アルザス・イデオロギー

訳者改題

 ガルノー派が、除名後に出した数10枚もの回状やビラのなかに積み重ねた何千行もの文章は、それまでのシチュアシオニストの出版物からこっそりと切り取ってきた反論の余地のない断言──もっともそれらは、そこではまったく見当違いのやり方で使われていた──で覆われているが、それらが追及していた目的はただ1つだった。フレーとガルノーとオールが、ハヤティの除名を実現する目的で結託して嘘をついたために、除名されたという陳腐で露骨で乱暴なあの何の変哲もない小さな事実を、イデオロギーの煙幕で覆い隠すことである。3名は、その「成功」を奪い取ろうと最後の瞬間まで試みた。彼らは最後までなしうるかぎりのことを行って、集まったSIのメンバーを説得しようとしたが、SIは何時間も前からますます確信を持って彼らを容疑者扱いするようになっていった。
 われわれの方は、この集まりに欠席したSIの全メンバーと、その頃われわれとともに実践行動に参加していた外部の4名(そのうち、ヴェル=ピオヴァだけは理解しないほうが得策だと考えた)だけに直ちに除名調書を送ったことを除いて、われわれが公表したものは『注意せよ! 3人の挑発者が』というテクストだけだった。それだけで十分であり、決定的だったのである。しかも、ガルノー派は、多種多様な資料のなかで、このまったく十分で核心を突いた告発をきっぱりと拒絶することが有益であるとは思いもしなかった(というのも、1つの嘘を除き、彼らはもはやどうしようもない状態にあったことは明らかだからだ)。こうして沈黙を守れば、何も知らない者の眼にも彼らが有罪に映るとは感じてなかったのである。彼らは言い逃れをし、真実に反する他の多くの言葉を投げ付け、まったく別のことを語り、恥ずかしくて気まずそうに主題の核心をほのめかした。「ハヤティは嘘をついている。彼は、事の詳細を不正確に報告しているし、たとえその詳細が『正確に』報告されていたとしても、状況の全体については嘘をついたことに変わりはなかっただろう(……)」(1月19日のガルノー派のビラ)。「たとえ……としても」という言い方で、半分告白したことは誉めてやろう。事実、まさにその通りに事態は推移したのであり、「詳細」は、実は彼らに欠けているものと同じぐらい大きなものなのである。
 彼らが陰謀のために嘘をつかざるををえなくなったのは、現実をイデオロギーで転覆しようとする自らの傾向のせいだったが、その嘘がたちまち暴露されると、彼らはその傾向を極端に推し進め、それを必然性に仕立て上げてしまった。そうなるともう、どんなに大きな力でも、逆方向に突っ走る彼らを止めることはできない。SIのビラは、彼らがまったく古典的な警察の手法を使って何人かの偽の証人をでっち上げ、邪魔な敵の名誉を傷つけて排除しようとすることを告発していたが、そのビラを彼らは「権力の手先」と見なした。これはまったく「タシュロー資料」の最上の伝統に属するやり方だ。彼らはヘーゲルの衣を借りて、プライベートな次元のこまごまとした理由で「歴史上の大人物」を既めようとする「いわゆる心理学的省察」を弾劾した。そのようにして、彼らは、自分たちの方こそ、その歴史上の人物の一員だということを、ショッキングなほど素朴に前提としているのである。それゆえ彼らは、「想像上のものでも推定上のものでもなく、まったく正当で必然的な偉業を望み、それを成し遂げた」つもりなのである。この英雄たちは、かつて自らが望んだ──成し遂げたとまでは言わないが──ことが、せいぜいのところ、無意味で卑劣なトリックを成功させることにすぎなかったことを、単に忘れているだけである。さらにまた、われわれが彼らの心理学的な貧困についていくらか正確に述べねばならなかったのは、まさに彼らの行動の驚くべき卑小さを説明せねばならなかったからだということを、彼らは忘れている。彼らを拒絶していた多数派──実際は、こうして発覚した彼らの分派に属していなかったすべての者──の行動を、彼らはそこでドゥボールとその狂信的信奉者による独裁のせいにした。彼らは、SIのなかにこうした個人的な権力をでっち上げ、そこに主人と奴隷の弁証法を再び適用した。自分たちの方こそ、かつてはギー・ドゥボールの目的に仕える奴隷だったのであり、だからこそ今度は主人になるよう求められているのだと彼らは信じている。しかし、彼らは、そうした「SIの乗り越え」のために、いつものことだが、本質的なことを無視した。おそらく、彼らが奴隷になったのは個人的な趣味からだったのだ。われわれはそれを知らなかった。彼らはこの場合、間違いなく働かない奴隷だった。したがって、彼らの作品〔=仕事」など存在していなかったのだから、そうした作品〔=仕事〕が誰かに使用されて、その人を疎外するのを彼らが見ることもなかったし、また、彼らには実際的な役割など何もなかったのだから、ひょっとして彼らが従っていたかもしれないそうした役割によって力をつけることもできなかった。彼らの劣等性や、SIについての彼らの観照認識を作り出しだのは、まさに、彼らが、静寂にみちた思弁のために、SIの共同行動には参加せず、地方の「学生」生活のなかに──しかも、彼らの誓いにもかかわらず──断固としてとどまったからである。当然のことだが、この称賛すべき観照は恨みに変わった。SIのなかに平等を樹立するというテーマに基づいて、彼らの分派が秘密裏に作られたのだ。しかも、純粋な平等を唱えるこれらのイデオローグには何も目に入らなかったために、(組織的な中傷に訴える前でさえ)秘密の分派を形成することは、SI全体よりも高いところに身を置くことによって、シチュアシオニストうしの関係のなかに最初の客観的不平等を生み出し、それを制度化することになるのだということも分からなかったのである。
 SIがガルノー派の正体を見抜き、それに相応しい仕方で扱うようになるとすぐ、純粋な平等というイデオロギーが公然と叫ばれ、何人かの学生を集めるのに役立った。この学生たちは、無理もないが、前日までガルノーら白自身が軽蔑していた学生である。数週間のうちに、ストラスブールでは、激しい熱狂と過激主義でもってすべてが平等化されたが、これに比べたら、水平派(レヴェラーズ)*1やブラ=ニュ*2、至福千年派*3やバブーフ主義者*4の要求も子供の遊びに見えた。SIの欠陥は前衛にすぎない点にあり、前衛とは他の昔たちが遅れを取っているからこそ、はじめて存在するのだと、彼らは叫んだ。そのような遅れは、それゆえガルノーが廃棄し、今や、「世界中で大規模に行動できる革命組織」(『唯一者とその所有』)が必要であり、したがって自分たちはそういう組織になったのだと。またたく間に、世界中のプロレタリアートは、1人の人間であるかのようにさまざまな段階の遅れを脱し、意識と能力の点でガルノーとも他の誰とも厳密な意味で平等になったというわけである。しかも、これが、彼らの立場においてあれほど望まれていたSIの乗り越えだったのである。言うまでもなく、これらのことはすべて純粋な思考のなかで起きたことである。
 「ピストルの一撃のようにして、絶対知とともに即座にはじまるあの熱狂」(ヘーゲル)の産物が、1967年4月13日、世界が驚いて目を見張るなかで出現した。そんなものにこれほど早く再会できるとは誰も思ってもいなかった。この時、「世界中で大規模に行動できる革命組織」がMNEF〔全国学生共組合〕*5ストラスブール支部)の空を急襲したのだ。この組織は、あの叙事詩的選挙で敗北したが、それでも、ガルノーというソースをかけた、多岐にわたるその総合的実践の栄光にみちた思い出だけは残したのである(したがって、わがイデオローグたちが、次に、発言と行動との間の一貫性をみだりに要請しすぎると言ってSIを弾劾したとしても、誰も驚きはしないだろう)。
 アルザスイデオロギーが産み出した最高の作品は、パンフレット『唯一者とその所有』に刻み込まれた。その中では、ドゥボールに代わってハヤティが妬みと憎しみの対象になっている。テクストそのもののレヴェルにも見られる完全な一貫性の欠如は、結局次のような論理展開に帰せられる。SIの理論は、多くの優れた質を持っていた。それには、1つの重大な欠陥があった。それは、ドゥボール主義の欠陥である。ゆえに、この理論は、理論としてさえ何の価値もなかった。その証拠に、ただ実践(プラクシス)だけが……(前のところを参照せよ)。
 このくだらない冗談──ドゥボールだけが常にすべてを指導し、すべてを行ったというもの──を維持するために、10ほどの真っ赤な嘘に混じって、この上なく愚かな手法が利用される。例えば、わがガルノー派は、卑怯にもあくまでも秘密であり続けた最初の反対派であったにもかかわらず、逆にSIには決して反対派はいなかったという考えがそうである。引用文の1つ(それについては、例えば「コミュニケーション」の概念をSIの意味でではなく、ORTF〔フランス・ラジオ・テレビ機関〕*6の一方向的な意味で使っていると、信じているきらいがある)は、名指しでドゥボールのものにされているが、作者名なしに差し出されている2つの引用文の方は、実は、ヴァネーゲムのものである。シチュアシオニストなら誰でも、そしてわれわれの出版物を注意深く読んでいる者なら誰でも、シチュアシオニストの組織の性質についてのヴァネーケムのいくつかの考え方には、重要な個人的ニュアンスが示されていることをよく知っている。指導者としてのドゥボールはレス枢機卿*7と同一視されているが、このレス枢機卿の方は、逆に、かなり突飛な階級意識を持った人物にされている(「官僚主義的−ブルジョワ的装置の興隆に向かって希望のない闘争を審美的な遊び〔=ゲーム〕として行い、同時にそれをしている自分を見つめている」枢機卿)。わがイデオローグたちは、むしろレスを読むべきだったろう。そうすれば、「中傷に関しては、人に害を与えないものはすべて、攻撃される側に役立つ」ということを学んでいただろう。
 彼らの分析の極めつけは、『ユマニテ・日曜版』*8的「マルクス主義」のスタイルによって次のことを発見したことだ。雑誌『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』が合法的に刊行され、その編集長ドゥボールが、無謀にもわれわれを信頼してくれる印刷業者から借りたわれわれの借金に対して個人的な責任を負っていることこそが、ある種の経済的権力の基盤となっているのであり、そのことによって、SI全体に対して必然的にドゥボール主義の権力が貫徹されていることが説明されるだろうというものである。しかし、このことは同時に、平等化の英雄たちが、なぜ、そのような権力に一瞬たりとも反対しようとせず、常に愛想よくしてきたのかも説明してくれる。
 フランス国外でのわれわれの出版物はすべて、当事国の同志たちが常にどこででも、完全に独立した財政基盤に基づき、別の「編集者」あるいは他の印刷労働者と一緒になって実現してきたが、例えばこういう事実などは、彼らの狭量なアルザス的視点においては考慮されさえしなかった。
 「国際的理論家集団」としてのSIの現状は、ガルノー派がそこに自らの場を持ち、自分たち自身もまた少なくとも理論家であることをやがて証明できると信じていた時には、彼らにとってもすでに非常にすばらしいものに見えていた。彼らは、除名の翌日にはもう、SIをそうしたもの〔理論家集団〕でしかなかったと言って非難する。彼らとは違い、SIが「世界中で大規模に行動できる革命組織」であると自ら宣言しなかったと言って非難するのである。現代社会のなかでこの種の労働者組織を創り出すような実践的過程のさまざまな現実について、わずかでも意識するよう彼らに期待してもまったく無駄だろう。しかし、彼らを虜にしている感情的で自己中心的な面にとどまるかぎり、彼らにとって、新しい革命潮流が、新しい理論的基盤に基づいた初歩的連携の段階にあるのか、闘争中の革命的労働者によってすでに経験されているのか、それとも、〈評議会〉権力の段階にあるのか、これらのあいだにどれはどの違いがあるのだろうかと自問することさえできる。というのも、ガルノー派と彼らの現実的実践は、どの段階でも常に断罪されるだろうからだ。革命的労働者とは──嘘の操作によって統治する官僚や政治屋とは逆に──中傷の問題について冗談は言わないものである。そして、徹頭徹尾、真理を実践する〈評議会〉のプロレタリア権力は、明らかに、自らの目的を追求する秘密の集団が結託して主張する嘘の事例を、やはり自分の手で抑え込んでおくべき希有な妨害形態の1つとして扱わねばならないだろう。

*1:水平派(レヴェラーズ) 17世紀英国のピューリタン革命期に、民主主義的平等と人民主権を主張して闘った党派。1645年革命で議会派が国王派に軍事的勝利を収めると、革命陣営内部の分裂が表面化し、議会では右派の長老派と野党の独立派の対立、軍内部では独立派軍幹部と兵士の対立が激化。この情勢下でジョン・リルバーン、リチャード・オーバトン、ウィリアム,ウォールウィンらを指導者とする水平派(レヴェラーズ)が結成され、ロンドンの手工業者を中核に軍にも浸透。基本的人権人民主権を定めた「人民協約」を掲げ、軍を基盤に闘ったが、49年独立派による共和国形成の過程で弾圧され、反乱は鎮圧された。

*2:ブラ=ニュ 生産手段を一切持たず、自分の裸(ニュ)の腕(ブラ)のみで生活した最底辺の労働者のことで、特にフランス革命時に絶対平等主義的な綱領に基づいて行動した集団を指す。元来は16世紀ごろフランス各地、特に南仏に出現した小作地を持たない労働者で、季節労働や単純作業に従事しながら移動して働いた。

*3:至福千年派 キリスト教世界で終末にあたってキリストが再臨し千年間統治すると信じられた王国(千年王国)の到来を待望する千年王国説あるいは至福千年説を奉じる者たちのこと。至福千年説は、12世紀から14世紀にかけたヨーロッパ社会の激変(異民族の侵入、疫病の流行など)のなかで、ユートピア思想、異端思想と結びつき、圧政者に対する反乱や略奪などの騒擾を伴った激しい運動としても展開された。

*4:バブーフ主義者 フランス革命期の最左派の革命家バブーフが1795年から96年に行った〈平等者の陰謀〉を指す。〈平等者の陰謀〉は、共和国3年に樹立したブルジョワ政権を人民の名において転覆しようとした「陰謀」で、バブーフらは徹底した平等主義を唱え、土地の分配と平等な財産の分配、さらには私的所有権の廃止を求めて、秘密総裁政府を作り、秘密の工作員を区や軍隊の中に送り込んだが、96年5月に組織が発覚して逮捕される。 バブーフは翌年処刑されるが、この〈平等派の陰謀〉の「思想」はマルクスに強い影響を与え、その戦術と組織論はブランキ、レーニンに受け継がれた。

*5:フランス全国学生共済組合〔MNEF〕 フランス全学連(UNEF)とは一応は別の学生組合組織で、執行部は選挙で選ばれ、大学施設(食堂、バー、休暇施設、印刷施設、学生診療所など)を運営する任を負っている。

*6:ORTF〔フランス・ラジオ・テレビ機関〕 フランス国営のラジオ・テレビ公共放送機関。

*7:レス枢機卿(1614−79年) フランスの聖職者。青年時代を度重なる決闘と恋愛の奔放な生活を送り、1643年パリ大司牧神となり、48年のフロンドの乱では反マザラン派として反乱者側について活躍、51年大司教となるが、マザランの反撃で52年バスチーユに投獄される。54年に脱獄し、イタリアに亡命、62年にはパリ大司教を辞任して修道院にこもり、有名な『回想録』を執筆した。

*8:ユマニテ・日曜版』 フランス共産党の新聞。日曜版には文化欄がある。