『シチュアシオニストと政治および芸術に反対する新しい行動形態』訳者解題


 ギー・ドゥボールが1963年6月に発表したテクスト『シチュアシオニストと政治および芸術における新しい行動様式』のタイトルを1語変えただけのタイトルで、ルネ・ヴィエネがその4年後に書いたこのテクストは、新しい時代のシチュアシオニストの「転用」戦術を提案するものとして興味深い。政府核シェルター粉砕運動としてSIがデンマークで行った示威集会的展覧会「RGS6粉砕」のパンフレットの形で発表されたドゥボールのテクストが、そこに展示した自分たちの「作品」における「転用」の意義を具体的に説明するために、今世紀の革命運動における「芸術作品」の革命的な「利用」を歴史的に総括し、「芸術」と「政治」双方の「乗り越え」を図る必然性と現代的意義を理論的に説いたのに対して、ヴィエネのこのテクストは67年という時代での「転用」の技術的可能性をより一般化し、より具体的に提案する。「転用」については、ドゥボールレトリスト・インターナショナルの時代にジル・ヴォルマンと共同で執筆し、1956年5月発行の『裸の唇』誌 第8号に掲載した論文「転用の使用法」や、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌 第3号の論文「否定としての、また予兆としての転用」などによって、すでに十分な理論的考察が加えられ、SIの中心的理念として確立していた。また、実際にこの「転用」の理論を用いたさまざまな「作品」──小説、絵画、建築、コミックス、映画など──も作られてきた。これらについては、先の2つの論文とそれらに付した「訳者解題」のほか、『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』誌第4号の論説「迷宮としての世界」、第8号の「王さまのすべての家来(オール・ザ・キングズ・メン)」、第9号の「われわれの語る世界」などの論文と「訳者解題」を参照してもらいたいが、ヴィエネはこれらの「転用」の理論的成果と実践的経験を踏まえたうえで、ここに新たに「新しい行動様式」として、「転用」の技術の新しい可能性を提出するのである。これは、先進国と言われる国々で学生の異議中し立ての運動が前進し、反乱の機運が高まってきていた67年というこの年に、シチュアシオニストが実践してきた「転用」の技術が現実の運動の中でより積極的に用いられ、体制転覆という点でより効果的な機能を果たし始めたからにほかならない。つまり、シチュアシオニストが関わって起こした「ストラスブールのスキャンダル」(この前の論文を参照)では、フランス全学連に対する反乱を起こしたストラスブール学生自治会の学生たちは『学生生活の貧困』の配付の前に、SIシンパの学生アンドレ・ベルトランが「転用」の技術をコミックスに応用して作った予告宣伝ビラ『ドゥルッテイ旅団の帰還』を大学構内に貼り、新学期で大学に戻ってきた学生たちに新しいスタイルの闘争の開始を告げ、大学当局にも官僚主義的なフランス全学連にも衝撃を与えた。このような新しい情勢の中で、おそらく、ヴィエネは大衆運動の中での「転用」の技術的可能性をまとめあげる必要を感じたのだと考えられる。
 ヴイエネがこのなかで提案している4つの「転用」の戦術──「フォトロマンの転用」、「マスメディアにおけるゲリラ戦」、「シチュアシオニスト・コミックス」の完成、「シチュアシオニスト映画」の製作──はどれも、それまでにドゥボールが挙げていた「転用」の戦術をさらに徹底させ、とりわけ新たに生まれてきた大衆運動の道具として用いることを念頭に置いている。それらは、街頭で、大学のキャンパスで、人の集まるところならどこででも用いることができ、日常生活に乱入して、その秩序を覆し、大衆を異議申し立ての運動に駆り立てる。それらはもはや古い意昧での「芸術」でもなければ「政治」でもない、「芸術と政治に反対する」匿名のゲリラ的メディアなのである。ドゥボールの言う「転用」には、このようなプロパガンダの手段としての側面が当然含まれていた──しかし、それは、ドゥボールにとっては最も原始的な「転用」の効能であった──が、ヴィエネのこの論文はそれを現代的にアレンジして、極端に推し進めて主張することによって、68年5月革命の中で、またそれにいたる時期に、フランス各地で次々と生まれた新しい表現形態を準備することになった。実際、この後、「シチュアシオニスト・コミックス」は、68年3月のナンテールで、68年5月のソルボンヌで次々と作られて配付され、占拠されたソルボンヌの中では、シチュアシオニストの用語を用いた落書きに加えて、壁に飾られた壁画や構内の彫像に、コミックスの吹き出しを描き加え、それらの「芸術作品」を転用する実践が、SIのメンバーであるなしに関わりなく数多くの者たちによって大々的になされるのである。「マスメディアにおけるゲリラ戦」と「シチュアシオニスト映画」についても、後者は、68年以降、ドゥボールが製作した『スペクタクルの社会』(73年)において、ゴダールのような映画的可能性における折衷主義や退行ではない、真のシチュアシオニスト映画と言うに相応しい映画を実現した。それはまさにヴィエネの言う「現在を歴史的問題として研究」し、「物象化のプロセスを解体する」映画である。前者は、むしろ、シチュアシオストの解散以降に、70年代イタリアのアウトノミア運動のなかで開花し、それがフランスに逆輸入される形で80年代に「自由ラジオ」運動として数多く実践されてゆくだろう。


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