ミュンヒェン大会開会報告

 レトリストたちが1953年頃、現在の都市環境で許容された行動の方面で遊戯を実験して以来、周囲の環境を、生活および変わりつつある生活習慣に関連させながら意識的に構築しようとする考えが、統一的都市計画を作ろうという考えに至りついた。われわれがここで都市計画という言い方をするのは、意識的な創造に関する、さらには、そのような創造と高次の生活との関係に関する構想が、これまで流布している都市計画概念を決定的に破棄するようわれわれを駆り立てるということに気づかせねばならないからである。
 われわれが行動と生活様式との質的変化に結びついた形で都市環境を創造的に変化させるべくその研究と実践にとりかかろうとするならば、芸術のレベルにおいて紛れもない集団的創造が問題になるだろう。
 現在における文化の諸条件、個々の諸芸術の解体、これらの芸術を刷新または延長することの不可能性などは、創造的な空白をつくり出してきたが、このような空白はわれわれの企てを助長することしかできないだろう。伝統的な芸術形式の消失と社会生活の進歩的な組織化によって、遊戯の可能性が日常生活からますますなくなりつつある。このような事態を拒否するからには、われわれは、最終的には総体的な遊戯の理論と環境の意識的な構築実践とに到達すべく、単に、遊戯のための新たな条件を探し求めるよう駆り立てられるだけでなく、文化の問題全体を改めて考察し直さざるをえない。
 われわれは、集団的作業こそ自分たちの理念を実現する上で必要であるということを知っており、現在最先端を行く芸術家たちの創造的な不満、われわれを集結させているこの不満に賭けている。創造はわれわれの展望の中にしか存在しないのだ。
 統一的都市計画という理念を準備したのは、一方では、レトリストたちが発明し実践した、漂流や心理地理学といった実験であり、他方では、何人かの現代建築家と彫刻家が構築の面で行なってきた探究であった。この両方の側から、生の完壁な舞台装置(デコール)の整備、すなわち行動と周囲の環境との全面的な統一に到達しようとする欲求が生まれ、共同行動に帰着することになったのである。
 1958年のアムステルダム宣言において、われわれはこのような展望を前にして統一的都市計画と現在の任務を定義しようと試みることによって、いくつかの条項を定めた。シチュアシオニスト・インターナショナルの最小限の綱領として同宣言で提案されたのは、統一的都市計画にまで拡大されねばならない生の完壁な舞台装置(デコール)の実験と、そうした装置に関連させた形での新たな行動の探究であった。したがって、われわれは、この領域において実践的活動を実現する術を知らなければ、アムステルダム宣言に基づいて、シチュアシオニストの綱領を失敗したものとみなさなければならないだろう。
 統一的都市計画の展望におけるシチュアシオニストの実践こそ、われわれの第一の任務であり、今回の会合の主要目的でなければならない。われわれは、いくつかの実践的な実験にとってすでに存在している諸可能性を共同で検討しないまま、散会してはならない。
 アムステルダム宣言によれば、統一的都市計画は、あらゆる領域において最も進歩的な構想によって人間の環境を意識的に再創造する複合的で恒久的な活動として定義される。この恒久的な活動は、現在時よりも好都合な未来へと先送りされてはならず、われわれの綱領の効果的な実施によってこの活動を始動させることこそ、即座に実践すべきわれわれの任務である。われわれはこの綱領から次の3つの任務を識別できるのだが、それらはわれわれが今からでもすぐに企てることのできる、あるいは、すでに開始しているものである。
 第1に統一的都市計画プロパガンダに好都合な環境の創造。われわれは個々の芸術の衰退を倦むことなく告発して芸術家たちに選択を迫り職務を変えるよう仕向けなければならない。
 第2に、われわれはグループを形成して現実的な企画を提案することによって、集団的創造という作業を実現しなくてはならない。
 第3に、集団的創造は、われわれが直面している諸問題と、これから見つけることになる諸解決策とについての恒久的な研究によって支えられなくてはならない。
 建築家はわれわれの企てにおける他の労働者と同じように、職務を変える必要に迫られている。彼はもはや形式だけの構築者ではなく、完壁な環境の構築者となるだろう。今日の建築をあれほど退屈なものにしているのは、それが主として形式に腐心しているということにある。建築の問題はもはや機能と表現の間の対立ではない。このような問題は乗り越えられている。建築家は既存の形式を利用し新たな形式を創造しながら、そうしたすべてのことが住民の行動と生存に対してどのような効果を及ぼすかということに主として留意しなければならない。いかなる建築もこうして、より広範囲でより完壁な活動の一部となり、最終的には、建築は現在の他の諸芸術と同じようにそうした統一的な活動に利するべく消え失せることになるだろう。
 この新たな都市計画を最初に推進していく者としては、たしかに、詩人や演劇人・造形芸術家や建築家、進歩的な都市計画専門家や社会学者が考えられるだろう。しかしながら、これらの人たち皆が、たとえ申し分なくグループとして協力するにしても、われわれのヴィジョンを完全に実現できるというわけではないだろう。最終的にはすべての人たちの、われわれが未来の創造のための素材そのものとみなすあの生活を生き、作りだそうとするようなすべての人たちの競合が必要だろう。
 われわれが今提示したばかりの展望のように野心的な展望を定めるからといって、それはわれわれが予言や神託の段階で留まっていたいということを意味するわけではない。このような観念論的な態度こそ、われわれが目下のところ冒す危険の中でも最大のものだ。それは、前進に不可欠な実践への移行を失敗させかねないのである。
 われわれが現在、送っている生活は、われわれの理念を展開し実現する上でおよそ可能なあらゆる条件をすでに組織していなくてはならない。ところで、統一的都市計画とは、文化的な作品ではなく恒久的な活動であって、このような活動は統一的都市計画の概念が生まれたまさにその時に始まるのだ。したがって、われわれはこの統一的都市計画がここ数年来、実現されつつあるということを確認する。われわれがこれについて行なってきたあらゆる反省、漂流実験、心理地理学的な研究および地図、環境模型は、当初からすでに都市計画を軌道に乗せることに貢献している。われわれは適切な措置によってこうした歩みを加速させるだろう。
 われわれは、この目的のために統一的都市計画研究所をアムステルダムに創設することに意見が一致したわけだが、この研究所はグループ作業の実現と実践的な解決策の研究を任務とすることになるだろう。このグループ作業は、今日の個々の建築家たちの間にすでに存在しているようなグループ作業から厳しく区別されねばならないのであって、それというのも、われわれにとって集団的創造とは、1つの統一された単位ではなく可変的要素の無限量だからである。統一的都市計画研究所は第一段階として、現実の中から採用された企画を練り上げねばならないだろうが、その企画はわれわれの理念を例示しながら、それと同時に、ゆくゆくは当の統一的都市計画になる予定のものを構成するミクロの要素でなければならないだろう。
 同研究所の活動は、われわれが目指している諸々の探究の精神を理解してくれる有資格者を協力者として惹きつけられるかぎりにおいて、さらに、われわれの歩みの有効性を決める判断基準となるような企画を実現できるかぎりにおいて、成功を収めることができるだろう。

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