ポトラッチ16

レトリスト・インターナショナル・フランス・グループ情報誌─── 月刊

1955年1月26日


大いなる眠り*1とその依頼人たち

「他の画家たちは、腹の中では何を考えているかは知らないが、今の絵画取引についての議論からは、本能的に距離を置いている」。

(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの最後の手紙)

「われわれには、さまざまな感情を、おそらく愛情や憎しみに匹敵するほど強い基本的感情を作り出す能力があるということに、もうそろそろ気がついてもいい頃である」。

ポール・ヌージェ*2シャルルロワ会議)

自らい実験的たらんとしている絵画や音楽をめぐって交わされる下らぬ論争の数々、輸出用の東洋趣味(オリエンタリズム)に満ちた品々に対する滑稽きわまる崇拝、「伝統的な」数量主義的(ニュメラリスト)理論のよみがえり、こういったものは、ブルジョワ的知識人の前衛の完全な退任の帰結である。この前衛は、最近十年間までは、彼らを支える社会のイデオロギー的上部構造の破産と、その乗り越えのために具体的に尽力していたのである。
 現代という時代によって表明できるようになった要求の数々を総括するのは、まだこれからの仕事であるが、その総括は完全な生活様式の水準においてしかなされえないだろう。環境の構築とライフスタイルの構築は、資本主義社会のなかで孤立した知識人には閉ざされた試みである。このことが、この夢の射程の長さを説明する。
 芸術に対する軽蔑と芸術の破壊から自らの名声を引き出してきた芸術家たちは、その事実そのものによって異を唱えられたわけではない。というのも、その軽蔑もまた1つの進歩に規定されていたからである。一方、芸術の破壊という局面も、まだ、ある種の芸術生産の─── 歴史的に必然的な─── 社会的一段階であり、この段階はある一定の目的に応じたものであり、その目的が消え去るとともに消滅するものなのである。この破壊をうまくやりおおせたあとで、その主唱者らは、かつて自分たちが美学的規律を超えたところにあると予告していた野望を当然にも何一つ実現することができないことに気がつく。老いさらばえつつあるこの発見者たちが、自分の糧としている明確な価値─── すなわち、彼らの芸術の衰退と時を同じくして現れた芸術作品─── に対して表わす軽蔑の態度は、かなりいかがわしいものとなり、美の末期の苦しみを際限なく引き延ばすことに耐えるだけのことになってしまう。この美の末期の苦しみは、ただ形式的な繰り返しだけでできており、もはや一部の時代遅れの大学生の若者を惹きつけるだけである。大体、彼らの軽蔑の下には、たとえば、社会主義レアリスムの絵画や社会参加(アンガジュ)した詩の醜悪さに対して、同一の美的価値を熱烈に擁護する姿勢が隠れているのである。このことは、矛盾しているが、経済上の階級的連帯ということで説明がつく。フロイトとダダ運動の世代は、当時のさまざまな矛盾によって有罪を宣告されていたある種の心理学とある種の道徳の崩壊に手を貸した。この世代は、一部の人間が決定的なものと信じたがっているいくつかの流行のほかには、自分たちの後に何も残さなかったのである。
 実を言うと、この世代の者たちと彼らが自らの先駆者と認める者たちのどのような価値ある作品を見ても、次に訪れる感受性の大変動は、もはや既知の物事を斬新に表現するというようなレヴェルではなく、効力のある新しい状態を意識的に構築するというレヴェルでしか考えられないということがわかるだろう。
 周知のように、より高い次元の欲望が発見されるやいなや、その欲望はより劣ったかたちで欲望を実現するものの価値を低減し、必ずそれ自身の実現に向かうものである。
 このような要請に直面して、現在の経済環境のなかで許容され評価されている創造形態に執着することは、正当化されえない。「精神の革命家たち」は、自分たちを閉じこめている本当の禁止事項に対し、意図的に目を閉ざすことで、奇怪な自己防衛へと押しやられている。共産主義(ボルシェヴィズム)という非難は、彼らが裁判官忌避の嘆願をする際に最もよく使われる手段で、こうすれば即座に、礼儀正しい〔=文明化された〕エリートの判断に照らして、反対者を無法者扱いにすることができる。誰もが知っていることだが、これほど純粋に大西洋的な文明概念にも幼稚さが含まれていないわけではない。何しろ、彼らは錬金術師たちの本を解説したり、こっくりさんをしたり、いつも前兆に注意したりしているのだから。
 シュルレアリスムを記念して、19人の阿呆どもがわれわれに反対する共同文書を出版したが、その題名の中で彼らはわれわれを「大いなるトリックの常連」と形容していた。彼らにとって「大いなるトリック」とは、明らかに、マルクス主義、モスクワ裁判*3、金銭、中華人民共和国、二百家族*4、故スターリンなど、要するに、自動筆記かグノーシスでないもののほとんどすべてである。「大いなるトリックの無意識」である彼ら自身は、1930年頃に普及した娯楽を上機嫌で行いつつ、生き恥をさらしている。彼らは自分たちの頑固さが良いものだと、─── ひょっとすると自分たちの道徳さえもが良いものだと─── 思っているのだ。
 われわれの関心を引くのは、意見ではなく、体系である。ある種の統一的体系は断片的な理論─── 精神分析の理論であれ、単なる文学理論であれ─── の上にあぐらをかいた個人主義者たちの怒りを買うのが常である。だが、このオリンポスの神々たちも、自分たちの存在の一切を別の体系に従わせているのであり、その体系に支配されていることや、その体系自体が滅びるべき性格を持つことを無視することは日毎に難しくなってきている。
 ガゾット*5からブルトンにいたる、われわれを笑わせてくれるこの連中は、結局はどれも似たり寄ったりの彼ら自身の世界観とわれわれとが断絶していることを告発するだけで満足している。あたかも、それだけで議論は十分だと言わんばかりである。
 死に吠えたてるために、番犬たちは群れるのだ。

G=E・ドゥボール

〔中略〕

ミッション・エトランジェール広場*6

 6区と7区の境界近くに位置し、わずかな距離を置いてバビロン通りとラスパーユ大通りとに取り囲まれたこの広場は、近づきにくく、たいてい人影がない。その面積はパリの広場にしてはかなり広いほうである。植物はほとんど生えていない。中に入ると、二股の枝の形をしていることがわかる。
短い方の分枝は、高さが10メートル以上ある塀と大邸宅の裏壁の間に伸びている。突き当たりは、私有の中庭になっていて、境界がどこにあるのか見分けるのは難しい。
 もう一方の分枝は、左側に同じ石の塀がそびえたっている。右側は、コンマーユ通りの建物のきれいな見かけのファサードに仕切られている。この通りは極端に人通りが少ない。この分枝を先に進むと、コンマーユ通りよりもずっと活気のあるバック通りに出る。
 しかし、ミッション・エトランジェール広場は、ひどく分厚い生け垣で本来の広場から区切られている奇妙な空き地によって、このバック通りから隔てられている。四方を囲まれたこの四角い空き地の唯一の使い道は広場とバック通りの通行人との間に間隔を置くことにあると思われるが、その高さニメートルの所には、テルミヌス神*7の形をしたシャトーブリアン*8の胸像がそびえ、鉱滓で舗装された地面を見下ろしている。
 広場の入口はただ1つ、二股の先、コンマーユ街の端にある。
 この地の唯一の建造物は、四角い空き地を視界から隠し、そこに近づくのを妨害することにも役立っている。それは、ひどく威厳のある四阿(キオスク)で、駅のホームと中世風の壮麗さがもたらす印象をすべて差出している感がある。
 ミッション・エトランジェール広場は、遠方からの友人を迎えたり、夜中に襲われたり、その他さまざまな心理地理学的目的に利用することができる。

ミシェル・べルンシュタイン

〔中略〕


アダモフ*9よりひどい!

 1人の王党派とRPF〔フランス人民連合〕の議員*10が『人間の条件』を上演している。これは、当時は世界各国を渡り歩いていたこのRPF議員の手になる、1927年の上海の労働者蜂起を小説風に潤色したルポルタージュである。
 このRPFの登場人物らは、組合活動の枠内での冒険や無償の行為の美学について、一般的な考察を述べる。
 RPF議員自身は彼の生涯の大部分を費やして冒険(アヴァンチュール)の美学についてあれこれ考えた。その後、彼は美学の策謀家(アヴァンチュリエ)になった。
 王党派の方は知名度がそれほど高くない。だが、彼には身元保証書がある。彼はアイスキュロス*11をフランスで最後に脚色した人物である。『王の競争』が思い浮かぶ。
 『人間の条件』の中に王は1人も出てこないが、それでも将軍*12は1人出てくる。この将軍は今でも台湾では有名である。それに、機関銃も1挺出てくるが、この機関銃はとてもできの良い機関銃だ。
 RPFは単なるネオ・ブーランジスト*13ではない。彼は、モーリヤックやマンデス=ボン大統領*14のように新左翼でもある。
 偶然にも、RPFが1938年にバルセロナで撮った映画『希望』*15が映画館で上映されている。この映画の中には、とてもきれいなシークエンスがいくつかあって、見るものを家に連れ帰るようにスペイン戦争に連れ戻してくれる。
 このRPFは映画の中で、証言と偽の証言を実践しているが、それは彼にとって期待外れだった。すぐ後の世代の人々が、たくさんの雑音の中からどんな細部を選び取るか、今からでも彼はいくつかの兆しから予想を付けることができるだろう。

G=E・ドゥボール

12月にその存在を知らせたラジオ番組の連載を今日から開始する。ここでは『教育的価値』の台本は、口調や効果音なしで掲載されるが、それらは、まさに次のような台詞のために電波に乗ることはないだろう。

●教育的価値

声1─── 雨や良い天気のことを話そう。でも、それがつまらないこととは思わないようにしよう。なぜなら、わたしたちの存在は天候に左右されるのだから。
声2(少女)─── タマールは自分で作ったお菓子を取って、兄アムノンの部屋に持って行きました。彼女は食べさせようとそのお菓子を兄に差出しました。が、彼は彼女をつかんで言いました。「妹よ、わたしといっしょに寝てくれ」。彼女は答えて言いました。「いえ、兄さん。乱暴してはいけません。そんなことは、イスラエルではしてはならないことです。そんなおぞましいことはなさらないでください。わたしは、わたしの恥を負っていったいどこに行けるでしょう。そして、あなたは、イスラエルで笑い者になってしまいます。どうか、王に相談してください。王はわたしがあなたの妻になることを拒みになられることはないでしょう」。しかし、彼は彼女の言うことを聞こうとしませんでした。それに、彼は彼女より力がありました。彼は彼女に乱暴して、これと寝た。
声3─── 現在の家族、ブルジョワの家族は何に立脚しているのか? 資本に、私的営利にである。完全に発達した家族はブルジョワ階級だけにしか存在しない。しかし、その当然の帰結として、プロレタリアートのあいたでの家族は完全に消滅し、公娼制度が幅をきかせる。
 言うまでもないことだが、ブルジョワ家族も、それを補完するその帰結とともに消滅するだろう。そして、両者は資本の消滅とともに消滅するだろう。
声1─── ベルナール、ベルナール、このみずみずしい青春は永久に続くわけではない。すべての心惑わせる希望が容赦ない宣告によってけりをつけられる運命の時がやがて来るだろう。われわれの企ての最中に、生が偽の友人のようにわれわれに背くだろう。快適な生活を享受しているこの地球の金持ちたちは、大いなる財産を持っていると思い込んでいるが、手に何もないのを見てびっくりするだろう。
声4─── だが、アルジェリアの住民たちが切望している信頼ムードを強めるのにとりわけ寄与するものは、警察の鎮圧行動が成功の内に終わり、その結果、130名が検挙されたというニュースだろう。なかでも、ケンチェラ*16では36名のテロリストないし扇動者が逮捕されたが、これは、あの流血の夜の攻撃部隊の最も大きな部分である。カッセーニュ*17では、12名が逮捕された。しかしながら、とりわけ心強く思われるのは、この中心地では、12名の逮捕者のうち4名が、犯罪者を法廷に引き渡すために、捜索に参加することを強く望んだ地元の農民によって引き渡されたことである。
声2(少女)─── 穏やかな牛たちにもし、自分を守る2本の角がなかったら、彼らは肉食獣の餌食のままになっていたことでしょう。この隣の水槽には、目が途方もなく大きくなる奇怪な魚がいます。

『ポトラッチ』編集長 M・ダフ

パリ5区、モンターニュ=ジュヌヴィエーヴ街32番地

*1:大いなる眠り 1946年に製作された、チャンドラー原作、ハワード・ホークス監督の映画の題名の転用。邦題は『3つ数えろ』。

*2:ポール・ヌージエ(1895−1967年) ベルギーのシュルレアリスト。1919年から生化学者として生計を立てる一方で、1925年以来、ルネ・マグリットとともにベルギーでのシュルレアリスム創始者となり、その中心的理論家として活動。ヌージェは1919年のべルギー共産党の設立にも加わり、ブルトンらパリのシュルレアリストとは当初から良好な関係を保っていたが、1950年代、ドゥボールとも関係のあったマルセル・マリエンの雑誌『裸の唇』に頻繁に寄稿するころから、次第にブルトンと離れていった。代表作に、『著作とデッサン』(27年)、マグリット論『防衛されたイマージュ』(29年)など。

*3:モスクワ裁判  1954年12月、ベリヤ元副首相ら7人が秘密裁判で銃殺刑の宣告を受けたが、そのことか。

*4:二百家族 銀行や大企業の経営や株の所有などによってフランスの経済活動を暗々裏に牛耳っていると言われる家族のこと。

*5:ピエール・ガソット (1895−1982年) フランスの歴史家、ジャーナリスト。戦前は、アクション・フランセーズのメンバーで、シャルル・モーラスの秘書を務めた。戦後は、『フィガロ』紙で論説を執筆していた。

*6:ミッション・エトランジェール広場 パリ7区、バビロン通り、ルーバック通り、プランシュ通りに囲まれた広場。ボン・マルシェ百貨店の別館の高い建物の裏にあって、ここの記述の通り、「近づきにくい」公園である。19世紀半ば、晩年のシャトーブリアンがこの広場に面した部屋に住んでいたことで知られる。

*7:テルミヌス神 古代ローマの境界神で、胸像柱として境界に建てちれた。

*8:フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(1768−1848年) フランスの作家、政治家。主著に『キリスト教精髄』 (1802年)、『墓の彼方からの回想』 (41年)がある。フランスロマン主義の先駆者として名高い。生前はみっしょん1・エトランジェール (海外布教団)の中庭に隣接する建物に住んでいたことから、それを記念して胸像柱が建てられたのだろう。

*9:アルチユール・アダモフ(1908−70年) ロシア生まれのフランスの劇作家。初めはシュルレアリスムの影響下にあったがいその後はマルクス主義に影響された。『ポトラッチ』 のこの号の出された1950年から51年のシーズンには、彼の戯曲の最初の上演(『侵入』、『大小の手段』)が行われていることから、ドゥボールはここで、そのアダモフを引き合いに出しているのだろう。

*10:RPFの議員 フランスの作家アンドレ・マルロー(1901−76年)のこと。マルローは、1920年代に仏領インドシナや中国に旅行し、帰国後、その地での経験をもとに『征服者』(27年)、『王道』(30年)などの作品を発表。1933年には、『人間の条件』でゴンクール賞を獲得した。この作品は、中国国民党による中国共産党への弾圧(1927年の上海クーデター)を扱ったもので、マルローはこの小説によって共産主義に近い姿勢を示したと言われている。マルローはその後、30年代には反ファシズム運動に参加し、36年にはスペイン内戦に国際義勇軍の飛行機隊として参加するが、第二次大戦中、ロレーヌ戦線でドーゴール将車に会って以来、反共産主義を立場をとるようになる。戦後は、45年、ド・ゴール政権の情報相として入閣し、59年から10年間文化相を務めるなど、政治家として活動する。と同時に、作家としてのマルローは、『芸術の心理学』(47−49年)、『ゴヤ論』(49年)などの美術評論活動に没頭する。

*11:アイスキュロス(前525−前456年) ギリシヤの三大悲劇詩人の1人。代表作に『アガメムノン』、『供養する女たち』、『慈しみの女神たち』から成る〈オレスティア三部作〉がある。

*12:将軍 蒋介石のこと。

*13:ネオ・ブーランジスト ブーランジスムとは1885年から89年にかけて、軍制改革や対独強硬策を掲げたブーランジェ将軍(1837−91年)を中心に展開された第三共和制政府打倒運動。この運動には労働者から王党派まで雑多な不満分子が結集したことから、戦後から1950年代にかけてのブジャード運動などの同種の運動をネオ・ブーランジストと呼んでいると思われる。

*14:マンデス・ボン大統領 当時、急進社会党左派に所属してフランス首相を務めたマンデス=フランスが、ドイツの再軍備と主権回復を果たしたパリ協定の調印者であったことを鄭楡したもの。259ページの訳注を参照。

*15:『希望』 アンドレ・マルローの唯一の映画作品で、スペイン戦争のなかでの反フランコ派と国際義勇軍との連帯をシネマ・ヴェリテ風に描いたもの。シナリオ・監督・制作・撮影まですべてにマルローが加わり、1939年にスペインのカタロニア地方で密かに撮影されたが、上映は1945年の終戦を待たねばならなかった。同名の小説とは舞台背景を同じくするが内容は異なる。

*16:ケンチェラ アルジェリア北東部オーレス山地の都市。1954年11月1日、FLNの一斉蜂起のとき、同地駐在のフランス軍が攻撃された。

*17:カッセーニュ アルジェリア北部オラン地方の都市。