『経済の終焉と芸術の実現』 訳者改題

 アスガー・ヨルンのこの論文は、後の覚書にもあるように、マルクスの「経済学批判Critique de l'économie politique」のタイトルを転倒した「経済的政治批判 Critique de politique économique」というタイトルを持つ文書の抜粋である。正確には、この文書の2つの章――「労働と価値」と「反価値のの源泉としての芸術作品」――の所々を省略して(翻訳では(……)とした部分)、かなり短くしたものがここに掲載されている。この文章の第6段落「芸術の価値とは」以降はここで挙げた2番目の章からのものである。省略された部分には、産業社会――資本主義であれ社会主義であれ――が、価値を生み出す時間を均質な時間としかとらえていないことに対する批判など、それぞれ興味深い内容が書かれているが、その部分を省略しても趣旨はあまりそこなわれていない。
 また、元の文書には、「最後の闘い」と題した付属文書が付されている。そのなかでヨルンは、マルクスを換骨奪胎してドグマ化したマルクス主義者や社会主義者を断罪しているが、底でも批判の眼目は、機会による生産力の飛躍的増大によって個人の時間とエネルギーが開放されたにもかかわらず、時間に対する彼らの考え方は旧弊なままで、労働−消費という社会的義務を人々に押しつけ、「自由な時間」、すなわち人々が自由に創意を凝らした活動ができる時間を、共産主義の社会の実現の暁まで先延ばししていることにある。
 ヨルンは、高度産業社会の生み出した「余暇」なるものが依然として「労働」を前提としてしか成り立ちえず、そこでの「消費」も経済にかかわる政治の一環でしかない(「資本主義革命は、本質的には消費の社会化であった」「社会主義は資本主義革命の完成である」)ことを、「自由な時間」というシチュアシオニストの考え方をもとにして批判し、キリスト教道徳から社会主義まで西洋の思想を貫く「倹約」という考えに反して「浪費」を称揚し、「反価値としての芸術作品」の「日常生活総体」への拡大を唱えることによって、マルクスが真に求めた「共産主義社会」の到来を今ここで実現しようと呼びかける。
 なお、パリで編集されベルギーで印刷されたこのパンフレットは、フランス軍落下傘部隊をパロディにした写真が掲載されていたために、フランス国境で差し押さえられた。