当たり前の基礎事実 その2
専有〔=排他的所有〕は特殊と一般の弁証法に結びついている。奴隷制度と封建制度の諸矛盾が1つに溶け合っている神秘のなかで、とりわけ所有権から排除された無産者は自らの労働によって自らの生き延びを確保しようと努める。彼は主人の利害=関心に同一化しようと努めるだけに、いっそう巧みにそれに成功する。彼が他の無産者だちと知りあえるのは、彼らもまた自分と似たような努力──労働力のやむを得ぬ譲渡(キリスト教は自由意志による譲渡を推奨するだろう。奴隷が「衷心から」自らの労働力を提供するとただちに、奴隷の身分は止むというわけである)、生き延びに最適な条件の追求、そして神秘的な同一化──を行なっているということを通してでしかない。生き延びようとする万人に共通な意志から生じた闘争は、それにもかかわらず、外見のレヴェルで行われるのであり、そうしたレヴェルにおいて、この闘争は主人の意志への同一化を活用し、したがって、主人どうしの対抗関係を反映する何らかの個人的な対抗関係を始動させることになる。搾取の関係が神秘的な不透明性のなかに隠蔽されたままであるかぎり、また、こうした不透明性の条件が存続するかぎり、あるいはさらに、奴隷という身分の度合いが生きられた現実の度合いを奴隷の意識において決定するかぎり、生き延びるための競争は、そうした外見の面で展開されるだろう(われわれは常に、対象であるという意識を客観的〔=対象的〕意識と呼ぶまでになっている)。一方、有産者の方は、ある権利の認知に結びついているが、その権利とは、彼だけがそこから排除されていない唯一の者であるにもかかわらず、外見の面では、個人としての被排除者1人1人にとって価値のある権利である。有産者の特権はこのような思い込みに依存し、他の有産者たちと直面して彼らに楯つくのに不可欠な力もまた、この思い込みに依拠している。それが彼の力なのである。だがやがて、今度は彼がすべてのモノと人の専有を外見上、放棄し、主人としてというよりも公共福祉の奉仕者として、万人の救済の保証人として、身を処すようになれば、威信が力の総仕上げをし、彼は、個人的占有という概念そのものを外見のレヴェル(壊されたコミュニケーションを行うのに参照しなくてはならない唯一のレヴェル)で否定する特権を自らの特権のうちに加え、この権利を誰に対しても否認し、他の有産者たちを否定することになる。封建制の見地からすれば、有産者は、無産者、奴隷、兵士、役人、あらゆる種類の奉仕者と同じやり方で外見のなかに統合されるというわけではない。これらの者は非常にみすぼらしい生活を送っているため、その大半にとって、そうした生活を〈主人〉(封建領主、君主、家令、獄吏、大祭司、神、悪魔……)のカリカチュアとして生きる以外に選択の余地はない。しかしながら、主人の方も、このカリカチュアの役割を演じざるをえない。彼はたいした努力もせずにそれを成し遂げることができる。それほど彼は、孤立状態──ただ生き延びるしかない者たちが、彼をこの境遇に繋ぎとめているのだ──のなかで全面的に生きていると自惚れることにおいてすでにカリカチュアなのである。彼は、(過ぎ去りし時代の偉大さ、悲しみに望ましく強い味わいを与えていた過去の偉大さを持ちつつも)すでに今日となってはわれわれの同類なのであり、われわれの誰もと同じように、冒険の機を窺い、それに加わり、その中で自分を完全に没し去る途上で自己を再発見しようとうずうずしているのである。主人が他の者たちを疎外するまさにその時に、彼らからつかみ取るものは、排除され所有される者としての彼らの本性なのだろうか。もしそうであれば、主人は自分自身にとっても、搾取者として、純粋に否定的な存在として立ち現れてくるだろう。このような意識はほとんどありえないし、危険でもある。可能なかぎり多くの臣下〔=主体〕に及ぼす権威と権力を増大させることによって、主人は彼らが生命を維持できるようにするのではないだろうか。彼らにまたとない救済の機会を授けるのではないだろうか(労働者は、自分たちを雇ってくれる管理経営者がいなければ、どうなるのか、とは19世紀の善良なる精神の持ち主たちが好んで繰り返した文句であった)。事実、有産者は自らを専有の要求から公式には排除する。自らの労働によって実際の生活を外見上の生活(この唯一の生活によって無産者は断固として死を選ぶことを阻まれ、主人は無産者に代わって死を選んでやることができる)と交換する無産者の犠牲に対して、有産者は有産者ならびに搾取者としての自らの本性を外見上、犠牲にすることで答える。彼は神話的に自らを排除し、万人と神話のために(たとえば、神とその民のために)奉仕するのである。彼は、余分の身振りを通して、驚異的なアウラで包んでくれる無償の行為を通して、この自己放棄に神話的現実という純粋な形式を与える。共同生活を放棄することによって、彼は幻想的な豊かさのなかにあって貧者なのだ。他の者たちが自分自身のためにしか、自らの生き延びのためにしか自己を犠牲にしないのに対して、万人のために自己を犠牲にする者なのである。そうすることで、彼は自らの置かれている必然性を威信へと変える。彼の犠牲はまったく彼の力に見合っている。彼は幻想としての生活全体の生きた参照点、神話的な諸価値の、触知しうる最高段階となる。並みの人間から「意志的に」遠ざけられることで、彼が目指すのは神々の世界の方であって、神性への彼の参与がどの程度まぎれもなく確かなものであるのかに応じて、彼が他の有産者たちの位階秩序のなかで占める位置も、外見のレヴェル(通常、容認されている唯一の参照レヴェル)において公認されることになる。超越を組織するうえで、封建領主は──さらに、相互浸透により、権力あるいは生産財の所有者たちも、程度こそちがえ──主役を演じるようになってゆく。この役は、彼が集団の生き延びを経済的に組織するうえで実際に演じるものである。したがって、集団の生存は、あらゆる面でまさに有産者たちの生存に結びついている。すなわち、あらゆる存在を所有することによって、あらゆるモノを持つ所有者になっただけでなく、同じように、自らの無類の、絶対的な、神的な自己放棄によって万人の自己放棄を強奪する者たちに結びついている(神々によって罰せられたプロメテウス神から人問たちによって罰せられたキリスト神にいたるまで、〈所有者〉の犠牲は通俗化し、神聖さを失って人間化される)。したがって、神話というのは有産者と無産者を統一し、彼らを1つの形式のなかに包みこんでしまい、その形式の下で彼らは、身体的存在としてであれ、特権的存在としてであれ、とにかく生き延びようとする必要性から、外見の様式に基づいて、さらに、現実の生活──日常的実践(プラクシス)の生活──の転倒した印の下で、生きざるをえないのである。われわれは、常にそこにいて、ある神秘の彼方、あるいはその手前で生きることを待ち受けている。この神秘に、われわれの身振りのそれぞれは、従いながらも、それに対して抗議しているのである。
神話、すなわち、世界の諸矛盾が幻想のなかで解決される統一的絶対者、あるいは、秩序が自らを凝視し、自らを強化する、いつでも心地よい調べを奏でる調和のとれたヴィジョン、それこそが神聖なものの場、超−人間的(エクストラ・ユメース)な地帯であり、そこからは、多くの啓示のなかでも、とりわけ専有〔=排他的所有〕の運動の啓示が念人りに締め出されている。ニーチェ*1はこのことをはっきりと見てとり、こう書いている。「あらゆる生成(ドゥヴニール)は永遠な存在(エートル・エテルネル)からの罰すべき脱出であり、それは死でもって償われねばならない」。ブルジョワジーが封建下の純粋な〈存在〉 のかわりに〈生成〉を置くことを主張するとき、実際に彼らの行うことは、自分が最大の利益を得るように、存在から神聖さを剥奪し、〈生成〉に神聖さを再付与することにすぎない。ブルショワジーにとっての生成は、かくして、〈存在〉──もはや絶対的所有権の存在ではなく、相対的占有の存在──にまで高められるのである。つまり、進歩や功績や因果論的継起というブルジョワ的概念を伴った、ちゃちな民主主義的・機械的生成として現れるのである。有産者の生活そのものが、彼ら自身に自己を見せなくさせる。生死を決する契約によって神話に結びつけられた有産者は、ある財を積極的かつ排他的に享受する自分を把握しようと思えば、自分自身の排除を外見のうえで生きなければならない。そして、まさにこのような神話的排除を通してこそ、無産者たちの方は自分が排除されているという現実を把握するのではないだろうか。有産者は1つの集団に対して責任があり、1人の神の重荷を引き受ける。神の祝福と神の復讐に同時にさらされた有産者は、禁止事項を身にまとい、それに精根を使いはたす。神々と英雄のモデルであり主人である有産者は、プロメテウスやキリスト、すなわち、見せ物(スペクタクル)じみた形で犠牲に供されたすべての者──彼らがいるおかげて、「大多数の人間」は極端な少数派である主人たちのために絶えず自己犠牲を強いられることになったのだ──の素顔である(ただし、所有者の犠牲に関してはニュアンスをつけて分析するほうがいいだろう。たとえばキリストの場合、より正確には、所有者の息子の問題だと認めるべきではないだろうか。ところで、所有者は外見上でしか自己を犠牲にしえないのだとすれば、情勢がいや応なく要請する時には、実際にはまさに所有者の息子が生け賛に捧げられる。そのとき、生け費に供される当の息子は、本当は、まったく未完成な所有者、将来の所有を約束する下絵、単なる希望の種でしかないのだ。バレス*2が1914年の戦争によってやっと自分の願いをかなえられたとき、ジャーナリストとして述べた有名な文章は、まさにこのような神話的次元において理解されねばならない。バレスはこう書いたのである。「われわれの青春は、青春の名にふさわしいように、たっぷりとわれわれの血を流しに行った」)。かなりぞっとするこの遊戯は、しかも、儀式や民間伝承に結びつく前に、英雄的な時代──王と部族の長が自らの「意志」に従い儀式に則って殺された時代──を経験したのだった。歴史家が請け合うように、厳かな殉教者は、たちまち囚人や奴隷、あるいは犯罪者に取って代わられた。苦しみは消え去り、栄光は残ったのである。
有産者と無産者双方の犠牲こそが、共同の運命という概念を根拠づけている。言い換えれば、人間の条件という概念は、一方の神話的犠牲と他方の犠牲的生活とのあいだの還元不可能な対立を解消しようとする、理想的で苦痛にみちたイメージをもとに定義されるのである。神話には、「生きる意志」とその反対物との弁証法を一連の静止的な瞬間のうちに統一し、それを永遠化する機能がある。紛い物でありながらいたるところで支配的なこうした統一性は、コミュニケーション、とりわけ言語において、その最も明瞭かつ具体的な表象〔=代理〕に到り着く。このレヴェルでは、曖昧さはずっと明らかで、その曖昧さのせいで現実のコミュニケーションが存在しえなくなり、分析者は馬鹿げた幽霊、すなわち、永遠でありながらたえず変化する瞬間としての言葉に委ねられてしまう。この言葉というやつは、犠牲の概念と同様、それを発する者に応じて内容を変えるのである。苦難に陥ると、言語は根本的な誤解を隠さぬようになり、参与の危機を引き起こす。一時代の言語のなかに、未完ではあるが常に切迫した全体的革命の痕跡をたどることができる。それらの痕跡は、社会転覆を予測させる胸のときめく恐ろしい徴〔J記号〕である。だが、いったい誰がそんな徴を真に受けるのか。言語を襲っている信用の低下は、人々が強い愛着を感じているにもかかわらず同時に不信の念を抱いている神話の場合と同じく、根の深い、本能的なものである。キーワードを他の言葉で定義することは可能なのか。どのような徴〔=記号〕が、美辞麗句を弄して外見を組織するものを暴くのかを、文章の助けによって示すなどということが可能なのか。最良のテクストは自らを正当化してくれるものを待っている。マラルメの1篇の詩が反抗の行為を説明する唯」のものとして現れるとき、そのときこそ、何の曖昧さもないかたちで詩と革命の話をすることができるだろう。そのような瞬間を待ち、それを準備することは、誰もが重要性を無視している最後の衝撃波としてではなく、まさに来たるべき行為の最初の反響として、情報を操作することである。
制御できない自然の力にうち勝って生き延びようとする人間の意志から生まれた神話は、1つの公安政策である。この公安政策はこれまで必要以上に維持されてきただけでなく、生を生き延びという唯一の次元に還元し、運動と全体性としての生を否定することによって、その僭主的な暴力を強めてきたのである。
神話は、異議を申し立てられると、その異議を統合する。遅かれ早かれそれらを自分の中に組み入れて、消化してしまうのだ。支配的な精神構造を破壊しようとするものイメージであれ概念であれのうちで、神話に抵抗できるものは一つとしてない。神話は事実と体験の表現の上に君臨し、そのような表現に自らの解釈上の構造(劇化)を押しつける。生きられた体験に対する意識は、組織された外見のレヴェルに自己の表現を見出し、それが私的意識を定義する。
償われた犠牲によって神話は養われる。どんな個人的生活にも自己放棄が含まれている以上、体験は犠牲と償いとして定義されねばならない。秘技への参入者(昇格した労働者、専門家、管理者、すなわち、民主主義的に列聖された新しい殉教昔たち)は苦行の代価とひきかえに、外見を組織するもののなかに立派なシェルターを受けとり、疎外のなかに快適に身をおちつける。ところで、集団用のシェルターは統一的社会とともに姿を消し、残っているのはただ、万人用にそれを具体的に翻案したもの──寺院、教会、王宮といった普遍的な庇護の思い出──だけである。今でも、個人用のシェルターは残っている。その有効性はみんなが疑っているが、値段だけははっきりと知られている。
「私」生活〔=「剥奪された」vie
専有は、存在の占有によるモノの占有と特に定義できる。それは、すべての反映が混じりあって区別のつかないイメージとなる泉であり濁った水である。専有が作用し影響を及ぼす場は歴史全体をカバーし、それはこれまで、行動についての2つの基礎的規定によって特徴づけられてきたように思われる。1つは、自己否定と犠牲(その客観的側面と主観的側面のそれぞれ)に基づく存在論であり、もう1つは、特殊と一般、個人と集団、私と公、理論と実践、精神と物質、知的労働と肉体労働などの間の根本的な二元論ないし分割である。普遍的占有〔apppropriation universelle〕と普遍的接収〔expropriation universelle〕との間の矛盾は主人を自明なものにすること、ならびに、彼を孤立無援の立場に立たせることを前提とする。恐怖、必然性そして自己放棄というあの神話的イメージは奴隷、召使、つまり、脱皮と境遇の変化を熱望する者たちすべてに提供される。それは、彼らが所有に参与しているということを映し出す幻想にみちた反映であり、自然な幻想なのである。というのも、彼らは実際には自らのエネルギーを日々犠牲にすること(これを昔の人は苦役とか拷問とかと名づけ、われわれは労苦とか労働とかと呼んでいる)によって所有に参与しているからであり、このような所有によって自分たち自身が排除されるという意味=方向でそうした所有を作り出しているからである。主人の方は、キリストが十字架と釘にしがみつくように、犠牲としての労働という概念にしがみつく以外に選択の余地はない。自分なりに犠牲を本物にし、自らの排他的な享受権を外見上放棄して、純粋に人間的な(すなわち、媒介なしの)暴力の使用による接収をやめることは、主人のするべきことなのだ。身振りの崇高さは始源の暴力をぼかし、犠牲の高貴さは特別の集団の人間が犯した罪を赦し、征服者の粗暴さは内在的に君臨する超越のなかに分散する。神々は諸権利の非妥協的な受託者であり、「〈所有者であること〉と、〈所有者であろうと意志すること〉」において平和を愛し平穏に暮らす羊の群れを引き連れた、飽くなき羊飼いなのである。超越への賭けとその賭けに合まれている犠牲は、主人の最も見事な征服の賜物であり、征服の必然性に対する彼の最も見事な服従の賜物である。何らかの権力を持とうとやっきになりながら自己放棄の純化を拒否する者(ならず者あるいは小暴君)は、遅かれ早かれ獣のように窮地に追い込まれるだろう。あるいは、より悪いことに、そのような人間は、自分の目的以外の目的を追求せず、他人の精神の平穏に少しも譲歩せずに「労働」を考える者のように窮地に追い込まれるのだ。たとえばトロップマン*7、ランドリュ*8、プチヨ*9がそうだが、彼らは、自由世界とかキリスト数的西洋とか国家とか人間的価値などの擁護を掲げずに帳尻を合わせようとしたために、最初から敗北を約束されていたのである。海賊やギャングや無法者たちはゲームの規則を拒否することによって〔主人の〕良心(神話の反映としての意識)を悩ませるが、主人たちはこの密猟者を殺すことによって、あるいは、彼らを憲兵にすることによって、「永遠の真理」──自分の身体で支払わぬ者は生き延びることさえできず、借金をして支払う者は支払った生の権利を得る、という真理──にその全能を返すのである。主人の犠牲とは、ヒューマニズムにその輪郭を与えるものであり、しかも──このことはきっぱりと了解しておいてもらいたいが──人間的(ヒューマン)なものを滑稽なまでに否定するものこそをヒューマニズムとするものなのである。ヒューマニズムとは、外見上の犠牲のなかに、すなわち、自分たちの実際の犠牲をカリカチュアとして映しだすあの反映のなかに救済の希望の理由を見出す者たちが、主人自身の遊戯を真に受けて圧倒的多数で選出した主人のことなのだ。正義、威厳、偉大さ、自由……わめきたて、うめき声をあげるこれらの言葉は、アパルトマンで飼われる子犬にすぎないのではないだろうか。その子犬たちの主人は、子犬の首に綱をつけて通りを勝手に連れ歩く権利を英雄的な下男に奪い取られてからずっと、その帰りをじっと待っているのである。これらの語を使うことは、そうした語が実は権力を高め手の届かぬところに追いやるのに不可欠なバラストであることを忘れることだ。そして、ある体制が、主人たちの神話的な犠牲がこんなにもありふれた形になって通俗化するのはよくないと判断し、それらの形を破壊し執拗に追い回すのに懸命になったならば、それと闘う左翼にできることは、くどくどと同じことを繰り返す言葉遊びだけかもしれない。そのことに不安を抱くのも当然である。この左翼の言葉遊びでは、1つ1つの語が昔の主人の「犠牲」を喚起しつつ、新たな主人(左翼の主人、プロレタリアートの名のもとに労働者を銃殺する権力)の以前に劣らず神話的な犠牲を訴えるのである。犠牲という概念に結びつくことによって、ヒューマニズムは主人と奴隷双方の恐怖によって定義される。それは糞まみれの〔=びくついた〕人間性のなかの連帯にすぎなくなってしまう。しかし、どんな語も、位階秩序化されたあらゆる権力を拒否する誰かの行動の1つ1つを明確に説明するのに役立つようになるやいなや、武器としての価値をおびる。ロートレアモンと非合法のアナキストたちはこのことをすでに理解していたし、ダダイストたちもしかりである。
したがって、占有者は、存在とモノの所有を神あるいは普遍的な超越者の手に託す瞬間から有産者になるが、そのとき神の全能は、占有者のどれほど些細な身振りも聖化する恩寵として当の占有者にはね返ってくる。こうして聖別された所有者に、異議を申し立てることは、神や自然、祖国や人民を非難することになる。要するに、物質的かつ精神的世界から自己を排除することになるのである。「統治することも、まして統治されることもしてはならない」と、マルセル・アヴレンヌは巧みにもそう書いた。このユーモアに暴力をつけ加える者には、救済も地獄堕ちもない。事柄の普遍的な把握のなかにも、信者たちの偉大な回収者である悪魔のところにも、いかなる神話のなかにも、自分の占めるべき場所はないのである。というのも、彼はこれらすべての無益さを生きながらに体現しているからである。彼らはまだこれから発明せねばならない生活のために生まれた。彼らが生きてきたかぎりでは、彼らはこうした希望を持ちつつ、結局お互いを殺しあったのである。
超越における特異性から次の2つの帰結が派生する。
a 存在論に超越が含まれる場合、いかなる存在論も主人の存在と位階秩序化された権力をアプリオリに正当化するのは明らかであり、主人はこの権力のもとで多かれ少なかれ忠実な、ぼけた〔‥堕落した〕イメージとして映し出される。
b 肉体労働と知的労働、実践と理論との問の区別に重なるようにして、現実の犠牲としての労働と、それを外見上の犠牲の様式に従って組織したものとの間の区別が付け加わる。
ファシズムを説明するのに、それは──様々な理由のなかでも──神の殺害と神聖な大スペクタクルの破壊にとり憑かれ、悪魔に対して、転倒された神秘に対して、特有の儀式とホロコーストを伴った黒い神秘に対してわが身を棒げる一部のブルジョワジーの、信仰の表明(アクト・ド・フォア)、火刑(アウト・ダ・フェ)なのだとするのはかなり誘惑的なことだろう。神秘と大資本。
位階秩序化された権力は、超越なしには、イデオロギーなしには、神話なしには考えられないということも忘れてはならない。そのうえ、脱神話化〔=迷妄打破〕それ自体もいつでも神話に取って代わられるのであり、そのためには、行為による脱神話化を非常に哲学的に「怠る」だけでよい。そうすれば、文字どおり雷管をはずされた脱神話化はすべて、痛みを伴わず、安楽死を待つだけのもの、要するに、人道的なものになってしまうのである。ただし、脱神話化に携わってきた当人たちを、最後には脱神話化することになる脱神話化の運動だけは別である。
ラウル・ヴァネーゲム
☆ 統一的社会──この統一性のブルジョワ的廃棄と格闘している社会──に固有な全体性はどうなるのか。
☆ 統一性の欺瞞的な再構成は、消費において疎外される労働者を欺くに到るのか。
☆ 一方、細分化された社会において、全体性の未来とはいったいいかなるものとなるのか。
☆ この社会とこの社会に組織された外見のすべてを乗り越える、いったいいかなる予期せぬ手段によって、われわれは幸福な結末に導かれるのだろうか。
これらは、諸君が知っておくべきであったことだが、それはこの研究の第2部で述べられるだろう!
*1:ニーチェ 引用は「ギリシア人の悲劇時代における哲学」第4節から。邦訳『ニーチェ全集2 悲劇の誕生』塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫、327ページ。
*2:モーリス・バレス(1862−1913年) フランス右翼の作家・政治家。『野蛮人の目の下で』(88年)、『自由人』(89年)、『ベレニスの園』(91年)からなる小説三部作『自我礼讃』によって「エゴチスト」の概念を徹底させつつナショナリストとしての政治的行動に積極的に関わる。89年には右翼陣営のイデオローグとして代議士となり、パナマ事件やドレフュス事件で国家主義者としての主張を繰り返し、青年層に影響を与えた。その他の作品に、『根こぎにされた人々』 (97年)、『兵士への呼びかけ』(1900年)等からなる三部作『民族的エネルギーの物語』や、『ドイツに仕えて』(05年)、『ラインの聖霊』(21年)等からなる三部作『東方の砦』。ここにある「1914年の戦争」の記述は、バレスの「大地と死者への崇拝」というナショナリスト的理想が第一次犬戦で開花したことを指す。
*3:さいころの一擲と偶然との対話 マラルメの有名な詩『さいころの一擲は決して偶然を廃棄しないだろう』を踏まえている。
*4:気楽な場 原語はlieu d'aisance。しかし、これが複数形をとってlieux d'aisancesとなると、「便所」の意味になる。
*5:世界と表象としての人間 ショウペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』を転用したもの。
*6:鈴蘭 5月1日のメーデーには、フランスでは鈴蘭を家族や友達などに贈るのがしきたりとなっている。なお、この日が祝日となったのは1947年のこと。
*7:シャン=バチスト・トロップマン(1849ー1870年) フランスの犯罪者。カンク夫妻とその6人の子を殺害したとして70年に処刑された。
*8:アンリ=テジレ・ランドリュ(1869ー1923年) フランスの有名な犯罪者。1919年、詐欺と背信の容疑で逮捕されたが、やがて1人の少年と財産のある中年女性や未亡人など10人の女性を殺害したとして起訴される。殺害の手口は、巧みに誘惑した後、首を絞めて殺害し、台所で焼いたとされ、どの死体も発見されていない。ランドリュは殺害を最後まで否認したが、有罪になり、ギロチン刑に処せられた。
*9:マルセル・プチヨ (1897−1946年) フランスの犯罪者。ヴィルヌーヴ・シュル・ヨンヌ市の元市長であったプチヨは、ドイツによるフランス占領期の1942年から44年のあいだに27名を殺害した罪で起訴される。訴えでは犠牲者から財産を巻き上げた後、殺害したとされているが、プチヨは彼らを南米に行かせたと主張。その後の裁判では、プチヨはゲシュタポのスパイ60名以上の殺害を企て、うち19名を殺したが、それはレジスタンスの一手段であると言って無罪を主張したが、結局、有罪となり、ギロチン刑に処せられる。