『武装のための教育』訳者改題

 フランスでは、1936年のレオン・ブルムの人民戦線内閣によって、年間15日間の有給休暇の制度が法律で定められ、労働者にとっての「余暇」の権利が生まれたが、当初は、実際にこの権利を享受したのは、そのための蓄えと精神的ゆとりを持った少数の者にすぎなかったようだ。フランスの「余暇」の歴史を研究するジャン=クロード・リシェとレオン・ストロースによると、多くの労働者は、この長い休暇を、せいぜい郊外への日帰りの行楽に出かけるのに使う程度で、あとは厳しい日常の労働から離れた休息のための時間に充てるか、さらには、休みを利用してブドウの刈り入れのようなアルバイトに精を出す者さえいた。今日のフランスに見られるような、大規模な観光旅行や山や海辺のヴァカンス村への滞在が多くの労働者の間での習慣になったのは、フランスが高度成長を遂げた1960年代に入ってのことにすぎない。50年代から60年代にかけて、ホテルやキャンプ場、道路や鉄道が整備され、<フランス旅行クラブ>や<観光と労働>、<青少年キャンプ・大衆観光中央機構>、<地中海クラブ>、<家族ヴァカンス村>などといった新旧の団体が次々とヴァカンス村を開設し、増大した労働者の余暇時間と経済的な余剰をすくい取るようになっていったのである。なかでも、シチュアシオニストのこの「論説」で言及されている<地中海クラブ>は、それまでになかったまったく新しいコンセプトでこの「余暇」を「楽しむ」材料を提供した。時計も決められたスケジュールもなく、人々が現実の社会を忘れて広々とした空間の中で一時を過ごす──テニスやサイクリング、ヨットでのクルージングなど、気晴らしの材料はおよそ考えられうる限りのものが提供されるという<地中海クラブ>のヴァカンス村は、日常的な時間と空間から完全に切断された場をとことんまで追求して商業的に「成功」した最初の例である。
 シチュアシオニストがここで批判するアンリ・レイモンは1959年6月号の『エスプリ』誌に寄せた<地中海クラブ>の一ヴァカンス村の訪問記「パリニュロの人間と神々──余暇社会に関する考察」のなかで実際、次のように書いている。「村に入ることによって生じる〔日常との〕この切断の向こう側には、果てしない時間が広がっている。余暇の時間だ。『今が何時かも、今日が何曜日かも、私はまったく知らない」というのが、満足すべき決まり文句だ。それは拘束からの解放の象徴そのものである。空間も、他の所では単なる時間の標識と混同されるまでに抽象的だか、ここては逆に、あらゆろ多様な活動の源である。余暇社会では、提供されるほとんどありとあらゆる種類の活動から自分の活動を決めるのは、私自身の歩みである。村は1つの空間への回帰を提供してくれるが、その中では歩行の時間によって社会生活への完全な参加が可能になる。時間は短く、時間の役割は小さくされている。逆に空間は広く、その広さこそが活動の豊かさの枠組みとなっている。この空間こそがあらゆるものを測る尺度となっているのである」(前掲書409−410頁からの孫引き)。アンリ・レイモンはこのほかにも、『フランス社会学雑誌』(1960年7−9月号)に掲載された「具体的なユートピア──あるヴァカンス村に関する研究」と題する文章で<地中海クラブ>を絶賛している。
 しかし、1年のうちのわずか2週間か3週間のこうした生活──それ自体、退屈だとは思わないのだろうか──のために、あとの50週を奴隷のような労働と貧しい私生活に費やさねばならないとすれば、そんな生活ははたして幸福と言えるのだろうか。アンリ・レイモンのような社会学者は、そうした問いを立てることなく、ヴァカンス村をユートピアと同一視することで、やすやすとヴァカンス産業のお先棒を担ぐこんな論文を書いてしまうのである。そこには、「余暇」と「労働」、そして「私生活」を抽象的に対立させて、それぞれが「分離」され、それゆえ人間の活動の全体性という観点からは「疎外」されているという現代社会の現実を疑問視することも、それを変革しようとすることも忘れた社会学者のぶざまな姿がさらけ出されている。ヴァカンス村という欺購的な「夢」を目の前に差し出されて、社会学者のように簡単にだまされることのないように「武装」すること。さらに、ヴァカンス産業の差し出す人間関係と生活体験のモデルに勝る魅力的な日常生活の革命を構想すること。それを、革命を唱える組織そのもののうちにおいても実践すること。シチュアシオニストが提案するのは、<地中海クラブ>のような日常生活から分離したユートピアのパロディではなく、「個人生活のあらゆる空間・時間を自由に構築する」という日常生活の全局面の変革であり、そのために「労働−余暇−私生活」の分離を克服しつつ「人々の参加と創造性」の解放を保証するような「生活体験の全側面において明確に関与する集団的計画」を実行に移すことである。それが彼らの言う「武装としての教育」なのである。