ポトラッチ 19

レトリスト・インターナショナル・フランス・グループ情報誌────── 月刊

1955年4月29日


映画の偉大な時代


●第8回カンヌ映画祭*1はひどいだろう

 映画評論家は、仕事柄、映画を愛している。彼らは、他の可能な映画をすべて除外して、ある種の映画だけを愛している。しかし、どこでもそうだが、人は飽きるものである。彼らは、部分的な刷新を望んでいる。彼らには、彼らの評価の対象であると同時に、彼らに日々の糧を与えている、今ある映画の枠組みのなかでは、この刷新は不可能であると考える最高の理由がいくっもある。何年も前から、彼らは、ほんのわずかな新味を待ち望むふりをしてきた。失望したふりをしたり、驚いたふりをしたりしてきた。
 数年前から、映画にとっても、チェスと同様に、新しい発見の可能な場をくまなく巡った後で、技術の習得というものが、すでに認められた規則に間違いなく従う名人芸のようなものしかもたらさないことが明白になった。それでも、『悪魔のような女』においてクルーソー*2が、まったく意味のない暇つぶしのために映画作りの豊かなノウハウを開陳しているにすぎないのを見て、われらが映画評論家たちは失望したり、さらには憤慨したりしてみせる。あるいは、ヒッチコックが最新作*3で(だが、いったい彼らは何をヒッチコックから期待していたのだろうか?)、しごく取るに足りない中庭に面しか、まったく無償の窓を開けるのを見たときも同様である。
 こうした非難のキャンペーンを、ともあれ、愉快に2時間を過ごさせる能力のある神々の幾人かに対して始めたことに、今や宗教と化した映画産業の大黒柱たちの知的衰弱の最初の徴か現れている。知的衰弱というものは、実際には死んでしまったイデオロギーの理論家たちのなかに、常にいつかは現れてくるのである。遠からず、彼らは、この仕事を続けるために、もっと慎ましくしなければならなくなるだろう。ひょっとすると、映画も、ミサやサッカーの試合のように、無限に繰り返される1つの見せ物(スペクタクル)にすぎないということを彼らが認めるときが来るかもしれない。
 彼らの芸術の現状は、われわれが1952年5月に第5回カンヌ映画祭において配布した、『フランス映画は終わった』*4という題のビラに示した通りである。映画という分野でのわれわれの転覆活動は、配給を支配している映画会社による全面的な妨害や、さらには── そうする必要があったときには── 検閲にすら会ったが、この事実はわれわれの見解に反する論拠ではなく、むしろ、われわれの見解を支持するものだろう。
 あれ以来、われらが「大西洋」映画の連綿と続く凡庸さと、コクトー・タイプの復興のいくつかのこっけいな試みさえもが、われわれの正しさを証明した。近くカンヌで開かれる第8回見本市はひどいものだろう。われわれは、前もって、それを認めることにある種の喜びを感じる。

〔後略〕

『ポトラッチ』編集長 ジル・J・ヴォルマン

パリ5区、モンターニュ==ジュヌヴィェーヴ街32番地

*1:第8回カンヌ映画祭 1955年4月26日から5月10日まで開催。審査委員長はフランスの作家マルセル・パニョル。グランプリ(この年から63年までパルム・ドール賞の呼称)は合衆国のデルバート・マン監督の『マーティ』、審査員特別賞にイタリアのレオナルド・ボンツィ監督らの『失われた大陸』、監督賞にフランスのジュールズ・ダッシン監督の「男の争い」など。

*2:クルーソー(1907-77年) フランスの映画監督。サスペンス映画に秀作を残した。『悪魔のような女』は、シモーヌ・シニョレ主演で1955年に公開された作品である。

*3:最新作 ヒッチコックが1954年に制作した『裏窓』のこと。ジェームズ・スチュワートグレース・ケリーが共演したこの映画は、映画史に残る名作である。

*4:『フランス映画は終わった』 べルナ、ドゥボール、デュフレーヌ、イズー、マルク・O、ポムラン、ヴォルマンらレトリストのメンバーの署名によるビラ。「自分たちに与えられるものに満足しない男たちは、公式の表現の世界とその貧しさのフェスティヴァルを乗り越える」という言葉で始まり、イズー、ドゥボール、デュフレーヌらレトリストたちの実験映画の紹介を挿んで、「われわれは、文盲の、あるいは文盲になるべく運命づけられた小商売人のあいだで行われているこのばかばかしい物まねのコンクールを乗り越えることを欲している。われわれがここに存在するだけで、それは死に絶えるだろう」という言葉で終わるこのビラは、1952年春のカンヌ映画祭でレトリストたちによってまかれ、11名の逮捕者を出した。