ポトラッチ第5号

訳者改題


レトリスト・インターナショナル・フランス・グループ情報誌──毎週火曜日発行

1954年7月20日


カタリ派*1は正しかった

 ワシントン発、7月9日──アメリカの全マスコミは今日、シカゴ大学教授の物理学者マーセル・シャイン*2と彼の黒板、そして彼の発見した「反−陽子」の写真を公表した。この不思議な字宙の小物体は、この冬にテキサス州の上空30キロメートルで観測気球が検出したものだろうということだ。
 実は、これは現代科学最大の発見の1つかもしれない。反−陽子とは、何年も以前から世界中の物理学者が探していたもので、陽子とは反対のものである。
 陽子は水素原子の核であり、したがって、地上の全物体の基本的要素である。陽子と反−陽子が出会うと、それらは互いを破壊し合う。反−陽子はそれゆえ、陽子でできたすべての物質を消滅させることができる。それは本質的には「反−物質」なのかもしれない。しかしながら、地球全体を破壊するに十分なだけ反−陽子を集めることは不可能なようだ。

(『コンバ』紙、7月10日付)


結論

──つい最近、グァテマラの新政府は文字を読み書きできないものから投票権を取り上げた。

(『ル・フィガロ』紙、7月9日付)


──グァテマラに勝利をもたらした反徒らの指導者であるカルロス・カスティーリョ・アルマス将軍は、軍事評議会の会長に任命された。

(『パリ=プレス』紙、7月10日付)

──カスティーリョ・アルマスは自らの政策を「銃殺隊の正義」と定義した。

(『ユマニテ』紙、7月14日付)


摩天楼の根のあたり

 あらゆる領域で、ますます抑圧の印がのしかかってきているこの時代に、特別に嫌悪すべき男、明らかに並はずれて警察的な男が1人いる。この男は居住単位の独房をいくつも建設し、ネパール人のための首都を建設し、垂直になったゲットーや、しばらくの間なら十分死体公示所(モルグ)に使える建物を建設し、たくさんの教会を建設した。
 このプロテスタントモデュロール*3、ネオ−キュビスム風の駄作のへぼ絵かき、ル・コルビユジエ=シング=シングは、神の最大の栄誉のために「住むための機械」を作動させたが、この神たるや腐った死骸とル・コルビュジエらを自分の姿に似せてこしらえたのだ。
 現代の〈都市計画〉なるものは今までに1度も芸術になったことはなく──生の枠組みになったことはなおさらない──、逆に、常に警察の刑事たちから着想を得てきたということ、そして、結局、オスマンがこれらの大通りを作ったのは大砲をうまく運ぶためでしかなかったということ、これらの事実を忘れてはなるまい。
 だが、今日、ル・コルビュジエが通りをなくすことに情熱を傾けているのを知るにつけ、牢獄が住居のモデルとなり、キリスト教道徳が有無を言わさず勝ち誇っていることに気づく。というのも、彼はそれを自負しているからだ。生活はいくつもの閉じられ孤立した地区、いくつもの監視された社会に分割され、叛乱のチャンスも出会いのチャンスも終わり、自動症的(オートマティック)な諦めが支配する──それが彼の計画である(ついでに、次のことを指摘しておこう。自動車の存在は万人もちろん、何人かの「経済的弱者」は除いて──の役にたつ。最近亡くなったばかりの警視総監、あの忘れることのできないベイロは、バカロレア〔の学生〕の最後のスクラムのあと、街頭でのデモ行進は以後交通の必要と相容れないとも語っていた。そして、7月14日が来るたびに、そのことは証明される)。
 ル・コルビュジエとともに、真に衝撃的な建築物から期待しうる遊びと認識──日常的な逸脱(デペイズマン)──は、ごみ箱に捧げられることになった。そのごみ箱も、すでにUSAの全ホテルに設置されている規定にかなった聖書のためには決して使われないのだ。
 ここに現代建築を見るためには、バカになるしかない。うまく埋葬されなかった古いキリスト教世界をむりやり呼び戻したにすぎないのだ。前世紀のはじめ、リヨンの神秘思想家ピエール=シモン・バランシュ*4は、その著書『償いの都市』──その描写は〔ル・コルビュジエの〕「輝く都市」を予感させる──のなかで、すでにこの理想の生活を書き表していた──
 「〈償いの都市〉は、人間の単調で悲痛な有為転変の法則と社会的必要の御しがたい法則を生き生きと映し出すものでなくてはならない。そこではあらゆる習慣が、最も無邪気な習慣でさえ、真正面から攻撃されねばならない。何ものも1つ所にとどまらず、人の生は亡命の地での旅であるということを、そこでは、あらゆるものがたえず知らせ続けなければならない。」
 しかし、われわれの眼には、地上の旅は単調でも悲痛でもない。社会の法則は御しがたくはない。真正面から攻撃すべき習慣は、たえず新たに生まれる驚異に取って代わられた。そして、われわれが願う第1の快適さとは、この手合いの考えと、そうした考えをまき散らす蝿を除去することだろう。
 ル・コルビュジエ氏は人間の欲求について何を予想しているのか?
 大聖堂はもう白くはない。そしてわれわれがそれを見て喜ぶ姿などありえない。「日当たり」に太陽広場、音楽も知られている──MRP(フランス人民共和派)*5のオルガンとタンバリンだ──、その上、天上の牧草地には、亡くなった建築家たちが草を食べに行くというわけだ。〔巨きな〕牡牛を盗め、これは〔小さな〕雌牛だ。

レトリスト・インターナショナル


今週のベストニュース

 東京発、7月14日──生糸工場の女性従業員たちがこのところ行っていた、正常な精神生活の権利を求めたストライキは、雇い主らと富士宮──東京から64キロメートルの場所の住民との間でほとんど「戦争」状態に発展した。
 「近江絹糸株式会社*6」の工場で働く若い女性たちは、極めて厳格な規律下に置かれた寮に住んでいるが、会社があらゆる手段で、彼女らの結婚を妨げ、精神生活を持つことを妨害していることに不平をもらしている。会社がそうするのは、「それに起因する生産高の減少」を危倶してのことだそうだ。工場とその付属施設を離れるには7名の許可を得なければならないこと、口紅や白粉を塗ってはならないこと、毎晩、9時になれば眠らねばならないことに対して、少女らは不満の声を上げている。
 社長の夏川嘉久次氏は仏教徒で、毎朝、工場の庭に整列して仏教のお経を唱えねばならないことが、少女らには不満である。
 このお経が終わっても、まだ別の歌が控えていて、それは、たとえば、「今日、私は法外な要求はいたしません」とか「今日、私は不満を漏らしません」などという題が付いている。

(『コンバ』紙、7月15日付)


模範的な自己枇判

「(……)世情の複雑さも、彼らがメンバーの1人を除名することの妨げにはならない、そのメンバーが少しでも卑俗さの印を見せれば、あるいはまた自分のしたことで満足すれば。」(1954年6月に除名されたレトリスト・インターナショナルの一メンバーが、1953年10月に書いた言葉)

今号の『ポトラッチ』の編集はベルンシュタイン

コノール、ダフ、ドゥボール、フィヨン、ヴォルマンによる。




ベルギーのシュルレアリスト・グループのアンケートヘの回答

 「詩(ポエジー)という語にどんな意味を与えますか?」

 詩(ポエジー)は形式に関してその最後の威厳をなくしてしまった。詩は今や、美学を超えて、人間の冒険の能力のなかにしかない。詩は人々の顔の上に読むことができる。それゆえ新たな顔を作ることが急がれている。詩は都市の形のなかにある。われわれはそれゆえ、人を動転させるような都市を作ろうとしている。新しい美は状況のものとなるだろう、すなわち一時的であると同時に経験された美となるのである。
 最近の芸術のヴァリエーションにわれわれが関心を持つのは、そこに付与したり発見したりすることのできる影響波及的な力のためだけである。われわれにとって、詩は、完全に新しい行動の錬成、そしてそのことに情熱を傾ける手段という意味しかない。

レトリスト・インターナショナル

(『自然による地図』誌 特別号に掲載、ブリュッセル、54年1月)

『ポトラッチ』編集長 アンドレ=フランク・コノール

パリ6区、デュゲ=トゥルアン街15番地

*1:力タリ派 11世紀から13世紀に南欧、特に南仏に広まった、アルビジョア派を含むマニ教的異端宗派。

*2:マーセル・シャイン(1902−) チェコスロヴァキア生まれの合衆国の物理学者。第二次大戦勃発の前年、合衆国に移住、シカゴ大学宇宙線の研究を行う。戦後、アラスカのマッキンレー山頂で宇宙線測定を行ったり、B29や気球に乗って高空観測を行ったりしたことで有名。

*3:プロテスタントモデュロール モデュロールとは、ル・コルビュジエが黄金分割比をもとに考案した建築設計のための基準尺度。ル・コルビュジエはスイス生まれのプロテスタントだった。

*4:ピエール=シモン・バランシュ(1776−1847年)フランスの作家、哲学者。イタリアの歴史哲学者ヴィーコから受け継いだ歴史哲学を神秘論的社会理論に結合させた独自の思想を編み出し、自由主義的なカトリック教徒に影響を与えた。著書に『文学との関係において考察した感情について』(1801年)、『社会の転生』(27−29年)

*5:MRP(フランス人民共和派)主として対独レジスタンス派が結成したキリスト教的民主主義政党。1967年に解消。

*6:近江絹糸株式会社 大阪に本杜を持ち、彦根、岸和田、大垣、富士宮などに工場を持つ従業員1万2000人の紡績会社。熱烈な仏教徒夏川社長のワンマン体制のなかでの前近代的な労働環境に反発し、会社のご用組合に反旗を翻した第2組合が22項目の要求を掲げて、1954年6月4日、無期限ストに突入、105日にわたる激しい闘争の末、9月17日、中労委などの斡旋で決着を見た。この闘争は、その要求内容から「人権闘争」と呼ばれ、多くの犠牲者を出しながらも、闘争の過程で各地元市民や他労組からの支援を次々と生み出した。『ポトラッチ』のこの記事では、結婚の自由の要求がもつぱら「少女」からのみ出された要求と取れるが、実際は、夏川社長は男性社員に対しても、結婚しないことを説き、若い社員が結婚するとすぐに左遷し、夫婦が同居できないようにしていた。