ポトラッチ15

レトリスト・インターナショナル・フランス・グループ情報誌─── 月刊

1954年12月22日

〔前略〕

ロンドンとパリの合意の展望

 マンデス・フランス*1氏は、自分が代弁する明確に資本主義的な利害の圧力を受けて、ドイツの再武装が必要であるばかりか、生き残る現実的可能性をドイツに保証せねばならないと述べた。ロンドンとパリの合意は、誰に対しても再武装を認めるが、それを公然と追求するのは多かれ少なかれ軍に関係する少数の人間であるということと関連して練り上げられてきたが、それは最も広範囲にわたる経済的観点を、最も開かれていない征服の側面に結びつけたものである。
 第一に、彼らの目標は東側とのどのような真の対話も不可能にすることにある。その目的で、マンデス・フランス氏は、最近、国連と交わした欺瞞的な約束─── それは合意の批准の「後で」議論するというものである─── の助けを借りて、あらかじめ備えを講じていた。事実、この批准を行えば、ソ連との持続的な合意─── ドイツ問題についての公正な議論を通じての─── に達するどのようなチャンスも奪われてしまうだろう。この合意が批准された場合にはフランスとの友好条約を破棄するというソ連の脅しは、既に、西側の政策の笑うべき矛盾を暴露している。フランス外交当局が、この合意と1944年にド・ゴール将軍がモスクワで署名した同盟条約*2とは完全に両立するものであると断言していたときに─── それほど昔の話ではない─── 、報道機関はどこも、その条約にはもう長い間純粋に象徴的な機能しかなかったという理由で、そのような脅しは形式的なものにすぎないということをことさらに強調した。(……)
 この合意が批准されることになった場合、ドイツでもフランスでも、民主主義的自由を明らかに侵害することになる措置がとられることにしかならないだろう。これも偶然のことなのだろうか。
 ドイツでは、共産党にかけられた禁止の脅しは、そのうち反軍運動すべてを無条件に禁止し、労働者階級の組合と組織の活動を制限することを意味している。
 フランスでは、有名な「秘密漏洩事件」─── ジル・マルチネ*3と『フランス・オプセルヴァトゥール』誌がその最初の犠牲者である─── の周辺で展開してきたことは、この合意を支持する人間の行政慣行のなかに確立されつつある新しい潮流をかなりよく示している。同じ『フランス・オプセルヴァトゥール』誌(1954年12月9日)が書いているように、「ヨーロッパの習慣のなかにマッカーシズムを適用することと、われわれの個人的自由を制限することが、ドイツの再軍備に結びついている」。
 歴史過程の展開により緊密に結びついた面で言えば、ロンドンとパリの合意は、まだ隠されてはいるか同じように重大な帰結をはらんでいる。ボンとパリとのあいだで行われているザール地方*4を対象とする取引は、フランスの資本家がインドシナで味わった手痛い失敗をヨーロッパで打ち消すための重要な場所を手に入れようとする露骨な欲望を包み隠さず示している。このことは疑いない事実だ。この意味において、ドイツの資本家が譲歩を受け入れ、いまだにフランスに従属している海外領土─── とりわけ北アフリカ─── の搾取により大々的に参加することを諦める気になるように、彼らに対してさまざまな約束がなされたこともありえないことではない。この可能性は、既にとりたてて悲惨と無関心と抑圧に見舞われているこれらの国々において、資本主義システムが強化されるということをはっきりと意味するだろう。
 〔合意の〕批准の後でのソ連との議論という欺隔的な政策に反対し、ドイツの再軍備がフランスにもドイツ自身にも引き起こす自由への攻撃─── すでに表面に現れている─── に反対し、ドイツとフランスの資本家の同盟に反対するために、ロンドンとパリとの合意の批准と適用すべてに反対せねばならない。

L・ランキーヌ


 『ポトラッチ』編集部は、どのような証拠もないのにフランスでのアメリカのスパイ行為に関わったとされるジル・マルチネ氏に対する唖然とする容疑に反対するために発表された抗議声明に連帯の意を表明する。

 かつての勇者で、現パリ市市会議員のポール・ファべールなる男の介入によって、RTF〔フランス国営テレビこフジオ局〕に対し「平和主義的な」歌を禁止した件について。
 このエピソードは、かつてのSS〔ナチ親衛隊〕の称号を鼻にかける他の者も、人々の頭の上にいまだに〈かつての勇者〉の称号をあえて振りかざす下劣な人物の類も、実際はどのような者であるのかを完全に暴露している。わたしは、おまえたちが自分でも知らぬ間に〈かつての勇者〉となった理由─── それを知らない者はいないが─── についてあれこれ言うつもりはない。少なくとも、それを栄光にするな。
実際、栄光にするほどのものは何もないのだ。
 〈かつての勇者〉やそれと同類の他の者たちよ、おまえたちの種族は滅びの道をたどっているのだ。おまえたちはまだ、近い紛争に備えるよう若者たちを強制することができ、今のところはまだおまえたちの財産や植民地、おまえたちの帝国について話すことができる。だが、おまえたちの時代も先は知れている。おまえたちはディノザウルスや石臼といっしょに博物館行きだ。寛容にも、われわれはおまえたちがきれいな死に方をするようにさせておいてやる。だが、少なくとも黙って死んでくれ。おまえたちの痛ましい生涯をより早く完成させるのを助けるよう、われわれに強制するな。おまえたちが自分の後を委ねようとしているあわれな屑どもについて言えば、あいつらをあてにするな(わたしが言わんとするのは、わずかな金でインドシナの農民や労働者の仲間を殺害することができるとはっきり示したあのくたびれ果てた若者たちのことだ)。というのも、われわれはあまりに彼らのそばにいるので、おまえたちの抜け殻に使ってしまった忍耐を、彼らの抜け殻に使うつもりはないからだ。

ジャック・フィヨン

〔後略〕

『ポトラッチ』編集長 ムハンマド・ダフ

パリ5区、モンターニュ=ジュヌヴィエーヴ街32番

*1:マンデス・フランス(1907−82年) 1954年から55年まで、急進社会党左派として首相を務める。インドシナ戦争終結に功績があったが、アルジェリア政策ではスーステルを総督にして強権的な弾圧を行い、55年2月に辞任に追い込まれる。その間、54年10月に、マンデス・フランスは、英国などNATO九ヵ国と西ドイツの主権回復、再軍備化、NATO加盟を内容とした「パリ協定」に調印(発効は翌年5月5日)、その時、同時に西ドイツとの間に「ザール問題解決協定」(仏独平和協定締結までにザール地方の住民が直接投票によって地域の未来を決するというもの)も締結した。

*2:1944年にド・ゴール将軍がモスクワで署名した同盟条約 1944年12月10日モスクワでド・ゴールソ連と結んだ仏ソ同盟条約のこと。

*3:ジル・マルチネ(1916−) フランスのジャーナリスト。1950年、クロード・ブールデらと左翼的政治週刊誌『フランス・オプセルヴァトゥール』誌を発刊、その編集委員を務める一方で、60年からブールデとともに左翼の統一を掲げて《統一社会党》を結成、その要職に就く。73年以降は社会党の指導部として活動を行う。著書に『現代のマルクス主義』(62年)、「5つの共産主義」(71年)など。

*4:ザール地方 フランスとドイツの国境地域にあり、ドイツ語地域だが、炭鉱などの資源が豊富なため、ローレーヌ地方の鉄鋼産業のエネルギー供給源としてフランスは常にこの地方への干渉を行ってきた。第一次大戦でのドイツの敗北以降15年間、ザール地方は国際連盟の管理下にあったが、1935年1月、ヒトラー政権の下での住民投票の結果、圧倒的多数でドイツへの帰属が決定した。だが、第二次大戦後、再び、ドイツから切り離されフランスが併合しようとしていたが、57年に西ドイツに返還された。