シチュアシオニスト情報

 昨冬発行された雑誌『ディセント』(第8巻 第1号)のある記事の冒頭で、エドウィン・M・シュアー*1は、妄想を帯びた驚きをもって述べている。「麻薬にふける者は、しだいに現代のスケープゴートであると同特に前衛の英雄にもなっている。ジャック・ゲルバー*2ウィリアム・バロウズ*3、アレクサンダー・トロッチ*4らのしていることは、『ジャンキー〔麻薬常用者〕』の生活に寄せられる関心を剌激した。これらの反逆者は、ノーマン・メイラー*5によれば、麻薬の使用が新しいラディカリズムの一部になっているとさえ考えているようであり、彼らの頭のなかでは、厳密に政治的な反対派が何ももたらさないことによって正当化されているらしい! 実際、これこそが、『イデオロギーの終焉』を、恐ろしいやり方で具現するものであろう……」
 われわれの同志アレクサンダー・トリッチは、幸いにも、1961年の末にヨーロッパに戻ることができた。『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』の編集部には、噂どおりに彼が仮釈放を利用してニューヨーク警察の迫害から逃れ、密かにカナダ国境を越えたのかどうかを、公式に確認することはできない。しかしながら、起訴のおぞましい愚劣さがシチュアシオニストの2つの刊行物によって明確に証明されたにもかかわらず、彼の事件においていかなる免訴も結局言い渡されなかったことは、われわれにも断言できる。

 現代社会は現在その拠点を、高度に工業化した20カ国に置いている。そこではまた、現代社会の変容のあらゆる傾向と、現代社会の危機の本質的な現象が、産み出されている。それは、ドイツ、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、合衆国、フィンランド、フランス、英国、オランダ、イスラエル、イタリア、日本、ノルウェー、ニュージランド、ロシア、スウェーデン、スイス、およびチェコスロヴァキアである(このリストは、核兵器を製造するのに十分な技術力を持つ国のリストに、ほとんど正確に一致する)。シチュアシオニスト運動はすでに、これら20カ国のうちの11カ国、すなわち過半数の国に広がっている。これらの国の大半をなすヨーロッパだけを分けて、その細目を計算してみると、3分の2に近い割合にまで達する。というのも、シチュアシオニスト運動の定着はヨーロッパ地域から広がったので、そこでは14カ国のうち9カ国に達しているからである。

 1月にミュンヒェンで、われわれの同志が撹乱しに行ったあるモダニスト文化イヴェントの際に、SIドイツ・セクションとスウェーデン・セクションの共同声明『前衛は受け入れられない』が発表された。その文書は、〔ドイツ・セクション側〕ではクンツェルマン、プレム、シュトゥルム、ツィンマー、他方〔スゥェーデン・セクション側〕ではステファン・ラーソン、K・リンデル*6、J・ナッシュが署名し、ビラにして大衆にばらまかれたのであるが、それは次のことを再確認するものであった。「前衛が生活の重要性そのものを問題にし、その分野で要求を実現しようとするならば、それは、あらゆる社会的可能性から切り離されることになる。前衛の美的副産物である絵画、映画、詩などは、すぐに人々に望まれるものとなるが、しかし、それらには何の効果もない。人々に受け入れられないもの、それは、生活条件を完全に一新する方針である。そうした方針は、社会を根底から変えようとするのである」。
 それより少し前に、ドイツ・セクションは、祝祭に関する宣言を発表していた。それはなかんずく次のことを表明している。「権力側のあらゆる制度とあらゆるしきたりを、失敗したゲームと見なして、ボイコットせよ。(……)祝祭、それは人民の不人気な芸術である。創造的であること、それは、絶え間ない再創造を通じて、ありとあらゆるものを用いて祝祭を行うことである。科学から革命を演繹したマルクスと同じように、われわれは祭から革命を演繹する。(……)祭なき革命は革命ではない。祭の力なしに芸術の自由はない。(……)われわれは、最大限の真剣さをもって、遊びを要求する」。

 SI中央評議会は、パリで1月6日から8日にかけて、2回目の会合を開いた。その討議の大部分は、実験都市の建設の検討に充てられたが、それはイタリアのある文化センターが提案したいくつかの条件から始まった。SIは、その地域の生活様式全体の改造について建築者に権利を認めるという展望のもとでしか、その折衝を続けられないことを認めた。それに加えて、建造物の5分の1を永続的に自由に使えること。さらに加えて、建物の管理に支障をきたした場合にその建物を壊す権利(この最後の前提条件のために、それ以来、交渉は凍結状態に至っている)。コターニィは、それに先だち、「現代心理学の治療に関する考え方は、これまで建築において実現されたことがない」ことを強調して、この企画を治療的な遊戯都市として呈示することを提案した。また、サドによって記述された建築の実現を検討することを、さらにはっきりと提案した。彼はまた、次のことを明らかにした。「軍事産業は、現在、社会の技術力全休を測る尺度である。われわれの企画は、明らかに建設業界の能力を超えた技術を前提としている。軍事方面に向けられた研究予算に匹敵する予算を手に入れる必要がある」(例えば、多くの国家の共同出資で作られた、ジュネーヴサイクロトロン)。ヨルンが賛成して、「文化的資源を所有する者にとって、芸術家は、洞窟の人間であり、そこから外に出るときに許されている権利は、彫刻に組み込むために産業の金属屑を取ってくることである。われわれはそのような小さな誤りを正そうと思う! 謹み深く、われわれは、現代芸術を開始する権利、すなわち、芸術文明の洞窟から出る権利を要求する」と述べた。ヨルゲン・ナッシュは、「あらゆるユートピア的建築物は、理想都市に基づいて表現されていた。われわれは理想というものに反対である。われわれは、昔のユートピア的な考え方にある理想主義的完璧主義を批判すべきである(そしてフーリエの批判も)。われわれは、何1つ申し分ないとは見なさない」とはっきり述べた。評議会は、イタリア南岸に近い無人島における、実験的ミクロ都市の定義のための基礎的な仮説をいくつか採択した。
 この会議に来られなかったシュトゥルムの代理人であるH・プレムは、アメリカの警察とテレビ関係者がノーマン・メイラーに向けたひどい仕打ちに、評議会の注意を促した。その仕打ちは、妻に対する刃物沙汰を口実としているが、実は、反体制的知識人の信用を失墜させるためのものである。評議会は、UU〔統一的都市計画〕について、SIドイツ誌の特別号を出すことを決めた。また、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌第6号のプランを決定した。ナッシュは、イェーテボリ大会の具体的な構成に関するいくつかの問題を、評議会の決定に委ねた。

 中央評議会の第3回会議は、ミュンヒェンで4月11日から13日にかけて開催された。通常業務の処理のほかに、評議会は、2週間前に美術商ファン・デ・ローがかけようとした圧力の余波を受けて、採択すべき制裁を決定しなければならなかった。ルール地方ブルジョワたち──彼らは自分たちに相応しい統一的都市計画を捏造してみる気になった──の企てになんらかの形でかかわっているこの人物は、彼の事務所に財政的に依存している4人のドイツのシチュアシオニストに対して、経済的な恐喝の手段に出ることができると思い込んだ。つまり、その4人に対して、彼と縁を切りたくないなら、SIの活動のいくつかの側面を(そして特にドゥボールを)否認せよと命じたのである。ドイツのシチュアシオニストたちは即座にその商人との断交を選んだ。その商人はまもなく彼ら宛の電報で、この件を闇に葬るためにかなりの金額を申し出た。彼らは、それをつまらない冗談と判断して応じなかったので、「買い主」は、あの間抜けな電報はまったくの冗談だと、後で第三者に説明せざるをえなかった(しかし、彼が金銭問題で冗談を言っているところを人に見られたのは、彼の生涯で初めてであった)。この注目に値する事件は、文化の前衛の歴史において、少なくともいくつかの点でユニークなものであり、それらの点の間抜けさ加減もまた独創的であるが、これが不幸にもモーリス・ヴィッカール*7の失踪を引き起こした。ヴィッカールもまたその商人と関係していて、それでかなり金回りがよかったとはいえ、彼は皆に、ファン・デ・ローがSIと縁を切るならば、彼自身もファン・デ・ローと縁を切る覚悟であると通知した。しかしながら、評議会は、その商人が、その商人とこれまでまったく何の関係もなかった「SIと縁を切る」か否かをいまなお自由に選べると考えるようなことは、とうてい受け入れられないと判断した。ただ単に、何人かのシチュアシオニストと個人的な関係を待つ一美術商が、SIの事に干渉しようとする明らかな企てだけがあったのである。その美術商はまた、まさに脅しと甘言を弄して、SIの内部に彼の党派を作って、SIの政治方針を変えることを目指していたのだ。それゆえヴィッカールは除名された。
 評議会のこの会議では、アスガー・ヨルンの脱退が了承された。彼にとってSIの組織的な活動への参加を今後きわめて困難にしているさまざまな個人的事情にかんがみてのことである。ちなみに彼は、彼とSIの完全な意見の一致を文書で表明したいと希望した。評議会は、この措置によって一時的にメンバーは四人に滅ったが、もう、インターナショナルの次期大会以前には招集しないことで合意した。新たなメンバーを指名するのは、その大会の権限である。

 まったく本題から逸れるが、シャン・コー*8氏は、7月27日付の『レクスプレス』誌で、メス*9の駅は「ゲルマン的な暗い妄想によって建築されたものであり、思うに、シュルレアリスト・インターナショナルの次回の会合はそこで開かれるのがよかろう」と、推奨した。しかし実際には、近日中に開催される予定の、シチュアシオニスト・インターナショナル第5回大会は、8月28日、スウェーデンの港町イェーテポリに招集されている。


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*1:エドウィン・M・シュアー(生没年不詳) おそらく米国の犯罪学者。1960年代から70年代にかけて、「社会的反作用(ラベリング)理論」を展開した。その理論は、犯罪・非行とは社会の側からそのようなラベルを貼られた行為であるという見地から、そのようなラベル貼りが社会的反作用として機能して、犯罪・非行者のような社会的逸脱者を生み出すと指摘するものである。なお、姓「シュアー」は、「シャー」 とも表記される。

*2:ジャック・ゲルバー(1932−) アメリカの劇作家。1959年、第1作の『コネクション』が、演劇にジャズや麻薬を導入しリアリズムを超えたとして、オフ・ブロードウェーに新風を巻き起こした。

*3:ウィリアム・バロウズ(1914−)米国の作家。自らの麻薬体験に基づいた小説『ジャンキー』(1953年、ウィリアム・リー名義)、『裸のランチ』(パリ版.1959年)などで、幻覚的でグロテスクな世界を描いた

*4:アレクサンダー・トロッチ イギリス国籍のシチュアシオニスト。SIのなかではセクション無所属で、1961年以降SI中央評議会のメンバーとして活動。1964年年秋に自らが推進していた文化運動「プロジェクト・シグマ」の最初の刊行物発行に際して、SIを関わり合いにならせないために脱退

*5:ノーマン・メイラー (1923−) 米国の小説家。第二次大戦に参加した経験に基づいた小説『裸者と死者』(1948年)によって認められた。その後、実存主義やビート・ジェネレーションに影響を受けた作品『私自身のための広告』(59年)、『われわれはなぜヴェトナムにいるのか』(67年)などの自伝的・ルポルターシュ的作品を発表し、合衆国の政冶状況を批判して若者たちに熱狂的に受け入れられた。

*6:ステファン・ラーソン、カティア・リンデル 両者ともSIスカンディナヴィア・セクションのメンバー。スウェーデン国籍。1962年3月に除名。

*7:モーリス・ヴィッカール SIベルギー・セクションのシチュアシオニスト。1961年除名。

*8:ジャン・コー(1925−93) フランスの作家。1961年、4人の囚人の悪夢にも似た対話からなる小説『神の哀れみ』でゴンクール賞受賞。一時サルトルの秘書をしたこともあるが、やがてサルトルや左翼に反発して右翼的な道徳を称揚する。

*9:メス 仏独国境地域のモーゼル県の県庁所在地。1870−71年の普仏戦争の激戦の舞台となり、フランスの敗北によって、以後1918年までドイツに併合されていたことで知られる。