『不在とその飾り立て役』 訳者解題 

 ここで、シチュアシオニストが攻撃しているものは、50年代に世界的に広まった、芸術の解体へと向かう動きである。50年代末、美術の世界では、合衆国の前衛芸術は、アクション・ペインティングで知られる戦後の抽象表現主義から60年代のポップ・アートヘと向かいつつあり、ヨーロッパの前衛芸術もアンフォルメルからヌーヴォー・レアリスムヘと進みつつあった。これらはともに、画布の上に描かれた形態の実験を超えて描く行為そのものをも作品として提示し、一様に高度資本主義社会の大量生産の事物や廃物などを用いて、表象の基体そのものの解体を押し進めた。こうした流れは、文学や音楽などの他の芸術の世界での動きと軌を一にしており、50年代末はロブ=グリエの『覗く人』(55年)、ビュトールの『心変わり』(57年)などのヌーヴォー・ロマンや、イヨネスコらの不条理演劇が、物語世界の解体を実践した時代であり、音楽の世界でも、50年代初頭からジョン・ケージが開始した「沈黙の音楽」や「偶然の音楽」がシュトックハウゼンらの「空間音楽」や「環境音楽」へと受け継がれていった。
 シチュアシオニストは、これらの前衛芸術家たちの活動を、その倫理的・思想的側面から問題にする(万博などの体制側のイヴェントヘの参加、ファシズム的・右翼思想傾向、宗教への幻想など)が、その批判の底には、「解体」派の芸術家たちの行っていることは、すでにコブラやレトリストが40年代に実験したことの繰り返しであるということ、また、彼らがシチュアシオニストと同じように芸術の解体を志向しながら、それを状況の構築という高次の活動に生かすことを最初から断念していることに対する憤りがある。

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