ギャングランドと哲学

 『ペイピン−バオ』は世界最古の日刊紙である。15世紀も前から発行されており、最初の号は4世紀にペイピン、今日の北京で出た。この新聞の書き手たちは、国家と宗教の不謬性を攻撃したため、しばしば中国の主権者の不興を買った。それでも新聞は毎日発行された。しかし、それは記者たちの命をもって購われたのである。15世紀間に縛り首になった『ペイピン‐バオ』の記者は1500人にのぼっている。

ウツヴィデッキ・メイヤー・ツオ、1957年   

 シチュアシオニスト潮流の目的は、さまざまな状況の構築を妨げることにあるのではない。われわれの態度の中にある、この第1の制約からは数多くの帰結が導かれる。われわれは、それらの帰結の発展に立ち会うために一定の努力を行う。
 「『護衛』というのが、ガーメントセンターに巣くう恐喝団一味のキーワードである。やり口は次のようなものだ。ある日、見知らぬ男が訪ねてきて、あなたの『護衛』を請け負おうと丁重に申し出る。世間知らずの無邪気な人なら、『いったい何から護衛してくれるのですか』と尋ねるかもしれない」(S・グルエフ、D・ラピエール『ニューヨークの地回りヤクザ』)。
 たとえば、実存主義のギャングなら次のように請け負ってくれるわけだ。彼らから見て、俗流唯物論を適用するのは大変難しい、それというのも、文化について、われわれだってほとんど同じことを言っても構わない。しかし、そんな風に言うことがいったいどうしてそれほど自慢になるのか、それがわからないだけである。さてここに1つの帰結がある。
 文化が成長し、哲学・科学の知識が打ち建てられる、こうしたことをどのように考えればよいのか。今日の心理学は、さまざまな動機を追及する。なぜわれわれはある「思想」や当為を受け入れるのか、あるいはまたなぜそれを拒否するのか。「社会化」の過程によってもたらされるもっとも重要な結果は、ひとつに、生物学的平衡システムの上に重なるかたちで、規範的な平衡システムが発達することだと考えられる。前者が欲求や要求にかかわる行動(食べること、寒さや打撃から身を守ること)を司るのに対して、後者は、「やってよい」とか、たんに「考えてよい」と見なされうる行為が、どのようなものであるかを決定する。(P・R・ホフスタッター*1)。たとば、誰かがシチュアシオニストの活動を意識するようになったとしよう。彼はそれを「理解し」、われわれの「議論」の道筋を辿ってゆくだろう。束の間、頭の中でわれわれのもとに結集した彼は、しかしすぐに去ってゆく。次の日になると、彼はもうわれわれのことを理解しさえしないだろう。われわれとしては、上に引用した心理学的記述を少しだけ修正し、この彼がさまざまな事柄を「やってよい」とか、たんに「考えてよい」と見なすのを妨げた、さまざまな力の働きを追跡できるようにすることを提案したい。何といっても、われわれは彼が忌避したその当の事柄が可能であるのを知っているのである。思考実験として、彼の反応を拡大して検討してみよう。「ディオとその共犯者の裁判が始まった。そのとき、信じがたいスキャンダラスな出来事が起こった。最初の証人、ゴンドルフォ・ミランティが証言を拒否したのである。彼はFBIに行った供述を全て否認した。裁判官は我慢できなくなり、怒りにまかせて最後の手段に訴えた。答えることを命令する、命令に従わなければ、5年の刑だ、――裁判官は叫んだ。ミランティは躊躇なく、この5年の長きにわたる刑に服することを受け入れた。被告人席では、きれいに髭を剃って優雅に構えたジョニー・ディが皮肉な笑みを浮かべていた」(前掲書)。事柄をあるがままに、自分が見たままに話そうとしないこの人物の行動と、先の彼の行動との間に、アナロジーを見ないわけにはいかない。当然、証人は脅迫の犠牲になったのではないか、と考えられるだろう。しかり、たしかに彼は脅迫にあったのだ。とすれば、2人の恐怖に共通するメカニズムとはいったいどのようなものだろうか。
 ミランティは若い頃からギャングランドに住んでいた。このことは多くの事を説明してくれる。「ギャングランド」というのは、シカゴのギャングたちの隠語なのだが、犯罪地帯、恐喝行為の島というような意味である。事件に係わり合いになっても困るが、私ならば、根本には「ビジネス」が働いているのを調べるべきだと思う。すでにプラトンは次のように述べている。「彼らは、囚人を解放して上の方に連れて行こうと企てる者に対して、もしこれを何とかして捕らえて殺すことができるならば、殺してしまうのではないだろうか?」(『国家』第7巻 第1節〔第2節の誤り。『国家(下)』、藤沢令夫訳、岩波文庫、100頁〕哲学は、自分がいつだってこの釈迦の掌の中で語ってきたのだということを忘れるべきではあるまい。
 ここでちょっとした転用語彙集の展開をやっておく必要がある。私は、ときに応じて、「地区(カルチエ)」はギャングランドと読むのがよいと提案したい。社会組織は護衛、社会は恐喝団、文化は下馴らし、余暇はお気に入りの犯罪、教育は事前謀議である。
 体系的にゆがめられた基本的な知識の蓄積――たとえば空間についての観念論的な考え方、そしてそのもっとも言語道断な例である一般に認められている地図作成法を考えてもらえばよいが――、こうした知識の蓄積は、さまざまな恐喝団の利益のために社会空間のあらゆるギャングランドに押しつけられる巨大な嘘のための保証を与えるのである。
 P・R・ホフスタッターによれば、「社会化の過程の進み方に型を与えるための『科学的』方法は、今日のところはまだ示すことができない」そうである。逆にわれわれは、知識=情報の生産と需要のメカニズムのモデルを作ることは可能だと考えている。都市の一定の区画を選び、そこで行われている社会生活全体を、短期間の徹底的な調査によってコントロールしさえすれば、今日の都市圏で、ある決められた期間に、情報の爆撃がどのように行われているかについて、いわば断面図のかたちで正確な表象をえることができるだろう。当然、SIは、こうした点検を行うこと自体が、すでにギャングランドの恒常的コントロールの独占状態を甚だ混乱させることになり、ただちに占領地にさまざまな変化をもたらすことを承知している。
 「あれほど多くのことが語られてきた全体芸術とは、ただ都市計画のレヴェルでしか実現されえないものであった」(ドゥボール)。しかり、ひとつの限界はここにある。この次元では、すでに下馴らしの決定的要素を取り除くことが可能になっている。しかし、同時に、この次元での結果を待望するばかりで、取り除きの作業そのものからの結果を待っているのでないとすれば、われわれは考えられる限りの最大の誤りを犯していることになる。
 われわれと同じく、新(ネオ)−資本主義の方もまた、自らの大規模な使用に供するために何事かを発見したのである。新−資本主義は、日夜、領土の整備のことばかりを語っている。しかし、自明なことであるが、、新(ネオ)−資本主義が、依るべき新次元もないまま自らの手を逃れてゆくように感じているのは、商品生産のための条件にほかならない。アカデミズムの都市計画は、こうした戦後の、新(ネオ)−資本主義の視点に立って、そしてまたその役に立つようにと、「欠陥地域」なるものを定義するに及んでいる。彼らの地域浄化計画の技術は、反シチュアシオニスト的な、中身の空っぽな基準の上に成り立っている。
 マンフォード*2の次のような批判をここに引いておこう。すなわち、街が病的要素(ギャングランド)と考えられないと、新しい技術(治療法)は生まれない。
 状況の構築者は、さまざまな状況をその構築的で再構築可能な要素において読解できるようにならねばならない。こうした読解を通して、さまざまな状況が語る言語の理解が始まる。人は、この言語を語ることができ、それによって自らを表現することができる。そして、最後には、構築された状況、半自然的なものとなった状況によって、いまだかつて言われたことのないことを自分自身〔の言語〕で言うことができるのだ。

アッティラコターニィ*3   

*1:P・リチャード・ホフスタッター (1916−70年) アメリカの社会学者。『アメリカの政治的伝統』(1948年)によって評判になり、『改革の時代』(55年)でピューリッツァー賞を受賞。歴史研究に社会心理学の手法を採り入れた解釈を試みたことで知られる。

*2:ルイス・マンフォード (1895−)アメリカの文明・社会学者。ニューヨーク市立大学で都市計画を学び、1923年頃、アメリカ地域計画協会を設立し、グリーンベルト都市の計画を標榜して、都市の芸術性、建築の社会的側面の重視を強調した。この面での代表的著作に『都市の文化』(1938年)、『歴史のなかの都市』(邦題『歴史の都市ー明日の都市』、61年)がある。また、技術と社会組織の関係についても考察を深め、『技術と文明』(34年)、『機械の神話』(67−70年)などを書いている。

*3:アッティラコターニィ ハンガリー国籍のシチュアシオニスト。SIベルギー・セクションに所属して活動。1963年10月、ヨルゲン・ナッシュを擁護したことを理由にSIを除名。