『統一的都市計画事務局の基本綱領』 訳者解題

 アッティラコターニィとラウル・ヴァネーゲムの筆によるこの「基本綱領」は、ロンドンで聞かれたSI第4回大会での「統一的都市計画事務局に関する決議」を受け、アムステルダムからブリュッセルに移転して再出発した〈統一的都市計画事務局〉の宣言的綱領文である(なお、リンク先ではアムステルダムの機関もブリュッセルの機関も区別せずに「統一的都市計画研究所」としたが、その原文はアムステルダムの方は《bureau de recherches pour un urbanisme unitaire》であり、ブリュッセルの方は《bureau d'urbanisme unitaire》であった。前者は研究機関であったのに対して、後者はより実践的な「研究と応用」のための機関であるとして、SIは移転にともないその名称を変更したと考えられるので、前者を「統一的都市計画のための研究所」、後者の訳も前者とは変えて「統一的都市計画事務局」とすることにする)。アムステルダムの〈統一的都市計画のための研究所〉は、59年4月、ミュンヒェンのSI第3回大会での決議を得て開設されたSIの正式機関であったが、実質的にはコンスタントのヘゲモニーのもとで運営されたものと思われる。コンスタントはSI結成以前から「ニュー・バビロン」という名の都市計画あるいは建築のブロジェクトを構想しており、アムステルダムの〈統一的都市計画のための研究所〉もまた、その活動の具体的内実は「ニュー・バビロン」の実現のための研究が主たったようだ。しかし、コンスタントの技術至上主義的傾向が、ドゥボールらの考えと相容れなくなり、わずか1年半の後に、コンスタントはSIの脱退を余儀なくされ、同時にこの研究所は閉鎖された(参照)。コンスタントの技術至上主義的傾向とは、あくまでも「作品」の「実現」を通して自己を実現する古い「芸術家」としての態度であり、そうした態度はドゥボールの当初からの考え(「作品」に基づかない活動、既存の要素の「転用」による「状況の構築」)と最終的には相容れないものであったが、SI結成当初の段階ではこの傾向は顕在化していなかった。コンスタントはむしろ、60年6月のSIイタリア・セクションのメンバーの除名の際には、「作品」を志向するピノガッリツィオやジオルス・メラノッテらイタリアのシチュアシオニストらをドゥボールとともに批判する側にまわったぐらいである(「シチュアシオニスト情報」を参照)。しかし、SI結成から4年を経て、コンスタントが自らもさまざまなかたち(マケット製作、展覧会など)で「ニュー・バビロン」のプロジェクトを具体化させるための活動を積極的に展開するにつれて、現実の社会とその社会に対する批判とは切り離されたところで技術的な側面だけを重視すると同時に、非シチュアシオニストの建築専門家と協力して活動し始めたことからドゥボールらとの間の矛盾が拡大し、コンスタントは「ニュー・バビロン」を実現するためという表向きの理由でSIを去ることを選択せざるをえなくなったのである。
 このコンスタントの脱退劇に、この時期SIに新たに参加したアッティラコターニィヴァネーゲムらの──芸術家出身ではないメンバーが大きな役割を果たしたと考えられる。彼らは、当初からドゥボールの考えの中にある社会批判的な部分に強い影響を受けてSIに参加し、芸術家としての活動とは一定別の脈絡で最初からラディカルな社会批判を開始していた。ドゥボールの「思想」にある意味で忠実なこの新しいメンバーが、SIという集団に当初から染み着いていた「芸術家」の残滓を一掃する大きな役割を果たしたのである。彼らを中心にブリュッセルに開設された新しい〈統一的都市計画事務局〉は、それゆえ、コンスタントの構想した都市計画に代わる何らかの新しい「都市計画」を構想するのではなく、「都市計画は存在しない。それは、マルクスのいう意味での『イデオロギー』にすぎない」という言葉で、「作品」の「実現」としての「都市計画」そのものを批判する。その批判の底には、ブルジョワ的な「都市計画」が問題であるとして、そうした「都市計画」のイデオロギー性を暴露したり、それに対抗するシチュアシオニストの「都市計画」を構想したりするのではなく、むしろ「都市計画」そのものがイデオロギーであるという認識のうえに、そのイデオロギーそのものを拒否するのだという彼らの強い決意がうかがえる。これは、シチュアシオニストのメンバーの作る芸術作品は「反シチュアシオニスト的」としか呼びえないとして、「作品」による活動そのものを否定する時のコターニイ(SI第5回大会での発言を参照)や、「問題は拒否のスペクタクルを作り上げることではなく、スペクタクルを拒否することにほかならない」との認識の上にシチュアシオニスムなるものも、シチュアシオニスト的芸術作品なるものも存在しない」として「作品」による運動を明確に拒否する時のヴァネーゲム(SI第5回大会での「基調報告」)にも共通した姿勢である。