当たり前の基礎事実 その1

訳者改題

 官僚制資本主義はマルクスのなかに自らを合法的に正当化するものを見出してきた。ここで重要なことは、新−資本主義の諸構造──今日、これらの構造が再組織化されているということ自体のなかに、ソ連の全休主義に対する賞賛が含まれている──を強化したというあやしげな功績を正統マルクス主義に与えることではなく、疎外に関するマルクスの最も透徹した分析が極めて当たり前の諸事実にまでいかに一般的に当てはまるかをはっきりと強調することである。そうしたごく当たり前の諸事実は、その魔法の甲羅をはぎ取られ、1つ1つの身振りのなかに物質化されて、ただそれだけで、しかも日ごとに、ますます多くの人々の生活を形成するものとなっている。要するに、官僚制資本主義は、疎外という明白な真理を含み持ち、マルクスが期待しえた以上に首尾よくこの真理を誰にもわかるようにし、貧困が軽減して実存の凡庸さがじわじわと浸透するにつれて、それを当たり前の真理へと変えたのである。恒久的貧困(ポペリズム)は必要最小限の生き延び〔=生き残り(survie)〕の面で広がりを失ったぶんだけ、生活様式の面で深さを取りもどしているのだ。少なくともこれこそが、満場一致で共有されている感情であって、この感情によってマルクスも、退化したボルシェヴィズムが彼から引きだしていたあらゆる解釈から洗いきよめられることになる。たとえ平和共存の「理論」が、このような自覚を加透すべくちょうどよい時に介入して、疑心暗鬼を押しすすめたあげくに、そうしようと思えば理解しないでいることもできたはずの人々に向かって、華々しい(スペクタキュレール)意見の対立にもかかわらず、搾取者どうしの間での了解は可能なのだということを暴露するにしても、少なくともこのような感情だけは共有されているのである。


 ミルチャ・エリアーデ*1は書いている、「いかなる行為も宗教的行為になる資格がある。人間の実存は平行する2つの面において、すなわち、時間的なもの、生成、幻想の面と、永遠、実体、現実の面とにおいて同時に実現される」と。19世紀になってこれら2つの面が乱暴に切り離された〔=離婚させられた〕ことによって、権力にとっては現実を神の超越のなかに浸したままにしておいた方がよかったことが証明される。もっとも、改良主義(レフォルミスム)の正しさは次のようなかたちで認めねばなるまい。すなわち、改良主義は、ボナパルトが失敗した地点に立って、生成を永遠のなかに、現実を幻想のなかに溶け込ませてそれらを一つにしてしまっているのである。生成と永遠、現実と幻想とのこのような合一は教会での結婚の秘跡に値するのではなく、単に持続しているだけである。この持続こそ、共存と社会平和にたずさわる管理者たちがそうした合一に対して要請できる最大のものなのだ。このことによってまた、われわれは自らを──誰も逃れることのできない持続という幻想の展望の下で──抽象的時間性の終焉として、また、われわれの行為の物象化された時間の終焉として定義するように仕向けられる。これは次のように言い換えねばならないのだろうか──疎外の陽極において、われわれ自身を社会的疎外の終焉として、人間が社会的に疎外されている段階の終焉として定義する、と。


 原始的な人間集団の社会化には、神秘的で恐るべき自然の力に対してより効果的な闘争を行おうとする意志が示されている。しかし、自然環境のなかで自然と対抗すると同時に自然と一緒になって闘争すること、少しでも余計に生き延びる機会を自然からもぎとるために、どれほど非人間的な自然法則にも従うこと、こうしたことは、より進歩したかたちの攻撃的防衛を生み出しただけだ。すなわち、制御されてはいないが、影響力のある自然の力がたえず押しつけてくる諸矛盾を高次のレヴェルで示すような、より複雑で、より非原始的な態度を生み出したにすぎなかったのである。自然の絶対的支配との闘争は、社会化されることによって、原始的な疎外、つまり、自然的疎外を少しずつ、それも別のかたちで同化するにつれて、勝利をおさめてゆく。自然的疎外との闘争において、疎外は社会的なものとなったのである。技術文明が発達した結果、自然の最後の抵抗地点──技術力ではこれらの抵抗地点をなくするにいたらなかったが、それは当然である──とぶつかることで、社会的疎外が露呈したが、それは偶然のことなのだろうか。テクノクラートたちは今日、美しくも人道主義的な心の昂りに駆られて、原始的な疎外を終わらせようとわれわれに提案し、技術的手段をさらに発達させようと唆している。そうなれば、こうした手段「それ自体」によって、死、苦痛、不安、生きることへの疲労感と効果的に戦うことができるはずだというのである。しかし、奇跡というものが存在するとすれば、それは死をなくすことにあるよりも、死への羨望と自殺をなくすことにあるといえるだろう。。死刑を廃止するといっても、死刑がなくて残念だと思わせるような廃止の仕方がある。今日まで、技術の特殊な使用によって、あるいはまた、より一般的には、人間の活動を規定する経済的・社会的文脈によって、苦痛と死の機会は量的には減少してきたが、その一方で、死は各自の生のなかに不治の病として居座っているのである。


 先史期の採集時代につづいて狩猟時代が始まると、諸々の氏族が形成され、生き延びの機会を増やすようにと努める。このような時代に貯蔵所と狩猟揚が設けられ、その境界が定められたが、それらは当の集団のために開発され、部外者はあくまでもそこから排除されている。この禁止は、当の氏族全体の救済がかかっているだけに絶対的なものである。その結果、自然環境のなかでより快適な定住ができるようになり、またそれとともに、自然環境の厳しさからより効果的に身を守ることができるようになった。まさにそれらのおかけで自由が獲得されたが、今度は、この自由が当の氏族の定めた境界の外に自らを否定するものを産みだし、排除され脅威となった諸集団との関係を組織することでこの集団が自らの合法的な活動を抑えざるをえないようにする。社会的に構成された経済的生き延びは、その出現の瞬間から、互いに矛盾した制限や制約や権利の存在を前提とする。今日まで歴史の生成は、土地、領土、工場、資本の所有から人間に対する権力の「純粋な」行使(位階秩序)にいたるまで、複雑な形式を有する経済的・社会的生き延びに対する一般的権力を一階級、1集団、1カースト、あるいは、1個人が専有する動きに応じて、また、それらを一手に引きうけるに応じて、たえず自らを定義するとともに、われわれ白身をも定義してきた。このことは初歩的事実としてはっきりと押さえておかねばならない。サイバネティックな福祉国家を天国とみなす諸体制との闘争のさらに向こう側に、当初は自然であった根本的な事態との闘争を拡大する必要性が現れる。しかも、この闘争の動きのなかでは、資本主義は逸話的な役割しか演じない。そして、位階秩序化された権力の最後の痕跡、すなわち、言うまでもなく「人類の中の猪の子〔の模様〕*2」が消えないうちは、この闘いが消え失せることもないだろう。


 所有者であるということは、他人による享受を排除して財を横取りすることである。それは同時に、抽象的な所有権を誰に対しても認知することでもある。有産者は、人を実際の所有権から排除しつつ、排除された人々(絶対的には無産者たち、相対的には他の有産者たち)──有産者は彼らがいなければ無である──にまで自らの所行権を拡大する。無産者たちの方には、選択の余地はない。有産者は自分自身の権力を生産してくれるものとして彼らを占有〔=独占的に所有〕し、疎外するのに対して、彼らは、自分の物理的生存を保証する必要性から、わが意に反して自分たち自身の排除に協力し、この排除を生産して、生きることの不可能性という様式に基づいて生き延びることを強いられる。彼らは、排除されながらも、有産者を介して所有に参与することになるのだが、この参与は神秘的である。というのも、そもそも、あらゆる氏族関係とあらゆる社会的関係はこうして組織されたのに、不可避的な凝集の原理を少しずつ受け継ぎ、その原理に従って個々の構成員が集団の不可欠な関数となるからである(「有機的な相互依存関係」)。彼らが生き延びられる保証は、専有の枠組みのなかでの自分たちの活動次第であるが、彼らは、自分たちが遠ざけられている所有権を強化する。そして、この両義性によって、彼らの1人1人は自らを所有に参与するものとして、所有する権利の生きた小片として把握することになる。その一方で、この思い込みが強まるにつれて、その思い込みのせいで彼は排除されると同時に所有されたものと定義されるのである(この疎外の極限状態は、忠実な奴隷、警官、ボディー・ガード、百人隊隊長だ。百入隊隊長は自分自身の死とのある種の合一を通して、生命力にも等しい力を死に与え、破壊的エネルギーのなかで、疎外の陰極と陽極、すなわち、絶対的に服従する奴隷と絶対的主人を同一視する)。搾取者の利害=関心においては、外見が維持され洗練されることが重要である。そこから何らかのマキャヴェリズムが当然の帰結として出てくるのではなく、あるのは単に生き延びようとする本能なのだ。外見を組織することは有産者の生き延び──これはこれで彼の諸特権の生き延びに結びついている──と結びつき、それは無産者の物理的生き延び──搾取と人間であることの不可能性のなかであくまでも生きねばならない生き方──にからんでくるのである。私的な目的での独占と支配はこうして元来、1つの実定(ポジティヴ)法のように押しつけられ、そのようなものとして感じ取られるが、そのやり方は、否定的な(ネガティヴ)普遍性のやり方なのである。専有権は、万人にとって価値のあるものとなり、万人から神の理性ないし自然の理性によって正当化されたものと見られることを通して、1つの一般的な幻想、1つの普遍的な超越、1つの本質的な法則のなかに客観化される。そこでは、各自が個人の資格で、自分の生きる権利と生活条件一般に対して割り当てられた多かれ少なかれ狭苦しい制限に耐えられるだけの快適さを見出すこととされているのである。


 このような社会的文脈においては、疎外の機能を生き延びの条件として理解しなければならない。無産者の労働は私的占有権の場合と同じ矛盾に従っている。そうした労働は無産者を、所有された者、占有を作り出す者、自己を排除する張本人に変えるが、しかしその労働こそが、奴隷や農奴や労働者にとって生き延びるため唯一のチャンスを表す〔=代表する〕のである。それゆえ、生存からあらゆる内容を奪い取ることで生存を持続させるこの活動は、ついには、容易に説明の付く不吉なやり方で見方を転倒することによって、積極的な意味を帯びることになる。単に労働が(旧制度(アンシャン・レジーム)における犠牲という形式の下で、また、ブルジョワイデオロギーや人民のと自称する民主主義における、人を愚鈍化する様相の下で)価値あるものとされただけではない。主人のために労働すること、良心に恥じることなく同意の上で自己を疎外することもまた、非常に早くからやはり、生き延びるために支払う、ほとんど異議をさしはさむ余地のない名誉ある代償になった。必要最低限の欲求を満たすことは、疎外を擁護する最上の策であることにかわりなく、それによって疎外は非の打ちどころのない要請に基づいて正当化され、最も見事に隠蔽される。疎外によって欲求は数え切れないほど多くなる。なぜなら、疎外によって満たされる欲求など1つもないからだ。今日、満たされない思いは自動車、冷蔵庫、TVの数によって測られる。人間を疎外するモノはもはや超越の狡智も神秘も持ちあわせていない。まさに具体的な貧困の状態でそこにあるのだ。今日、金持ちとは、貧しいモノを最も数多く持っている人のことである。
 今までは、生き延びることによって、われわれは生きることができないできた。だからこそ、生き延びの不可能性から多くを期待しなくてはならない。今や、生き延びの条件が快適で、豊かすぎるせいで、われわれには自殺か革命のどちらかの選択しかないだけに、この生き延びの不用能性は、今後、いっそう異論の余地なく明白になってくるだろう。


 疎外に対する闘争までもが神聖なるものによって牛耳られている。神秘の覆いがその横糸をあらわにし、搾取の諸関係とその運動の表現である暴力とを包みこむことをやめるやいなや、疎外に対する闘争が露呈し、電撃の空間、断絶の空間がはっきりと姿を現す。それは、粗暴な力と弱さを突然暴露されてむきだしになった権力──言わば、矢を射かけられればどれもこれもわが身に的中するとはいえ、手傷を負うたびごとに当の襲撃者にはヘロストラトス*3の呪われた評判得させることになる巨人──との、情け容赦のない白兵戦として、姿を現すのだ。権力は生き延び、誰もがそれで得をする。破壊の実践、世界の複雑さが触知しうるもの、結晶したもの、万人の手の届くものになる崇高な瞬間、奴隷叛乱、ジャクリーの乱*4、偶像破壊者の叛乱、フランス革命時の〈怒れる者たち(アンラジェ)〉*5パリ・コミューン時の連盟兵(フェデレ)の叛乱*6、クロンシュタットの叛乱*7アストゥリアスの叛乱*8といった、鎮めることのできない叛乱、それに、未来を約束するストックホルムの愚連隊(ブルゾン・ノワール)や山猫スト、これらのことをわれわれが忘れられるのは、位階秩序化されたあらゆる権力を破壊することによってだけである。われわれはそれに専念するつもりだ。
 神話的諸構造の磨滅とその刷新の遅れは、蜂起の意識化と透徹した批判を可能にしているが、それによってまた、革命の「行き過ぎ」の後に、叛乱を準備する脱神話化作業の延長として疎外に対する闘争を理論面で把握することが可能になる。それは、叛乱がその最も真実な、最も正しく理解された様相において、理論家──蜂起の当事者たちに向かってその蜂起の意味を説明する役を引きずけた理論家──によって再検討され、船からものを投げ捨てるように、「そんなものを望んでいたのではない」とて一言で片づけられる時である。蜂起の当事者にしてみれば、単に言葉によってだけでなく事実によっても脱神話化するつもりでいるのに、理論家たちはそんなことはお構いなしなのだ。
 権力に異議申し立てをしているすべての事実には、今日、分析と戦術的展開が必要である。次のような集団と目から多くを期待しなければならない。
a 消費されるものがふんだんにある状態のなかで、自らの貧窮を発見する新しい  プロレタリアート(あらゆる近代的な国々での若者の反抗の姿勢と同様、今イギリスで始まっている労働者の闘争の展開を見よ)。
b 細分化され、いかさま行為に堕した革命に不満を抱き、昔の理論家ならびに現在の理論家たちを博物館行きに処している国々 (東欧諸国のインテリゲンチャの役割を見よ)。
c 小作農(コロヌス)同然の警官(ポリ)と傭兵──彼らは超越性をあまりに熱心に信じる最後の闘士であり、その超越性の最上の予防ワクチンであるに対して不信の念を抱いている第三世界
d リモートコントロールされた叛乱も、「水晶の夜」*9も、同意の上での反乱も阻止できるSIの力(「われわれの考えはだれの頭にもある」)。

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*1:ミルチャ・エリアーデ(1907−86) ルーマニアの宗教史家・小説家。第二次大戦後、ルーマニアを離れ、フランスで生活、その後合衆国のシカゴ大学で宗教史を教える。小説に『ベンガリの夜』(1950年)、『禁じられた森』(55年)、評論・論文に 『イメージとシンボル』(52年)、『聖と俗』(57年)など多数。

*2:「人類の中の猪の子〔の模様〕」 猪の子には背中に縞があり、それが成長とともに消えることを念頭に置いた表現。

*3:へロストラトス 自分の名を不滅にしようとして、エフェソスにある有名なアルテミスの神殿に放火した。このため火刑に処される。禁を破って彼の名を言った者は死刑になるとされた。

*4:ジャクリーの乱 1358年、パリ北部のボーヴェシスの農民層(ジャック)が、貴族・領主層に対して行った叛乱。彼らは、パリの政治家エティエンヌ・マルセルに指導されて、貴族を攻撃しその城館を略奪したが、軍隊によって壊滅させられた。

*5:〈怒れる者たち(アランジェ)〉 1792年から93年にかけて、ジャック・ルー、ヴァルレらフランス革命の最左派を指してこう呼ばれた。ルーらは、市民的権利の平等だけではなく、社会的・経済的平等を求めて、課税措置、食料品の徴発、貧民への富の再配分など一連の社会主義的政策を掲げた。この〈怒れる者たち〉は、92年末には革命政府から追放されるが、その社会主義的思想は、その後のジャック・エベールらのウルトラ革命派やバブーフに受け継がれた。

*6:連盟兵(フェデレ)の叛乱 連盟兵(フェデレ)とは、1871年、プロシア軍のパリ侵攻を前にしてパリを逃亡した政府の指示に従わず、パリにとどまりパリ市民とともにコミューンの側に立って戦った国民軍兵士たちのこと。彼らの多くは、ベルサイユに逃亡した政府軍の攻撃に対して最後まで戦い、ぺ1ル・ラシエしス墓地の壁の前で銃殺された。

*7:クロンシュタットの叛乱 1917年、クロンシュタットの水兵たちは巡洋艦〈オーロラ〉号に支援されて、ケレンスキー内閣への叛乱を行った。クロンシュタットは旧ソ連の軍港。

*8:アストゥリアスの叛乱 1934年10月、スペインのアストゥリアスの鉱業地帯での左翼叛乱。10月4日、急進党のアレハンドロ・レルーが組閣した内閣にファシスト的右翼諸党派の連合体であるCEDA(スペイン自治権同盟)が入閣することに抗議して、社会党ゼネストを呼びかけた。スペインの他の地域でのストは失敗したが、アストゥリアス地方だけは例外で、アナキスト共産党も支援する鉱山労働者のストが2週間にわたって戦闘的なストを展開するが、政府によるモロッコ兵部隊と外人部隊の投入によって多大な犠牲(逮捕者数千名、死傷者数百名)を払って、壊滅させられた。この叛乱は、1936年からのスベイン革命と内戟への本稽古と見なされている。

*9:「水晶の夜」 1938年11月9日から10日にかけて、ナチスがドイツ各地で一斉にユダヤ人襲撃を行なった事件。