵を好きになるだろうと思う。猿の絵と、その頃には完成している私の映画作品との唯一の現実的な違いは、われわれも含んだ文化にとって、私の作品が場合によっては脅威としての意味を持つ、すなわち、ある種の未来の集団に対する賭けである、というところにある。そして、ある種の断絶の瞬間において質的転回が意識されているか否かということから判断して、そしてまた、否定においてはニュアンスは重要ではないということから判断して、ロブ=グリエをどちらの側に配するべきなのか、私にはわからない。
 しかし、われわれの賭けは常にやり直さなくてはならず、さまざまな回答のチャンスを生み出すのはわれわれ自身である。われわれが願うことは、この時代(われわれの探求態度を始めとして、われわれが愛するすべてのものが、その一部分でもある)を変革することであり、満足に浸った俗物が計画するように「この時代のために書く」ことではない。ロブ=グリエとその時代とは互いに満足し合っている。それとは逆に、われわれの野心はまったく並外れたものであるが、おそらく、成功という支配的な基準によっては計ることができないだろう。私の友人たちは全員、ついに生を変革することに従事することとなった政府の〈余暇省〉で、熟練労働者の給料で、匿名で働くことで満足するだろうと思う。

G=E・ドゥボール

*1:ムハンマド・ダフ アルジェリア生まれのシチュアシオニスト。パリでドゥボールとともにLIの中心メンバーとして活動、『ポトラッチ』第9−10−11合併号から第18号、第20号から23号まての編集長を務める。1957年のSI結成以降はそのアルジェリア・セクションで活動するが、59年にSIを脱退。

*2:シャルル・ボードレール(1821−67年) フランスの詩人。遅れてきたロマン派世代で、1850年代から60年代という現代社会の入口で人間の内面性を極度に据り下げた詩を書いた。詩集に『悪の華』(57年)、散文詩集に『パリの憂愁』(64年)。産業化と大衆社会の開始の中で、常にそれに先んじ、かりそめのもの、移ろいやすいものの中に「美」を見出すという「現代性(モデルニテ)」の概念を打ち立てたことても知られる。

*3:クロード・シモン(1913−) フランスの作家。フォークナーの影響を受け、錯綜した時間のなかで展開する記号を稠密な文体で書いた小説によって、ヌーヴォー・ロマンの代表的作家と見なされる。代表的な小説に『草』(58年)、『フランドルヘの道』(60年)、『ル・パラス』(62年)など。95年ノーベル文学賞

*4:ミシェル・ド・サン=ピエール(1916−87年) フランスの小説家。カトリックの学校で学んだ後、肉体労働者や船乗りをし、1945年からモンテルランの影響を受けて小説を書き始める.その小説は自然描写に富み、宗教的な主題を扱ったものが多い。作品に『この古い世界』(46年)、『貴族階級』(54年、アカデミー・フランセーズ小説大賞)、『作家たち』(57年)など。

*5:アレクサンドル・アストリュック(1923−) フランスの映画監督。30歳で映画を撮り始め、バリの若者の生態を描いた『悪い出会い』(55年)などでヌーヴェル・ヴァーグの先駆けとなり、その「カメラ万年筆」理論は多くの映画作家に影響を与えた。他の作品に『感情教育』(62年)など。

*6:フランソワーズ・ショエ 『アルギュマン』誌に拠った美術批評家・都市計画評論家。同誌第19号(1960年)に「産業社会における作画の本質的曖昧性」と題した論文でコブラシチュアシオニストについて触れている。著書に『ユネスコ──テクストと20のスライド』(59年)、『都市計画──ユートピアと現実』(65年)など。

*7:ルース・フランケン(1924−) プラハ生まれの米国の女性画家・彫刻家。戦前ヨーロッパで絵を学び、41年以降米国に移民し、戦後、52年からパリに居を定め芸術活動を行った。その画風は、ミシェル・タピエ風の抽象表現主義で、彫刻作品はシュルレアリスムの影響か濃い。

*8:アンドレイ・ジダーノフ(1896−1948年) ソ連の政治理論家。正統派スターリン主義の擁護者として活動。『文学、哲学、者楽について』(1947年)によって芸術領域での社会主義レアリスムに理論的根拠を与えたことで有名である。

*9:ワルター・オルモ イタリアのシチュアシオニスト,SIイタリア・セクションに所属。1958年1月に、ピエロ・シモンド、エレーナ・ヴェッローネら他のイタリア人シチュアシオニストとともに除名。

*10:1952年に作成した映画 ドゥボールの映画第1作『サドのための叫び』のこと。全90分。5つの声が『民法典』の条文、ジョイスの小説、新聞の三面記事などを交互に読み上げ、画面にはその間何も映らず空白のまま。言葉が途切れると、画面は真っ暗になり、沈黙と闇がしばらく続いた。

*11:イジドール・イズー(1925− 本名シャン=イジドール・ゴールドシュタイン) ルーマニア生まれのフランスの詩人。1964年、言語表象と造形表象の境界を廃した前衛的な芸術表現であるレトリスム運動を開始し、終生レトリスムの理論家・実践家として数多くの作品(詩・小説・映画など)を製作する。1950年代以降、芸術家=創造者を神に擬する神秘主義的傾向を顕著にし始めたために、ドゥボールら若いレトリスト左派から断罪される。著書に『新しい詩と新しい音楽への序論』(47年)、『スペクタクル作品集』(64年)、『ネオ・ナチのシチュアシオニスト映画に反対』(79年)など,映画についての映画である『涎と永遠についての概論』(51年)はカンヌ映画祭ジャン・コクトーに絶賛され、「アヴァンギャルド観客賞」、「カンヌ映画祭欄外賞」を獲得し評判になった。

*12:マルコ フランスのレトリスト、マルク・O(オー)(本名マルク=ジルベール・ギヨマン)のこと。

*13:ジル・J・ヴォルマン(1929−95年) 1950年にイジドール・イズーレトリスム運動に参加、「メガプヌミー」と名付けた音響詩、「シメマトクローヌ」と名付けた実験映画を製作し52年にドゥボールとともにレトリスト・インターナショナルを結成、その中心メンバーとして活動。56年のシチュアシオニスト・インターナショナル創設のためのアルバ会議にはLIの代表として参加するが、57年、SI結成直前に「長年のばかげた生活様式」を理由にLIを除名。

*14:タシスト フランスの1950年代の抽象表現流派。フランス語の Tache (しみ)に由来し、非幾何学的な有機的形態の抽象作品を描くアンリ・ミショー、ヴォルスらの画家を指す。