文化における社会的抑圧について

 公認の欺瞞を単に再生産するだけではない現代の芸術家は、個人としてはみな、程度の差こそあれはっきりと社会生活の枠外へ打ち捨てられている。それは、彼らが、どれほど空しく断片的な手段を通じてであっても、社会生活の意味の問題、社会生活の使い方の問題を提起せざるをえないにもかかわらず、社会生活の方には、依然として意味がなく、受動的な消費以外にそのいかなる合法的な使い方もないからである。それゆえ当然、彼らは、往みにくい世界の劣悪な諸条件を指摘する。すると、その当然の帰結として、彼らは個人的に──快適な分離によってであれ、悲劇的な除去によってであれ──その世界から排除されるのである。
 それとは逆に、それらすべての諸条件を、あるいはそのいくつかだけでも変革するという方針を明確に打ち出している前衛集団は、意識的かつ組織的な社会的弾圧に逢っている。その上うな弾圧の形態は、例えばこの40年間に、社会そのものの進化や社会の敵の進化にともかつて、大きく変化した。
 1920年頃のヨーロッパでは、文化や社会生活の公認の価値に反してスキャンダルをひき超こすようなことはみんなから糾弾された。前衛は当時、呪われた者であり、またそうした者として世間に知られていた。第二次世界大戦以来発展してきた社会においては、もはや価値というものは存在せず、したがって当然ながら、慣習を尊重しないという非難は、もはや公衆のなかでも旧弊な部分、まったく時代遅れの一貫した慣習体系(例えばキリスト教的な物の見方)に固執し続けている部分からしか、支持されなくなっている。文化と情報をコントロールする者たちはもはや、新しい価値を生み出そうと企てる人々に対して、スキャンダルだと騒ぎ立てることはない。彼らは今や、固い沈黙を組織しようとしている。
 こうした新しい闘争条件は、何よりもまず、新しい革命的前衛の作業を遅延させる。すなわち、新しい革命的前衛の形成を妨害し、次に、そうした前衛の発展を遅らせる。しかしながらまた、そうした闘争条件には、非常にプラスの意味もある。つまり、現代文化は空虚であり、前衛が前衛として認知されることに成功したときからは、いかに強力な力であれ、そうした前衛の決定に反対することができないだろう。そうした前衛の任務とは、ただ、いつの日か、自らの規律と方針が損なわれる前に、自らを認知せしめることだけである。それこそまさに、シチュアシオニスト・インターナショナルが行おうと考えていることである。

ローター・フィッシャー、ディーター・クンツェルマン、ウーヴェ・ラウゼン、ハイムラート・プレム、ヘルムート・シュトゥルム、ハンス=ペーター・ツィンマー*1

 この声明は、1961年2月、SIドイツ・セクションの機関誌『シュプール』第4号に発表された。
  

 よく話題になる者たちとは、より巧みに人目を引く(スペクタキュレール)反逆者たち、「誰もが憎みたがるような反逆者たち」である。しかしそのような者は長持ちしない。ひとは不誠実にも3,4年後、彼らの順応主義の証拠を見て失望した様子を見せる。しかしまさしく、彼らの順応主義がなかったなら、誰も彼らを革新者として公に認めはしなかったにちがいない。このように、支配的な文化は自らの中心的矛盾をもてあそんでいる。この矛盾は、新しいものの必要と新しいものの恐怖との矛盾であり、それは支配的な文化の死なのである。

*  *  *

 怒れる若いイギリス人たちの熱狂はなんと短かったことか。(……)「アングリー・ヤング・メン」の運動は、ブルジョアジーの窓ガラスを恐怖で震え上がらせ、そして心を希望に震わせていた。何かが起ころうとしていた。オズボーン*2氏は成功した──そしてすでに彼は自分の地位に安住している。あらゆる順応主義を声高に拒否し、現代人に課された非人間的な生活条件に対して抗議する若い作家たちのことが話題になり姶めたのは、1956、7年頃だった。(……)その集団は、しかしながら、まとまりがなかった。「アングリー・ヤング・メン」という共通の呼称は、共通の方針よりもむしろマスコミの方便によるものだった。(……)それだけではたぶん不十分だったのだろう。今日では、そのグループはもう、何の意味も持っていないし、存在さえしていない。個人の才能がそこから生まれた。(……)おつむの単純な独学者のコリン・ウィルソン*3は、もやもやとした神秘主義か何かにはまりこんでいる。とはいえ、彼らは完全に、彼らの国の文壇に取り込まれてしまったのである。

R・カンテール*4、『レクスプレス』誌1961年7月13日


 神という観念が放つ腐った卵の臭いは、アメリカの「ビート・ジェネレーション」の神秘主義的な馬鹿者どもをすっぽり覆い込んでいるし、また、「アングリー・ヤング・メン」の声明にさえ、ないわけではない(コリン・ウィルソンを参照のこと)。「アングリー・ヤング・メン」は、一般的にいって、30年遅れて、イングランドがその間完全に彼らに隠してきた体制転覆的な精神風土を発見し、自分たちが共和制支持者であると宣言することによって、スキャンダルの最先端に立とうと考える。(……)「アングリー・ヤング・メン」は、文学の実践に、特別の価値、すなわち贖いの意味を認めるという点で、部分的に反動的でさえある。つまり、彼らは今日、ヨーロッバでは1920年頃糾弾されたある欺瞞の擁護者になっている。そしてその欺瞞の存続は、英国王室の存続よりも重大な反革命的影響力があるのである。

『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第1号(1958年6月)「論説」

*1:ローター・フィッシャー、ディーター・クンツェルマン、ウーヴェ・ラウゼン、ハイムラート・プレム、ヘルムート・シュトゥルム、ハンス=ペーター・ツィンマー ともにSIドイツ・セクションシュプール派のメンバー。ラウゼン(63年10月にSIを除名)を除き、1962年2月にSIを除名

*2:ジョン・オズボーン(1929−) イギリスの劇作家。1956年初演の『怒りをこめてふりかえれ』で一躍有名となり、「怒れる若者たち」の代表的作家とされた

*3:コリン・ウィルソン(1931−) イギリスの批評家。1956年、24歳で哲学エッセイ的な文芸批評『アウトサイダー』を発表し、世界的に有名になる。翌年、『宗教と反逆者』を発表した後、神秘主義やSF的傾向の色濃い作品を次々に発表し、「怒れる若者たち」の1人と目された。評論に『敗北の時代』(59年)、『オカルト』(71年)、長編小説に『暗黒の祭り』(60年)など

*4:ロベール・カンテール(1910−85年) ベルギー出身の批評家。『レクスプレス』、『フィガロ・リテレール』などの雑誌で劇評・文芸批評を担当し、多くの文学賞の選考委員を務めた。著書に『失われたパリリ』(46年)、『神秘主義文学選集』(アマドゥーとの共編、50年)など