『2つの地域戦争』訳者解題

 1967年6月5日のイスラエルによるアラブ諸国(ヨルダン、アラブ連合、シリア) への奇襲攻撃に始まり、イスラエルの圧倒的な戦力によって、わずか6日間でアラブ側の敗北に終わった第三次中東戦争(6日戦争)と、66年6月以降の米軍による北爆拡大とホー・チ・ミンによる徹底抗戦、67年に入っての南ヴェトナム民族解放戦線による米軍基地攻撃の激化、さらに米国内でのヴェトナム反戦運動の高揚というかたちでのヴェトナム戦争の泥沼化──この「2つの地域幟争」について考察したSIのこの論文には、フランスにおけるパレスチナ解放闘争やヴェトナム解放闘争との連帯運動のなかで中心的役割を果たしたいわゆる「第三世界主義者」とは異なる独自の視点が明確に読み取れる。
 フランスの第三世界主義者と言われる者たちは、多くが、60年代初頭までのFLNによるアルジェリア独立戦争への支援と連帯の運動に関わるなかから形成されてきた。その中には、独立後の革命アルジェリアに実際に駆けつけて、ペン・ベラの国家建設に参加したダニエル・ゲランなどのようなアナキストもいる(本書244ページの「絶対自由主義者ダニエル・ゲランのアルジェリア」および444ページの「前号への6つの追加事項」参照)が、50年代末から60年代初頭にかけてFLNの活動家の裁判やFLN支援のフランス人ネットワークであるジャンソン機関の裁判で弁護士を務めたことで有名なジャック・ベルジェス(1925−)も、そうした者の1人である。ヴェトナム人の母とフランス共産党員の父から生まれたベルジェスもまた、アルジェリア独立後、ベン・ベラのもとに駆けつけ、アルジェリア外務省の大臣官房としてアフリカ問題の責任者として革命政府の中枢で働いている。彼は、そこで多くの第三世界の革命家(ネルソン・マンデラやオリヴァー・タンボ、アミルカル・カブラル、アンゴラ解放戦線の代表やモザンビーク解放戦線の代表など)と知りあいになり、第三世界の革命闘争を支援するアルジェリアの政策に乗って、中国を訪問し、毛沢束と会ったりもしている。こうした活動の中から彼は、最初、FLNの資金援助によって第三世界の革命闘争の交流誌「レヴォリューション・アフリケーヌ〔アフリカ革命〕」を発行し、やがて、FLNからは独立して、1963年から「レヴォリューション」誌を発行するようになってゆく。「アフリカ・ラテンアメリカ・アジア」と副題の付いたこの雑誌は、パリ、ローザンヌ、ロンドン、ニューヨーク、ダル=エス=サラーム、ハバナ、北京にも事務所を構え、フランス語版のほかにスペイン語版、英語版も発行され、ゲバラの最初の妻ヒルダ・ガデア、フランス人の第三世界主義者レジス・ドブレ、コロンビアの革命家カミロ・トレスなどの有名な第三世界主義者のほか、パキスタン、アラブ連合、ヴェトナムなどに在住の多くの知識人革命家を編集委員に抱えた、文字通りの国際的革命交流誌だった。ヴェルジェスのこの雑誌は、中国共産党と直接に関係し、その第1号に劉少奇の論文を掲載したり、読者に仏中友好協会への入会を勧めたりと、誌面からも中国派であることがわかるが、ヴェルジェス自身、実際に何度も中国に足を運び、3000部の定期購読という形で中国からの資金援助を受けるなど、「レヴォリユーション」誌は中国派の拠点ともなっていた。
 これは、ソ連とたもとを分かち、新たな中国派のインターナショナルの形成に努めていた中国共産党の世界戦略として、パレスチナ解放闘争とヴェトナム解放闘争を始めとする第三世界の革命闘争への支援を積極的に推進していた60年代初頭の中国の対外政策と、ヴェルジェスら第三世界派の思惑とが一致したからにほかならない。ヴェルジェスは、その後、フランスにおける毛沢東主義者の重鎮として、60年代末のフランスの若者たちの間での文化大革命への熱狂にも大きく寄与することになる。そして、この若い毛沢東主義者たちが、フランスでは、ヴェトナム反戦運動パレスチナ連帯運動にも積極的に関わってゆくのである(もちろん、それを闘った者は彼らだけではないが)。
 こうしたフランスの第三世界派の動きの中で、SIが主張することは、いかなる意味でも、第三世界の革命闘争への無批判な支援ではない。それゆえSIは、第三世界主義者のように単純に「パレスチナ連帯」とか「南ヴェトナム解放戦線支援」という言葉は掲げない。「イスラエル・アラブ戦争」に対して、SIは、もちろんシオニストイスラエル国家の存在は否定するが、だからと言って、既存のアラブ諸国はまったく支持しない。SIは、イスラエルの存在を「免罪符」(アラブ・イデオロギー)にして存在し、国内の革命運動を圧殺しているアラブ諸国の多くの王国やイスラームによる支配、さらにはバース党などの小ブルジョワジー官僚主義の結託を転覆して、「イスラエル国家を解消する」と同時に「現存するすべてのアラブ国家を解消」し、「〈評議会〉の権力によるアラブの統一を創り出す」新しい革命を成し遂げることの必要性を訴える。SIのチュニジア人メンバーで、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌本号に「低開発国での革命についての世論の誤りを修正するのに役立つ貢献」というタイトルの論文を書き、第三世界の革命運動内部の官僚主義を批判したムスターファ・ハヤティが、実際にPFLP(パレスチナ解放民族戦線)の内部で、アラブ・ナショナリズムを乗り越える〈評議会権力〉を樹立しようと旅立った(その試みはすぐに失敗したが)のは、このSIの考えに基づいてのことである。
 ヴェトナム反戦運助に関しても、SIは、「FNL〔南ヴェトナム解放職線〕のうちにアメリカ帝国主義に刃向かう『社会主義革命』の体現者を見出していた虚偽意識」を断罪し、多くの反戦運動に見られる「スペクタクル」の「観客」意識を告発する。それらは、「合州国」対「ヴェトナム」という善悪二元論に囚われ、まるでサッカーでも応援するように「ヴェトナム人」 一般への連帯を掲げて、その内部の矛盾や闘争を見ないからである。SIが求めるのは、ヴェトナム戦争に対する「革命的な解決策」であるが、それは現在のアメリカの侵攻の下では不可能である。それゆえ、SIはこのアメリカの侵攻を終わらせることを強く求めるが、「それは、ヴェトナムの真の社会闘争が自然な形で展開されるように、すなわち、ヴェトナムの労働者が国内の敵──北の官僚制と南のすべての有産支配階層──を再び見出すことができるようにするためである」と、明言するのである。

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