独自性と偉大性(イズーの体系(システム)について)

訳者改題

 イジドール・イズーは、『ポエジー・ヌーヴェル』誌*1の第10号(1960年冬季号)で、彼の近年の友人の1人――イズーは、この人物のことを過分に宣伝せぬために、Xという目立たぬ呼び方をしている――の著作に反駁し、次のように断を下している。
 「『グラム』誌*2の著者が並べる嘘のなかでも、特にけちくさい嘘は、私の一般哲学体系について語っている点である。なぜなら(a)私自身は、これまでにそのような体系を公にしたことはないし、(b)Xは、そのような体系を推察しうる預言者でもトランプ占い師でもないからである。
 私が数年前から一緒に仕事をしている、ポムランからルメートル*3の放射状主観主義の視点と比較することができるかも知れない。この領域ではイズーの体系はさまざまな点でかなり有利なようである。最後にまた、大きさの量的発展を考察する現代の遠近法のことを思い起こしてもよかろう。これは純粋に科学的な視点であり、過去に起源となる点を置くこと、時間的端緒となるゼロ点を置くことによって特徴づけられる。この視点は、膨張する宇宙の理論によって、今日、宇宙的レヴェルで確認されているものにほかならない。科学的社会主義はこの視点と結びついている。ただし、さまざまな新しい視点がつくられているから、遠近法に関する問題の全体はあまりにも広大である。
 イズーの宗教的問題は、次のようなテーマに関する困惑によってさらに複雑化する。すなわち曰く、「私は神であり、あるいは、神なるがゆえに若さである。あるいは、私はイズーであるがゆえに起源なる点である」。イズーは自分の人格的オリジナリティと、自分が創造した体系のオリジナルティとの間で選択をなすべきである。この体系は、彼をその若さの終わりにおいて、自動的にオリジナルティの領域から排除する。イズーのもとで、自らの体系に対して感じられ始めているさまざまな保留はまったく容易に説明される。すなわち人は老いるのだよ、君。
 過ぎ去ったばかりの過去の神格化は、老いたもの(古い世代)の神格化であり、このことは、イズーの中国的遠近法のダイナミックな用法において、聖なる若さという彼の概念と結び付いている(「仕事の舞台に上がろう〔=大人になろう〕ではないか……」)。というわけであるから、イズーは、年齢とともに、新しい若者たちが、彼自身の体系の名において彼を打ち破ってゆくのを眼にし、ブルトンの書物によって守られた、より安全な場所へと逃げているのである。これはひとつの悲劇である。シュルレアリスムを乗り越えたのは、まさしくレトリスムであった。しかしそれが、若さだと!それはいつも戻ってくる、そしていつも同じだ。この言い回しは、「運命の輪*4」、1948年に書かれたこの本に見つけたものである。
 いまや、古典的遠近法をもとにして打ちたてられた、あらゆる体系の不十分さに気づくべき時である。多くの誤りは、今日の科学者たちの大きな勘違いに由来するものだ。「古典的」幾何学と「現代」幾何学との区別がなされておりながら、古典的幾何学の自立性を維持できると考え、さながら、古典的幾何学とそれを乗り越えた幾何学の両方が同時に真であるかのように教えるとはいったい何事か。ユークリッド幾何学においては、――そしてこれは、さまざまな非−ユークリッド的体系にも踏襲されていることだが――、点は空間的次元を持たない空間的場所として定義される。無視されたのは次の事実である。すなわち、空間的次元を欠いた点は、しかし、その持続によって時間的次元を表現する、ということである。かくして、点とは空間組織への時間の導入であり、これは新しい初等幾何学の基礎にあることなのである。(こうした点の新しい研究によってこそ、状況は、芸術に古い諸特性とは異質な空間−時間的作品として理解されうるのである)。点が純粋な理念として考えられていた時、幾何学形而上学に汚染されていたのであり、形而上学がさらに空虚な構築を行うのに手を貸してきた。今日、幾何学はもはやそうしたものではない。
 人間が行う創造というものは、イズーが恭しく美化しようとしているフランス式庭園のようなものではない。彼は、時分が虚空のなかで倦まずたゆまず説教し、イズーの反対側からすべてをシンメトリーに作り直すように勧めてきた(彼の用語では「新しき沃野の解放」)という、ただそれだけの理由で、永久にこの庭園の中心を占め続けられるようになったと考えているのである。

アスガー・ヨルン

 

*1:『ポエジー・ヌーヴェル』誌 1957年、イズー、ルメートルらが創刊したレトリストの雑誌。

*2:『グラム』誌 1957年から59年(?)まで炉ベール・エスティヴァルによって出されたウルトラ−レトリストの雑誌。イズーのレトリスムから分かれたウルトラ−レトリストとして、デュフレ−ヌ、エスティヴァル、ヴォルマン、ジャン=ルイ・プローの詩・批評・パンフレット類が掲載されている。

*3:モーリス・ルメートル(本名モイーズ・ビスミュト 1926−) 終始イズーとともに行動したレトリスト。175ぺージの訳者改題を参照。)にいたる仲間たちの多くが、私の一般体系を推察しようと努めてきた(しかも、それに成功せず、少なくとも、この問題に関して口をつぐむだけの誠実さを持ち合わせている)というのに、私をほとんど知らない浅薄なXに、いったいどうして体系を把握することが可能なわけがあろう……。グラム氏が私の知的<秩序>について知りうる唯一の事柄は、この体系が、それぞれの領域での創造に対して、また他の諸価値とのかかわりにおいて、それぞれ本質的で決定的な価値を与えるものだ、ということである。だが、このことは、私と知り合って後、自ら創造者たらんとする最高の欲望にひたすら身を委ねるようになる、相次いでやってくるXと同じような人物たちなら、誰でも知っていることである。したがって、Xが私の体系から得ている唯一の光は、体系を追っていこうとする彼の意識的あるいは無意識的な努力に行き着くに違いない。ところが、まさに、この体系の全体を知らないために、彼は実際に創造することの不能に陥り、さらに、創造する代わりに、自分の知らないことについて悪評したり、嘘で塗り固められた主張を行う羽目に陥っているのである……。文化史のために、また、文化史のなかでおのおのの実現者の立場に立って、本当の意味で仕事をしうるには、今日の唯一の前衛運動――それは「レトリスム」という一般的な名称で呼ばれている――の創造的位階を受け入れ、過ぎ去ったばかりの過去〔=直接的過去および現在の革新的真理を素直に同化吸収し、美的規範の将来の発展形態を率直に承認することが不可欠なのである」。(強調はA・J)  イズーの議論の組み立ては、体系を知ることができるのは、それを適用したすべての結果を知った後に過ぎない、という根本的な誤謬に基づいている。これは全く極端に走った考えであるが、これが意味しているのは、体系を見抜くには非議伝授的な人間関係のなかにはいらねばならないということと、師の側では自分自身の体系をかなり任意に用いることができるということである。実際、体系とは1つの方法である。さまざまな位置や状態を調整するための方法である。そして、位置は不変であるから、体系、すなわち位置に関する方法は、その中から偶然に取り出された任意の組み合わせを分析することによって見抜くことがつねに可能である。  イズーの体系は、科学的体系ではない。というのも、科学的体系というものはいくつもあるわけではないからである。かりにイズーの体系が科学的体系だったとすれば、それは「イズーの体系」ではなく、ある領域へのイズーによる科学的体系の適用にすぎない。イズーの体系にはイズーという人物が必要なのである。それは、主体と客体のあいだの体系であり、ものごとを見るためのひとつの視点である。それを見抜くには、何も預言者やトランプ占い師である必要はなく、その体系から超然としていることが必要なのである。私はイズーと面識はなく、イズーの体系のことを知ったばかりである。彼が歴史上の出来事を配置する秩序=順序は、きわめて面白く、興味深い。ヨーロッパ的ものごとの見方のなかでは、それはまったく新しいものである。すなわち、ルネッサンス以来の諸価値はつねに中心消失遠近法によって測られてきたのに対し、イズーはすべての価値を中国式遠近法によって測るのである。  時間が、他の次元と同様の1つの次元であり、空間の3つの次元と同じように扱うべきものだということは、今日一般に認められている事実である。実存主義は、瞬間が唯一の価値であると主張し、古典的体系に反対する。イズーは、さらにこれに反対し、過ぎ去ったばかりの過去〔=直接的過去と現在との間に価値の小さな推移相を設けるのである(すなわち、今日イズーが行っていること)。イズーは、彼自身の遠近法中で、いわば偉大さそのものとして位置づけられる。追従者として避けえぬ遅れをともないながら、イズーがすでに行ったことに関わり合っている人々は、もともとイズーよりも小さく、さらにルメートルからポムランへと小さくなっていき、哀れなX氏にいたってはついにゼロ点に位置づけられるわけだ。X氏は、イズーの体系の中では、まったく何ものでもなく、無であり、歴史の中に場所を持たない(だが、それはあくまでも、イズーの歴史的空間のなかに場所を持たないということにすぎず、イズーが、くりかえしくりかえし、この無を、この無名性の化身を描写することに拘泥する所以である)。さて、遠近法の線をゼロ地点の向こう側に延長してやると、歴史は、前イズー的に過去に向かって再び大きくなってゆく。そして、偉大さが過去に遠ざかれば遠ざかるほど、無批判に、やりきれない学校教育的評価にしたがって承認されてゆくのである(ホメロスデカルトなど)。以上は、過去についてのイズーの位階順序である。未来について言えば、――そこでは、何はともあれ自分が中心的な創造的位置を永遠に認められるものと考えられているわけであるが――、より大きな体系が自分に取って代わること、しかし同時に、それが自分に確固たる位置を与えてくれることが期待されている。したがって、イズーは、「前衛セクションの持続してゆく可能性を確かなものとするために」、「さらに解放的な運動の誕生」に関するブルトンの有名な言葉を受け入れる。このように自分の後継者を待つことほど快適なことはあるまい。けれども、いかなる「前衛」といえども、その後継者など目にすることなく、老化と死へと向かうものなのだ。なぜなら、後継とは、直線的になされたものではなく、矛盾を介してなされたものだからである。  イズーの価値評価体系がこのように明確になった以上、われわれは本質的問題を提起しなければならない。すなわち、イズーの体系とは、宗教的体系なのか、それとも芸術的体系なのか。イズーがまだ自分の体系の決定的な言葉を公にしていないのは、彼自身、この点に関してまだいかんとも決定を下せていないからに相違あるまい。入手可能な資料に見られる彼の思想の展開を読むかぎり、宗教的・文化的側面がますます芸術的側面に取って代わる動きが進んでいるように見受けられる。そして、位階的な側面が、中国式遠近法による運動よりも重要になっている。  どんな次元においても、自らの進むべき方向を見定め、それによって評定してゆくためには、あらゆる段階がそこから導かれるような、出発点、起源となるゼロ点を見つけることがつねに必要である。だが、問題はそこにある。イズーのゼロ点は、歴史の中に、西暦の起点たるキリスト生誕と同じように固定されているのか。それならば、イズーは先に進むに応じて、どこまでも大きくなってゆくだろう。それとも、彼の中国式遠近法は、時間のなかで、歴史的に位置を変えることがあるのだろうか。この場合、イズーは次第に小さくなってゆき、やがて新たな前衛のゼロ点となる。そして、その後になってはじめて、偉大化する過去の列に加わることになろう。したがって、問題は次の点に帰着する。すなわち、イズーの体系は、他の人間に方法として利用されうるのかどうか、ということである。それが可能であれば、彼の体系の重要性は増すが、彼個人の重要性は減ることになろう。どうやらイズーは、2つの利点を両方とも享受しようとしているらしい。だが、そんなことは、彼がこの不幸な体系全体を破壊し、革新してしまうまでは不可能である。理論的にはその可能性も排除できない。浪費に関する最近の考察の中で、イズーはほぼそのような発見に到達しており、そこで彼はレトリストの体系よりもシチュアシオニストの実践の方が優れたものであることを認めることを余儀なくされている。この宗教的な問題での克服されざる矛盾およびその点での二枚舌こそが、1950年頃には事実イズーのまわりに結集していた前衛の崩壊を早めたのである。この前衛は、今日、イズーとモーリス・ルメートルとのいつ果てるともない議論(『ポエジー・ヌーヴェル』の同じ号を参照のこと)の茶番劇にまで変質してしまった。ルメートルは何年か前から、イズーの「レトリスト・グループ」を構成する唯一のメンバーなのである。  イズーの体系の難点は、自分自身を聖なるものとして位置づけておきながら、神聖な点としてのゼロ点を過去に位置づけることである。中国式遠近法が、密かに仏教に魅せられているイデオロギーの中に現れたことは偶然ではない。古典的体系は、反対に、神聖なるゼロ点を未来への展望の中心に位置づけ、聖なるものは、現実の極限点の彼方、無限に向けて放射状に広がる反‐世界に位置づける。芸術的創造の過程はさまざまな事実の体系化ではあるが、それ自体は自らの体系に関知しない。体系が覆いを解かれ、打ちたてられるようになると、芸術的価値はいつも別のところに追いやられてしまうのである(無垢なるヴィジョンは原理へと逆転してしまう)。中世末期の写本の「文字主義(レトリスト)」(言葉通りの通常の意味での「文字主義」)的な豊かな研究は、印刷術(すなわち、可変的なものの排除によるエクリチュールの量的普及)によって排除されたように、ルネサンスによる中心消失遠近法の発見は、キリスト教芸術を根本的に完成させ、キリスト教的な空間のあの原型的組織化によって、そこから可変的なものを排除したのである。実際、中心消失遠近法を時間の次元に置き移してみれば、まさしく、キリスト教形而上学を表現している。彼岸は想像的未来におかれ、これは、死と最後の審判という2つの連続した点によって標識される。ユートピア思想家は、この遠近法を地上(歴史的未来)に置き直したのであり、現代の芸術的発想も本質的にはこの未来主義的ユートピア思想に属している。  イズーの中国式遠近法は、また、ゼロ点としての自我(神聖なもの−聖なるものの同一性)の遠近法、すなわち、スカンジナヴィア思想の典型たるヴィルヘルム・ヴィヤーケ=ペーターセン((ヴィルヘルム・ビィヤーケ=ぺー夕ーセン(1909−1947年) デンマークの画家、理論家。1930年から31年にかけて、バウハウスのクレーとカンディンスキーの教室で学んだ後、デンマークに戻り、1933年、抽象表現主義象徴主義との総合をめざした理論的著作『抽象芸術のなかの象徴』を著し、これはデンマーク現代芸術にとってエポック・メイキングな書物となる。翌年、リヒャルト・モーテンセン、エイラー・ビレと「抽象シュルレアリスム」の芸術集団「リニエン(線)」を設立し、抽象とシュルレアリスムを統合しようと試みるが、35年、ブルトンシュルレアリスムに接近して、抽象表現を捨て去る。以後、北欧へのシュルレアリスムの導入に努めつつ、パリでのシュルレアリスム国際展(1938年と47年)に出品する。1950年代以降は、シュルレアリスムとは決別し、構成的な幾何学的抽象芸術に回帰した。

*4:運命の輪 ヨルンが1948年に書いた著書。正式な題は『金の角あるいは運命の輪』で、1957年、コペンハーゲンのセランディア書店から出版された。