『サンセット大通り』 訳者改題

 シチュアシオニストは、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第3号の論文「アラン・レネ以降の映画」のなかで、アラン・レネの初期の2作品、すなわちアウシュヴィッツドキュメンタリー映画『夜と霧』と長編第1作『ヒロシマ、わが愛』(1959年、邦題『24時間の情事』)を高く評価していた。『夜と霧』については「見事な才能」によるすぐれた短編映画とだけ指摘していたにすぎないが、『ヒロシマ、わが愛』については「レネの作品の発展の上でも、また世界の興業(スペクタクル)映画史の発展の上でも、質的な飛躍をもった画期をしるすもの」であり、シャン・ルーシュのシネマ・ヴェリテの作品やレトリストの実験的映画を別にすれば「『ヒロシマ』は、おそらくトーキー映画の確立期このかた、もっともオリジナルな作品であり、またもっとも大きな革新をなしとげた作品」であると、シチュアシオニストとしては最大限の賛辞を贈っていた。この肯定的な評価は、レネの作品が、映像と音声の分解、正確には、映像に対する音声の優位と、登場人物の動きと言葉によるのではなく彼らの「叙唱(レチタティーヴォ)」による作品展開を行うことによって、映像と音声の同調によってスペクタクルのフィクションを維持する既存の映画を解体し、真に新しい映画表現の可能性を開いたことに由来する。スペクタクルのフィクションの破壊という点では何一つ革新的な試みを行わなかった「作家の映画」や「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画監督たちとは異なり、レネのこうした手法は、ドゥボールの『サドのための叫び』(52年)や『比較的短い時間単位内の幾人かの人物の通過について』(59年)などの映画と多くの共通点を持っていた。それは、映像と非同調的な圧倒的な音声と言葉によって映像を異化し、映画を「状況の構築」のための一手段として利用するというシチュアシオニストの方法論にそったものだったのある。
 しかし、レネの長編第2作『去年マリエンバートで』はこうした方法論を放棄し、人工的な映像と、登場人物の様式化された衣装と身ぶり、そして、ロブ=グリエの陳腐で空虚な言葉によって「まがい物の神秘、コクトーの亜流」を組み立てたにすぎないと、シチュアシオニストはレネの「退行と欺瞞」を断罪する。『マリエンバート』によって、レネは『夜と霧』、『ヒロシマ、わが愛』の音と映像の異化的効果に基づいた批判的ドキュメンタリーの映画から物語映画へと移行したが、その際、レネはそれまでの手法を、物語映画のなかに取り込み、新しい映画の表現方法を発明するのではなく、むしろ、登場人物のわざとらしい大仰な身振りと人工的なセットに支えられた1920年代の無声映画に回帰した。その点で、レネの『マリエンバート』は、ビリー・ワイルダー監督が『サンセット大通り*1で描いたサイレント映画時代の大女優ノーマ・デスモンドの時代錯誤的な身振りと同類の映画的退行なのである。

   

*1:サンセット大通り サイレント時代の女優の没落と商業主義が支配する40年代末のハリウッドを描いたビリー・ワイルダー脚本・監督の1950年発表の映画『サンセット大通り』をかけている。映画『サンセット大通り』は、グロリア・スワンソンウィリアム・ホールデンエリッヒ・フォン・シュトロハイム出演。白黒110分。ハリウッドの売れない脚本家のショー・ギリス (ホールデン)か月賦屋に追われて、サンセット大通りの荒れ果てた邸宅に逃げ込むと、そこにはサイレント時代の大女優ノーマ・デスモンド(スワンソン)がかつての人監督で夫のマックス・フォン・マイヤーリンク(シュロトハイム)とともに住んでいた。ノーマは、ギリスに再起を夢見て暖めていた「サロメ」の脚本を依頼し、次第にギリスを愛するようになるが、ギリスは邸宅を逃げ出す……。