『アルザス・イデオロギー』訳者解題


 同時代のドイツの観念論哲学を批判したマルクスの『ドイツ・イデオロギー』をもじったタイトルのこの文章は、ストラスブールで陰謀的な分派活動を行って、SIを除名されたジヤン・ガルノーらのグループの行状を暴露し、今や、自分たちの行動を正当化するために、『唯一者とその所有』というパンフレットを出版して「平等」と「世界組織」を抽象的に唱えるだけの観念論的反対派に成り下がってしまったカルノー派を徹底的に批判するものである。SIは、ガルノー派の拠点がアルザス地方の首都ストラスブフールであり、そのパンフレットのタイトルが、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』で中心的に批判していた聖マックスことマックス・シュティルナーの主著をそのまま転用していることから、ガルノー派のイデオロギーマルクスに倣って「アルザスイデオロギー」と名付けているのである。
 ガルノー派とは、ここに書かれているように、ジャン・ガルノー、テオ・フレー、エディット・フレー、エルベール・オールら、ストラスブール出身のシチュアシオニストで、67年 1月に全員がSIを除名された者たちのことである。彼らは、66年秋の新学期に始まったストラスブール大学のスキャンダル(『ストラスブールのスキャンダルにおけるわれわれの目的と方法』を参照)以前から、ストラスブールで活動していたと思われるが、AFGESの学生たちの行動に影響力を行使し、大衆組織を作ろうとしてSIの分派活動を行い、パリからきたSIのムスターファ・ハヤティに関する虚言を学生たちの間に広めたために 67年 1月 15日にSIを除名(エディット・フレーは間接的にガルノーたちの行動を支持したため脱退)された。この間の事情は『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 本号の「最近の除名について」に詳しいが、そこに書かれた以外のことを書いておこう。この除名の翌日、ガルノー派は、自分たちの「除名」を隠して、SIを「脱退」したことを告げるビラ『ただ真理だけが革命的である』を配布し、19日には『学生生活の貧困』のタイトルをもじったビラ『シチュアシオニスト生活の糞』をさらに配布して、SIを公に攻撃し、ストラスブールの親シチュアシオニスト的学生の間で大衆的支持を得る行動に出た。これに対して、事実を明確にするためにSIは 22日にビラ『注意! 3人の挑発者が』をストラスブールの街頭(あるいは大学構内)に何枚も掲示し、それまでは自ら公表していなかった(SIは「大衆組織」ではないので、内部事情を明らかにする必要もなかった)ガルノー派除名の事実と経緯を大衆的に明らかにした。ガルノー派は、このSIのビラの横にすぐさま、1918年のドイツのスパルタクス団に武装解除を勧めるためにベルリン郡司令官ノスケが配布したビラ『武器を携行しているすべての学生に告ぐ』の複製を貼り付けて応じた。こうした行動のまとめとしてガルノー派は 67年 5月にパンフレット『唯一者とその所有』(425ページの訳注を参照)を出版してSIを攻撃し、SIの方は『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第11号の「ストラスブール・スキャンダルにおけるわれわれの目的と方法」、およびこの「アルザスイデオロギー」を発表してガルノー派の批判を徹底させたのである。ガルノー派は、その後もシチュアシオニストを名乗り、67年 4月に学生共済組合の指導部を取ろうとしたり、自治会執行部の選挙運動に参加したりしながら、「階級闘争」という名の雑誌を時々発行する。彼らの行動は、ボリシェヴィキ型の大衆闘争を否定するSIの戦術と相容れないが、彼らの言説はストラスブールの学生の間に一定の影響力を持ったようで、その影響を受けた学生たちが 68年にはフランスで最初の自主管理大学の宣言を行ったりもした。

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