あるモラリスト

 『フロン・ノワール〔黒色戦線〕』*1誌の元編集長ジャノヴェール*2──今や「カイエ・ド・フロン・ノワール」誌 第1号*3の唯一の著者のようだが──はモラリストである。たとえ、それがマルクスの著作に関するかの有名な「倫理的」説明を、リュベル*4から拾い集めたからにすぎないとしても。その説明とは、数々の疑似統一原理の1つで、あらゆる現代国家から十分な支払いを受けているマルクス学者の仕事(ジョブ)にとっても、弁証法的思考を思いつくことのできないどのような者にとっても有益な原理である。シュティルナー*5が、あらゆるモラリストは宗教と同衾してきたと言ったのは、間違いではなかった。しかも、例えば、ジャノヴェールの主張する道徳は、ユートピア社会主義の「ディオニュソス的な夢」に対して帽子をとって敬意を表しているにもかかわらず、フーリエ主義の匂いよりも蝋燭消し〔=興ざめ〕の匂いの方が強烈だ。「いかなる形態の相互恋愛感情も、動物的な満足や生殖の必然性に基づいた性的関係から遠ざかるかぎり、性的忠実さと切り離すことはできない。知性や道徳や感情の面でのどのような親和力も、忠実さ〔=貞節〕が存在しない場合には消滅する。というのも、そのような親和力は、いくら互いに信頼し合い、愛し合っていても、動物の性的本能に勝る固着を生じさせるのに十分な力を得ることはできなかったということを前提としているからである」(30ページ)。
 自分が盗用したそれぞれの部分でもなお、革命の純粋性は自分に独占的に託されている──彼の無意味な主張ではないものはすべて、彼には出世主義であるように見えるのだ──と思い込んでいるこの正直なモラリストは、われわれが『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第10号で彼に捧げた覚書(72ページ、「スペクタクルの予備軍」)によってその急所を捕らえられた。この的確な、実際にほとんど議論の余地のない記事に、彼は答えてさえいない。しかし、それでも進歩はある。今や、彼は、攻撃する時にSIの名を挙げ、われわれを直接に引用するからだ。はっきりさせておこう。われわれがジャノヴェールを信用できないのは、われわれの語る現実を彼が隠蔽したり握造したりすることが「不道徳」だからではなく、そうした隠蔽や握造が、イデオロギーと階級を廃棄せねばならない革命の方法ともその目的とも、根本的に両立しえないからである。しかしながら、ジャノヴェールの道徳主義は、彼の引用の仕方のなかに気持ちよいまでに浮かび上がっている。彼が選別した文章は非常に珍しいもので、それらのなかでシチユアシオニストは、まだ無批判的に──しかし、それはこれらの文章が抜粋された「文化的」テクストからすると周縁的(マージナル)な論点に関わるにすぎない──古い極左トロツキズム)になじみの概念をいくつか使っているのである。SIの理論的探求とは、当初の多くの前提を訂正することによって深められ統一されてきた運動である──幸いにも──。このことは誰の目にも明らかだとわれわれは信じる。このことは、とりわけ『アンテルナシオナル・シチユアシオニスト』誌 第9号の3ページおよび4ページに書いておいた。まるで偶然であるかのように、ジャノヴェールが引用した文章は、「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」誌 第1号から、とりわけ、SI結成以前にわれわれの1人が書いたテクストからさえ選ばれており、後者の場合、今から10年前のものである。しかし、公明正大なジャノヴェールは、われわれが日和見主義的に、しかも、全戦線にわたって、互いに両立不可能な立場の間を、流行に合わせて日々飛び回っているかのように信じこませようとしたのである。
 われわれの理論的成果は、知的流行のすでに明らかに認められるいくつかの変化に影響を与えなかったわけではないし、彼自身もこの成果を利用することは厭わなかった(彼が読んでいるものはリュベルだけではないのだから)。にもかかわらず、彼はこの成果の現実的発展を消し去るためにどのように振る舞うのか、彼の方法は、単純で直接的である。SI全体が、一種の完璧な官僚主義トロツキズムから今の自分の立場に跳び移ったのは「人を欺くことをねらっての」ことであるということを示すため、彼は、日付がないとはいえ10年前の自分好みの一連の短い引用文を、「つまり、昨日でもまだこのようなことが問題だったのだ」(75ページ)と単に断るだけで導入する。この昨日でもまだというのは、この種の道徳主義の傑作であり、ジャノヴェールの評判も、確かに、「人を欺くことをねら」わず、そうした道徳主義に対して永久に一夫一婦制的に忠実であり〔=貞節を守り〕つづけるしかないだろう。

*1:『フロン・ノワール〔黒色戦線〕』 1936年創刊のアナキストシュルレアリストの季刊誌。L・ジャノヴェールが編巣長で、1965年まで全8号(うち2冊は合併号)が出され、67年に『カイエ・ド・フロン・ノワール』と名前を変えて2号が出された。また、特別号として2号が、「詩と革命」という副題で、65年と67半に分けて出されている。

*2:ルイ・ジャノヴェール フランスの批評家、アナキストシュルレアリスト。著書に『シュルレアリスム──芸術と政治』(80年)、『歴史を前にした知識人』(80年)、『第二の右翼』(共著、86年)、『夢と鉛──シュルレアリスムユートピアから前衛へ」(88年)、『シュルレアリスム革命』(89年)『西欧世界の分裂──反全体主義イデオロギー批判』(91年)など。

*3:『カイエ・ド・フロン・ノワール』第1号 1967年4月発行の雑誌でジャノヴェールだけが執筆している。67年9月発行の第2号で終刊。

*4:リュべル 210ページの訳注を参照。

*5:マックス・シュティルナー(1806−56年) ドイツの哲学者、フォィエルバッハの影響を受け、ヘーゲル左派に属する哲学者として活躍。主著『唯一者とその所有』(45年)は、極端な個人主義を主張、唯一絶対の自我のみが実在で、他者は自我に仕える限りで価値があるとし、家族・国家・社会も自我の前で消え去るという無政府主義に到達し、その後のアナキズムの教典の1つとなった。マルクスの『ドイツ・イデオロギー』 で「聖マックス」として徹底的にその主観主義が批判されている。