『契機の理論と状況の構築』 訳者改題

 ここでSIの考察の対象となっているルフェーブルの「契機の理論」について説明しておこう。
 ルフェーブルは1959年、58歳のときに発表した哲学的自伝『総和と余剰』(邦訳、森本和夫・白井健三郎訳『哲学の危機 総和と余剰』現代思潮社、1970年)において、彼が20代前半に所属していた哲学研究サークル(1924年から25年にかけて出された雑誌『哲学』を中心に集うフランス最初のマルクス主義研究グループで、ピエール・モランジュ、ジョルジュ・ポリツェル、ポール・ニザン、ノルベール・グーテルマン、ジョルジュ・フリードマンらから構成され、ルフェーブルはその雑誌にダダ論などを発表し、ツァラブルトンの知遇を得る)のなかで完成させようとして、その後、共産党へ加盟(1928年)以降、展開を断念した「哲学的もしくは準哲学的な」理論を再び取り上げる。それが「契機」(moments)の理論である。
 「契機」とは、「主観性=主体性」を、ベルグソンのように「純粋直観」の把握の対象としての連続的で流動的な「内的持続」と考えるのではなく、その「生成」を「時間と時間性」との関係において概念的に説明するためのものである。ルフェーブルは次のように説明する。『時間とその深さとは、進化、発展、溶解、変遷、生長あるいは消滅、根源的なものからの疎遠、といった概念をもってしては汲みつくされえないもののように、当時わたしには思われていた。わたしの意見では、時間と時間性とは内施 involution をふくむものであった。すなわち、持続はたんに線状のものとして、あるいは不連続から切り離されたものとして規定されるどころか、渦巻状のあるいは螺旋状の線としてと同じく、渦巻と逆流との潮流として屈曲する(近似的な心理しか持たない比喩であるが)。したがって個人的あるいは社会的意識の内部には、ある時間の経過のあいだ、その時間の経過のために不動化されたり、あるいは時間の外に置かれたりすることなく身を維持しつつ、それ自体に内在的な持続が、すなわち契機 moments が形成されることになるだろう」(邦訳374ページ)。この「それ自体に内在的な持続」としての「契機」は、歴史における「段階」であり、歴史の「低次のものから高次のものにいたる《形態》figures、連接、経過」とも形容されるが、ルフェーブルはそれをある主観性の状態や一連の状況として捉えるのではなく、「現存の様態 modalité de la présennce」としてある種の「実体性」を備えたものと考えた。そうして、「熟考の契機」、「闘争の契機」、「愛の契機」、「遊びの契機」、「休息の契機」、「詩の契機」、「芸術の契機」など相対的に独立したさまざまな「契機」が考案される。それらの契機は、「実体」的であるがゆえに「意識」をある程度そのなかに閉じ込め、拘束する。したがって、「自由な行為」とはそれらの「契機」を「変形」(métamorphose)し、「変革」し、新たに創造する行為となる。
 ルフェーブルは、この「契機」の理論に関して多くの時間を費やし、「なんページもなんページも書いた」が、結局、「それらのページを引き出しの暗やみのなかにしまいこんだ」(前掲書37ページ)と述べている。その理由は、「契機」の数を決定するのが困難だったからである。「契機」が「実体」的であるとするならば、いったいいくつの契機を想定すればよいのか。なぜ1つ1つの対象や存在に、あるいはその1つ1つの面に対してひとつの契機がないのかは説明できないのである。