『都市計画の批判』訳者解題

 初期のシチュアシオニストの都市計画への関わりは、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」誌 第1号に掲載されたジル・イヴァンの文章「新しい都市計画のための理論定式」やコンスタントの唱えた都市計画「ニュー・バビロン」(本書第1巻「もう1つの生活のためのもう1つの都市」、第2巻「黄色地帯の描写」参照)に見られるように、ある意味では、ポジティヴでユートピア的とも言える側面を持っていた。ところが、ここに収められた論説「都市計画の批判」と後の「統一的都市計画事務局の基本綱領」では、都市計画そのものを批判し、それと同時にコンスタントのような実験都市の建設を断罪する。これらの論説のトーンには、かつてのものとは異なり、実験都市の建設によって状況を構築するという方針を捨て去ったかのような感さえある。このシチュアシオニストの方向転換には、単に体制派の建築家と協力したために脱退を強いられたコンスタントの逸脱的行動に対してシチュアシオニスト内部で原則を再確認する必要が出てきたという理由だけでなく、60年代のフランスで体制側の都市計画が異様な速度で進展し始めたという事情も大きく影響しているように思われる。高度資本主義の時代に入った60年代のフランスでは、より効率的な労働力の移動を求める産業資本の要請あるいは生活の全局面においての住民統合をめざす国家的要請によって、工業地域の周辺に次々と新しいニユータウンが建設されはじめた。この論文で触れられているサルセルやムーランなどは、そうしたニュータウンのはしりであるが、現実の都市計画が個別の実験としてではなく、社会全体を巻き込む勢いで実行されるようになってきたこの時期に、彼らは、「都市計画」そのものを他の社会批判の活動と分離して追求することの限界をいっそう強く感じ始めたのだと思われる。資本や国家の側が主導権を取ってニュータウンという「実験都市」を次々に作り始め、スペクタクル化された都市生活のイメージを社会全体に拡大し始めた段階において、コンスタントのような「実験都市」の創造という限られた形での統一的都市計画の実現はもはや不可能である。「実験都市」の創造という考えそのものが、新しい都市を作り出すという意味での「都市計画」のイデオロギーに荷担してしまうからである。むしろ、社会全体に浸透したそのイデオロギーを解体することが急務である。「統一的都市計画」は、どこにもない国、どこにもない場所としての「ユートピア」を求める「都市計画」ではない。それは、あらゆる国、あらゆる場所で行われる「生の新しい利用」、「新しい革命的実践」であり、現実の都市を離れずに、「人類の持つ既存の手段を用いて、人生を──その手はじめに都市環境を──自由に構築する」全体的な実践なのである。