日常生活の意識的変更のパースペクティヴ

訳者改題

 日常生活を研究することは、その日常生活を変革するために研究することを明確に自らに課すのでなければ、完全にばかげた企てとなるだろう。まず何よりもそれは、その対象を何1つ捉えることができないことを運命づけられることになるだろう。
 講演会、すなわち聴衆を前にしたいくつかの知的考察の発表は、社会のかなり広範な領域における極端に凡庸な形態の人間関係として、それ自体もまた日常生活の批判の対象である。
 例えば、社会学者は、自分に常に起きていることを、日常生活から引き離し、分離された──上位の、と言われる──圏域に放り出す傾向があまりに大きい。これはあらゆる形で社会学者に見られる習慣だが、その第一のものとして、いくつかの専門的概念──それゆえ、労働の分割〔=分業〕の産物──を操作する習慣がある。この操作によって、彼らは特権化されたさまざまな取り決めのかげに現実を隠蔽するのである。
 そこで、通常の講演のやり方を少しずらせることによって、この場所こそが日常生活の場であることを見せることが望ましい。もちろん、これらの言葉をテープレコーダーで流しているのは、技術的世界の周縁に追いやられているこの日常生活のなかに技術を統合することを例証したいからではなく、どんなに小さな機会をもとらえて、「現に姿を見せている」講演者と観客との間で制度化されている偽の共同作業、まがい物の対話の外観と訣別したいからである。安楽をこうして少し破壊することによって、日常生活を疑問視する領域(安楽の破壊がなければ、これはまったく抽象的な疑問視になってしまう)のなかに、時間や事物を使用するための他の多くの手段とともに、講演そのものをも一挙に引きずり込むことが可能になるのである。これらの手段は、「正常な手段である」という評判を得ているが、誰も眼にしたことさえない代物である。しかし、結局はこうした手段によってわれわれは条件づけられているのである。日常生活の総体そのものについてと同様に、このような細部についても変更を強いることは、われわれの研究対象を実験的に出現させるうえで常に必要かつ十分な条件である。この対象は、変更されないならば、疑わしいものになり果てるだろう。この対象自体、研究されるよりもむしろ変更させられるべきものなのである。
 わたしは今し方、「日常生活」という語で示されるかもしれない観察可能な総体の現実性は、多くの者にとって仮定のままにとどまるおそれがあると言った。事実この研究グループが構成されてから、最も目に付く特徴は明らかに、それがまだ何も発見していないということではなく、日常生活の存在そのものへの異議申し立ての声が、最初の瞬問からそこで聞こえていたということであり、そして、回を重ねるごとに、その声が強まってきているということである。この議論においてこれまで聞くことのできた発言の大半は、日常生活というものにはどこでも出会ったことがないのだから、そんなものが存在するなどとはまったく信じていない者から出されたものである。こうした精神に鼓舞された日常生活の研究グループは、あらゆる点で、ヒマラヤの雪男を探しに出かけるグループに比することができる。日常生活の存在を信じていない日常生活の研究グループのように、このグループもまた、調査の結果、雪男は民間伝承にふさわしい冗談であるという結論に達することだろう。
 しかしながら、ドアを開けたりグラスを満たしたりするような、毎日繰り返されるいくつかの行為が、完全に現実のものであることは誰もが認めている。だが、それらの行為はあまりに些末なレヴェルの現実に属しているため、社会学研究の新たな専門分野を正当化するほど興味深いものでありうるということに対しては、正当にも異議が申し立てられるのである。そして、社会学者のなかには、アンリ・ルフェーヴルが提案した日常生活の定義、すなわち「経験のなかからあらゆる専門的活動を取り除いた時に残るもの」という定義から出発して、日常生活には〔専門的活動の〕ほかにもさますまな側面があることを想像だにしない者がいるようだ。ここに見出されるのは、それゆえほとんどすべての社会学者──彼らがまさにその専門的活動においてどれほど自分のしたい放題をし、いつもそれにどれほど盲目的な信仰を抱いているかは周知の事実だ!──そうした社会学者があらゆるところに専門的活動を認めるのに、日常生活はどこにも認めないということである。日常生活は常にどこかほかの所にある。他の者のところにある。いずれにせよ、社会学者ではない階層の人々のなかにあるのである。ここで、次のように言った者がいる。日常生活というこのウィルスにおそらく感染したモルモットとして、労働者を研究するのは興昧深いだろう、なぜなら、専門的活動への道を閉ざされた労働者は、日常生活を生きるしかないからだ、と。民衆を調査しながら、日常的なもののなかに遠い昔のプリミティヴィスムを探し求めるこのやり方、そしてとりわけ、ある文化が火を見るくらい明らかに破産し、その文化を作り出している世界がだれにもまったく理解できないでいるにもかかわらず、そこに参加していることへのこの率直で公然たる満足、このお目出たい(ナイーブ)プライド、これらすべては驚くにはあたらない。
 そこには、人工的に細分化された諸分野の分離の上に築かれた思想の形成のかげに避難し、「日常生活」という役立たずで通俗的で厄介な概念を放棄しようとする明白な意志が存在する。「日常生活」という概念は、類別され分類された現実の残滓をカバーする。この残滓に立ち向かうことを嫌う者もいるが、それは、この残滓に立ち向かうことが同時に全体性の観点を要請するからだ。それには当然、ある包括的な判断、ある政治が必要である。ある種の知識人は、1つあるいは複数の文化上の専門分野を所有することを通して、社会の支配的領域に参加しているという個人的幻想を自慢しているようである。しかし、それがために、彼らは最前列に加えられ、この支配的文化の総体が明らかに蝕まれていることに気づくのである。だが、この文化の一貫性、あるいは細部への関心についてどのように判断しても、この文化が今問題にしている知識人たちに強いてきた疎外は明白である。彼らはこの疎外のせいで、まるで自分たちもまたどちらかと言えば貧しい者ではないかのように、自分たちが平凡な住人の日常生活の完全な外部にいる、あるいは人間の能力のあまりに高い階梯に位置すると、社会学者の空の高みから判断させられているのである。
 確かに、専門化された活動は実在している。それは、ある特定の時代に、広く用いられた活動でさえある。それを曇りない眼で〔=脱神話化された仕方で〕認めることは常に良い。日常生活は、ある意味では、日常生活の外部が存在しないまでに専門的活動に浸透することがあるとはいえ、日常生活がすべてではない。しかし、さまざまな活動を空間的に表象する平易なイメージの助けを借りるとすれば、やはり日常生活をすべての中心に置かねばならない。どんな計測も日常生活から出発し、どんな成果もそこに戻ってきて真の意味を持つのである。日常生活は万物の尺度である。人間関係の成就あるいはむしろ非‐成就の、生きられた時間の用途の、芸術の探究の、革命的政治の尺度なのである。
 公平無私な観察者の描いた古びた科学的エピナル版画*1のようなものは、いずれにせよ人を欺くものであると念を押すだけでは十分ではない。公平無私な観察というものが、ここでは他のどこよりも行いにくいという事実を強調せねばならない。日常生活の場を認識すること自体が困難なのは、単にその場が既に経験論的社会学と概念の練り上げとの出会いの場であるからだけでなく、その場が今、文化と政治のあらゆる革命的刷新の争点となっているからでもある。
 批判を受けない日常生活とは、文化と政治の深く堕落した現行の形式を今も延長することを意味するにすぎない。この形式がはらむ危機はとりわけ最も近代的な国々において極度に進んでおり、それは非政治化と新たな文盲状態の一般化として表されている。逆に、与えられた日常生活のラディカルな──行為による──批判は、伝統的な意味での文化と政治の乗り越えに、すなわち生活に対するより上位のレヴェルでの介入に道を開きうる。
 だが、この日常生活──それこそがわたしの考えでは唯一の現実である──の重要性が、そうしたラディカルな批判を行うことに結局は何の直接的関心も持たない人々──その多くはおそらく革命運動の何らかの蘇生に敵対しない人間でさえある──からこれほども完全に、これほども即座に軽視されるのは、いったいどうしてなのか、と、そのように言われるかも知れない。
 わたしの考えでは、それは、日常生活かスキャンダラスなまでの貧しさの限界のなかで組織されているからだ。とりわけ、この日常生活の貧困が何ら偶然のものではないからである。それは、階級に分割された社会の制約と暴力によって、いかなる瞬間にも日常生活に課せられた貧困であり、搾取の歴史の必要に従って歴史的に組織されてきた貧困なのである。
 生きられる時間の消費という意味での日常生活の使用は、稀少性の支配によって制御されている。それは自由時間の希少性であり、またその自由時間の可能な用途の希少性でもある。
 われわれの時代の加速された歴史が蓄積の歴史、産業化の歴史であるのと同様に、日常生活の立ち遅れや現状維持へのその傾向は、この産業化を導いてきた法則と利害関係との産物である。日常生活は、現在まで、実際に歴史的なものへの抵抗を示してきた。それは何よりもまず歴史的なものを裁くが、裁かれるのは搾取社会の遺産と企図としての歴史である。
 日常生活において人々の創造性を意識的に組織することが極端に乏しいという事態は、搾取の社会、すなわち疎外の社会の無意識と欺瞞の根本的必要性を表現している。
 アンリ・ルフェーヴルは、かつてここで、不均衡発展という考えを日常生活に拡大して適用し、歴史性とずれてはいるがそれと切り離されているのではない日常生活を、遅れた部門と性格付けた。わたしは、このレヴェルの日常生活を植民地化された部門と形容することさえできると思う。すでに見たように、世界経済の規模においては、低開発と植民地化とは相互に作用し合っているファクターである。あらゆる点からして、経済-社会的編成の規模における、実践(プラクシス)についてもそれは同様だと考えられる。
 あらゆる手段を用いて欺かれ警察的なやり方で操作されている日常生活は、善良なる未開人のための一種の居留地である。彼らは、現代社会の何たるかも知らずに技術力の急速な増大と市場の強制的なか拡大によって現代社会を動かす原動力となっているのである。歴史──すなわち現実を変形すること──は、今のところ、日常生活に利用できていない。なぜなら、日常生活を送っている人問は、自分には制御できない歴史の産物であるからだ。人間自身がこの歴史を作っていることは明らかであるが、しかし自由にそれを行っているのではないのである。
 現代社会は、互いにほとんど伝達不可能な専門化された断片として理解される。そして、日常生活は、あらゆる問題が統一的なやり方で提示される危険があるがゆえに、当然無知の支配する領域である。
 この社会は、その産業生産を通して、労働の行為からあらゆる意味を抜き取り空っぽにした。そして、人間の振る舞いのいかなるモデルも、日常性のなかには真の現代的課題(アクチュアリテ)をまったく保持しなくなった。
 この社会は人々を個々ばらばらな消費者にアトム化し、コミュニケーションを禁じる傾向がある。日常生活はこうして私生活(ヴィ・プリヴェ)〔=剥奪された生活〕となった。分離とスペクタクルの支配する領域になったのである。
 したがって、日常生活は専門家の役割の消滅する領域でもある。そこでは、例えば、最新の科学的宇宙像を理解する能力のある希有な個人の1人が、間抜けな人間になり、アラン・ロブ=グリエ*2の芸術理論を長々と吟味するようになる。あるいは、その政策を変更させる意図をもって共和国大統領に請願書を送るようになるのである。それは武装解除の領域、生きる能力のないことを告白する領域である。
 それゆえ、日常生活の発育不全〔=低開発〕は、技術の統合に関する相対的無能力として性格付けられるだけではない。この特徴は、日常における疎外の総体の、重要ではあるが、いまだ部分的な成果でもある。この日常における疎外とは、日常的なものの解放の技術を発明することの無能力と定義されうるだろう。
 事実、多くの技術が日常生活のいくつかの側面を多がれ少ながれはっきりと変化させている。ここで言われたように、家事の技術がそれだ。だがまた、電話、テレビ、LPレコードの音楽録音、大衆化した飛行機旅行などもある。これらの要素が、誰一人その関連も結果も予想することなく、アナーキーに、偶然に介入してくるのである。だが、日常生活のなかへの諸技術の導入というこの勁きは、全体として見れば、最終的には官僚化された資本主義の合理性の枠にはめられることによって、むしろ人々の独立性と創造性を減少させる方向に進んでいることは確かである。こうして、今日のニュータウンは、現代資本主義による生の組織化の全休主義的傾向を明白に示している。個々ばらばらな(家庭という独房枠のなかに皆同じように孤立させられた)個人はそこでは、繰り返されるスペクタクルを強制的に吸収するようにされ、自分たちの生が些末な出来事を単純に繰り返すだけのものになっているのを眼にするのである。
 それゆえ、人々が自分白身の日常生活の問題に対して検閲を行っているとすれば、それは彼らが自分たちの日常生活は耐え難い悲惨であることを意識しているからであり、同時にまた、社会生活の働きによって妨げられてきたあらゆる真の可能性や欲望が存在したのは日常生活のなかであって、いかなる意味でも専門化された活動や娯楽のなかではなかったのだということを感覚している──その感覚は公言こそされないが、いつか必ず身にしみて感じとられるだろう──からにほかならない、と考えねばならない。つまり、日常生活のなかには深い富が、打ち捨てられたままのエネルギーがあることを認識することは、この生活の支配的なやり方での組織化の悲惨を認識することと切り離せない。活用されていないこの富を知覚できる存在だけが、それと対照して日常生活を悲惨としてまた牢獄として定義し、次に、その同じ動きによって、問題そのものを否定することができるのである。
 こうした状況下で、日常生活の悲惨によって引き起こされた政治的問題に眼をつぶることは、この生活のありうべき富に関する深い要求に対して眼をふさぐことを意味する。そうした要求はまさしく革命の要求に行き着くよりほかはないだろう。このレヴェルの政治を前にして逃げ出すことは、例えば、統一社会党のなかで闘ったり、『ユマニテ』紙*3を信頼して読むことと何ら矛盾しないことは、誰でも認めることができるだろう。
 実際、すべては、次の問いをどのようなレヴェルであえて提出できるかにかかっている──いかに生きているのか? いかにしてそれに満足しているか? あるいは、不満なのか? しかも、神の存在やコルゲート歯磨き、CNRS〔国立科学研究所〕のおかげで人は幸福になれるということを納得させようとするさまざまな広告に一瞬たりとも怖じ気づかされることなく、この問いを発しなければならない。
 「日常生活の批判」という語は〔主語を〕転倒して次のようにも理解できるし、そう理解せねばならないとわたしには思える。すなわち、日常生活が、その外部に空しく存在するすべてのものに対して見事に行使するであろうような批判、と。
 日常生活においても他の領域でも、技術的手段の利用の問題は政治的問題以外の何物でもない(そして、見出すことのできるすべての技術的手段のうちで、実際に活用されているものは、本当は、一つの階級による支配を維持する目的に合致した形で選ばれたものである)。サイエンス・フィクションの文学が許容しているような未来──そこでは、惑星問の冒険が、今と同じ物質的貧困と古くさい道徳のなかにとどまったままのこの地上の日常生活と共存している──の仮説を検討してみると、その未来の意味するところは次のようなものであることがわかる。まさに、そこにもまだ専門化された指導者が一階級をなして存在し、彼らは依然として工場と事務所のプロレタリアート大衆を自分の手下として持ち続け、惑星間の冒険は単にこれらの指導者によって選ばれた事業であり、不合理な彼らの経済を発展させるために彼ら自身が見出したやり方、すなわち専門化された活動の究極の姿にほかならない。
 「私生活(ヴィ・プリヴェ)〔=剥奪された生活〕といっても、それは何を剥奪されているのか」という問いがあった。端的に言って、生(ヴィ)を剥奪されているのである。私生活には生が残酷なまでに不在である。人々はまた可能な限りコミュニケーションを剥奪されている。そして自己実現も剥奪されているのである。むしろこう言った方が良いだろう。自分自身の歴史を個人で作ることを剥奪されていると。剥奪の本性についてのこの問いに積極的に答えるための仮説は、したがって、豊かさを産み出す企図のかたちでしか言い表せないだろう。別の生活様式の企図、実際には、1つの様式(スティル)の企図……。あるいは、日常生活が、支配を貫徹された生の部門といまだ支配を被っていない部門との境界線上にあり、それゆえ偶然に左右される場であることを考えるならば、現在のゲットーに代えて常に前進し続ける境界を作りだし、新たなチャンスを組織することができるようにならねばならないだろう。
 体験の強度という問題は、今日では、例えば麻薬の使用によって、疎外の社会がどのような問題でも提起できるような用語を用いて差し出されている。わたしが言いたいのは、偽造された企図の偽の認識の言葉で、固着と執着の言葉で、ということだ。この社会で作り上げられ広められている愛のイメージがどれほど深く麻薬と関係しているか、注意を喚起しておくのも良いだろう。ここでは、情熱というものは、まず何よりも、他のすべての情熱を拒否することと認識されている。次にそれは禁じられ、最終的には、すべてに君臨するスペクタクルによって相殺されたかたちでしか存在しえない。ラ・ロシュフーコー*4は次のように書いている、「1つの悪徳だけにふけることをしばしばわれわれに禁じるものは、われわれが多くの悪徳を持っているということである」。教訓的な前提を捨て去り、この言葉に人間の諸能力を実現するためのプログラムの基礎としての元来の意味を返してやるなら、これはまさに非常に積極的な確認事項となる。
 これらの問題はすべて今、日程に上がっている問題である。なぜなら、われわれの時代は、階級社会を廃絶し人間的歴史を開始するための企図──それは労働者階級によってもたらされた──の出現に明らかに支配され、それゆえ結果的に、この企図に対する執拗な抵抗、この企図のこれまでの歪曲〔=横領〕と失敗によって支配されているからである。
 日常生活の現在の危機は、資本主義の危機の新しい諸形態のなかに刻み込まれている。その形態は、経済危機の古典的周期を信じて次に訪れる危機の時期を推測することに躍起となっている者たちには気づくこともできないものである。
 先進資本主義において、あらゆる古い価値と古いコミュニケーションのあらゆる参照粋が消滅したということ、にもかかわらず、ますますわれわれの手を逃れてゆく新しい工業力を、日常生活の場でもそれ以外のどんな場所でも、合理的に支配しないうちは、これらの価値と参照粋を何であれ別の価値や別のコミュニケーションの参照粋で置き換えることができないということ、これらの事実は、われわれの時代の半ば公然の不満、青年たちが説く感じ取っている不満だけでなく、芸術の自己否定の運動までをも産み出している。芸術活動というものはこれまで常に、ヴェールに覆われ、変形され、部分的には幻想を抱いたやり方でかもしれないが、日常生活の下に隠れた問題を説明する唯一のものであった。われわれの眼前にあるのは一切の芸術表現の破壊に関する証言である。それが現代芸術である。
 現代の社会の危機をそのすべての広がりにおいて考えるならば、余暇というものをいまだに日常性の否定とみなすことが可能だとはわたしは思わない。かつてここで、「無駄な時間〔=失われた時間〕を研究」しなければならないということが認められた。だが、無駄な時間という考えの最近の動きを見てみよう。古典的な資本主義にとって、無駄な時間とは生産と蓄積と貯蓄の外にある時間である。ブルジョワジーの学校で敦えられる世俗的なモラルが、この生活の規則を植え込んだのである。だが、現代資本主義は、予期せぬ策略によって、消費を増大し、「生活水準を上げる」(この表現がまったく意味を矢いていることをよく覚えておこう)ことを必要とするようになった。それと同時に、極限まで細分化され分刻みにされた生産粂件は、完全に擁護しえないものとなったため、かつて広告やプロパガンダ、あらゆる形態の支配的スペクタクルのなかで流されていたモラルは、遂に無駄な時間とは労働の時間であると、やすやすと認めるようになった。労働はもはやさますまな度合いの儲けによってしか正当化されず、この儲けが休息と消費と余暇──すなわち、資本主義によってでっち上げられコントロールされた目常的受動性──を買うことを可能にするのである。
 今、現代の産業が完全にでっち上げ、たえず剌激し続けている消費の欲求の安易さを検討し、余暇の空虚さと休息の不可能性を認めるなら、より現実的なやり方で次のように問題を提出することができる。すなわち、無駄な時間でないものとは何なのか? 言い換えると、豊かな社会の発展は、何の豊かさに到達することになるのか?
 この問いは明らかに多くの点で試金石となる問いだ。例えば、左翼知識人と呼ばれる者たちの思考の一貫性のの無さが並べ立てられている雑誌の1つ──『フランス・オプセルヴァトゥール』誌*5のことだ──には「社会主義に襲いかかる小型自動車」というような見出しを見ることができる。この見出しの下にある記事は、ロシア人が最近、アメリカ式のやり方で財──当然のことながら、まず手始めに自動車──の個人消費を個々人で追求し始めているようだということを説明している。小型自動車による市場の侵入を前にして後退するような社会主義は、いかなる意味でも労働運動がそのために闘ってきた社会主義ではないということだけにでも気づくのに、ヘーゲルと、それからマルクスの全著作をわがものにしていることは不可欠ではないと、これを読んでそう考えざるをえない。したがって、ロシアの官僚主義的指導者と対決せねばならないとしても、それは彼らの戦術や彼らの教条主義のあれこれの段階においてではなく、その根幹において、すなわち人々の生活が実際には何の意味も変えていないという事実においてである。このことは、反動的であり続けることを運命づけられた日常生活のあやふやな運命ではない。それは、専門化された指導者たちの反動的な階層が──彼らがあらゆる点で悲惨を計画化する際のレッテルがどのようなものであれ──外部から日常生活に押しつけた運命なのである。
 だから、かつての左翼活動家の多くが現在、非政治化し、1つの疎外から遠ざかり私生活の疎外という別の疎外のなかに身を投じていること、それは、「歴史性の責任」からの逃げ場としての私(わたくし)化へ回帰することを意味するというよりむしろ、専門化された、それゆえ常に他人によって人為的に操作された政府の領域から遠ざかることを意味するのである。そのような政治領域においては、人々が取る唯一の責任とは、すべての責任を誰の支配も及ばぬ指導者たちに任せることである。共産主義の企図はそのなかで歪められ裏切られたのである。どんな私生活か、どんな公的生活かを問うことなしに、私生活をまるごと公的生活に対置することができない(というのも、革命の集団行動がそれ自体の退化を産み出す要因を養ったこともあったように、私生活のなかにはそれ自体を否定しそれを乗り越える要因が合まれているからだ)のと同様に、問題は革命の政治それ自体が行う疎外であったにもかかわらず、個人の疎外を革命の政治において決算して破棄するのは間違いだろう。疎外の問題を弁証法的に提示し、疎外に対して行われている闘いのなかに常に再生してくる疎外の可能性を指摘することは正当なことであるが、その場合、これらすべては最も高いレヴェルの探究(例えば、疎外全休についての哲学)において適用すべきであって、スターリ二ズム──不幸にもその説明はより粗雑である──のレヴェルで適用すべきなのではないということを強調しておこう。
 資本主義文明はまだどこでも乗り越えられていないが、それはいたるところで自ら自分の敵を産み出し続けている。次の革命運動の高揚は、これまでの敗北の教訓によってラディカルなものとなり、その要求のプログラムは現代社会の実戦的な力──いわゆるユートピア社会主義の諸潮流には欠けていた物質的基盤を今から既に潜在的に構成する力──に応じて必ず豊かなものとなるだろう。資本主義に全面的に異議を申し立てるこの近い将来の試みは、日常生活の別の使用法を発明し提案することができるだろう。そして、たちまちにして、新しい日常的実践、新しいタイプの人間関係に基づくものとなるだろう(この人間関係は、既存社会を支配する関係を革命運動内部に保存すれば、知らぬ間に必ずその社会を──さまざまな変異体とともに──再興することになるということに対してもはや無知ではない関係である。
 かつてブルジョワジーが、その上昇期に、地上の生を越えるすべてのもの(天上界、永遠)を容赦なく清算しなければならなかったのと同様に、革命的プロレタリアート──それは、そのままの姿で存在し続けることをやめることなしには、自分たちに対して過去もモデルも決して認めることはできない──は日常生活を越えるすべてのものを捨て去らねばならないだろう。あるいはむしろ、「歴史的な」スペクタクルや身振りや言葉、指導者の「偉大さ」とか、専門化の神秘とか、芸術の「不死性」や生活外でのその重要性など、日常生活を越えるのだと言い張るものをすべて捨て去らねばならない。それはつまり、指導者の世界の武器として生き残ってきた永遠の副産物のすべてを捨て去らねばならないということである。
 日常生活の革命は、歴史的なものに対する(そしてあらゆる種類の変化に対する)現在見られる抵抗を破り、現在が過去を支配し、創造性の役割がつねに反復の役割に勝るような条件を作り出すだろう。それゆえ、曖昧な概念によって表現されている──誤解され、評判を傷つけられ、誤った使われ方をしている──日常生活の側面が重要性ををなくし、それらとは逆の意味、すなわち意識的な選択とか賭という意味を持つことを期待せねばならない。
 機械についてのあのメタ言語──それは権力に就いた官僚階級によって官僚化された言語以外の何物でもない──と時を同じくして現れた、現在の芸衛家たちが行う言語に対する疑問視、それは、その時、より優れた形態のコミュニケーションによって乗り越えられるであろう。解読の対象としての社会テクストという今の概念は、わたしの同志であるシチュアシオニストたちが統一的都市計画と実験的行動様式の粗描によっていま探究しているものの方向に進むことで、きっとこの社会テクストの新しい書き方に到達することになるだろう。産業労働を完全に転換して産み出される中心的産物は、日常生活の新しい地勢の整備であり、出来事の自由な創造であるだろう。
 日常生活全体に対する批判とそのたえざる再創造は万人によって行われることは当然だが、それがなされるまでは、現在の抑圧状態のもとで、しかもその状態を破壊する目的で企てられねばならない。
 それを成し遂げることができるのは、たとえ革命への共感を持ったものであったとしても前衛的な文化運動ではない。伝統的モデルに基づいた革命党でもない。たとえその革命党が文化批判に大きな場を与えていてもそうである。(〔文化という〕この語を、社会が自己に対して自己を説明し、生の目的を示すための芸術=技術的あるいは概念的道具の総体と理解すること)。この文化も、この政治も、使い古されたものであり、大多数の者がそれらに無関心であるのは理由がないわけではない。二者択一の一方の項が現代における奴隷制の強化であるときに、もう一方の項は日常生活の革命的変革である。この変革は、漠然とした未来に取って置かれているのではなく、資本主義の発展とその耐え難い要請によってわれわれの目の前にある。そうした革命的変革こそが、商品の形態のもとにストックされる一方通行の芸術表現のすべての終焉を記すと同時に、専門化された政治すべての終焉をも記すことができるだろう。
 それは、新しいタイプの革命組織が形成されるやただちにその任務となる。

G=E・ドゥボール*6

 この発表は、1961年5月17日、H・ルフェーヴルがCNRS〔国立科学研究所〕の社会学研究センター内に招集した「日常生活研究集団」で、テープレコーダーによってなされたものである。

*1:エピナル版画 フランスの地方都市エピナルで作られる通俗的な伝説や歴史を主題とした着色版画。

*2:アラン・ロブ=グリエ(1922−)フランスの小説家.『消しゴム』(1953年)、『覗く人』(55年)などの小説によってヌーヴォー・ロマンの騎手とされる。・アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバートてで』(61年)の脚本、自らが監督した映画『不滅の女』(63年)によって、映画にも手を染めたが、これらはシチュアシオニストからこっぴどく批判されている。

*3:ユマニテ』紙 フランス共産党の機関新聞

*4:ラ・ロシュフーコー(1613−80年) フランスの作家。モラリスト文学の傑作『箴言』(65年)で知られる。

*5:『フランス・オプセルヴァトゥール』誌 フランスの政治週刊誌。クロード・ブールデが1950年に『オプセルヴァトゥール』誌として刊行、その後、『フランス・オプセルヴァトゥール』と改名、64年に再度『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』と改名し現在に至る。ブールデを中心に、フランスにおける新しい左翼の形成に努め、60年の統一社会党の結成に寄与した

*6:ギー・エルネスト・ドゥボール(1931−94年) フランスのシチュアシオニスト。パリに生まれ、1950年代初頭にレトリスム運動に参加、レトリスムの主唱者イジドール・イズー神秘主義化に反対してレトリスト左派を結集した「レトリスト・インターナショナル」を創設、「転用」、「漂流」、「心理地理学」、「新しい都市計画」などの芸術批判・日常生活批判を軸としたアヴァンギャルド芸術運動を展開。1956年に「シチュアシオニスト・インターナショナル」(SI)を創設し、1972年にSIを解散するまで、一貫してその中心メンバーとして活動。