植民地化されたコミュニケーション

訳者改題

 1965年に合州国で、人々の出会いを作り、結婚させる新しい技術が発表された。電子計算器が、パンチカードに示された2人の人間の最高の相性を決めるのである。パンチカードには、2人の趣味や希望が70の質問への答えの形で余すところなく示されている。『ル・モンド』紙(65年11月25日付)は次のように書いている。「かくして、ここ数年の間に次のような傾向──それには抵抗することも、後戻りさせることもできない──がはっきりと現れてきた。つまり、電子計算器は、何でもすることができるということである(……)。教育に導入して復習教師の役目につかせたり、軍事『戦略』や商業『戦略』の作成に参加させたり、完璧な通訳になるように要求したり──あまりに熱心にされているのでいつかはその実を給ぶだろう──されている(……)。相手を求めている男女は、自分が誰か、自分がどんな相手を希望するかを、カードに書き込むように。そうすれば、後はカード穿孔機が、需要と供給を、厚紙に適切に配された穴に変換してくれる。市場の情況あえてこう呼ぼう──がこのように決定されれば、後はそれを組織的に探査して、各人の要求を満たすものを見つけるだけである。そして、もちろん、市場が大きいほどうまく行く(……)。ちなみに、体験の値段はそれほど高くない。たったの3ドルである。わずか3ヵ月の間にニュー・イングランドの総合大学と単科大学の学生7千名が、計算機の世話を借りて、自分の個人的将来や余暇の過ごし方を決めた(……)。『リアルタイムで』動いて事件の経過に合わせて事件の進展をたどることのできる計算器はないだろうか? 最適化された出会いの組織化にまでこのアイデアを発展させればよいではないか?」
 人間とその活動の間に、そしてまた人間どうしの間に最適な分離を実現した社会は、経済−国家権力によって独占された情報として、彼ら自身の世界のイメージを一方的に再配分する。進歩しつつあるその装置への服従と適合の新段階に到達したこの社会は、現実性の剥奪に代わるものとしての情報の製造〔=捏造〕を越えてさらに先に進むことを夢見ている。つまり既存の情報を実行するものとして、個人の存在の現実を積極的に製造〔=捏造〕する実験を行おうというのである。個々人は、自己自身においても、他者との関係においても、自由で客観的なものと仮定されている規範の運命に従って自己を認識することを受け入れなければならない。だが、プログラム作成者自身も、かつてプログラムされたはずである。出合いのために作成された彼らの質問表の基準は、いたるところに分離を生み出した社会的基準と同じものである。各人が相手を探して、自分自身の現実を外在化したものを相手との関係の中に発見すれば、その時には、電子計算の予防装置が働いて互いに同一の嘘を発見することが保証されている。
 主体間コミュニケーションの組織的な収奪、権威主義的な媒介による日常生活の植民地化は、技術的発展の必然的な産物ではない。それとは逆に、社会権力が自律化したからこそ、あらゆる可能な技術は存在者の自己制御という権力の特殊な目的に服従することが必要とされるのである。ここ数10年来、あらゆる国において、どんなに遠く離れていても常に聞かれた会話を可能にするような無線の送受信機は、完全な法的規制によって沈黙を余儀なくされている。無線機器の利用者は、この沈黙の強制そのものによって選別され、彼らの技術や気象状況に関するメッセージか、何らかの延命のためのSOSしか交信することが認められていない。この基本的コミュニケーション技術は、明らかに、その体制転覆的な利用の可能性の豊かさゆえに禁じられているのである。