噂の選集


 「シチュアシオニスムとは何かをここで説明するにはスペースが足りない。さしあたり、シュルレアリスムダダイスム実存主義などと同様に、現代思想の1スタイルだということを知っておけば十分である。」

ピエール・ピュトマン*1

『ラ・ゴーシュ〔左翼〕』誌、1962年10月12日号


 「現代を大変革する予定のこの運動は、1959年にシュヴァービング〔ミュンヒェン市内の1区域〕の地下酒場で生まれた。(……)彼らの「思想」(?)は国境の外で信奉者を生み、まもなくシチュアシオニスト・グループが、パリ、チューリッヒブリュッセル、テルアヴィヴで創設されることになった。」

M・Sch、

ジェルミナル』誌、1962年6月3日号


 「彼らの主な活動は、急激に高まる精神錯乱である。(……)可能な限り多くの言語で、シチュアシオニスト・インターナショナルは、卑猥きわまりない表現のぎっしり詰まった文書を外国からまき散らしている。われわれの意見では、ミュンヒェンの法廷は、彼らに禁固と罰金の刑を宣告することで、彼らに面目を施しすぎた。」

『ヴェルニサージュ』誌、第9−10号、1962年5−6月


 「外国で、(ドゥボールは)ベルナール・ビュッフェ*2と同様に、ガマの油売りみたいな口上を述べ続けている。(……)」

『カイエ・デュ・レトリスム』誌、第1号、1962年12月


 「まさにその妥協のなさによって、トロッチは自分の才能を見殺しにしている。(……)カインの末裔全員がしがみついているこのメデューズ号の筏*3の上では、おそらく、数多くの幻覚と妄想があるだろう。しかし、ヒューマニズムが、操られた野蛮を超えて生き延びるとすれば、それはおそらく彼らのおかげである。(……)シュルレアリスム的警戒心をなんとしても守り抜こうという若いアメリカ人作家たちの不器用だがまじめな努力のうちには、何か悲憤で、頭が下がる思いのするものがある。」

ジャック・カボー*4、『レクスプレス』誌*5 1962年6月7日号


 これらの引用は、オスカー賞の怪奇幻想的支離滅裂部門賞──いつかSIが授与されるだろう──をめざして選ばれたものであるが、どんな自発的なユーモアからも全くかけ離れた文脈から出ている

*1:ピエール・ピュトマン フランスの建築批評家。著書に『カツオブシムシと毛皮』(67年)、『水をかけられた撒水器』(87年)、『ベルギーと他の国の工業建築』(92年)など。

*2:ベルナール・ビュッフェ(1928−) フランスの画家。 1947年に20歳で批評家賞を獲得し、一躍、大衆的な画家となった。ロンドンやパリ、ニューヨークなどの現代都市の風景や人物を描いたその絵は、垂直線のリズムを強調した単純な描線と黒白の色彩という常に変わらぬスタイルで描かれ、現代のスノッブたちに受け入れられた。

*3:メテューズ号の筏 もともとは1816年の年のフランス船メデューズ号の遭難事件に取材したフランス人画家ジェリコーの代表作で、149名中15名の生存者が12日間の漂流のすえ救助されるところを描いたものであるが、比喩的に、「極限状況」も意昧する。

*4:ジャック・カボー フランスの文学批評家。著書に『失われた草原──アメリカ小説の歴史』(66年)、『トーマス・カーライルと鎖に縛られたプロメテウス』(67年)、『エドガー・ポー』(77年)など。

*5:『レクスプレス』誌 1953年創刊の週刊誌。最初はマンデス=フランスの政治的立場を支持して、ブルショワ左派の機関誌的刊行物の役目を果たした。55年、マンデス=フランス、ギー・モレ、ミッテランなどの共和主義戦線の日刊紙になろうとするが失敗。60年代初頭のアルジェリア戦争中には、モーリヤックらが紙上で戦争批判を行ったりしたが、64年以降、米国の『タイム』誌に類似した総合週刊誌の体裁に変更し、現在に至る。